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一杯分のRadio  作者: 冬次 春
2/4


たくさんの家庭の夕飯が分かる時間になった頃、少年はやっと家の前にたどり着いた。橋本の表札がつけられた控えめな門を開け、玄関の前に立つと鍵を取り出すこともなく当たり前のようにドアに手を掛けた。


 「誕生日おめでとう」


 近所の中学生たちの声だった。少年は彼女らからは見えないところからその光景を不思議そうに見つめた。口元が優柔不断に上下したのは彼女らを微笑ましく見つめる心と、それを台無しにする心の葛藤の表れなのだろう。

 笑顔の数だけ少年の中の不思議は深まっていった。


 死に近づいているのになぜ笑顔になれるのだろう。


 常識的視点の真逆の位置にいるからこその疑問であり、難問だった。数人がお金を出し合って買っただろうプレゼントを渡し、それを受けって「開けていい?」「いいよ」のやり取りをこなした後にまた新しい笑顔が生まれた。

 控えめなピンク色をした袋から出てきたものがなんだったのかは確認できなかったものの、その日の主役は大いに喜んでいたため、プレゼントが的を得たことが分かった。それを見た脇役たちは安堵の表情と喜びの表情を半分半分に浮かべた。

 半袖の季節に温かい空気を作り上げてしまった彼女達はこの後の素敵な数時間を充実させるためクーラーが利いた家の中へと入っていった。


 それを見届けた少年もまたもう一度ドアに手を掛けた。難問は心にメモをして大事に大事にしまった。

 

 (これはいいネタになる。今日は良いラジオになりそうだ)

 

 家到着までの物語の最期をプラスで締めくくれたことで少年の声は割と明るい雰囲気を帯びていた。


 「ただいま」


 まだ微妙に湿っていて脱ぎずらいスニーカーに苦戦を強いられ、框に腰を下ろす。家の匂いとしか言い表せない何とも落ち着く匂い、そして何よりもスリッパが陽気に奏でるその音を感じたとき少年の心はようやく震えを止めた。


 「おかえり、映画どうだった?」


 「母さんの言う通り僕は好きだったよ」


 ほらね? といったように少年の背後で腕を組む母親は、紺色のエプロンが良く似合う。優しい茶色の目はただ少年を見ている。スニーカーとの格闘を終え立ち上がった少年の肩を子供の列車ごっこのようにつかみ何かに気づいた。


 「なんか濡れてるじゃん」


 そう言いつつも肩から手を離すことはない。もしかするとその小さく温かい手で乾かそうとでも思っているのだろうか。


 「ちょっと珍しい出来事があってね」


 少年は母の方に向き直したが母に目を合わせることはなかった。それでも母親は自ら少年の目をのぞき込み、それを少年が拒もうとするとついには両手で少年の肉のない頬を挟み、そっと目を合わせた。


 「(ひかる)


 自分の名前が呼ばれたことが今日初めてのことの事だったため少年は目を一回り大きくしてすぐに元に戻した。決してもう目を逸らそうとはしなかった。


 「悩みなさい。とことん悩みなさい」


 少年は再び目を大きくした。今度はそれだけではなかった。


 「お母さんは正解不正解関係なく輝の話を最後まで聴くし、話したくないときは「ただいま」って帰ってきてくれれば何にも言わないから」


 母親の言葉は砂漠のように水分を亡くした少年の心にオアシスを創り上げた。枯れていた目は瞬く間に潤った。


 「お母さんは輝が自分なりに幸せになってくれれば幸せだから……」


 潤うだけで止まらずに形になったそれを母親は長い親指で拭った。同じことを右と左で何回か繰り返した。


 「お母さんが死ぬ前に幸せになってよね」


 冗談交じりでそう言う母の笑顔に鼻をすすりながら、目を赤くしながら少年は微妙な笑顔で応えることに精いっぱいになった。


 「はい、この話は終わり! 今日はカレーです。できたら呼ぶから変身してきな」


 実は家に入った時から薄々気が付いていたことが確かだったことに喜びを持ちながら少年は階段を上った。スリッパの音が遠くなっていくことに寂しくなりながら一段一段を踏みしめ、ドアノブに手を掛けた。


 

 二階にある自室に入ると思うことがあった。



  あぁ、僕は学校辞めたんだなぁ。



 ほぼ新品の状態で部屋の隅に掛けられた制服、少し折り目の付いた教科書、登下校を共にしたバック。それぞれが部屋に入るその度に過去を映した。

 少年はつい一日前に高校生ではなくなった。そしてそれからというものこうして部屋を開ければ立ち止まることが多くなった。

 辞めていなかったらどうしていただろうかといったようなことを薄く想像して結局は同じ選択をするような気がした。ただ、辞めるのが早いか遅いかの話だ。


 少年は母の言う通り変身を始めることにした。適当に選んだ服を手にすると意識的に部屋を素早く出た。      

 ファッションには興味がないため衣類は全て母が選んだもの。しかし、全てが少年の趣味に合っている。

 脱衣所で重くなった服を脱ぎ、要らないものを流すかのようにシャワーを浴びる。ふざけ半分で全身を泡だらけにしてみたり、シャワーの水を顔面で受け続けてみたりと色々と試してはみるものの、高校生ではなくなったという現実が変わることはなかった。

 

 それが分かると少年は大きなタオルで表面上の自分をふき取り、部屋から持ってきておいた服に着替え、軽く髪を乾かした。でもやはり心にかかった鎖が解けることはなかった。

 

 


 

  

 


 


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