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花園



 会わせてあげられると思うなんて言ったけど本当にできるかなんて分からない。

 でもやれることはなんでもやりたかった。


 それにマサちゃんだって自分自身の口で伝えたいはず。


 話したことも無いしどんな人間か分からない私に託してもきっと心配でたまらないはずだ。


 待っていると思う。

 外で。

 どんな結末を迎えるのかを。


 だから。


 マサちゃん。

 マサちゃん。

 応えて。


 だって会いたいでしょ?


 マサちゃんだってもう一度ちゃんと話したいはず。

 他人に任せるよりは大事なことは自分の口で、言葉で伝えなきゃ。


 マサちゃん、おいで

 ここに。

 来て。


 大丈夫だから。


 ほら見て。


 見えるでしょ?

 温かく輝く糸が。


 それを辿って。


 そう。

 ほら見えるでしょ?


 私が。

 狒々――ううん、マサちゃんのかみさまが。


 おいで。


 大丈夫だよ。



 ほわりと。


 空気が揺れた。

 温もりが爆ぜて金色の穂が現れる。


 いつか見たすすきの野原。


 その中に立つ女の子は少し戸惑ったような顔をしている。


「いらっしゃい。マサちゃん」

「あの、わたし」


 ここにいていいの?


「大丈夫だよ。呼んだのは私なんだから。でも来てくれてありがとう」


 素性の解らない相手の呼びかけに応じてこんな所まで来てくれたことに対してお礼を言うとマサちゃんは瞳に涙をいっぱい浮かべて頭を振った。

 そうすると傍のすすきの穂が揺れてシャラシャラと綺麗な音をたてる。


「ほら、狒々も。ちゃんとお礼を言って」

「ナ、……」


 すすきの中に埋もれて呆けたようにしてマサちゃんを見つめていた狒々を促すと、当惑した後で口ごもった。


 怯えたように赤い瞳を伏せて。


 会いたいと思っていても自分が犯した罪の数々がマサちゃんを真っ直ぐに見ることを躊躇っているんだろう。


 でも時間が無い。

 これが最後のチャンスなんだから。


 そう思って狒々の背中を言葉で押した。


「ほらほら、ちゃんと言って」

「ウ、アアァ……ありぃガ」


 惜しい!

