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結び目




「おは、ようございます!」


 寺務所へ入るとそこにいたのは珍しく宗明さんだった。

 てっきり宗春さんだと思い込んでいたせいでどもっちゃったよ。


 恥ずかしい。


「小宮山さん」

「え?あの?」


 宗明さんは神妙な顔をして目の前に立つとチラリと宗春さんばりの冷たく切りつけるような眼で白を睨みつけた。


 当の白は尻尾を足と足の間に巻き込んで怯えたように耳を伏せている。


「ちょっと、宗明さん。どうして」

「どうしてと問われるのは少々おかしいかと思いますが?」


 ゾクリとするような低い声が耳から入って背筋を駆け下りていく。


 なんなの?

 すっごく怖いんですけど!?


「なんのために傍にいるのか自覚が無いようでは役立たずの謗りを免れない」

「……ウゥウウ」

「元々当てになどできないと思ってはいたがこれほどまでとは」

「…………」


 なんか白が怒られてる。

 これ。

 多分あれだ。


 さっきの。


「宗明さん!待って!白だけを責めるのは間違ってます!」


 慌てて白を庇うと宗明さんは片頬を歪めて首を振った。


「何故です?これの役目はあなたを守ること。それを全うできずになにが守護者か」


 “これ”呼ばわりは気になったけど、それよりも先に説明しなくちゃいけない。

 硬い物言いと冷たいオーラに怯みたくなる気持ちはあるけどぐっと指を握り込んで口を開く。


「だってあの状況であんな接触をしてくるなんて思ってもいなかったですし、私だって油断してて」

「そうですね。なにがあったのか千里眼を持たない私には知りようがありませんが、このように黒い気配を纏わせてあなたが千秋寺ここへいらっしゃったのはつまりこれが役目を果たせていないという証拠に他ならない」


 きっぱりと言い切られたけど、なんだ……宗明さんはなにが起きてたのか全部分かってたわけじゃないのかと思うと力が抜けた。


 そりゃそうだよね。

 離れていてなにがあったか全て見えるなんて千里眼でもなくちゃ分かりようがない。


 勘が良くて法力も強いからうっかりしちゃうけど、宗明さんも宗春さんもちゃんと人間なんだよね。


「……これじゃありません。白です」

「失礼」

「いいえ。次からは名前で呼んでください」


 でもまあ、あれだよね。


「宗明さん心配してくれたんですよね。ありがとうございます」

「…………」


 違うともそうだとも言わないけど、無言で目を伏せた仕草だけで答えは分かる。

 ある意味正直だ。

 宗春さんとは大違い。


 あ。

 そうだ。

 丁度いい。


「あの。お忙しいでしょうがお話したいことがあるので時間取ってもらえませんか?」

「話……俺に?」

「はい。宗明さんにです」


 “私”から“俺”に変わった所をみるとどうやらお怒りは収まったらしい。

 ほっとしつつ頷くと困惑しながら午前中は先週亡くなったクリーニング屋さんの初七日のお参りがあるから「午後からなら」と約束してくれた。


「じゃあ宗明さんの良い時に声かけてください」

「分かりました」


 よし。

 これで宗明さんに宗春さんの“予備スペア発言”について相談できる。


 ウキウキしながら私はペットボトルを持って飛び出した。

 神聖である山の入口へと入ると正面から風がビュウッと吹きつけてきて思わず目をつぶる。


 木の枝が激しく揺れて葉が擦れる音が響く。

 ザワザワザワって人の話し声にも似た音。


 そこから意味があるような音が聞こえているような気がして耳を澄ませたけど、やっぱり私には理解できないものらしい。


 残念。

 でも聞こえない方がいいこともあるかもしれない。


 ふと前に会ったお花屋さんの顔を思い出して、更に「色々と教えて欲しい」ってお願いしたままになっていたことも思い出した。


 これはお話し聞きに行っても良い気がする。


 あの時宗春さんがお姉さんに向けて呼びかけた“語り部代理”という言葉の意味も知りたいし。


 風が止み私は目を開けて一歩踏み出す。

 もう一度風が立ち木々を揺らすけど高い場所を通って行ったようで私の所には届かなかった。


 安心して次の足を出す。

 乾いた落ち葉がクシャリと鳴るのが耳に楽しくて夢中になる。


「あれ?なんか体が軽くなったような気がする……?」


 自覚はなかったけどどうやら背中や肩にかなりの力が入っていたみたいだ。


 もしかしたら宗明さんが言ってた“黒い気配”というものをさっきの風が吹き飛ばしてくれたのかもしれないなんてことを考えながら登って行った。


 今回は何事も無く水汲みを終えて戻ってくると本堂の前に立っていた宗春さんが手を上げてちょいちょいっと指先で私を呼ぶ。


 水の入った重いペットボトルを抱えながらなのでそんなに早くは歩けないから近づきながら「おはようございます」と挨拶する。


「ん」


 えー……呼んでおいて挨拶を返すどころか「ん」ってひどくないかな?


