4話
話の流れがゆるやかですが、温かい目で見回っていければ幸いです。
生徒達を掻き分けて、保健室へと向かう。
保健室の扉を開け、中に入るとそこには誰もおらず。あるのは、普段、保健の先生が座っているであろう机とベッドが二つに包帯やらバンソーコーが規則正しく収まっている、そんなどこにでもある保健室だった。
「ヴィルヘイン、ほらベッドだぞ」
「ん……ぁ……うん」
小さく震えながら、彼女はベッドに倒れるように、彼から腕を離した。だが腰に回していた足がなかなか離れず、彼女の足が離れた同時に足で押された。
和正は押されて、彼女の顔の隣に、両手を付いた。
甘い吐息を漏らし、頬を紅潮させているヴィルヘインからは色気を感じてしまい、思わず目を離した。
だが、彼女の甘い吐息が静かな保健室に響き渡り、意識しないほうが無理というものだった。
潤んだ瞳に、ほんのりと赤い頬、口からは小刻みに出ている甘い吐息。彼女を意識してしまうと、同じように和正の息も徐々に荒くなっていくのが分かる。
「ん……はぁ……はぁ……。やっぱり、あっう……和正は……えっちだったのね……」
「あっ……あはは……」
「和正……震えが止まらないの……。止めてくれる」
ヴィルヘインは、両手を彼の前に掲げ、和正を受け入れようとしている。そんな色香を出す彼女へと、ゆっくりと近づいていく。
そんな時、和正を現実へと呼び戻すように、保健室の扉が荒っぽく開けられた。
「和正君!! ぶ……じ」
「あっ」
梓の表情が、凍りつく。
それもそのはずだ、目の前にはベッドに押し倒されたであろう少女に押し倒したであろう少年が居るのだ。
これから、何かが起こるであったであろう二人の姿を見て、梓は時間が止まってしまう。
「か、和正君……そんな」
「い、いや!! これは、誤解だ!! 『胸を借りる者』のせいで弱ったヴィルヘインを介抱しようと思って!!」
「じゃ、じゃあ……一切、ヴィルヘインさんのそういう姿を見て……やましい気持ちは芽生えなかったって……私に誓ってくれる?」
「……それは」
ジト目で見つめてくれる梓に、和正の顔からは汗がしたたり落ちていく。
誓える訳がなかった、さっきまでの和正には、そういう感情が芽生えていたのだから。
無言は、時として返事になってしまう。
梓は、一歩遅れていたら、何かが起きてしまったであろうことを悟ってしまう。
和正は、潔く土下座をした。
背筋や指先をきちんと伸ばし、勢いよく保健室の床に頭を打ち付けた、見事な土下座だった。
「この新内和正、やましい気持ちが芽生えていました!! 本当に申し訳ありまぶふぃ!?」
「か、和正君の……馬鹿ぁぁうわぁぁん!!」
サッカーのロングパスのように、和正の床に打ち付けられていた顔面を蹴り上げた。
その時、一瞬ではあるが見えてしまった、梓のイメージには合わない大人なランジェリーを和正はきっと何百年立っても忘れないだろう。
ふわりと浮いた和正は、ヴィルヘインへと落下した。痛みはない、頭の下にあった二つのマシュマロがクッションになってくれたのだ。
「和正……」
「あ、あれ~? ヴィルヘイン、気のせいかな~? 何だか体調が直ったような」
「おかげさまでね。重いから、どいてくれるかしら?」
「あっ、あぁ。勿論、すぐにどきます!!」
和正は、言葉のまますぐにどいた。
一方のヴィルヘインは、笑顔を崩さないまま、肩を回して、準備運動をしている。
「さて、分かるわね? 和正」
「ま、まず、話を聞いてくれ!!」
「聞く耳持つわけが……ないでしょう!!」
「プルぺェ!!」
ヴィルヘインは、バチン、と右から左に。左から右にビンタを放ち、彼を床へと静めた。
ノビている和正を放って、二人は保健室から出ていった。残された和正には、額に靴先の跡と左右の頬に手のひらが赤く残っている。
このあと、入ってきた保健の先生が驚いたのは、火を見るより明らかなことだった。
●
放課後になった教室。
授業が終わった後の学生は慌ただしく帰る者から、時間を気にせず、友人と談笑をしている者から様々だ。
和正は、溜め息混じりに、カバンへと教科書を詰め込んでいた。
「はぁ……ついてない」
