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横を向いた後で私の手を



 エレベーターが浮上する時の神経がチリチリするような落ち着かない感覚が全身に走ってすぐに治まる。

 平衡感覚が乱れて足元がふらついたのを白が横で支えてくれて、その頼もしい背中に手を着きゆっくりと呼吸した。


 足の裏に固い床の感触。

 今まで畳の部屋にいたのでそれだけで違う場所へと移動したんだって分かる。


 目を開けると下は全部板張りで外へと向かって大きく出っ張っている場所に立っていた。

 大きな柱が屋根を支えていて天井は格子になっているけど天井絵のように中に絵が描かれていたりはしない。

 ここはシンプルなことに意味があるような感じがする。


 光りを感じて視線を動かすと奥に部屋があった。


 部屋とせり出している部分の境には簾が丸められた状態で幾つも下げられていて、欄間には鳥が翼を広げた模様と雲の形が美しく彫られている。


 足をそっちへと向けて歩き出すと床の下に空洞があるのか音が吸い込まれていくような感じがした。


 日に焼けて褪せた畳。

 古い板戸。

 薄い座布団と肘掛け。

 仕切りのためとそこに誰かが控えるために置かれているんだろう。

 二本の柱の間に横木を入れて綺麗な布がかけられている。


 それらを白々と照らす電気の灯り。


「……ここで待てってことかな?」


 露草に連れて来られたはずなのに、青い小鬼の姿は無い。

 仕方なく白に尋ねてみたけど、白銀の狼は緊張した表情のまま返事をしてくれなかった。


 周りは暗くてよく見えないけど竹林に囲まれているのか風が通るたびにさやさやと音を次々と立てていく。


 漣のように。


 それに耳を澄ませていると砂利道を歩いて誰かが近づいてくる音が聞こえてきた。

 白が喉の奥でグルグルと唸りながら私の前へと出る。


 ドキドキ鼓動が乱れっぱなしで息ができなくなっているのに気づきこういう時こそ落ち着かないといけないと慌てて深呼吸した。


 息を吸った時間の倍かけてゆっくりと吐き出す。


 それだけでも血が隅々まで流れているのを感じることができてちょっと安心できる。

 体温やいつもは意識してない身体の部分を確認して、自分という身体の輪郭をなぞることでくっきりと明確になっていく。


 宗明さんに呼吸法を教えてもらっていて本当に良かった。


 少しずつ治まって行く呼吸と心臓の動きに背中を押されるようにして、直ぐそこまで来ている足音の方へ顔を向ける。


 暗い中で人影のようなものが動き、闇から浮かび上がるようにして出てきたのは中学生くらいの背丈の男の子――だと思う。


 顔にお面をつけているので判断ができない。


 しかもその真っ黒なお面は顔の半分から下が嘴のように突き出していて、中央に寄った目の部分はぎょろりとしていてかなり怖かった。

 着ているものは真っ黒でいわゆる忍者装束に似ていて、動きやすさだけじゃなく暗闇に溶け込むための効果もあるのかもしれない。


 じっと観察しているとお面の少年が小さく溜息を吐いた。

 それから手に持っていた細長い二つのものを地面に置きながらぼやくように呟く。


「空けめ。座って待っておればいいものを」

「え?その呼び方……もしかして」


 露草なの?

 あの小さくて可愛い青い小鬼の?


「でも、だって、どうやって」


 大きくなったのか。


「そう易々と秘密を教えられるか。空け。急げ。主の元へ行くぞ」

「は?いや、待って」


 手招かれて素直について行くわけにはいかないのだ。

 喋り方は露草だけど声は見た目通りの少年みたいな声だし、手足だってすらりとしていて本当に彼だって保障は無い。


 それに。


「だめ。結と一緒じゃないと行かない」

「心配ない」


 心配ないっていうけど結を攫ってまで連れてきた露草を信じて欲しいだなんて言われても納得できない。


 もちろん友だちとしての露草や茜のことは信じてる。

 でも主に仕える妖としてのふたりのことは信じられない。


「簡単に信じるなって言ったのは露草だよ。私の傍には白がいる。宗明さんのお札だってある。離れているより一緒にいる方が安心だし安全。それとも私のことが信じられない?結と合わせたらお見舞いに行かずに逃げるかもしれないって思ってる?」

「否」


 露草が小さく頭を振ると後ろでポニーテールにされた黒い髪が揺れた。

 それから後ろを体ごと振り返り暗闇の向こうをじっと見つめる。


「なに?」


 なにかいるの?

 それともなにかがある?


