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妖の世界もメンドクサイことだらけ



 真っ暗な中を歩く。

 何度も何度も通った道を。

 いつもと少しだけ違う気持ちで。


 最後の細く急な道を登りきると奥の院へと向かう階段と山門が見えて、そこで立ち止まり乱れている呼吸を深呼吸することで落ち着かせた。


 一段ずつゆっくりと踏みしめて上がると正面にお堂があり、その脇道から少し入った所に水汲み場である洞窟があるんだけど。


 今日は水汲みに来たわけじゃない。


 閉ざされているはずの戸が開けられていて天音さまがそこで私が来るのを待っていてくれているんだと分かる。


 昨日の雨で濡れて滑りやすくなっているのを慎重に進んで、五段の木の階段を上がってそっと中を窺った。


「天音さま、紬です」

「ああ。待っておったのだ。早う中へ」


 靴を脱いで板の間へと踏み入れるとなにか書いていたみたいで、古い机――細長くて少し高さが低い――の上に真っ白な紙と硯と筆が乗っていた。


 灯りは蝋燭だけ。


「毎朝ここの洞窟へと通うて来てくれておるのを知ってはおるが、こうして顔を合わせるのは久しぶりじゃの」

「はい。ご無沙汰してしまって、すみませんでした」

「よいよい。紬の頑張りはここからちゃんと見ておった。よう頑張ったの」


 艶やかに微笑んでいる天音さまの瞳には優しさが溢れていて思わず涙腺がうるっとする。


「私が頑張れたのはみんなのお蔭です」


 直接助言をしてくれたりしてくれる宗春さんや宗明さんや大八さんや支えてくれる真希子さんたちの方にばかり意識や目が行きがちだけど、見えない所で力添えをしてくれている人だってたくさんいるわけで。


 だって天音さまが護ってくれている場所だから安心して狒々と向き合っていられたんだから。

しかもそれをしっかりと見守っていてくれたということがなにより嬉しい。


「天音さま、本当にありがとうございました」

「よいよい。言ったであろ?私は全力で紬を導くと。いかなる時もお主のことを見守っておるからな」


 どんなに離れていても。


「宗春から約束事については聞いておるな?」

「はい」

「ならば遠慮せず、呼ぶのだぞ。紬を脅かす者は何者であろうとも私が許さぬ」

「はい。ありがとうございます」


 もちろん天音さまに助けを求めるのは最後の手段だからできればそんな事態にはならないことを祈るけど。


「とはいえ、そうそう離れられぬのも事実。そこでじゃ、紬」

「なんでしょう?」

「前に言っておったこと覚えておるか?」

「……前?」


 はて。

 どのことだろう?


