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細やかな抵抗



 結と並んで商店街へと向かって歩く。

 久しぶりにこんなに穏やかな時間を一緒に過ごしていることを深く感謝しながら。


 結の頬と私の額には冷却シートが貼ってあり、それだけがさっきのゴタゴタの名残のように白く存在している。


 結は羨ましかったんだって。


 努力していなくてもみんなが私を構い、心配することに小さな頃からずっと。

 だからこそ気を引きたくて率先してお手伝いをしたり、にこにこ笑って話しかけたりしていたんだって。


 私はぼうっとしてることが多かったし、転んだりぶつかったりしてたから「この子はちょっと大丈夫かね?」と頭の成長を不安視されていただけなんだけど。


 結からはまた違うように映ってたんだな。

 不思議だ。


「あたしだけがおじいちゃん家に行くと必ずおじいちゃんに『紬はどうした?』って聞かれて。そのたびに目の前にいるのにはあたしなのになんでお姉ちゃんなのってめちゃくちゃムカついた」


 今でもそのことは根に持っているのだと唇を尖らせる。

 そういう小さな積み重ねが結の中で燻り続けていたんだろう。


 なんだかすごく申し訳ない。


「おじいちゃんは見えてるあたしより、見えてないお姉ちゃんの方が心配だったんだ。だってほら、それもおじいちゃん家からついて来ちゃったくらいだし」

「え?小人さんたち元々はおじいちゃん家にいたの?」

「そうだよ」


 私の足元でわいわいとじゃれ付きながらお供してくれている小人さんたちへと結が視線を向ける。


「おじいちゃんに可愛がってもらってたくせに薄情者」


 自分たちのことを言っているのだと分かっているのか、小人さんたちはぴゃっと飛び上がり隠れる場所を探して右往左往する。


「長い間存在も知らずに、ミルクやお菓子もあげなかった私の傍よりおじいちゃんの所にいた方が小人さんたちも快適に暮らせてただろうに……」


 どうしてって聞くのはきっと意味が無い。

 だから。


「ありがとう。小人さんたち」


 感謝することで気持ちを表すことにする。

 横で結が呆れたように溜息を吐く音がした。


 そして「そういうところだよね」って笑った結が見習わなくちゃと続けた言葉に胸の奥がきゅうんっとする。


「結!手ぇつなご!」

「は!?なんで!?やだよっ!」

「いいから!」


 照れて嫌がる結の手を無理やり掴んで握るとぷいっと顔を背けられた。

 そのまま私が引っ張るようにして先を歩き、細い路地を抜けて商店街へと出る。


 レトロな石畳が敷かれた道はいつもより人が少ない。

 不思議に思いながら辺りを見渡すとどのお店も準備中の札がかけられている。


「あ、そっか」

「なに?」

「クリーニング屋さんの旦那さんが先週亡くなって、その初七日法要が今あってるからどこもお店空いてないみたいだなと」

「はあ?その無くなったクリーニングの人、そんなにみんなから大事にされてる偉い人なわけ?」


 あはは。

 結のびっくりもごもっともだよね。


 普通は商店街の人が亡くなったからって、全部のお店の人たちが初七日のお参りに参加するなんて有り得ない。


 私だって聞いたこと無いしね。


 七日、七日の法事は家族と親戚で終わらせるのが一般的だ。

 よっぽど深く親しい人なら参加することもあるのかもしれないけど。


「この商店街は特殊みたい。お通夜やお葬式もみんなでお手伝いしてお家でするって言ってたし。ご遺体のお迎えも商店街の仏具屋さんがするくらいだから」

「でも普通ここまでする?特殊って言うより異常だよ。ここ」


 結は駅側へと向かう入口を見てから首を巡らせてほのかがある出口の方へ向きもう一度「異常だよ」って震える声で呟いた。


「止まってる――時間が、ううん、違う。歪められて、遅いんだ」

「結?どういうこと?」

「お姉ちゃんには感じないの?この」


 異常さが。

 この。

 歪みが。


「見えないの?」


 信じられないという表情で私を見る結はすっかり怯えてしまっている。

 繋いでいる手にぎゅうっと力を入れて。


「見えないし、感じな――」


 首を振りかけて止まる。

 私の眼には異常という感じで映っていたわけじゃないけど確かに違和感はあった。


 まるでこの商店街が薄い膜のようなもので包まれているようなそんな感じが。


「だって、嫌なものじゃなかったから」


 すぐに忘れてしまっていた。


 龍姫さまが護っているこの場所にひずみなんかあるはずがないって――思い込もうとしていたから。


「だめ、あたし、ここ」

「分かった。出よう」


 本当はほのかのおいなりさんを買いに行きがてら素敵なお店がたくさんある商店街を紹介したたかったけど、結には無理をさせたくないし苦しめたくもないから。


