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まさか 動けない!?


 誤解を解くなら早い方がいいことは分かってる。


 分かってるけど朝早くから千秋寺に通いそれから出勤、眠気と戦い高橋先輩の「彼氏欲しい」に付き合い定時に仕事を終えて歩いて帰宅、お母さんの手伝いをしながら料理を教えてもらってご飯を食べてからお風呂に入って就寝。


 正直言うとテレビを見る暇もない――家ではご飯食べている時はテレビ禁止――ので世の中でどんな事件が起きているかも全く分からないのは社会人としてどうなのかと思うけど今は目を瞑る。


 平日はどうしても動けないし余裕が無いから、亜紗美さんの所にいくにはどうしても週末まで待たなきゃならない。


 きっとこうしている間も亜紗美さんは悩まなくてもいいことを悩んで苦しんでいるんだろうなぁ。


 うう……申し訳ない。


 色々と聞いてみたいことがある大八さんとも毎朝挨拶しかできてないぐらいだし。

 ままならないな、ほんと。


 そんなこんなでなんとか週の真ん中である水曜日を迎えた午前中のこと。


「紬さ、あれから銀次くんとどうなの?」


 高橋先輩が磨かれ綺麗なネイルを塗られた爪を眺めながら聞いてきた。

 いつもながら唐突だなと苦笑いしながら「なんにもないですよ」と答える。


「私のことより他の方たちはどうなんですか?カップル成立した人いたんですか?」

「あー……微妙?ミハルは男にしつこく迫られたから振ったって言ってたし、アンナは本命が別にいるからね」


 先輩は大学の時の男友達っていう幹事の亨さんとばっかり話してたし。

 一番彼氏欲しいって言いまくっている高橋先輩があの日は私のフォローばかりで全然楽しめてなかったはずで。


「あの、なんかすみません」


 紬のために貧乏くじを引いた先輩の期待に応えられなかったことが申し訳なくて小さく頭を下げる。


「別にいいわよ。こういうのは楽しめればいいんだから。でもね。ああいう場ではあんまり飲み過ぎないようにしなさいよ?狙ってる男がいてあわよくばいただいちゃおうってんならまだしも」

「……先輩、いただいちゃおうって発言がもう肉食系ですよ」

「うふふ。ありがと」


 計算され尽くした美しい微笑みを浮かべて高橋先輩は頬杖をついた。

 猫のような丸く少し目尻が吊り上った綺麗な瞳はクルンと上を向いたまつ毛に囲まれて、手入れされた少しシャープな眉とスッと通った鼻筋にふっくらとした唇はピンクのルージュで色づいている。

 隙なくメイクしてジムで鍛えられた美ボディを包む制服はとても私と同じものとは思えないくらい。


 色気もあって美人な高橋先輩。


 こんなに綺麗な人でも彼氏ができないんだから、妖が自分の本性も含めて受け入れてくれる相手を見つけるってやっぱり相当難しいんだろうな。


「あ、そういえば銀次さん仕事できる系のお姉さんが好きみたいですよ」

「はあ?うそでしょ。それ。誰に聞いたの?」

「え?だって」

「本人からじゃないでしょ?」

「あ―……まあ、はい」


 元カノさんから、とはさすがに言えないよね。


 でも妙に嘘だと確信したような物言いをする高橋先輩を困惑顔で見つめると、どこか挑戦的に目を細めて笑い返された。


 え?なに?

 怖いんですけど。


「紬、銀次くんに番号教えなかったでしょ?」

「え?そもそも聞かれませんでしたけど」

「はあ?聞かれてない?それあんたが鈍すぎて聞かれたのに気づかなかっただけじゃないの?」

「えっ!?まさか。どれだけ鈍い私でも気づきますよ」

「どうだか。でも亨から紬の番号を銀次くんが知りたがってるって言われてさ。私どうしようか悩んだんだけど勝手に教えるの良くないなって思って断ったのよ」


 こういう時常識のある先輩で良かったと思う。

 素直に「ありがとうございます」とお礼を言った。


「一応紬に確認しようと思ったら亨の奴電話かけてきたのが遅くて、こりゃ寝てるから起こしたら可哀想だって放置してたんだけど」


 どうする?教える?