「守護妖怪の話じゃ」

「あ!あれですか」


 なんかそれどころじゃなかったから忘れてたけど。

 そういえばそんな話をしてたなぁ。


「自分で挨拶に出向けと散々言ったのだが、俯いてぐるぐると回るばかりで。そんな臆病者に紬は任せられんと追い返したが、諦められんようでの」


 クスクスと笑いながら袖で口元を隠す天音さまの言い方から、噂の妖さんとは随分と親しいのが伝わってくる。


「紬のここ」


 天音さまは自分の左耳の付け根辺りを指す。

 自分では見えないけど私のそこは今うっ血した痣みたいなものがあって、天音さまが匂いを封じる為にく、口づけてくれた場所だ。


 ああ、頭の中で考えるだけでもすごく恥ずかしい。


「蓋をしたことで紬の中に力が蓄えられ続け、どんどんと濃度が濃くなってしまっている状態でな。もう一度封じるには一旦開いて粗方薄まってからということになる」

「宗春さんにもそう聞いてます」

「そうか。で、だ」


 ずいっと天音さまが膝でにじり寄ってきた。

 さっきよりも笑みが深くなっていてちょっと戸惑う。


「封じた所で根本的な解決にはならんのだ。何度も蓋をすれば力は徐々に凝り固まり、いずれ抑えられなくなる上に身体に不調も出てくる」

「は、はい」

「一番良いのは封じずに済むこと」


 分かるな?と目で確認され頷く。

 そりゃ弊害が出てくるならその方がいいけど。


「でも、匂いが出てたら善くない妖に狙われたりしませんか?」

「するな。だからこそ紬の守護妖怪にあ奴が適任だと私は思うのだが」

「…………だが?」

「どうじゃろう?」


 ええっと。

 どうですかっていわれても。


「その妖さんがどんな方か分からないですし」


 天音さまの友だちってだけでは、正直どうとも返事がし難いよね。


「では会うてみるか?そのが早かろう」

「あ、はい」


 そうですね――と返事をする前に天音さまの少し冷たい掌が首筋に触れて。

 なにかが。

 割れた音がした。


「――――!」


 耳鳴りのような音がして、平衡感覚が鈍る。

 ふらりと傾いた体を天音さまの腕が支えてくれたのだけはなんとなく分かった。

 耳鳴りが治まって少しずつ感覚が戻ってくると同時に微かに甘い果実のような匂いがする。


「に、おい。なに……?」

「それが紬の香りじゃ。爽やかでいて甘い、いつまでも嗅いでいたくなる香りだの」

「え?これ、が?」


 私の匂い?

 え?

 でもなんで人間の私でも分かるの?


 とうとう私、おかしくなっちゃった!?


 相当おかしな顔をしてたんだろう。

 天音さまが優しく背中を撫でて「大丈夫だ」と囁いてくれる。


「限界まで濃縮されておるから紬の鼻でも感知できたのだろう」

「はあ、そんなもんですか」


 なんかもうよく分かんないけど、天音さまがいうんだからそういうことにしとこう。


「しかし、すごいの。近隣の妖どもがみな浮き足立っておるわ」

「え!?ここだけじゃなくて!?」

「ほほ。私の結界を許可なく通れる者などおらぬから安心せい」


 ちょっと、千秋寺の外がどうなってるのか考えるだけで怖いんですけど!?

 それに私今日ここを出て普通の生活に戻るのに大丈夫なのかな。


 不安しかない。


「――来たな」


 笑いを押し殺した声で天音さまが呟くと同時にひゅうっと冷たい風が吹き込んできて私は思わず目を閉じた。

 ハッハッ!という犬のような呼吸音がお堂の中で木霊する。


 え?

 犬?


 そう思うとパタパタと尻尾を振る音が聞こえそうなくらいに風圧がこっちにきてる。

 恐る恐る目を開けると白い獣が飛んだり、伸び上がったりしては嬉しげにふさふさの尻尾を振り千切れそうな勢いで動かしていた。


「…………犬?」


 にしてはかなり大きいし、手足はがっしりとしていて随分と筋肉質に見える。

 首周りは特にふわふわとした毛が生えていて耳はピンッと――立っているんだろうけど、今は忙しなく動いていて時々伏せちゃったりもしている。


「これ、それくらいにしておかねば穢れるぞ。臆病者め」


 わふわふと口を開け閉めして上機嫌の白い犬を呆れたように眺めながら、天音さまはスッと立ち上がってその背に触れる。

 途端にびくりと震えた犬は青く澄んだ瞳の奥にある瞳孔を丸くして止まった。

 そしてゆっくりと首を巡らして私と天音さまを見て尻尾をぐるっと足と足の間に丸め込んだ。


「いくら零れた匂いだとて許しも得ずに喰らえば神性さも濁ろうに」

「クゥーン……」


 叱られて切ない声を鼻から抜けさせたその瞬間に私は思い出す。

 小さい頃に飼っていた犬の夢を見た時に聞こえていたあの鳴き声と目の前の大きな犬の声が同じだった。


 それに。


「私、あなたを見たことある」


 宗春さんと初めて聖域に足を踏み入れた時。

 見間違いだと思ったけど、あの時見た真っ白い犬はこの妖犬だったんだ。


「おお。解りやすく喜びおって」


 巻き込んでいた尻尾がまた勢いよく動き出したのを見て天音さまが苦笑する。

 確か天音さまも紹介しようとしている妖を私が知っているっていってたからきっと間違いないんだな。


「では改めて説明と紹介をしようか」

「はい。よろしくお願いします」

「うむ。この者は私の古くからの友で、犬ではなく狼の妖じゃ」


 そうか。

 狼。

 狼って灰色だったり茶色のイメージがあったから犬だと早とちりしちゃった。

 ごめんね。


「狼は作物を荒らす鹿や猿を捕食してくれると人々の間で喜ばれ、豊穣の神と祀られていることもあるくらい神性の強い生き物なのだ。山火事を遠吠えで知らせることもあったから山伏せの神としても敬している所もあるの」