 もうちょっとなのに。


「アアリィイイ、ガッガッ」

「いいの!かみさま、お礼なんていらない」


 上手く言えない狒々はとっても悔しそうだったけど、優しいマサちゃんがすかさず必要ないからと慰める。


「あのね、わたしかみさまに返さなきゃいけなくて」

「かえス?ナニヲ?」

「…………これ」


 マサちゃんが泣きながら差し出したのは酒の入った徳利だった。

 きょとんとしたまま狒々はそのつるりとした瓢箪を見つめて小さく首を傾げる。


「あの日、わたしを鬼から守ってくれたあの時にかみさま落としって行っちゃったの……覚えてないの?」

「……分かラナい」


 一緒に記憶を探って思い出しているはずなのに、狒々にとっては遠い日のこと過ぎて実感が湧かないのかもしれない。

 目の前の徳利が自分のものかどうか確信が持てないんだろうな。


「大事なものだと思ったからわたし家に持って帰って」


 ぽろりと涙が零れる。


「かみさまが帰ってきたら返しに行こうって思ってたのに」


 マサちゃんの頬をいくつもの雫が伝い落ちていく。

 唇を震わせてしゃくりあげそうになるのを堪えながら一歩狒々に近づいた。


「なのに全然帰ってこないからあの鬼に」


 殺されちゃったのかもしれないって怖くて。


「何度も何度もかみさまのところに行ったけど」

「マサ」

「いなくて」

「スマナイ」


 しゅんっと萎れた狒々にマサちゃんは駆け寄ってきゅっと抱きしめた。

 見た目は変わってしまったけどマサちゃんにとって狒々は変わらずかみさまで。


「あの後、村に病気が流行って人が死んだの。かみさまが山からいなくなったからだってみんなが言って」


 それから。


「わたしがかみさまの徳利を家に置いているのを知られて、それが」


 ごめんなさいってマサちゃんの唇が動く。

 たくさんの涙が流れて狒々の肩を濡らす。


「かみさまが山を出て行ったのはわたしがかみさまの徳利を盗んだからだって。それで怒って病気を流行らせたんだって」

「チガウ!」

「分かってるよ!わたしは分かってたけど、みんなは」


 違う。


「マサちゃん、その病気は牛鬼のせいだよ」


 牛鬼は毒を吐いたり、祟って不治の病をもたらすとされているから。

 きっと。


「あの、鬼のせい……?」

「そう」


 もし違ってたら申し訳ないけど、妖魔化してたから見境なく襲ったり祟ったりするだろうと思うし。


「マサは責任、オシツケられテ」


 殺されたのか。


 疫病とかみさまを鎮めるための贄として。


 結果として鎮めるどころか狒々の理性の箍を外して、村人全員食べられちゃうことになっちゃったなんて。


 村人とだって浅からぬ縁があって、それなりに情もあったから余計に狒々の妖魔化に拍車がかかっちゃったんだろう。


 狒々が徳利を落としていなければ。

 狒々が帰ってくるまで待てていれば。

 マサちゃんを贄として殺さなければ。

 マサちゃんを食べたりしなければ。


 きっと未来は変わってた。


「悲しいね」


 訪れなかった未来の可能性を思うと現実に起こったことはあまりにも切なくて。


 妖である狒々をかみさまとして受け入れて、村人たちは加護を得て幸せに暮らし続けられたかもしれなかったのに。


 共に歩める日々を。

 望んでいるのは私もで。


 結局お互いが最後まで信じきれなかったことが悲劇を起こすきっかけだったんだと。


 その教訓はしっかりと私の胸に刻んでおかなくちゃいけない。


 同じ過ちを犯さないように。

 決して繰り返さないように。


「かみさま、ありがとう」

「…………」

「みんなを許してね」

「………」

「ごめんなさい」


 わたしたちを許して。


「いっぱい守ってくれてありがとう」


 日照りから、嵐から、がけ崩れや雪崩から。


「いっぱい思ってくれてありがとう」

「マサ……オレも、いっぱいスマナイことした」


 狒々の手がそっとマサちゃんの背中に触れる。


 赤黒い掌。

 長く伸びた爪。

 たくさんの人を切り裂き、傷つけたその手が。


「もういいよ」


 いっぱい苦しんだから。


「かみさまはかみさまに戻って」


 救われて。


 お願い。


「かみさま」

「うう、ありが」


 真っ赤だった瞳がゆっくりと光りを失って涙で濡れた黒い瞳を取り戻した。

 ゆっくりと瞬きして。


「マサ、ありがと」


 会いに来てくれて。


「ありがとう」

「うん」


 爪がマサちゃんに触れないように慎重に抱きしめている狒々の表情はとっても穏やかだった。


「かみさま、最後に会えてよかった……」

「マサ?」

「楽しかった。わたし」


 かみさまといられて

 幸せだったよ


 腕の中で身じろぎして顔を上げたマサちゃんはにこりと微笑んで。


 次の瞬間光の粒になって消えた。

 狒々の手の中にはマサちゃんが持っていた徳利だけが残って。


「良かったね。マサちゃんと仲直りできて」

「ああ……」


 相槌のような、ただ言葉にならない思いが溢れただけのような声を出した狒々は徳利を揺すってちゃぷちゃぷと水音を鳴らす。


「飲まないの?お酒」


 好きなんでしょ?って聞いたら「お前やっぱりバカだろ」と返された。


 ぐぬぬ。

 なんで。


「これのんだら力湧く。お前こまるだろ」

「あ、そっか」

「そんなんでお前だいじょうぶなのか?」

「ええっと……たぶん?」

「やっぱバカだな」


 あははと笑ってごまかしたけど狒々は呆れたような顔で私を見ている。

 その目は自分がやってきたことを認め、これから起こることを受け入れている澄んだ色をしていた。


「お前喰ったらうまいんだろうなぁ」

「マサちゃんほどおいしくないよ。きっと」


 狒々が心を許した相手はマサちゃんだけだ。

 だからどんなに私がおいしくてもマサちゃんの味には敵わない。


「お前やっぱりバカだ」


 なにも分かってないと言いながら狒々は右に左にと体を揺らす。


「さあ、ころせ」


 お前を喰い殺してしまう前に。


「ころさねば救われない」


 お前が救わねばならないのは誰だ?