 結の様子を見ながらできるだけ急いで小道へと戻ると涼やかな風が吹いてどこからか甘い果実のような微かな香りを運んできた。


「大丈夫?歩けそう?」

「……うん。あそこから離れたらだいぶいい」

「そっか」


 気丈に顔を上げているけど繋でいる結の指先は冷たくて震えていた。

 顔も真っ白で。

 よっぽど怖いんだろう。


「一応聞くけど、白近くに危険はない?」


 あまりにも怯えているので辺りに異変はないかを確認すると白は青い瞳を瞬かせて首を傾げる。

 なにを聞かれているのか分かってない様子にゆっくりと息を吐く。


 つまり。


 この状況は危険ではないし、白や住んでいる人たちにとって日常であるということなんだろう。


 かといって結が嘘をついているとか、誤解をしているとは思えなかった。


「時が、歪められてる……」


 誰に――なんて聞くまでもない。


 そういうことができるのは特別な力を持っているか、長い時を生きて強い力を持っているかに限られる。


「お姉ちゃん?」

「え?ああ、ごめん。ちょっと考え事してた」


 繋いでいる腕を引かれてはっと顔を上げると不安そうな顔の結が見ていた。

 今ここで私が動揺してちゃいけない。


「でもすごいね。結は見えるだけじゃなくて、正確に異常がなんなのか分かるんだね」

「そんなの」


 全然すごくない。


「お姉ちゃんとは見てきた長さも量も違うんだもん。当然だし」

「すごいよ。だって朔さんも褒めてたよ。結の眼は本物だって。たくさんの偽物の中から本物を見つけ出せるのはすごいことだから」

「……ほんとに、朔が?」


 ツンとしていた結の頬にうっすらと赤みがさして、唇の端が嬉しそうに上がる。

 その素直な変化が可愛らしくて私は満面の笑顔で大きく頷く。


「うん。悪いものをいっぱい見過ぎて今は澄んだ目で物事を見れなくなってるけど、結にはいつか元の輝きを取り戻して欲しいって」

「……そっか」


 喜びを隠そうとして堪え切れずにいる妹の横顔はそんな表情をさせる相手に嫉妬したくなるくらいに綺麗だった。


「朔さんは良い人だね」

「うん。悪魔だけどね」


 二人で笑い合いゆっくりと千秋寺へと歩き出す。

 手は繋いだまま。


 結が呪いの力を使わないことを選んだことで朔さんと交わされた契約は破棄されることになるんだろう。


 どういう形でどういう内容で結ばれたものかによって違うんだろうけど、結にとっても朔さんにとっても重い罰則がないものであることを祈るしかない。


 まあひとつ言えることは結が契約した悪魔が朔さんで本当によかったなぁということだ。


「結は用事が済んだから先に帰る?」

「お姉ちゃんは遅くなるの?それとも泊まり?」

「んー……こればっかりははっきり言えないけど」


 なんせ真希子さんからお泊りを打診されたら断れないからね。


「午後は宗明さんに相談と言うか話があるから」


 どのみち帰るにしても夕方以降になる。

 一緒に帰りたくはあるけどそれまで待たせるのも悪いし、もし結に興味があるなら大八さんに妖について教えてもらうのも時間つぶしにはなると思うけど。


 どうなんだろ。

 やっぱり見えないはずのものと仲良くするのとか知るのはイヤなのかな?


 そういえばおばあちゃんはどうだったんだろう。

 おじいちゃんの不思議な力のことどんな風に受け止めて考えていたのか。


 おばあちゃんに会ったのは去年の一周忌の時が最後だった。

 その時はまだ眼鏡の力もおじいちゃんの秘密も知らなかったから。


 年末に結と一緒に帰省してもいいかもしれないな。


 そしたら色んなことが聞けるかも――なんてちょっと油断したからなのか、それとも虫の知らせかなにかか。


「――――!」


 細く尖ったもので力いっぱい殴りつけられたかのような痛みが眉間を襲う。

 いつから始まっていたのか、耳鳴りが周りの音を遠ざけていき足元が不確かになる。


 やばい。

 久しぶりに。

 来た。


 私を形作っている物を溶かしてどこかへと連れて行ってしまう強い力が。


 待って。

 今はだめ。


 結がいるのに。


 なにを見るっていうの。


 やだ。

 やだ。

 痛い。


 待って――。


『ウオォォォォーン』


 喧しいほどだった耳鳴りを縫って聞こえた遠吠えに、バラバラになっていきそうになってた私は引き留められた。


 お姉ちゃんって私を呼ぶ結の声も手の感触も戻ってくる。


 大丈夫。

 落ち着いて。


 深呼吸を。


 引きずられるな――と言う声に私は頷き返して一度だけぎゅっと瞼を強く閉じた先に、白の青い二つの瞳が私のと重なるように浮かぶ。


 眼鏡をかけている耳の裏がチリチリとした熱さを感じて、そこに焦りのような思いが見えた。


 なにか見せたいの?