「そうなんですね」


 知らなかった。

 外国のお伽噺では悪い役をさせられていることが多いからなんとなく嫌われているのかなと思ってたけど、日本では神さまとして大切にされてたんだなぁ。


「狼の語源は大いなる神とも言われている程じゃ」

「なるほど。勉強になります」

「うむ、勤勉なのはよいことじゃ。でな、この臆病者めは主に匂いを喰ろうて生きておる」

「匂い?」

「そうじゃ。神性が強いせいで生臭は穢れる故、喰えぬのでな。匂いの強いものや良い香りのものを好んで食す」


 匂いの強いもので植物性のものかぁ。

 コーヒーとかシナモンとか、セロリとか果物とかくらいしか思いつかないけど。


「えっと、じゃあもし守護を受け入れてもらえたら、そういったものを用意して食べてもらえばいいんですね?」

「そうなるな。じゃが紬にもこの狼めにもいい方法がひとつある」

「私にも、狼さんにもいい方法?」

「紬が悩まされている、その匂いを喰らわせてやって欲しい。そうすれば香りは薄まるし、この狼も満たされる。どうじゃ?」


 確かにそれだったらお互いに助かる。

 私は匂いを抑えられて危険が減るし、狼さんは空腹が紛れるんなら一石二鳥だけど。


「でも、本当に良いことだけなんですか?私の匂いだって毎日上げてたらしなくなっちゃうかもしれないし、ほんの少しだけじゃ狼さんもお腹いっぱいにならないはずじゃ」

「そうだの。良いことばかりでもあるまい。行く先々にこの大きな狼がついて回り、鬱陶しく思うこともあろう。じゃが紬の魂の香りを分け与えることを認め、絆を結べば、この狼は誠心誠意お主を守り、例え穢れることになろうとも敵を滅するまで戦い続ける」

「いや、あの、そこまでは」


 求めてませんけど。


 穢れて堕ちれば妖魔になる。

 かみさまだった妖が狒々という妖魔になったのを私は見ているから。


 そこまで献身的に尽くされるのは正直避けたい。


 ああ、だから。

 これが私にとっての良くない点なんだ。


 でもそれは裏を返せば狼さんにとっても都合の悪い部分で。


「待って、これは公平じゃない!」


 これだと私ばかり得する。


 妖を退きつける厄介な匂いをあげるくらいなら私はなにも失わない。

 むしろありがたいくらいで。

 それを対価に狼さんが穢れも恐れず守り通してくれるっていうのは割に合わないでしょ。


「じゃがの。妖を従えるということはそういうこと」

「そんなの」


 求めてないけど。


 ただ見ることだけしかできない私では自分の身を守ることはできなくて。

 そしてこれを受け入れないと天音さまを始め、みんなが安心できずにずっと私のことを気にかけなくちゃいけなくなる。


 この道しかないんだと。

 この方法が一番なんだと。

 天音さまは信じているし、きっと曲げない。


「本来ならば主従の関係を結ぶが一番早く分かりやすいが」


 紬はそれを望まぬだろう?


「……はい」


 どちらが上でも、どちらが下でも、なんだかいやだ。


 妖とは共存したいというのが私の意思であり目標だから、そこに強力な上下関係が発生するのは許容できないから。


「だから絆を」


 たとえ公平では無くても、一方的に守ってもらうよりなにかを相手に返せていると思えば少しは気が楽にはなる。


「よいな?」

「……はい」


 でも、彼は。


「いいんですか?」


 じっと待っている狼を見て問うと黙って目を伏せて頭を垂れた。


 そっか。

 もう話はついてるんだな。

 じゃあ、もう後には引けない。


「絆を結ばずに友として一緒にいてもらうことはできないんですか?」

「できよう。だが狼を祀っている社や祠のどこかで呼ばれれば、飛んでいかねばならなくなる可能性も無きにしもあらず。そうなると紬が危なかろう?」


 棲家としての社を持たずとも声が聞こえれば行かざるを得ないらしい。

 だから絆を結んで狼さんを繋ぎ留める鎖に私がなるのがいいんだって。

 天音さまは色々と説明してくれたけど、やっぱり人の世界のこととは違い過ぎてよく分からない。


「それに友である立場で譲ってもらう力と、絆という契約を刻んだ立場で与えてもらう力では雲泥の差がある」

「どう違うんですか?」


 無知な私を見下ろして天音さまは「そうさなぁ」と顎に手を当てて考える姿勢をとる。


「まずは当人の許しなく力を奪えばそれは盗みと同義となり罪、すなわち穢れへと繋がる。さっきあの狼が節操なく紬の零れた香りを喰ろうておったが、それも落とし物を然るべき場所に届けなかったという罪悪感が地味に後から効いてくることもあるのだ。まあこれは個体差じゃが」