 階段の下で靴を脱いでいると白が「こいつやっぱ苦手」って顔をして私の後ろに隠れる。


 分かるよ。

 その気持ち。

 すごく分かる。


「で?」

「――は?でって、なにがですか?」


 激しく心の中で白に同意していたらこれだよ!


「私たちそんな短い言葉で相手がなにを望んでるか分かるほどの仲じゃないと思うんですけど?」

「……僕に報告することあるんじゃない?」


 面倒くさそうに眉を寄せて一番上の階段に腰かける宗春さんを見上げ私はぽかんと口を開けた。


 なんか今日の宗春さん感じ悪い。

 これなら宗明さんみたいに怒ってくれた方が断然良い。


 でも報告しなきゃいけないことがあるのは間違いないのでぐっと飲み込んで「どっちからがいいですか?」と尋ねた。


「紬の部屋に居座ってやつに関しては無事に解放できたみたいだから別に。もう一個の方」

千秋寺ここへ来るまであったことですね。分かりました」


 電車の中でのことを思い出しながら、できるだけ詳しく話すことに気を付ける。

 そして彼のことを話すということは結のことも言わなくちゃいけない。

 出てくる前の家でのやり取りのことも最後に付け加えて私は説明を終えた。


 ずっと目を伏せて黙って聞いていた宗春さんは小さな溜息を吐いて「心当たりはある?」と聞いてきたけど。


 それが彼の正体についてなのか、結が彼に叶えてもらいたがっている願いについてなのか分からないので答えられない。


「……しかし自分で探し出して悪魔と契約しようだなんてよっぽど紬の妹は思いつめてるようだ」

「その件については面目ないです」


 そこまで結が思い悩んで苦しんでいることを全く見抜けなかった鈍い私に責任がある。


「妹さんは反対なんだろうね」


 仲良くするのも。

 逝くべき場所へと送り出すために力を貸すことも。


「全部」

「かもしれません。でもそれは結なりの優しさで――」

「関係ないよ」


 結が悪く思われてしまっているようで辛くて発言すればズバリと切り捨てられる。

 どこまでも透明な笑顔で。


「それは優しさじゃない。直接訴えるのではなく他のを借りようとした段階で間違ってる。しかも相手が悪い」

「…………」


 悔しいけどその通りだ。


「でも結はおじいちゃんの眼鏡を外して欲しいってずっと言ってて、それを拒んだのは私で」


 だからどうしようもなくて朔さんに頼んだのかもしれない。

 私から眼鏡を奪って欲しいって。


「眼鏡だけが標的なら人ならざる者の手を借りなくても自分でできる。寝ている紬の部屋にこっそり忍び込めばいいだけだ」


 それをわざわざリスクを冒して願うだろうか?


「厄介だね」


 肩を竦めて立ち上がり宗春さんはそう呟いた。


「そして面倒だ」


 いかにも気が乗らないといった様子に「姉妹の問題なので」って言いたくなりそうなのを我慢する。


 話がこじれて眼鏡が無くなってしまったら私はなにも見えなくなってしまう。

 夢もこれまでの努力も全部失ってしまうから。


 ここまで辛抱強く教えてくれた宗春さんの時間まで無意味なものになっちゃうのが分かってて「あなたは関係ないでしょ」とは言えない。


「おい、飯だぞ」


 外廊下から本堂の回廊にやってきた大八さんがひょっこりと顔を出した。

 深刻そうな空気を感じてはいるんだろうけどあえていつもの明るい笑顔で「おはよう紬。腹減ってんだろ?」って声をかけてくれる。


「おはようございます。ぺこぺこです」

「今日はオムレツだぞ。真希子さんのオムレツは具だくさんで旨い」

「オムレツだけじゃないですよ。真希子さんの作る料理はなんでも美味しいんです」

「違いない」


 来い来いって手招きされて、そのまま階段を上がる。

 上った正面奥に仏さまが座しているので手を合わせて深く頭を下げた。


 仏さま、仏さま。

 どうか結のことも宗春さんと宗明さんのことも上手くいきますように。


 必死でお参りしても仏さまからのありがたいお言葉が聞こえるわけでもない。

 でもいつも見ていますよっていう温かいものは感じるのでよろしくお願いしますって掌を擦り合わせた。


 振り返ると待っていてくれた大八さんと一緒にさっさと先へ行ってしまった宗春さんを追う。


 なんともほっこりするような良い匂いが漂ってきてお腹がぐうぅっと鳴る。


 朝ご飯お家で食べてきているはずなのに我ながら現金なお腹だ。

 しかもしっかりと聞かれていたようで大八さんが喉の奥でククッて笑った。


「……すみません」

「いいって。おれも食べんの好きだから、それくらいの女の方が好きだし」


 オムレツ♪オムレツ♪ってウキウキしている大八さんはなんだか可愛い。


 本当に食べたいものが食べられない分、他のもので飢えを紛らせようとしているからこその食欲旺盛さなんだろうけど、それを楽しめるのは幸せなことだよね。


 真希子さんのご飯は妖の胃袋も掴んですごいな。

 まあかくいう私も虜になってんだけどね!


