まずは千秋寺に辿り着く
はじめに。
初回から流血表現あります。
キライな方は回れ右お願いしますね。
細く長い石段を一番下から眺めてゴクリと喉を鳴らす。
すっかり冷たくなった風が木々を赤く染め上げてまるで燃えているかのようだったけれど、私は「綺麗」だなんて思うこともできずに怯えていた。
ぎゅっと肩にかけた鞄の紐を握り締めて恐る恐る右脚を出そうとして――なにかに躓く。
「いっ、や――――!」
視線を落とすと鼈甲色のフレームの中にくっきりと浮かび上がる小さな、本当に小さな豆粒のような毛むくじゃらの小人たちが群がっていて悲鳴すらも凍りついた。
勘弁して――!!
もういやだ。
とにかくいやだ!
なにが嫌かって?
そりゃもう決まってる。
なにもかもだ。
視界の端からこちらを覗き込む全身びしょ濡れのお姉さんとか、ここのところ毎日のように後をついてくる薄っぺらい白い布のようなのだとか、夜になると部屋の端に侍が佇んでいるとか――挙げたらキリがないくらいで。
そう。
私こと小宮山紬は絶賛恐怖体験中なのだ。
残念なことに、というか恐ろしいことに。
これっていわゆる憑りつかれているってことなのかな?
でも彼らは私自身には触れられないのか、いつもこうして近づいて来ては周りをウロウロするだけだし。
憑りつかれるって、もっと恐ろしいことだと思っていたけど――いや、もちろん今の状況も十分怖いんだけども――見えるってこと以外は意外と無害だから最初は気のせいだとか、疲れているんだとか言い訳して無視してた。
こんな風に突然見えるようになった原因も多分、分かってる。
外せばいいだけなんだけど。
私は大きな眼鏡の縁に触れて、その滑らかな感触を指先に感じる。
「おじいちゃん……」
時間はまだ7時を回ったばかり。
チラリと階段脇に立っている小さな石塔に目を走らせる。
そこに千秋寺という文字が掘られているのを確認してからゆっくりと息を吸いこんだ。
気管が震えてひゅうっと情けない音を漏らす。
随分と緊張しているようで手足の先が冷たい。
それどころか頭の芯まで凍えているのか、頭がズキズキと痛みだす。
「ここに立ってたってなんの解決にもならないんだし」
そもそも折角の休日に早起きしてここまでやって来たのだ。
本当なら温かい布団にくるまって二度寝、三度寝をかましてお昼過ぎから起き出してぼーっとしてたいくらで。
それを許さないのは濡れた女の人や白い布きれや毛むくじゃらの小人たちみたいなのが毎日毎日寄って来てはなにか言いたそうな顔で私を見るから。
勘弁して!
なんの力もない普通の女になにができるというのだ。
見えるだけで声も聞こえない。
成仏だってさせてあげられないのに。
どうしてこの人たちは私のところに来るの?
「ううっ、気持ち悪い……」
緊張しすぎて胃が痛くなってきた。
靴にじゃれ付く小人たちから足を引き抜いてそのまま一段目に下ろす。
硬い石は平らではなく風雨によって削られてデコボコしているのが足の裏で感じる。
逃げ遅れた一匹――小人は匹でいいのかな?それとも人?まぁどっちでもいいけど――が靴紐にぶら下がっていたんだけど、なにかに弾かれたように転がり落ちた。
ゴロゴロと転がったのをついつい顔を動かして追ってしまい、毛に覆われた奥の大きな目が涙で潤んでいたことに気づいて酷く胸がざわめいた。
不覚にも、可愛いだなんて――。
思ってしまった自分に混乱しながら次の段へと移動する。
そうして小さな存在から目を逸らして真っ直ぐに前だけを見た。
目の端に濡れた気配と女性の黒々とした髪が映っていたが、それも半分ほど登ってきたところで消える。
きっと追ってこれないんだ。
ここはお寺だし、なんだか空気も違う。
紅葉している木々の色だって他の所よりも鮮やかで。
匂い立つ土や草も濃い。
息もすっかり上がって、全身に汗がじわりと浮かんだ頃。
ようやく山門へと辿り着いた。
早朝だというのに鈍色の瓦が乗った山門は私が来るのを知っていたかのように入口を開けて待ってくれていた。
苔生した石塔と赤と黄色の葉っぱが地面を覆う景色は今まで見た中で一番美しい。凛とした空気が境内を包み、割れた石畳が朝露で濡れ、その先にひっそりと建つ本殿へと導く動線すらも綺麗。
両端の柱とそれが支える屋根に切り取られているもの全部が尊くて。
途端に怖くなった。
ここに足を踏み入れてはいけない気がした。
信仰心や宗教に興味のない私にだって侵してはいけない神聖な場所があることくらいなんとなく分かる。
これは。
ここは。
私なんかが来ちゃいけない場所。
ジリッと砂が擦れる音がした。
思わず後退った私の靴底が出した音。
だけど。
「どちらさま?」
奥から箒を持って出てきた男の人が逃げ出す前に呼び止めた。
ベージュの綿パンに白い薄手のセーターを着た彼は微笑んだまま近づいてくる。
黒く濡れた瞳は涼やかで、薄い唇は優しげに弧を描いている――けど、箒を持っていない左手に酷く恐ろしいものを持っていた。
「え、いやあぁああ!?」
途端に震えだした膝に屈して座り込んでしまったのは私のせいではない。
断固として違う!