 首を傾げつつも露草の視線の先をじいっと眺めているとふわりふわりとゆれる橙色の灯りが近づいてきた。

 こっちに気づいたのか、進むことを迷うようだった玉砂利を踏む音が速くなり、最後には蹴り上げるような音に変わる。


 そして。


「お姉ちゃん!」

「結?」


 駆け込んできた結に場所を譲って露草はすっと後ろへ下がる。


 乱れた息を整えつつ「なんで?」と尋ねる結は喜びと困惑が入り混じった奇妙な表情をしていた。


 私はくすりと笑い結の頭をそっと撫でる。


「なんでって」


 なにを当たり前のこと言ってるんだか。


「結だって私と同じ立場だったら迎えに来るでしょ?」

「――――!っ来ないよ!大体なんで来ちゃうの!?アレの目的はあたしじゃなくてお姉ちゃんなのに!」

「ウソ。結はちゃんと来る」


 来てくれる。


「お姉ちゃんはちゃんと知ってるよ」


 私が危険なことをさせられてるって心配して千秋寺に乗り込んでくるくらいだから。

 どんなに怖くても結はきっと来てくれる。


 頬を軽く膨らませ唇を尖らせていた結が溜まりかねたようにドンドンっと足踏みした。


「ぅんん、もう!お姉ちゃんのそういうとこほんとイヤ!」

「ごめん」

「絶対反省してないし、分かってないっ!」

「ええっと。怒ってるとこ申し訳ないけど、これから露草たちの主のお見舞いに行く。先におばあちゃん家に帰したいけど一緒にいる方が私が安心できそうだから」


 連れて行くって続けると結は一瞬泣きそうに目元を歪めて俯いたけど、すぐにいつものように強気な眼差しで顔を上げた。


「分かった。あたしがついてないとお姉ちゃんうっかり帰って来なくなりそうだからついて行ってあげる」

「ありがとう」


 本当に結は優しい子だ。

 結を悲しませないためにも、守るためにも頑張らなくっちゃ。


「行こう」

「うん」


 露草が用意してくれた靴を履くと自然とどちらからともなく手を差し出していた。

 二人を繋ぐ手の下を潜って白が先へ行く。


 ここまで来たら行かなきゃならない。


「さあ。連れて行って」


 準備ができたことを視線で確認し、露草は背を向けて歩き出した。

 建物からどんどんと遠ざかると、結が持っている提灯の灯りだけが頼りだ。


 玉砂利から剥き出しの地面に変わり、細い登り道を露草、結、私の順で進んでいく。


 千秋寺の山を歩きなれているからそう難しいことじゃないけど、知らない場所や歩いたことが無い道は滑りそうな足場だったり、自然が生む微妙な起伏があってすごく疲れる。


 私でもこれだけ辛いんだから普段山登りしない結には相当厳しいものがあるはずなんだけど、露草の後ろを文句も言わずに足を前へと出し続けているんだから本当に偉い。


 帰ったらたくさん褒めて、それからたくさん甘やかそう。

 冬のボーナスで結が欲しいものを奮発して買ってあげてもいいな。


「結、提灯持つよ」


 提灯は重くはないけど少し前に出して持たなくちゃいけないし、揺れるたびに無意識に力が入って長く持っていると疲れてくるから。


 せめて身軽にしてあげようと手を出すと「ありがと」と素直に渡してくる。


 その後は体力を温存するためにも黙々と歩く。


 辺りをぼんやりと照らす提灯の影響で今がいつなのか、現実なのかということさえもあやふやになっていく感じがした。


 正面に向く部分に手のひらの大きさで八つ手の葉の模様が黒く塗られた提灯。

 薄く白い和紙の向こうで蝋燭の火がチラついて、周囲に浮かび上がる黒い影がまるで羽を広げた大きな鳥のように見える。


「お姉ちゃん」


 視線を上げると結と視線が合う。

 歩きながら器用に体を捻ってこっちを振り返っていた。


「あそこ」


 見てと言われて結が指差した先はちょうど木々が切れ、下の方に人工的な灯りが密集して広がっている。


 ここから町を見下ろすと真っ暗な闇の中で煌々と輝く灯りはまるで命の輝きのようにさえ見えた。


 届きそうで届かない。

 遠くはないけど近くもない。


 その距離が妖と人とが上手く付き合うためには必要なんだとしたら、確かに私は彼らと近すぎるんだと思う。


 でもなにが最適かなんて誰にも分からない。

 人との距離だって相手によって一番良い距離感は違うんだから。


 それに人だって裏切る。

 妖ならその性質上裏切られる可能性は人より高くなるんだってことを肝に銘じて、もしそうなったらどうするか考えて動けるようにならなくちゃいけないんだ。


「本当になにごとも経験だね……」


 失恋の痛手を癒すための旅行だったのに、彼の顔も名前も思い浮かべる暇もないほどだ。


