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とりあえず生還しました




「よう、紬。生きてたか」

「……ええ、なんとか」


 二日前の筋肉痛が残っているのと昨日丸一日熱を出して寝込んでいたので、体調は万全とは言えなかったけど、階段を登ってくる私のことを見つけてわざわざ途中まで下りてきてくれた大八さんを前にしては弱音を吐くのは悪い気がしてへらりと笑う。


 お姉さんとのあれこれはやっぱり相当堪えていたようで、なかなか降りてこない娘を心配して部屋に来たお母さんが倒れていた私を発見してちょっとした騒ぎになったそうだ。

 声をかけても意識が無くてさっきまで元気に会話していた娘が突然高熱を出しぐったりとしていたらそりゃ仕方がないけど。

 丁度帰ってきた妹のゆいと二人でタクシーを呼んで病院に運んでくれたらしい。

 診察されたり、点滴を受けたりしたらしいけど全く覚えてない。

 目が覚めたときは自分の部屋だったから、もしかしたらお母さんと結が大げさに言っているだけかもしれないけど、明らかに点滴が刺さっていた跡があったから多分本当なんだと思う。


「大変だったな」

「そう……ですね。でも宗春そうしゅんさん、怒ってませんでしたか?」

「なんで?」

「だって、特訓昨日休んじゃったし」

「会社休んだんだろ?なら当然千秋寺(ここ)に来るなんてできねえだろうに。怒るどころかあいつ、手負いの獣みたいな霊を相手に良く命を拾ったなぁなんて褒めてたくらいだ」


 それ、褒めてるんだろうか?


 なんだか予想外に善戦したことを遠まわしにしぶとい奴だって言われているような気がするんだけど。


 それより死ぬかもしれないようなことを宗春さんは私にやれって勧めたのか……。

 そういうこと平気でする人だとは思ってたけど。


 これからはもう少し慎重にやらなくちゃ命が幾つあっても足りないかもしれない。


「ま、いいじゃねぇか。紬も助かったんだし、霊も呪縛から解き放たれたんだしよ」

「大八さんは軽く言いますけどね。私にはあれが正しかったことなのか全く分からなくて、ずーっと悩んでるんですけども」

「ん?なにを悩むことがあるんだ?」

「だってお姉さんは最後に“ありがとう”って言ってくれたけど、長い間彷徨った霊がちゃんと逝けるところに逝けるのかどうかも分からないし、私にはお姉さんを成仏させてあげられる力もないわけで……。

 それに私はお姉さんをどうこうしたいなんて思ってなかったし、できればお姉さんの気が済むまでこっち側にいてもらいたかったというか」


 熱が引いて起き上がれるようになったお昼頃、眼鏡をかけて確認したけどカーテンにじゃれ付く毛むくじゃらの小人たちとテレビの横でじっと正座をしているお侍さんの他には誰も居なくて。

 いつもひんやりとした空気を纏っていた濡れ女さんが消えていることが寂しいんだと訴えたら大八さんは逞しい首を捻って私を振り返る。


「はあ?なに言ってんだ。人や土地に憑く霊なんてもんを長く傍に置いたって良いことはひとつもない。エネルギー吸い取られるわ、憑いた相手の幸せの邪魔をするわ、無防備になる睡眠時に干渉してこようとするわ、孤独に耐えかねて命を奪おうとさえするんだぞ」


 大八さんの呆れ果てた声を聞きつつお姉さんはそんな怖い霊ではなかったと心の中だけで反論する。

 最後の階段を登り終え山門から寺務所じむしょの灯りをぼんやりと眺めていると、無言のままでいる私の不満を感じたのか大八さんは大きなため息を吐いて無精ひげの残る顎を大きな指で撫で回す。