だって、血まみれの犬が無造作に握られているのを見たら誰だってこうなる。
濁った眼を見ればご臨終していると分かるし、腹を裂かれて細長い肌色の物をぶら下げていれば――もうこれ以上は勘弁してください。
「ん?ああ、ごめん」
そっか、君、見えるんだと動いた唇が酷薄な笑みを刻んだのはきっと私の見間違いだ。
そうだ。
そうに違いない。
だってここは神聖なるお寺であり、お祓いや除霊などを専門にやっていると聞いてきたのに。
お寺の関係者がそんな嫌な笑い方をするわけがないよね。
うん。
きっと私が腰を抜かしたのがおかしかったのだ。
そうだ。
うん。
勝手に納得していると彼はぶらぶらと犬をぶら下げたまま山門から出てきて階段下を覗き込んだ。
なにを見ているのだろうと振り返ると階段の真ん中に濡れ女、そして一番下の入口の所に黒い毛玉がうぞうぞと動いているのが私にも見えた。
それ以上は上って来られないのでその場に留まりどうやら私が戻ってくるのを待つつもりらしい。
案外律儀だな……。
さっさとどこかへ行ってしまえばいいのに。
なんだか健気に思えて苦笑いすると、彼が片方の眉を上げてこっちを見た。
なによ?
その不思議なものを見たみたいな反応。
そりゃあ得体の知れないものに絆されそうになっている自分にびっくりしているけれども毛だらけの小人は愛嬌があるし、濡れているお姉さんだってよく見れば美人なのだ。
それに白いぴらぴらの布だって――。
あれ?
そういえば白い布のお化けは――?
どこ行ったんだろう?
「ふぅん……興味深いね」
「――――っいい!?」
首を捻った私の耳に急に低い囁き声が流し込まれて肩が跳ね上がる。
可愛げも色気もない奇声を出してお尻を着けたまま後ろへとずり下がると至近距離で彼がこちらを面白そうに観察していた。
やめて!
ほんとにやめて!!免疫ないんだから!!
泣きそうになっているのに気づいていないのか――もしかしたら気づいていて喜んでいるのかもしれない。
もしそうだったらどうしたらいいのかさっぱり分からない。
経験値の少なさだったら、最近の小学生より低い自覚はある。
だって眼鏡で地味で、たいした趣味もない女を誰が相手にするというのか!
悲しいけれど事実ですから。
彼が目元を緩めてふわりと微笑む。
そうするとなんだか空気が和むんだけれど、手に持っている気持ちの悪いもののせいで恐ろしさが倍増するんですが……。
「三つ編みに古臭い眼鏡かけて、ノーメイク。挙句に野暮ったいくらい長いスカートに中途半端な色と昭和風デザインのシャツって……完全に終わってる」
爽やかともいえる笑顔で女として終わっていると宣告された――!?
いい。
分かってる。
私がダサいことなんてずっと昔から知ってる。
雨の日は湿気でうねる癖っ毛は三つ編みじゃないと落ちついてくれないし、古臭い眼鏡はお祖父ちゃんからのお下がりだから仕方がない。でも鼈甲でできた大きな眼鏡は個人的には気に入っているから大きなお世話だ。前はもう少し普通の眼鏡をかけていたけど今更元に戻すことはできない。
化粧はしてもしなくてもどうせ変わらないから日焼け止めだけ。そもそも休みの日まで面倒なメイクなんかしたくない。どうせなら家でゆっくりしていたいくらいだ。
長いスカートは自分の下半身――特にお尻と太腿――を隠したいからだし、ブラウスは小花柄とふんわり袖が可愛くてこの間気に入って買ったヤツなんですけど!それを悪く言われるってことはそもそも私にはセンスがないってこと。
分かってるから!
悔しくて睨みつけたけど、彼はしれっとした顔で立ち上がり山門へと戻って行く。
右手に持っていた箒を柱に立てかけて、左手には死んだ犬を下げて。
そのまま石畳を進んでいくのだろうと思っていた彼が足を止めて振り返り「来ないの?」と聞いてきた。
そうだ。
今更引き返したりできない。
私は痺れた足を宥めながら立ち上がり唇を噛んだ。
そして相当苦労して足を前へと踏み出したのだった。
苦手な一人称頑張ります!
まだ全然キャラが出てませんが、これからどんどん出てくるのでお楽しみに☆