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一杯分のRadio  作者: 冬次 春
1/4

「僕、高校辞めました」


 電波を通してその言葉は数百人の人間に音として届いた。それと同時に優しさと偏見の二つが発生しパソコンの画面の中で戦争を始めた。小規模な争いを眺めるヘッドホンを付けた少年は今更それを止めるようなことはしなかった。全てがそれぞれ正解に見えていた。


 「突然すみません。ただの自己満足の報告なので忘れて頂いても結構です」


 少年は徐々に争いが静まっていく様子を確認するとひとまず安心し、そして自分勝手な行動に少し後悔した。何か言い訳をしようとして止め、また口に溜めての繰り返しの中で画面をふと見ると1つの小さな光を感じ取った。


「私はそんな話は聴きたくはないです。いつもテルさんが話す優しくて不思議で時に難しい、時間を追いかける必要がないあの時間を楽しみにしてきました」


その吹き出しの中身を見て後悔とはひとまずおさらばすることにした少年は姿勢を直し、声のトーンを上げ、口角を少し上げた。すると少しづつではあるものの「あの時間」が戻ってきたような気がした。


 「こんな始まりになってしまって本当にすみません。いつも通りの雰囲気に戻しますね。今日の一杯はアップルティーです。この一杯が無くなるまでの数十分どうぞお付き合いください。


 では、一杯分のRadio始めます」



    *****

 


 ただ歩く。6月11日の何の思い入れもないその日の三時を歩く。すれ違った小学生達の可愛らしい一日の反省会がうまく耳に入って来ることに理由もなく腹を立てているその少年は、ため息にそのすべてを込め吐き出し、また歩き出す。

 水溜りなど関係なしに突き進んでいく少年の目には光はなく、恐らく何も見えてはいないのだろう。   

 その証拠に少年は自ら電信柱にぶつかり、周辺の水溜り界では頭一つ抜けた大きさの水溜りに尻餅を搗いた。意気消沈と言う言葉が似合う少年は、自らその言葉に寄せる行動をとる。つまりは、水溜りに仰向けで寝そべったということだ。灰色のパーカーが黒く変色している様子は、少年の今を再現しているようにも見て取れる。


 「お兄ちゃん、風邪ひいちゃうよ」


 ピンク色の長靴を履いた女の子は少年にそう声をかけると、ランドセルを小さな体の前に回し、中からこれまたピンクのハンカチを取り出すと、少年に差し出した。

 少年は曇り空に現れたピンク色のハンカチに僅かに驚き、初めて女の子の方に顔を向けた。


 「気持ちいいよ。でも、君はやらない方がいいかな。ママに怒られちゃう」


 どうやら女の子の怜悧な行動によって不自由ない視力まで回復したらしい彼は、まず上半身を起こし、下半身の動作確認を終えるとよろめきながら立ち上がった。瞬間的に見て女の子二人分の彼は黒く染まったパーカーを脱ぐと、ぞうきんを絞る要領で水を切り、再度腕を通した。


 「かなちゃんママいない」


 どうやらこの女の子は少年の取扱説明書を持っているようだ。先程まで奇怪な行動を取り、自分自身の心の有無を感じることができそうになかった少年の目が一回り大きくなった。女の子は決して表情を変えることはなく、寧ろにこやかな仮面を作りあげ、なお少年にハンカチを差し出している。


 少年もその大したことのない頭で何かを考え、出来上がったばかりの心で何かを感じ取ったのだろう。身体に身にまとった衣服に着いたすべてのポケットを両手で探り、いつかのコンビニのレシートと午前中に観た映画のチケットと共に僅かな小銭を取り出した。そしてそれを数えることなく女の子の小さな手が差し出すピンク色のハンカチの上に乗せた。


 「ママはきっといるよ。大きくなったら探してみるといいよ」


 女の子の仮面を外し、心の底からこみ上げた花火のような明るい笑顔を引き出すと「じゃあね」と彼女の怜悧な頭を撫でようとした。が、自分の手の状態を確認して手を引き、控えめに手を振った。女の子は背を向けた少年に律儀に頭を下げ、まだ薄黒い背中をありがとうで温めると、少年とは反対方向に闊歩し始めた。


 少しすると振り返りランドセルを背負った小さな背中を眺めて、寂寥な気持ちを抱き後悔した。奇跡的に女の子も振り返り少年に手を振って道を曲がっていってしまったことで、それはそれは重いものになっただろう。


 「帰るか」


 もう一度振り返った少年は、多くの意味で重い足で歩き始めた。家までの帰路で少年はしばらく顔を伏せながら速足で進んだ。学校帰りの学生や買い物帰りのおばあさま方の強い視線を必死になって避け続けたのはしょうがなかった。

 そして二十分ほど歩いたところで少年はやっと足を止めた。正確には止めざるを得なかった。少年の前には通りに架かった横断歩道と、それを渡ることを許してくれない赤いランプが光っている。


 それを見た少年は当たり前のようにあたりを見回して、横断許可願いボタンを押そうとそれに近づいた。


 しかし、少年の人差し指はボタンを押すことはなかった。途切れることなく通り過ぎていく車には、もちろんそれぞれ人間が乗車している。違法ではあるが、携帯電話を片手に運転している会社の名前が入った普通車、家族でどこかへと出かけるだろう軽自動車、そしてタオルを頭に巻いた力強い男の人が運転するトラック。少年が見たものはそれぐらいのものだ。特に感傷的になる映像ではない。