 嬉しそうに身を乗り出してきた先輩にその必要は無いと首を振った。

 おそらく連絡を取りたかったのは亜紗美さんの所に置き去りにした鞄をどうしたらいいかという確認のためだと思う。


「一応聞きますけど、それって日曜日の夜じゃなかったですか?」

「え?うーん……ああ、多分そうかも。その日の夕方にサザエさん見た記憶がある」

「じゃあ、大丈夫です。用事は終わってます」

「えー?なにそれ。なんなの。詳しく教えなさいよー!」


 ぷりぷり怒る高橋先輩がちょっと鬱陶しかったので土曜日に偶然お使いで行ったお弁当屋さんで銀次さんが働いていて再会したこと、日曜日に銀次さんのお知り合いの雑貨屋さんに鞄を忘れたのでそれを届けようとしてくれていたことを教えた。


「そんな偶然ってある?それちょっと変よ」

「変って先輩、せめて運命かもとか可愛いこと言えませんか?」

「うん。言えてたら彼氏いるから」

「ほんと勿体ないです……」

「ほっといて!でも意外ね。銀次くんが弁当屋でバイトとは」

「お兄さんが働いているお店で一緒に働いているみたいです。そのお兄さんが作るおいなりさんがほんと美味しくて!お兄さん見た目バンドマンみたいでちょっと近寄りがたいんですけどすっごい優しい人なんですよ」


 日曜日買って月曜日持ってくるんで先輩も食べてみてくださいって力説したら何故かじっとりとした目で睨まれた。


「…………なんかもうあんた銀次くんと付き合っちゃえば?」

「ええっ!?なんでそうなるんですか!?」

「だってお兄さんとも仲良くなってるし、銀次くんの知り合いの人の雑貨屋とかにまで行ってるんでしょ?それもう普通に合コンで知り合っただけの男じゃないからね」


 高橋先輩はなぜか拗ねたように横を向くとキーボードを叩き始める。

 いつもよりスピードが遅いので集中しているわけじゃないことは分かるし、このまま話を中断したいわけでもないらしい。


「違いますよ。そんなんじゃないんです。友達――違うか、うん。同志なんですよ。私と銀次さんは」


 なんと答えようかと悩んで友達といえるほど親しくはなってないけど、知り合いって言いきるにはちょっと深入りしすぎている。


 もちろんせっかく知り合った妖さんなので仲良くしたいと思ってはいるけど今はまだ私たちの関係を言葉にするのは難しい。


 苦し紛れに捻り出した私に「……同志?」と怪訝そうな顔で先輩が首を傾げる。


「はい。雑貨屋さんのお姉さんと銀次さんのお兄さんが上手く行ったらいいなと思っている仲間です」


 まだ最善の方法とか道とか見えないし考えもつかないけど、コン汰さんや亜紗美さんが後悔しなければいいと願ってるし、できることがあるんだとしたら協力したいと思っているから。