 ある意味いい現実逃避になっているのかもしれないけど、自分の気持ちと向き合えてないってことは切り替えできてないってことでもあるからなぁ。


 顔を合わせた時に挙動不審にならないように気をつけなくちゃ。


「空け。遅れるな。じきに着く」

「あ。ごめん」


 考え事してる間に歩く速度が落ちてたみたい。

 少し離れてしまった距離を慌てて縮める。


 私が追いついたことを確認してから露草は前を向いてちょっとだけ歩を速めた。


 なにかを吹っ切るように。


 でも。

 その“なにか”が分かるほど私たちはお互いを知らない。

 話さなくても通じることができるほど時を重ねていない。


 おじいちゃんならきっと分かるんだろう――そう思った時に胸の奥がモヤモヤとして同時に恥ずかしくなる。


 できたばかりの友だちの親友に嫉妬するような幼稚な独占欲みたいだ。

 長い年月をかけて築き上げてきた関係性に勝てるわけがないのに。


「ここだ」


 露草が足を止める前からそれは見えていた。


 黒い岩盤の切れ目はまるで稲妻がそこへ落ちたかのようにジグザグと入り、下の方は人が並んで入れるほどの大きさの空間がある。

 その入口には二つの石柱が置かれ間を結ぶように注連縄が巻かれていて、奥になにかを祀っているのは間違いない。

 ここが目的地だって言うのならそこにいるのは露草たちの主である天狗さまなんだろう。


 注連縄を潜って切れ目の傍まで来ると生温い風が吹いてきて、縄に着けられた紙垂れがゆるりと震える。


「中に茜がおる。詳しいことは奴に聞け」

「……露草とはここでお別れ?」

「邪魔が入らんとも限らん。暫し様子を見ねば」

「用心深いね。でもこの土地で頼りになる妖は露草と茜以外にはいないし、知らないから邪魔できるとしたら白くらいだよ」


 ね?と白を見下ろすと目を細めて鼻の上に微かに皺を寄せる。

 どこか不満そうな顔をしているので自分だけで十分守り切れるって言っているのかも。


「まあいっか。結行こう」


 提灯を持っていない手を伸ばすと結が急いで掴んできた。

 青白い顔で必死に恐怖心を抑えている。


「結。これ持ってて」

「……なに?」


 握った手を解いて携帯が入っている方じゃないジーンズのポケットから束になったお札を取り出す。


「半分こね」


 ざっくりと半分に分けて渡すと結は素直に受け取り左手に持ち替えると、私がお札をしまうまで待てずにチュニックの裾を右手で引っ張る。


「結」


 ここで無責任に大丈夫だって慰めることや励ますことはできない。

 なにが起こるか分からないし、なにが待っているか分からないから。


 それでも。

 私は笑って結の手の甲を優しく叩いてからぎゅっと握りしめる。


「いい?遠慮はいらないからもしもの時は思いっきり叩きつけてやって」

「はあ?遠慮なんかするわけないじゃん」


 なにをバカなこと言ってんのって結が眉をキリキリと跳ね上げて私は苦笑いしながら「だよね」と頷く。


「お姉ちゃんの方が変な情け出しそうだからそっちの方が心配」

「……ごもっともです」


 唇をへの字に曲げる結に反論できずにまたしても苦笑い。

 いつも心配ばかりかけてごめんね。


「さっさとお見舞い済ませて帰るよ!」

「うん。あ、ちょっと結待って」


 ぷいっと横を向いた後で結の方が私の手を引いて暗い入口へと進みだした。

 これじゃどっちがお姉ちゃんだか分からない。

 提灯を前へと差し出して、急いで結の横を追い越した。


「へえ。案外広いね」


 結の素直な感想に私も同意して頷く。

 両サイドは岩壁だけど入った場所は四畳半くらいの空間があって、そこから真っ直ぐに道は伸びている。

 奥の方が仄かに明るいので目指す先はそこなんだろう。


 提灯を掲げて歩き出すと横の壁はごつごつとした自然な岩肌なのに足元はならされたように平坦で歩きやすいことに気づく。


 それだけ誰かの出入りがあったからなのか、それとも必要があって手入れされたのか分からないけど夜の山道を登ってきて疲れた足にはありがたかった。


 それに冷たい夜風が直接体に当たらないから寒さもしのげて助かる。

 靴は準備してくれたけど上着までは持ってきてくれなかったし。


 きっと露草たちは寒さを感じない性質なんだろう。


 私たちは身を寄せ合いながら先へと進み、五分ほど歩いた辺りで正面からぴゅっと風が吹きつけて思わず足を止めた。


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