 けれど、少年の心には痛みが走った。

 

 ボタンを押すことをしなかった少年は、隙間なく前を通り過ぎていく人間の一人ひとりを丁寧に目で追った。冷たい風に飛ばされそうなぐらいに痩せたその体で立ち続けながら、光り続ける赤いランプをもう一度視界の中心に持って来る。そして少年は心の中で泣いたのだ。


 「あの赤いランプが青いランプになることはない。もし僕が青いランプを光らせてしまったら、目の前を通り過ぎていく人々の人生の流れを止めてしまう。そんなことはできない」


 「なぜ?」


 少年は自問自答した。答えはきっとわかりっていただろうに、不図生まれた小さな希望のせいで少年はまたそれを形にしなければならなくなった。


 「僕には価値がないから。前を行く人達とぼくを天秤にかけたら軽すぎて僕はどこかへ飛んで行ってしまう。それに今はその天秤に乗る資格さえないみたいだ」


 自分自身で苦しむことを選んだ少年はその場でただ立ち尽くすしかない。家へと変えるためにはこの横断歩道を渡たるほかに道はないのだ。

昨日まで普通に渡れていた横断歩道を渡れないことが悔しくて、自分が馬鹿みたいなことで足を止めていることに呆れたが、正直なところ少年は納得していた。もし、自分がボタンを押せていても青いランプが光ることはないだろうとまで考えていた。正真正銘自意識過剰の自虐人間だ。


 「ちょっと君! そこの突っ立ってる」


 苦手な排気ガスの匂いに咽ながら少年は声のした方へと振り返った。そこには引っ越し業者のトラックが止まっていて太い声の主は、運転士であった。少年は雰囲気と微妙に傾けた首で「なんですか?」というクエスチョンマークを表現した。


 「ボタン押してくれ」


 少年は困った。目の前ではまだ途切れることなく車が走っている。目の前に光る赤いボタンにもう一度目をやった少年は歯を食いしばる。自分だけが感じることができる足の震えに耐えながら少年は小さな小さなボタンの前に立った。

 足と同様震える右手を、これまた震えている左手で支えながら少年は無意識に目を瞑った。もはや支えても意味がなく震えが大きくなるだけ。ボタンの沈む感覚が指先に伝わる。当たり前になっていた車の騒音が徐々に小さくなっていき、無くなった。

 

 「ありがとね」


 少年の多大な苦労など知るよしのない運転士は、アクセルを踏み込みそう言うと軽やかに右折していった。それを確認すると少年はようやくボタンから手を離した。未だ微妙に震える少年の体は疲れ切っていて、立っていることが精いっぱいのように見える。


 目の前のランプは青く輝き、左右に連なる車は先程まで隠れていた横断歩道を丁寧に避けている。

 少年がそのことに気が付いた頃には青いランプは点滅し始め、少年の答えを催促する。根拠はないが少年はこれが最期らしいことを感じた。自らの人生に訪れる最期の転機を悟ることができた。少年は迷った。

 

時間を惜しまずに少年は考える。この道を渡った先にいる自分を。その先一年、二年とで生きていく自分を余計な感情で取り繕うとせずにそのままを受け取ろうと必死になった。どうやら馬鹿者の最期のあがきのようだ。


 

 自分の生年月日や年齢、そして名前。自分に関連するすべての情報を頭の中を巡らせ、想像の世界の自分を作り上げ、彼に横断歩道を渡らせた。想像の中でも相変わらず震える四肢は情けなくもあるが、少年にとっては希望に見えるだろう。

 白線の橋を落ちそうになりながら渡る想像上の少年は、予想外にもしっかりと腕を振り足を止めることはなかった。橋を渡りきるころには華奢な背中から自信さえ漂わせている。


 見事に橋を渡り切った想像上の少年は深呼吸をすると華麗に振り返ると、想像中の少年を見た。想像中の少年とは違い、希望が後悔を上回った爽やか且つ程よく力の抜けたその表情で口を開いた。

 その言葉はきっと少年がもとより分かっていたものだった。だから少年は納得したのだろう。だから少年は橋に足をかけたのだろう。


 「お前が思っている通り周りの人間に比べたら価値もない。お前の事なんて誰も見てない。だからなんだ」


 少年はその言葉を心地よく受け取りながら橋の中間地点まで来た。残りの半分もそうしたのは少年の覚悟の表れだろう。

 

 「自分を見てほしかったら何かやれ。価値がほしいなら何かをやればいい。なんでもいい。小さくてもいい。苦しいことを選べなんて言わないから」


 少年が橋を渡り終わったころにはランプは赤に光り、周辺からはクラクションの嵐が巻き起こっていた。それでも聞こえた。


 「お前ならできるよ。さっきだって女の子笑顔にしたじゃん。あれぐらいでいいんだよ」


 そう告げると想像上の少年は少年の身体の中に帰っていく。


 少年は普通から一歩離れまた歩き始めた。

拝読ありがとうございました! よろしければブックマーク、感想、評価等お願いいたします。ではまたン機会を楽しみにしております。では!

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