「へえ~。あんた余裕ね。人の恋を応援するなんて」


 でも紬らしいわ。


「まあそういうことにしといてあげる。なにか進展があったら教えてね?幸せのおすそ分けしてもらえれば私も運が回ってきて彼氏できた上にゴールインできるかもしれないし」


 パチリと左目を閉じて可愛らしいウィンクをすると先輩は仕事を片付けることに気持ちを切り替えて猛スピードで動き出す。


 お昼時間まであと二時間。

 私も集中するべく引き出しから電卓を取り出した。



 ☆  ☆  ☆



 それは前触れもなく起こった。


 突然の耳鳴り。


 眉間にアイスピックを思い切り突き刺したような衝撃に私は後ろへと倒れそうになった。

 椅子に座っていたから何事も無くて済んだけど、高橋先輩が「寝ぼけてんの?」って笑う声を遠くで聞きながらゆっくりと目の前が暗くなっていくことに恐怖する。


 手足が冷たくて体があまりの寒さに震えだすけれど、頭だけは熱を持っているかのようだし激しく痛んで冷や汗がだらだらと流れて行った。

 座っていたはずなのに椅子の感触も消えて、体がどんな形でそこにあるのかも分からずに混乱していると先輩が悲鳴のような声で名前を呼んで支えてくれたのだけは微かに分かる。


 だんだんと薄れていく聴覚。

 遠退いて行く現実感。

 私という存在を形作っている輪郭がどろどろに溶けて曖昧になっていく。


 まるで自分のものじゃないみたい。


 全てが。


 こんなに簡単に失うなんて――。


 自分になにが起こっているか分かるはずがないけど、前に似たような経験はした。

 濡れたお姉さんの中へと入った時にも内側と外側が裏返るような気持ちの悪い感覚を味わったから。


 でも今どうしてこんなことになってるのか分からない。


 だって私の周りにいるのは高橋先輩といつも一緒にいてくれる小人さんたちだけだ。

 救いたいと思っている相手がここにいるわけでもないのに。


 どうして?


「いっ――たぁあ!」


 なにも見えなくなっていたはずの目の前に閃光が散る。


 網膜を焼くような激しさにぎゅっと目を閉じたかったけど、瞼は凍りついたかのように動かなかった。


 突然白くなる視界。


 そして空中に滲み出るようにして湧いてくる映像。


 白いテディベアを枕に眠る可愛い女の子を愛おしそうに眺める若い男女。

 その向こうから成長した女の子がランドセルを背負って走ってきて女の人の腰に抱きついて消える。


 次に浮き出てきたのは小さな庭で花火を囲んでいる女の子と小さな男の子。

 リビングから眺める両親の姿を振り返り、手にした花火をくるくる回すと白い煙と青白い光が散って霞んでいく。


 バトンを持った女の子が歯を食いしばって目の前を右から左へと走り抜け、チョコレートを好きな子に渡せなくて鞄の中に入れたままとぼとぼ帰る後ろ姿。


 クラスメイトの男の子に好きだと言われ心が揺れる女の子。

 手を繋いで、デートをして、離れて、また違う男の子と付き合って。


 泣きながら。

 笑いながら。

 迷いながら。


 女の子は現れては消えて、たくさんの人と出会っては別れて。

 視線はその時々で違う人を見ている。


 狡さと弱さ。

 諦めと意地。



 いやだ。

 見たくない。


 これ以上――見たくない!


 やめて、やめて、やめて。


 お願い。

 誰か。

 止めて!