「最後にありがとうって相手が礼を言ったんならそれが全てだろ。紬が言うとおり普通の人間が逝けるとこには逝けないだろうけど、それを承知で逝ったんだろうし」


 なんだ。

 やっぱり一般的に天国とか極楽とか呼ばれる場所にお姉さんは逝けないんだ。


 そう思うと余計に自分の行動が間違っていたような気がして落ち込んでしまう。

 足を止めてしまった私を見て困ったように「あー、だから」と言葉を探して鍛えられた立派な肉体を小さく縮めている姿はなんだか可愛い。


「なんつうの?輪廻っての?おれはよく分かんねえけど、犯した罪の分の裁きを受けて相当な苦痛を味わった後で輪に戻れるとかなんとかって聞いたことがある。生まれ変われば次の生では幸せになれる可能性もあるんだろ?」


 なら喜んでやれよと大八さんが笑ったので私も小さく微笑み返した。


 それにしても“分からない”とか“聞いたことがある”とか語尾がどうもあやふやで、首に大きな数珠をかけてるしお寺で働いているのにそんなに適当でいいんだろうか?


 不思議に思いながら尋ねるとなんでもないことの様にさらっと


「ん?おれは宗明に生殺与奪を握られている妖だからな。人間の死生観には疎いんだよ。しょうがねえだろうが」


 なんて言うもんだから私はぽかんと目と口を開けた間抜けな顔で大八さんを見上げる。


 今なんてった?


 人間の死生観に――違うその前だ。


 宗明に生殺与奪を握られている――大人一人の生き死にを握れるだけの力があるって宗明さんあなた何者なんですか!?


 いやいや、今大事なのはそこじゃない。

 そのすぐ後。


 ――妖だからな。


 そう、確かに大八さんはそう言った。


 頭の中で今の発言をもう一度リピート再生することに集中していたもんだから、肩から滑り落ちたトートバッグから着替えや化粧ポーチが転がり出ても直ぐには動けなかった。


「なんだ?どうした?紬はおれが炎を飲み込むの目の前で見てただろうが?あれを見た癖にまだおれを人間だと思ってたのか?」


 代わりに拾い上げ、バッグに戻してくれながら心底不思議そうな大八さんが尋ねてくるので私は大きく一度頷いた。


 だってどう見ても人間の四十代の男性にしか見えない。


 おじいちゃんが語った人を襲ったり食べたり、騙して魂を狩ったりするような恐ろしい妖の姿から大八さんはかけ離れすぎてる。


 大八さんとのやり取りの中で常識が通じない相手だと感じたことはない――むしろ宗春さんの方が常識も通じなければ理解できないくらいなのはどこかおかしい気がする――し、体も大きくて身長も高いけど明るくてよく笑うから怖い人だとは思えない。