「紬ちゃん、おはよう」

「おはようございます。真希子さん」


 食卓にはほかほかと湯気を上げる料理たちが並んでいる。


 座ってと促されてすっかり指定席となっている場所へと腰を下ろした。

 向かい側には大八さんが座り、その右隣に真希子さんが、左隣に宗春さんとなる。

 そして私の右側が宗明さんなんだけど基本的朝と昼は宗春さん共々一緒に食べないので不在だ。


 午前中にある初七日法要のために準備やらあるんだろうなぁ。


「じゃあ――いただきます」


 バックミュージックよろしく朝のニュースが流れている中で真希子さんの号令のもと食事が始まる。


 いつもの千秋寺の朝だった。


 だから本とにらめっこしてる書庫へオロオロした真希子さんがやって来た時もそんなに大ごとじゃないと思ってたんだ。


 よく考えればおっとりとしていながらも芯の強い女性である真希子さんには珍しいことだっていうのに。


「どうしたんですか?」

「あのね。宗春からは紬ちゃんには教えるなって言われたんだけど」

「え?」


 呑気な調子で尋ねた私を上目遣いで見ながら真希子さんはなにやら気になる言い回しで答えた。


「でもね。やっぱり当事者同士で話し合った方が良いと思うの。特に宗春はなにを言いだすか分からないでしょ?」

「ええまぁ……」


 母親である真希子さんからも信用されてないのは気の毒だけど事実だからしょうがない。


 でも当事者同士って?

 話し合うってことは誰かが訪ねてきているってこと?


 私には教えるなってことは多分私が関係してる?

 そうなると当事者って私でもあるわけで。


 宗春さんはその人を私に会わせないまま話し合って、勝手に帰そうとしているってこと?


 なにそれ!


「いつもの部屋ですか?」


 すっくっと立ち上がって書庫の入口で座っている真希子さんに確認する。


「ええ。でもね。宗春は紬ちゃんのためを思って行動していると思うのよ。だからね」

「分かってます」


 本当に私のことを考えてくれているかどうかという点はちょっと謎だけど、彼なりの思考の中でそうした方が有効であるという判断をしたのは事実だろうから。


「紬ちゃん、できるだけ冷静にね?」

「……はい」


 不安そうな顔で真希子さんが廊下の端の方へと身を寄せて道を開けてくれる。


 冷静にって釘をさしてくるってことは、その相手と対話して私が心を乱されることがあるってことだ。


 誰だろう――って考えてすぐに止めた。


 廊下を足早に進みながら呼吸を整えて心を鎮める。


 お客さまが来たら通される部屋は寺務所の傍の客間だ。

 前に訪ねてきたのはお父さんだった。

 その時は宗明さんが対応してくれて。


 本当だったら今回も宗明さんに任されてたんだろうけど、生憎宗明さんはお仕事で留守にしている。


 廊下の先に大八さんが立っているのが見えた。

 私に気づいて首の後ろを掻き、それから通せんぼするようにこっちを向く。


「あー……一応言っておくが、あいつに通すなって言われてるんだ」

「あいつって誰ですか?宗明さんですか?宗春さんですか?」


 答えは分かっていたけど確認する。


「宗春だな」

「じゃあ大丈夫ですね」

「おいおい」


 若干空いている左側を通ろうとすると腕を伸ばされて阻まれた。

 その腕に右手を添えてジロリと睨み上げる。


「大八さんはどっちの味方なんですか?」

「どっちって」

「私ですか?宗春さんですか?」

「あー……」


 返答をどうしたもんかと悩んでいる大八さんの腕を強く押して「通してください」とお願いすると視線を逸らされた。


「私にお客さまなのに、どうして私が会っちゃいけないんですか?おかしいでしょ。そんなに危険な相手なんですか?」


 宗春さんが会わせたがらないのはなんとなく分かるけど、大八さんまで邪魔するっていうことはそういうことなんだろうか?


 でもそんな相手なら真希子さんは私を呼びに来たりしない。


「違うでしょ?なら会いたいです」

「…………」

「大八さん。おねがい」

「あー!分かった!分かったよっ」


 「なんだよ。そんなのずるいだろ」ってわけの分からない呟きをしながら壁にへばりつくようにして退けてくれる。


「ありがとうございます」

「……どうしたしまして」


 門番を説得して先へと進み、目当ての部屋の前に立つ。

 中からはなんの話声も聞こえないのは不自然だから、私が中へと入ろうとしていることを察しているんだろう。


「失礼します」


 返事を待たずに私は障子を開けた。


 一番最初に目に入ってきたのはこっちを向いて座っている宗春さん。

 そして座卓を挟んでこちら側には真っ赤なニットワンピースを着た華奢な後ろ姿が。


 肩まで髪はサラサラで艶やか。

 細い身体は女性的というよりも成長途中の危うさと清らかさがある。

 思わず守りたいと思ってしまうのは私がお姉ちゃんだからだけじゃない。


「結」


 呼びかけに振り返った顔は今朝も見た妹のもの。

 ただ表情は全く違う。


 睨むように、挑むように見上げてくる。


 ――冷静にね。


 そういった真希子さんの言葉を思い出し、私はそっと息を吸いこんだ。



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