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とりあえず効果のほどを




「はー、疲れた」


 千秋寺を出たのは正午を少し回ったところで、「お昼食べていったらいいのに」という宗明しゅうめいさんと宗春そうしゅんさんのお母さまの優しい申し出を「これから寄る所があるので」と辞退したのに、明日からの特訓のための衣服を買って帰ってきたらすっかり日が暮れていた。


 お二人のお母さまは随分と小さくて可愛らしく、しかも若くていらっしゃった。

 宗明さんも宗春さんもお母さま似ではないみたい。

 住職であるお父さまの方に似ているのかな?


 今日は色んなことがあり過ぎて疲労困憊だ。

 しかも朝五時にお寺に集合ということは最低でも三時半には起きなくちゃいけない。


 とほほ。

 起きれるかな?


 宗春さんのことだから時間に遅れるごとに無理難題を言い渡されそうなので意地でも間に合わせないと。

 一体なにをやらされるのか分からないけど、動きやすい格好をということは確実に肉体労働をさせられるはず。


 荷物を部屋の真ん中に下ろしてよろよろとベッドの上に座り込む。

 その横に水を滴らせながら濡れ女さんが佇んで、なにか言いたそうなどこか心配そうな顔で私を見下ろしている。


「ごめんね。いつか声も聞こえるようになるといいんだけど」


 青白い顔でお姉さんは夜の空の様に深く黒い瞳で僅かに首を傾げた。

 ふと顔を上げると部屋の隅――テレビとゴミ箱の間が定位置――で三角の頭にかぶる傘を手に正座をしている侍も鋭い目つきで私を観察している。


「えっと、」


 気づけば足にも毛むくじゃらの小人たちも群がっていて、スカートの裾にぶら下がったり、靴下を引っ張ったりと忙しい。

 布のお化けだと思ってたおじいちゃんが浄土へと帰って行ったので、一人少ない状態ではあるけれど今までとなにも変わらない日常だ。


「あ、そうだ」


 帰り際に宗明しゅうめいさんに渡された物を思い出し、手を伸ばして鞄の持ち手を掴むと中から茶色の封筒を取り出す。

 開けなくても上から触った感触で中に紙の束が入っていることは分かる。


 もちろん現金なわけがない。


 本当なら相談料とかお祓い料とか私が払わなくちゃいけなかったんだけど、宗明さんは「話を聞いただけですから」と頑として受け取らなかった。

お祓いしてもらったこととおじいちゃんと会わせてもらったことのお礼がしたいとお願いしたんだけど、それもお祓いをすることになったのは宗春そうしゅんさんが原因で洋服も駄目にしてしまったからと固辞されては引き下がるしかない。


 まあ、お蔭で特訓着を買えたんだけど。


「なんだろ?」


 千秋寺の名前と住所や電話番号が下の方に印刷されている厚手の封筒をガサガサいわせて逆さにしたら、中から結構な枚数のお札が出てきた。

 和紙みたいな紙に筆でなんか書いてあるけど私が無知なのと宗明しゅうめいさんが達筆なのでまったく読めない。

 赤い印が真ん中に押されていて、炎のような花のような模様はなんだか綺麗でため息が出る。


「これって、効果あるのかなぁ?」


 失礼かもしれないけど、ただの紙切れだ。

 疑いの眼差しで一枚取り出して、軽い気持ちで濡れ女さんの方へと近づけてみると――。


「い、ぎゃああああ!?」


 一瞬でムンクの叫びみたいな顔になった!!


 顔が引き伸ばされて目が空洞になり、髪を逆立てた彼女は向こう側が透けて見えるくらいに存在を希薄にさせた。

 聞こえないはずの悲鳴が私の耳を震わせている錯覚に驚いていると、部屋の空気がガンガンと見えない力で撹拌されているのだと気づく。


 やばい。

 これやばい!


 慌ててお札を遠くへと放り投げて「ごめん、ごめんなさい!そんなつもりじゃなかったんです!死なないで、お願いだから死なないで!」って泣きながら謝った。

 一気に窶れ果てた濡れ女さんはよろよろと床に倒れ伏し、私もベッドから滑り降りて彼女の身体の縁を――触れないなりに――右手でなぞりながら蹲る。


 そんなバカな。


 ただの紙なのに。

 どんだけ効力があるの!?