『憑いてるじゃない、私が』
「そのついてるじゃないよ、運が無いって言ってるんだ」
『あら、それはどうかしら? 知る人が知ったら、替わって欲しい立ち位置だと思うけど』
「そうか?」
『そうよ、それに今回は和正が明らかに悪いんだし。ちゃんと反省しておきなさい』
「分かってるよ、さて帰るか……」
カバンを持って、教室から出ようとすると。後ろから、声を掛けられる。当然、声を掛けてきたのはヴィルヘインだった。
「待ちなさい、和正」
「へいへい、何でしょう?」
「執行人の初仕事が残ってるわよ」
「あぁ、そうだった。俺、執行人になったんだったけ。軽く忘れてた、ごめん」
「忘れないでよ。ほら、これ」
彼女が手渡してきたのは、執行人の制服。
やはり白と黒を基調とした軍服のような制服は、目に止まりやすく。これを着ているということは悪さをしないように見張っていると生徒達に伝えていると同時に着ている者は生徒達に見られているという気持ちにさせられる。
つまり、これを着る者は生徒達の規範になるような立派な人物でなければならない。
和正は、これを着ていいものか。正直、受けとることを迷ってしまう。
「どうしたの? 受けとりなさい」
「いや、いざこうなって見ると俺がこれを果たして着ていいのかなってさ。成績もまぁ……あれだし、迷惑もかけてるからさ」
そんな自虐的な和正に対して、ヴィルヘインはまったく、と言ったように溜め息をつく。
「その為に私がいるんでしょ? 和正は、成績も悪いし、友達も少ないし、えっちだし」
「何か、聞いてるとろくでもないな俺って」
「でも、根はいい人だとは思うわ。ヘタレな和正の良さが出るように、私は貴方を必ずいい男にしてあげる」
「ふっ、ヴィルヘインは俺の何なんだよ?」
「姉……かしらね、任せなさい。これでも私には弟がいるから、面倒を見るなんてお手のものよ」
「弟がいるのか?」
「えぇ、和正と違って。全然、いい子よ」
それじゃあほら、着てきなさい、と彼女は和正の胸へと制服を押し付けた。和正は、それを受け取り。更衣室へと向かった。
更衣室には、誰もおらず。ただ静かな空間が、広がっていた。その中で、和正は指定の制服を脱ぎ、着替えていく。脱いだ拍子に見えた体は、意外と鍛えられており、筋肉がしっかりと付いていた。
「まさか……。こんな事になるなんてな~……」
『そうね~、まさかあの娘とこんなに親しくなるなんてね。てっきりいつも通り、嫌われて終わりかと思っていたのに』
「それもそうだけどさ、俺が形なりにも執行人になれるなんて思わなかった」
『あら、知らなかった。和正が、正義の味方に憧れていただなんて』
「んなわけないだろ。ただ、俺には絶対に縁がないものだと思っていたんだよ。それが、まさかな」
人生、何があるか分からないな、と和正は納得したように頷く。一方、興味がなさそうに『胸を借りる者』は言う。
『とりあえず、私としてはあの娘の胸を揉めればいいから。精々、頑張りなさい和正』
「お前な、頼むからそういうのは止めてくれ」
『えぇ~、和正だって嬉・し・い・くせに』
耳元で囁かれた声に、ふっ、と優しく息を吹き掛けられたこそばゆい感覚に襲われる。
耳が徐々に赤くなり、彼は全力で否定する。
「そ、そ、そ、そんな訳はないだろ。 俺は、もう純真無垢過ぎて困っちゃうよ?」
『和正、ベッドの下に置いてある』
「すみませんでした!! 実は、嬉しかったです!! だからはっきりと口にしないでください!!」
『ふふっ、私達は一心同体なんだから。バレバレなのよ』
勝ち誇ったように彼女は言う。
同時に満足したのか、それ以上は何も話しかけては来ず。彼も着替えを終えて、更衣室から出る。
すると、いつから待っていたのか。ヴィルヘインは、壁に寄りかかっていた。
「遅いわよ、和正」
「悪い、待たせた。じゃあ行こうぜ」
「まったく、取り仕切らないで。あくまで私、主体なんだから。あと、帰りの荷物も忘れずにね。見回り次第、そのまま帰るんだから」
「あぁ、はいはい」
「はいは、一回」
「はい……」
何だか、姉というより母親のようだな、と心の中で呟く。そう思った和正の顔は、口の端が小さく上がっていた。