「解放してやれ」


 人の魂を。


「いいの?」

「そのために来たんだろ」


 そうだけど。

 だけど。


「オレは狒々だ」


 たくさんの命を、魂を喰らってきた。

 だから。


「ころせ」

「でも」

「消えるのは怖くない。怖いのは失うことだ」


 大切なものを。


「お前のその弱さがいつか誰かを悲しませる」


 そうならないために。

 今ここで。


「覚悟きめろ」


 強くあれ。


「お前が妖に殺されぬためにも」


 周りの人のためにも。

 時には情を消して。


「殺れ」


 これが償いだと。


 狒々の目が訴えてくる。

 罪は消えないけど。


「お前の手で」


 消えたいって乞われたら。

 もう。

 拒めなくて。


 私はくしゃくしゃになった宗明さんのお札を掌で伸ばして大きく息を吸った。


「叶うとイイな」


 お前の夢。


「叶えるよ。絶対」

「せいぜい頑張りな」


 唇を緩ませて笑った狒々に「練習に付き合ってくれてありがとう」と告げた。


 そして。

 黒い瞳で見上げてくる狒々の額に。


 宗明さんのお札をそっと当てた。


 ――ああオレはほんとうに悪い妖だったなぁ


 そう残して。

 狒々はグズリと崩れて消えた。


 風に揺れるすすきの間からふわりふわりと無数の蛍が舞って。


 高く、高く。

 飛んでいく。


 穂の先に色とりどりの光が瞬いてまるで綺麗なお花畑の中にいるようだった。


「さようなら」


 そしてありがとう。

 狒々にはたくさん教えてもらった気がする。


 グスッと洟を啜って。

 目を閉じる。


 呼吸を整えて繋がりを切ると身体が輪郭を取り戻し始める。

 聴覚も戻ってきて宗明さんの静かで深い読経と宗春さんの澄んだ声が心地いい。


 シャクシャクと鳴る錫杖の音。


 ああ、どうか。

 救われますように。


 みんなが逝くべき場所へ迷わず行けますように。


 そっと手を合わせて。

 願った。


「よく頑張ったな、紬」

「……大八さん」


 大きな手がそっと頭に乗せられる。

 そのまま優しく撫でて。


「見ろ、魂が還って行く」


 大八さんの視線を追って私も空を見上げた。

 赤く燃えるような夕日に向かって白い光が幾つも飛んでいく。


「綺麗だな」

「うん……」


 こんなにもたくさんの魂が狒々の中にいたんだと思うと狒々を許せない気持ちと同時に、安易に生贄を捧げれば静まると思ってしまった人の愚かさに苦しくなる。


 妖がどんな生き物か知らなかったから人は間違い、そして人に強く惹きつけられながらも自分を知ってもらおうと努力しなかったから妖は道を誤った。


「やっぱり知らないってことは怖いことなんだ」


 私が牛鬼のことを知っていたのは露草や茜たち鬼についての知識が欲しくて書庫で調べたからだ。


 これからどんな妖と出会うか分からないけど。

 その時対応を間違えないように学ぶことはすごく大切なこと。


 お互いのために。


「やっぱり宗明や宗春はすごい。これだけの量の魂を迷わせず全部に道を標してやれる奴はそうそういないからな」

「そうなんですね」


 私は宗春さんと宗明さんしか知らないからよく分からないけど、大八さんがいうんだから間違いないんだろうな。


「よかったな」


 紬も魂たちも。


「あいつらがいてくれて」

「はい」


 大八さんたち妖からすると宗春さんや宗明さんは脅威なんだろうけど。

 私は本当に心の底から彼らに感謝した。


 そして狒々にも。

 マサちゃんにも。


「大八さんもいてくれてよかったです」

「そうか?おれはなにもしてないぞ?」

「そんなことないです。いつも応援してくれてるでしょ?」

「う、まぁな。それくらいは」


 照れたように笑う大八さんにつられて笑いながら「それが一番力になるんですよ」と返すと錫杖を持った宗春さんが歩いてきた。


「よかったね。無事で」