「いやだ、死なないで!消えないで!ほんとに、こんなことになるとは」


 よくよく見ると小人さんたちも壁の端に逃げていたし、お侍さんだって目を剥いてテレビの後ろに隠れてる。

 明らかに怯えている様子に私は自分の軽率さを呪って必死で謝罪を続けた。


 既に死んでいる相手に対して死なないでと懇願するくらいだから私の動転ぶりが分かるかと思う。


「…………お姉ちゃん、なにしてんの?」


 更に最悪なことにノックもせずに妹のゆいがドアを開け、泣きながらパントマイムをしている私を見て低い声で正気なのかと問う。


「えっと、これには深いわけがありまして――!」

「いや、お姉ちゃんの事情とか別にどうでもいいし。ダサくて冴えない癖に奇行まで始まったら、お姉ちゃん女としての幸せ完全に諦めなきゃなんなくなるの分かってんの?」


 ああ、本日二度目の女として価値なし頂きました。


 泣ける。

 猛烈に泣ける。


 もう泣いてるけど。


 ええ、違う涙ですとも。

 分かってる。


 でも今は泣かせてください。


 結は高校二年生で青春真っ盛りの上に反抗期中だから、ダサいとかウザいとか口癖だし男にモテなきゃ女として生きてる意味がないって思ってるみたい。

 寝る間も惜しんで手入れして綺麗に塗られたラメ入りのピンクのマニキュアの上には白い花がついていて、ショートパンツからは白い太腿を大胆に剥き出しにし、チェック柄のシャツの下に着たタンクトップの胸元からは谷間と柔らかそうな上乳が見えている。


 私としてはそんなに見せては獣たちがムラムラして可愛い妹を襲うのではと思うととても恐ろしくて気が気じゃない。


 メイクをして校則をギリギリ違反しない程度に髪を染めている結は目もパッチリしているし、鼻や口も小さくて華やかで可愛いから。


「そんな格好で出歩かないのっていつも言ってるのに!」


 ついつい小言を口にしてしまってその度に嫌がられてしまう。

 でも私にとってはお姉ちゃん、お姉ちゃんと後ろをついて回ってきた可愛い妹だ。

 結が碌でもない男に騙されて傷ついてしまったらと思うと言わずにはいられない。


「げぇ、ウザいんですけど。だいたいそんな格好って言うけど普通じゃん。これくらい。

 それよりもお姉ちゃんの格好こそどうにかなんないわけ?そんな古臭い三つ編みじゃなくてもっと可愛い編み方もあるし、コンプレックスも隠さず堂々と出せば意外とそういうフェチの人がいるかもしれないのにさぁ」

「い、いいの!お姉ちゃんはこれでいいの!これが、いいの!」


 お互いに“そんな格好”と言い合いながらダメだしし合うのはなんだか不毛な気がする。

 それに私は変な性癖の人とお近づきになんかなりたくない。

 だからいいのだ。

 これで。


 問題無し!


 私がぷりぷりと頬を膨らませていると結は少々うんざりした顔で「それさぁ、やめない?」と人差し指と親指をくっつけて輪を作りそれを自分の目の周りに当てる。

 妹の大きな二重の目にはなんだか不似合だが、どこか眠たげな眼をしている私の顔にはお似合いのもの。


「おじいちゃんの眼鏡。全然あってない。お姉ちゃん顔小っちゃいから完全に浮いてんだよ。外しなよ、それ」


 姉である私のセンスの無さを諦めているはずの結が、それでもこうして色々と口出してくるのは堂々と友達に紹介できないことへの苛立ちと、完全には切り離せない情があるからだと思う。

 反抗期だから無視しておけばいいのに、隣の部屋から奇声が上がれば「何事だ!?」とばかりに確かめに来てくれる優しい子なのだ。


「ありがとう。でもね、外さない」


 これだけは譲れない。

 可愛い妹の頼みでも。


「おじいちゃんの眼鏡は私が受け継いだの。おじいちゃんも許してくれたし、応援してくれてるから」

「は?なに言ってんの?お姉ちゃん死ぬ前の何年間かおじいちゃんと話もしてなかった癖に」


 結は私と違ってずっとおじいちゃんの家に夏休みも年末年始も遊びに行っていたから、死んだ後になって急におじいちゃんの形見の眼鏡を着け始めたことを面白く思ってないんだろうな。