「あぶねぇなぁ。ほんと。霊には同情するわ、明らかに人間離れした行動をしても気づかないとは」

「だって、大道芸人みたいな人だってそういう芸をしたりするから」

「妖の能力をあんなインチキと一緒にされたらさすがに傷つくわ」

「う、ごめんなさい」

「まあいいって。もし他の奴らに見られてもそういう奴らがいるから紬みたいに好意的な誤解をしてくれて助かってるとこも多々あるしな」

「ええっと……じゃあ、私の初めて(ファーストコンタクト)の妖は大八さんなんですね」


 見たのは送り犬とかいう死んだ妖だけど、意思疎通した妖となると大八さんということになる。


「そうなるな」

「良かった。初めてが大八さんで」


 いきなり殺しにかかってくるような妖が最初だったらさすがにトラウマものだ。

 おじいちゃんの眼鏡はクローゼットの奥に宗明さんのおふだと一緒に仕舞い込んでいたかもしれない。


「そうかい」


 トートバッグを差し出され、私はお礼を言って受け取った。

 先に歩き出した大八さんの後をついて山門を潜ると濃い空気と湿った土の香りに包まれる。

 清浄で凛とした境内にいると自然と背筋が伸びるから不思議だ。

 肌寒さを感じ羽織っている薄いパーカーの前を左手で合わせてそっと深呼吸する。


 迷うことを叱り飛ばすような厳しさと自分の中の弱い部分と向き合うようにと促す慈悲のような、相反するものが同時にここには存在しているようで落ち着かない。


 普通はお寺とか神社とか心安らぐ場所のはずなのに。


 それはきっと私の心がちっともじっとしていないからだ。

 迷って、悩んで、後悔しているから。

 荒れているというほどではないけど、ずっと感情と思考が揺れて時々思いもかけない場所から大きな波が襲ってきてほとほと困ってしまう。


 私の心なのにちっとも自分でコントロールできないことが情けない。

 もどかしいけど、もやもやして気持ちが悪い。


 そう。


 正直言えば私はまだお姉さんの記憶を覗いた全てを受け止めきれていないし、遠い昔の綺麗な故に男に弄ばれた不幸な他人の人生なのだと納得して消化することもできないでいる。

 男の人が女の人に抱く暴力的な欲望とかいやらしい性欲とかそういうものを直接向けられたことが無いから今まで無頓着だったけど、自分を守るためにはもっと気をつけなきゃいけないと思うしそのための術を持たないといけないんだなとは思うけど。


「なんだよ?まだ気にしてんのか?」


 大八さんが倉庫の中から竹ぼうきと塵取りを持ってきて苦笑いする。

 答えられずに俯いた私の目の端で塵取りが下に置かれるのが映ったその後に頭の上に温かくて少し重いものが乗せられた。

 それがゆっくり上下に動いたので大八さんの手のひらなのだと分かる。


「妖のおれから見ても一つ所で動けなくなってるやつとか人に寄生することでしか憂さを晴らせないやつをみてると不憫だなって思うわ。だけどおれは妖だから解放してやる方法つったら食べるか消すかしかできねぇんだ」


 少し乱暴に撫でられているので眼鏡がズレて今にも落ちそうになっている。

 だけど大八さんの優しさが伝わってくるから止めて欲しいと拒むこともできないどころか鼻の奥がつんっと痺れて。


「だから紬がしてやったことは多分間違ってない。霊はこの世に在るより成仏するのが一番望ましいって宗明も言ってたしな」

「だい、……はちさぁん」

「なんだ、泣いてんのか?あんなに危ない霊と戦うガッツがある癖に」

「ガッツなんかない。ただ……必死だっただけで。それに大八さんが優しいからいけないんですよ」


 ズッと音を立てて鼻水を啜ると大八さんが「おれのせいかよ」って大きな声で笑う。


「まあ眼鏡(そいつ)かけてればこれからもっと怖い目にも合うだろうが、おれは紬が外さないでくれたらいいなって思ってんだ」

「…………どうしてですか?」

「妖や霊や妖精なんかと縁を結びたいって死んだじいちゃんに向かって担架切るような女なんてなかなかいない」


 そんな勇ましいものじゃなかったし、おじいちゃんと繋がってたいって言って号泣した気がするけど、どうも大八さんの中では色々と脚色されている気がする。


「おれは嬉しかったんだ。この世界で不思議と一緒に生きていきたいって宗明に言ったんだろ?」

「えっと、お互いが無理のない暮らしができればいいなと思ってるとは言いましたが」

「同じことだろ?」


 確かに共存したいという意思を綺麗に言い換えたらそうなるんだけど……。

 なんかあまりにも美化され過ぎている気がして素直に「はい」とは言えない。


 また違う悶々に憑りつかれていると大八さんは手を退けて寺務所を指差した。


「荷物置いてこいよ。今日は山はいいから境内の掃除しとけって宗春からの伝言」

「え?」

「あいつなりに紬の体調気遣ってんじゃないか?違うかもしんねぇけど」

「……違うような気がしますけどね」


 それでも病み上がりの身体にはありがたいので急いで寺務所へと向かう。

 なんだか悩みは尽きないけど、これぐらいでへこたれてたらいけないんだと自分に言い聞かせて最初に通された和室に荷物を置いて大八さんの所へと戻った。


第二話で「社務所」(こっちは神社用語)と表記していましたが正しくは「寺務所」らしいので変更しております。


とりあえずお話の区切りが良い事と、リアルで引っ越しなどで多忙になるためここで少々間を開させていただきます。

再開の折には活動報告等でお知らせいたしますのでよろしくお願いいたします。

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