 うわぁ。

 なんか色々と妖の世界も面倒くさいんだな。


「譲るというのはほんの少しお裾分けと言う感じになるから、紬の場合は残り香で良ければどうぞという所かの。親しい知人くらいの関係が適当か。

 与えるというのは力を分け与えるというくらいじゃからな。そこには力以上に思いも籠っておることになる。相手を信じる気持ちがなければ許し、与えようとは思うまい?」


 以前にも教えたな――と確認されて私は頷く。


 妖が恐れつつも、影響を受けるもの。

 それが。

 人が持つ信じる力。


「紬が信じ、受け入れることで与えられる力はこの者の孤独と乾きを癒し、柔らかな温もりで持って満たす。それがこの狼の力となり紬を何者からも守り通すという強い想いへと繋がるのだ」


 だから、紬。


「どうか絆を結んだ暁には、傍に置いている間だけでも構わぬ。私の友を慈しんではくれまいか」

「はい」

「そうか。できればこの絆が永劫であることを願うが、この者が粗相した時はすぐに言っておくれ」

「はい」


 天音さまがここまで言葉を尽くして薦め、頼むくらいの妖なんだから、きっと私もすぐに好きになるんだと思う。


 間違いないな。

 うん。


 だってほら。


 白く輝く毛並みは今すぐにでも触れたくなるくらい柔らかそうだし、凛々しい顔立ちも吸い込まれそうな青い瞳も、落ち着かなく口を開けたり閉めたりしている姿だって、感情を抑えられない素直な尻尾と耳も、頼りがいのありそうな大きな体も――全部。


 可愛いなって思い始めてるから。


「天音さま、この狼さんの名前は?」


 尋ねると優しく微笑んだ天音さまに名を与えてやってくれと頼まれた。

 本来持っている名前は力が強すぎて呼ぶたびに支障が出るらしい。

 それは妖全部に言えることなんだって。

 だからみんなそれ以外の名前を使って呼び合っているそうで。


 名前を私がつけることで狼とのきずなが結ばれるんだと説明されて頭を抱えた。


「いきなり言われてもなぁ……ええっと、狼さん、おかみさん、おかさん……」


 だめだ!どんどんダサくなる!

 狼から連想するのは止めておこう。


「えっとじゃあ……色からいこうかな。白い、白銀、雪、青い、もふもふ」

「いっそのこともふもふでよかろう」

「だ、だめだよ!」


 一番笑えそうなのを選んだでしょ!

 天音さまったら。


「う~ん。シロ、ハク、ユキ、セツ、アオ、セイ……どれがいい?」

「だからもふ」

「却下!」


 どうしよう。

 悩む。


「じゃ、じゃあハクで!白って書いてハクにする」

「安直じゃがそれも紬らしくてよいの」

「よかった……」


 ほっと胸を撫で下ろして狼あらためハクを見ると行儀よく座って左右に尻尾を振っていた。

 どうやらそれでいいって言ってくれているみたい。

 よかったぁ。


「えっと、ハク。これからよろしくね」

「キュン」


 なんとも可愛らしい声で返事をしてくれたので嬉しくなって手を伸ばして頭を撫でた。

 そうすると伸び上がって顔を近づけてくるから舐められるのかな?と身構えていると、ハクは鼻先を首元に埋めてクンクンと匂いを嗅いでいる。


「もしかして……早速ご飯?」

「我が友ながら、浅ましいの」


 もぐもぐと小さく口を動かしているので、美味しくいただいてくれているらしい。

 まあ匂いが減った方が外に出た時にも助かるしいいか。


 想像していたよりも良い手触りの毛並みを堪能しながら、新しく縁を結べた妖との出会いに感謝した。



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