 なにか。

 知らせたいことがあるの?


 思えば力が暴走した時を除いて眼鏡の方がこんな風に意思表示をしたことはない。


 迷いは一瞬。

 心が決まればやることはシンプルだ。


 いいよ。

 見せて。


 いち、に、さん―――!


 意識がふわりと浮く感覚は眠りに落ちる時とよく似てる。

 始まりも終わりもゆっくりのようでいて前触れもなく唐突で。


 目の前に映像がパッと現れた瞬間はそれがなにかを認識するのは難しい。

 漠然としていて焦点が絞れていないから。


 薄暗いなということにまずは気づいて、光りを探し始めてそこが北側に作られた台所だと分かる。

 古いけど綺麗にしてあるシンクの上にまな板と包丁が置かれているけど切ろうとしていただろうものが無い。


 どこだろうって考えながらも私の鼓動はどんどん速くなっていく。


 視点が変わって壁に掛かっている昔ながらの日めくりカレンダーが今日の日付を示し、そしてその上にある振り子時計が十一時二十三分を指していた。


 これは過去じゃない。

 そして未来でもない。


 今だ。


 息苦しさを感じながらふと床に転がる緑色の塊に気を引かれた。

 子どもの頭くらいはある南瓜は半分に割れ、中の種とワタが中途半端に取れて散らばっている。


 そして。


 黄色く染まった指先に額をくっつけるようにして倒れているのは。


「おばあちゃん!?」


 叫んだ拍子に戻ってきた私はそれでも自分が見たものを信じきれずにいた。

 でも確かに見た。

 信じたくなくても眼鏡の力はこれを伝えたかったに違いないから。


「結、今何時!?」

「え?何時って、今は――十一時二十五分だけど」


 今更私の奇行に驚きはしない結だけど、時間を確認されて渋々スマホを取り出す。

 見て戻ってくるまでにタイムラグがあるのか二分過ぎてる。


 おばあちゃんは完全に意識が無かった。

 倒れてからどれくらい経っているのかはさすがに分からない。


 分からないけど一分一秒を争う状況だ。


 クリーニング屋さんの旦那さんは確か意識が無くなって倒れたまま亡くなったって言ってた。


「ねえ?一体何があってんの?」


 なにを見たの?って聞き方をする結にはなにが私に起きていたのか分かっているんだろう。

 こういう時はなにを説明しても結が疑わないで理解してくれるのは助かる。


「おばあちゃんが倒れているのが見えた。日付は今日で時間は今より二分前」

「おばあちゃんが!?どうするの!?」

「まずは救急車を」

「そんなの遠くにいるあたしたちが連絡したら怪しまれるよ!?」

「じゃあ」


 どうしたら。


「苦しい言い訳かもしれないけどおばあちゃんと電話してて途中で苦しんで返事が無くなったとか」

「おばあちゃん電話の傍にいた?受話器上がってなかったらおかしいと思われる!」

「でもそんなこと言ってたら手遅れになるのに」


 今おばあちゃんの所に行けば助けられかもしれないのに。


 見えたってなにもできないんだったら意味は――ない?

 本当に?


 違う。

 意味はある。

 ちゃんと。


 しっかりしろ。


 おじいちゃんだったらこんな時どうする?

 おじいちゃんにだって手を貸してくれる人がいたはずだ。


 おじいちゃんの傍には――。


「そうだ」


 おじいちゃんのことも知っていて私とも交流がある妖がいる。

 トートバッグに手を突っ込んで小さなコンパクトミラーを取り出して急いで開け「茜!露草!」と呼びかける。

 早く出てと願いながら待つ時間はすごく長く感じたけど、きっと数秒にも満たないくらいだったはずだ。


 表面が揺れてあちらと繋がる。


 青い肌の小鬼は『ようやく呼びおってからに』とぶつぶつと言いながらもどこか嬉しそうだった。

 久しぶりに会うのは会うけど、今は再会を喜ぶのも挨拶も後回しだ。


「露草!お願いがあるの。さっきおばあちゃんが、倒れてるのが見えて。周りの人になんとかして伝えられない!?ねえ!露草!」

『なんと!寿代ひさよさんがか』


 それは大変だと表情を引き締めた露草がなんとかしようって引き受けてくれたのでほっと力を抜く。


「ごめんね。ありがとう」

『沙汰があるまで待て』

「うん」


 慌ただしく切れて鏡に疲れた私の顔が映った。

 とりあえずやれることはやった。


「お姉ちゃん……」

「大丈夫。今は待とう」


 結の手を引きとりあえず千秋寺へと向かった。



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