 平然とした顔で私を一瞥して捕らわれた魂たちと一緒にあの世へと逝かずに済んだことをからかわれた。


 悔しいけど、送り出される寸前まで「私には無理です」といってずいぶん駄々をこねた身としては反論できない。


 結局最後の最後まで覚悟を決めることができなかったんだけど。


「まあ失望させられずに済んだから……ぎりぎり及第点?」

「ほんとに!?」

「過程は散々だったけど結果だけ見ればってとこだけど」

「う、れしい!」


 まさか宗春さんに褒められるなんて!


 あまりの嬉しさにぴょんっと隣にいる大八さんに抱きついて「ね?聞きました?聞いてました!?」と何度も大きな体を揺さぶってしまった。


「それでもできて当然のことができないのは良くない。もっと修練する必要はあるし、改善すべきところも――って聞いてる?紬?」

「だって宗春さんっていつもダメダメ!できてない!ばっかりで全然褒めてくれなくて!」

「お、落ち着け、紬」

「それが!聞きましたか?ぎりぎりとはいえ合格だって!」

「なんだ、あれだわ。おれとしては大変嬉しい状況なんだが」

「え?一緒に喜んでくれるなんて大八さんやっぱり優しいです!」

「いや、嬉しいのは紬が褒められたことじゃなくて紬のおっぱ――ぎゃっ!痛え!いてーぇえ!?」


 バシバシと目の前の逞しい胸襟を叩きまくっていたら急に大八さんが叫びだしたので驚いて離れる。


 え?そんなに強かった?

 ごめんなさいって謝ろうと思ったら大八さんは地面に転がって痛みを堪えている所だった。


「だ、大八さん!?」

「なにやってんだか」


 冷たい視線を大八さんに注いでいる宗春さんの後ろで宗明さんがなにやら呪文めいたものを唱えていたので一気に青くなる。


「しゅ、宗明さん!もう、そのくらいでっ!」


 抱きついたのは私なのに、何故か大八さんが罰を受けているのは本当に申し訳ないというか、理不尽すぎるんじゃないかと思うんですが。


 慌てて宗明さんの法衣の袖を引くと溜息と共に呪文は止まる。

 大八さんの悲鳴も止まって変わりに呻き声が聞こえてきた。


「小宮山さん」

「う、はい!なんでしょうか……」


 低い声に呼ばれて姿勢を正すと宗明さんが眉を寄せてじっと見下ろしてくる。

 切れ長の美しい瞳は厳しさと強さを湛えているけど、その奥に弱さと迷いを隠しているのを私はもう知っていた。


 だから怖くない。


「異性に軽々しく抱きつくようなことはなさらない方がいいと思います。ご自分の価値を正しく理解して下さらないと困りますと母から言われたのではないですか?」

「……すみません。嬉しくて、つい」


 気が緩んだというか、誰かと喜びを共有したかったというか。

 でも確かに妖との付き合い方や接触方法に気をつけなくちゃいけないと学んだはずなのに。


 情けない。


「今後、気を付けます」

「そうしてください。常に私が大八を監視することはできませんので重々心に刻みつけておいてください」

「はい……」


 折角宗春さんに褒められたのに。

 最後にお叱りを受けてしまっては喜びは半分だ。


 しかたない。

 自分の軽率さが招いたことだしね。


 反省しなきゃ。


「ともあれ。今回は大役お疲れさまでした。ご自身のいい部分を発揮できた素晴らしい結果だと思います」


 どうか自信を持ってください。


「宗明さん、ありがとう……ございます」


 こうやって。

 みんなの優しさに支えられ、教えられ、導かれて。

 進む一歩一歩が。


 希望ねがいを叶えるための確かな自信になっていく。


 共に歩むための。

 共に進むための。


 そう。

 共に生きるため。


 行こう。

 胸を張って。

長かった狒々とのお付き合いもこれにて終了。

次の試練に向かって紬は進みます。

今度はなにがおこりますやら……。

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