 いなくなってから気づいたって遅いんだという結の気持ちが「バッカじゃないの?」という言葉に全部詰まっている気がした。


「うん。私バカだったよ。反省してる。だからこそ、この眼鏡を大切にしたい」

「…………お姉ちゃんはグズでノロマで鈍い。そういうところほんとキライ」


 結はそれ以上は言わなかったけどその後ろに「人の気持ちも知らないで」と続いているような眼差しを受けて私は苦笑いを浮かべるしかない。


「グズなのもノロマなのも鈍いのも認めるけど、私は結のこと大好きだし心配だから」

「はぁ!?別にお姉ちゃんに好かれなくてもいいし!」

「とにかくその格好は止めなさい。せめてそのふわふわドキッ☆魅惑の白い胸は大事にしまっておきなさい。あと男がハアハア必須のむちむち太腿も隠しなさーい!」


 のそのそと四つん這いのまま結に近づき手を伸ばしたら「ギャー!」と悲鳴を上げられた。

 廊下へ飛び出し顔を真っ赤にして涙目で震えている結は本当に可愛くて、盛りのついた男でなくても草食系のヘタレでも辛抱堪らんと飛びかかって行きそうなぐらいだ。


「結、あんたどうしてそんな可愛いの!?お願いだからちゃんとした服着て?それができないなら学校以外ずっと家から出ないで欲しい!」

「やだっ!キモい!キモいんですけど!もうほんと心配とかも全然しなくていいし!それに人を露出狂の変態みたいに言わないでよ!服だってちゃんと着てるじゃん!」

「そんなのはちゃんと着てるって言わないのー!」

「ウザッ!お姉ちゃんの基準のがおかしいんだから、それであたしをはかんないで!もういいっ。心配して損したっ!」


 言い捨てて自分の部屋へと逃げて行ったけど、私の心配をしてくれる結の分りにくい優しさが嬉しくて頬が緩む。

 廊下側へと開いたままのドアをちゃんと閉めて「お姉ちゃんのバカ」「お姉ちゃんキモすぎ」と罵る声を壁越しに聞きながらほっと息をつく。


「…………疲れた」


 妹の掛け合いは楽しいけど、いつか本気で嫌われそうで怖い。

 それにいつも以上に濃い一日がようやく終わるのだと思うと息をするのでさえも億劫な気がする。

 このままベッドで寝てしまおうかと部屋を振り返ると、精彩さを失ったお姉さんが空っぽの瞳で床に倒れたままだっ。


「いぎゃっ!?ご、ごめん。ほんとごめんなさい。忘れてたっ」


 すっかり風前の灯になっている濡れ女さんへ駆け寄ったけど、お侍さんが私のことを恨めしそうな顔で睨んでいて居た堪れない。


「どうしよう?どうしたら元気になるのかな……」


 せめて部屋が快適になるよう床に散っているお札をかき集めて封筒に戻し、少し悩んでクローゼットの奥へと突っこんでおいた。

 それでもまだ警戒している小人たちや侍は壁にぴったりと身を寄せている。


 その目が裏切り者め――と詰っている。


 彼らは私がいきなりそんなことをするとは思ってなかっんだろうなぁ。

 私だってそんなつもりはなかったのに。


 私が望むのは排除ではなく共存だから。


 非難めいた視線になにか行動を示さなくては、信頼回復は難しい。

 そもそも一度失ってしまった信頼を取り戻すのは簡単なことじゃないんだということは三年も社会人やってれば嫌というほど身に染みている。


 再び鞄に手を伸ばすとそれだけで部屋の中が緊張に包まれた。

 今まで見えているだけだと思っていたけど、空気や気配はお喋りなくらいに伝えてくれる。


「大丈夫、苦情を申し立てるだけだから」


 刺激を与えないように様子を見ながらそっと、そっと鞄の中に手を突っ込んで携帯を取り出す。

 なにかあった時のためにって教えてもらった宗明しゅうめいさんの番号が早速役に立つなんて。

 もちろん宗春そうしゅんさんのも教えてもらったけど今用があるのは宗明さんだ。


 アドレス帳から宗明さんの番号を呼び出して通話ボタンを押す。


 無機質な呼び出し音が鳴り始め、一回目が鳴り終わった時にふと、出てくれるだろうかという疑問が生まれた。

 教えてくれたのだから出てくれないことも無いんだろうけど、どうも宗明さんは気安く声をかけられたり慣れなれしくされるのを嫌うような雰囲気がある。

 出てくれたとしても冷たくあしらわれそうだな……と思うと携帯を持つ手に力が入ってしまった。

 でも真面目な人だから着信残しておけば後で折り返しがきそうだな、なんて笑っていると呼び出し音が途切れ『はい、宗明しゅうめいです』と低く落ち着いた声が耳の直ぐ傍で響いたことに驚き飛び上がる。


「いぃい!?」


 そりゃあ電話なんだから耳元で声がするのは当然なんだけど!