 ――紬


 こっちを見て笑う顔。

 名前を呼ぶ親しげな声も。


 今、彼女が誰を見ているかも全部。


「ごめ、――ごめ、ん、なさい」


 涙が頬を伝う感触が戻ってきたと同時に目の前の景色が急にぼやけた。


 なんだろう?と疑問に思いながら視線を下ろすとお祖父ちゃんの眼鏡がいやにゆっくりと下へと落ちていく。

 そして誰かが丁寧に置いてくれたかのように机の上にツルを折りたたんだ状態で着地する。


 ぼんやりとそれを眺めていたら左側から手が伸びてきて頬に触れられた。

 そちらへ視線を向けると高橋先輩の顔が何重にもぶれて映る。


「紬!紬!大丈夫!?ほんとびっくりしたっ」


 どうやらすごく心配させてしまったらしい。

 洟を啜る微かな音がしたので先輩は涙ぐんでいるかもしれないけど、まだ頭が混乱の極みの中にいるらしくなんの発言もできなかった。


「ああ、よかった。意識戻ったみたいね。でも心配だから病院に行きましょう。私車出すから」

「そうしてもらいなさい。紬」


 奥の方からも真琴さんの心配そうな声が聞こえて、その言葉に高橋先輩が大きく頷きながら同意する。


「……びょう、いん」


 病院で見てもらった所で原因が分かるとは思えない。

 そして対応策も適切なアドバイスも病院ではもらえないことは自分が一番分かっている。


「急に苦しんで気を失ったから救急車を呼ぼうとしてたんだけど」


 どうやらその前に私の意識が戻ったらしい。


 良かった!

 そんな大ごとになったら恥ずかしすぎる。


「すみません。多分、寝不足で」

「紬、だめよ」


 病院に行くことを拒否しようとしているのを察して高橋先輩が強張った声で首を振る。


「寝たら治りますから」

「そんなこと言ったって小宮山ちゃん二週間前にも熱出して休んだじゃない」


 真琴さん、ごもっともです。

 でも前回は病院で点滴打ってあとは体力が戻れば回復したけど、今回はちょっと訳が違う。

 病院で調べたってお医者さまも原因不明で疲労かストレスとしか言えないはずで。


 これは多分予想だけど。

 きっとこれが最後じゃない。


 だから解決せずに放置してたら私の方が耐えられなくなって頭がおかしくなると思う。

 こんなことが何度も繰り返し起こったら――そう思うと怖い。


 専門家じゃないとダメなんだ。


 机の上の眼鏡を取り手のひらの上で転がす。

 そして意識してゆっくりと息を吐き出す。

 二人分の視線を受け止めて「大丈夫です。かかりつけに行きますから」とタクシーだけをお願いした。

 真琴さんがタクシー会社へと電話をしてくれている間に高橋先輩がロッカーから私の荷物を持ってきてくれる。


「ついて行きたいけど」

「大丈夫です。ちゃんと専門の人の所に行きますから」

「うん……なんか分かったらメールして」


 二人しかいない事務員が揃っていなくなるのはまずいので、先輩は渋々引き下がった。

 タクシーを呼んだ後なのに「やっぱり送って行こうか?」と真琴さんが言うのを断っていると近くにいたのか黄色い車が事務所の前に停まった。


「すみません。途中で」

「いいのよ!辛かったら明日も休んでもらっても大丈夫だし、もし入院することになったら連絡してね?飛んでいくから」

「……ありがとうございます」


 どちらにしろ後で電話をすることを約束して荷物を抱えてタクシーへと乗り込んだ。

 運転手さんに千秋寺の説明をすると「ああ、あの妖怪退治の寺ね」と二度頷いてすぐに車を出してくれた。

 痛みは無くなったけど疲労感は残っていて、シートに埋もれるようにして目を閉じる。

 走る車の振動が少し心地よくていつの間にか眠っていたみたいで、運転手さんから「着きましたよ」と声をかけられて慌てて起きた。


 財布を取り出してお金を払うと予想していたよりも随分と安い。

 携帯で確認したら時間も事務所を出た時からそんなに経ってないことに気づき、もしかして違う千秋寺かもしれないと窓の外に目を凝らす――眼鏡をかけていないから睨んでいるように見えたと思う――とそこは見慣れた石段と千秋寺と掘られた石塔が立っていた。


「……どういう?」

「私はこの道四十年のベテランだからね。抜け道を知っているんですよ」

「はあ」


 そんなもんだろうか?


 でも少しでも早く辿り着きたかったのでありがたく感謝してタクシーを降りた。

 ワナワナする足で一段上り、鉛のように重い次の一歩を踏み出したところで泣きそうになる。


 毎朝往復している階段なのに辛い。


 その場でしゃがみ込んで気力を振り絞ろうと息を整え、顔を上げた途端。


 くらり――。


 貧血だと思った時にはもう一歩も動けなくなっていてまた気を失った。


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