 宗明さんの声って低い上に濁りが無くて、通りがいいのでびっくりするくらい良い声なんだよ。

 声を使ったお仕事をしてもいいくらいに。

 そんな声が耳の中に直接入ってきたら妙な声を上げて誰だって驚いてしまうはずだ。


『小宮山さん、どうしましたか』

「うえぇえ、な、なんでもないです」


 携帯を少し離して宗明さんの声から逃げつつ答えると『……用もないならかけないでください』と冷たい声で切ろうとしてきたので慌てて「よ、用ならあります!」と引き留めた。


 この人、ほんとドライだな。

 容赦ないというか。


「帰り際に貰ったお札なんですけど!」

『効果ありませんでしたか』

「ちがっ。ありすぎ!ありすぎです!」


 宗明さんらしくない不思議そうな響きの声に「おや?」と思いつつも、異議申し立てをするために私は唾を飛ばしながら叫んだ。

 目の前にはお札の効果で萎れた濡れ女さんが横たわっている。

 言わなきゃ伝わらないなら頑張らないと!


「私は彼らと共存したいとお伝えしているはずです。なのに、これ!このお札、相手を近づかせないようにとか、力を弱めるとかそういった効果より――相手を苦しめて、消すためのものですよね!?」


 濡れ女さんにほんの少し向けただけで彼女は儚くなってしまった。

 このお札には一切優しさが感じられなくて、それがとても怖くて悔しかった。


 私の意思を無視したお札を渡す宗明さんにちょっとでもいいから文句を言いたかったのだ。


『千秋寺の札は対妖たいあやかしを想定して作っているので当然です』

「と、当然って!」


 なのにさらっと受け流されてしまい、怒りの向け先を見失ってしまう。

 確かに恐ろしい妖に対して作られているのならそれ相当の効果が無ければいけないんだろうけども。

 いいですか、という前置きをしてから宗明しゅうめいさんは説教めいた口調で続ける。


『お伝えした通り、その眼鏡をかけていれば危険な妖に襲われる可能性が高くなります。札を使えば足止めぐらいはできるでしょうが、それが効かない相手となれば命の保障はできません』

「……え、お札が効かないとか、あるんですか?」


 マジですか!?


 効果抜群に思えた宗明さんのお札でも妖には足止めくらいの効果しかないらしい。

 初めて妖という存在に対して――それでもまだ漠然としたものだけど――危機感を覚える。


『普通は札で抑えられないほどの妖は簡単に人を襲うことはないので、今まで効き目が無かったことはないです。ですがもしもということがあります。小宮山さんの身の安全が最優先だと思ったのでお渡ししたのですが』

「うぐっ……それは、ありがたいと思っています。でも」


 一応これを使ったらどうなるかの説明ぐらいしてくれても良かったじゃないか、って恨むのはお門違いなんだろうな。

 大切にしていきたいと思っている相手に対して、知らなかったとはいえその存在を消してしまうような恐ろしいことをしてしまった罪悪感と後悔を宗明さんにぶつけて私は楽になりたいだけなのかもしれない。

 途中で切れたままの私の言葉を宗明さんは辛抱強く待ってくれていたけど、喉の奥で出番を待っている言葉たちは余りにもネガティブなものばかりだったから口を開けなかった。


『…………分かりました。小宮山さんの望みに沿えるよう対策を考えます。今日は疲れているでしょうから明日に備えてゆっくりしてください』


 ため息交じりの声が時間切れだと告げてくる。

 私は「はい」と素直に応じて、最後に「お札で弱った霊を回復させる方法はありますか?」と尋ねた。

 霊や妖怪を祓う仕事をしている宗明さんに元気になる秘訣を聞くのも少しおかしなものだけど「程度と霊の強さに寄るでしょうが霊力が戻ればあるいは」と教えてくれる。


「そうですか、良かった」


 ほっと胸を撫で下ろして最後に礼を言ってから電話を切った。




疲労困憊の小宮山さんですが、妹が可愛くて仕方がないのでついつい構ってしまいます。

今回の被害者で途中で忘れ去られた濡れ女さんが少しかわいそう……(だいぶ、か?)

彼女が回復できるのか、はたまた消えてしまうのか紬の努力次第です。


さてさて、小宮山さん早起きできるかな~?

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