3話
とりあえずヴィルヘインは職員室に行くと言って、彼女と離れることが出来た。和正は、あくびをしながら背筋を伸ばす。やっと気が抜ける、と彼は笑顔で小さく呟いた。
朝から、騒々しいことばかりだったのだ。戦士にも休息は必要だ。
教室に向かうと、何かクラスメイトが騒々しいことが分かる。
そこで何やら、そっ、と教室から脱出してきた大久と顔を合わすことになる。
「おう、和正。生きて帰ったか、俺は信じてたぜ」
「嘘つけ、絶対もう死んだとか思っていたろ? いやぁ、朝から騒々しかったけどさ。とりあえず、一息を付ける時間が合って良かった、良かった」
「あぁ~……和正、言いにくいんだが」
「どうした?」
くいくい、と親指で教室の中を指す。
嫌な予感をしながらも、教室の中をそっ、と覗くとそこには普段の光景はない。
居たはずの人物が、別の席へと移動し、居なかったはずの生徒が、彼の隣の席を牛耳っていた。
「嘘だろ……何で、職員室に行ったはずじゃあ……」
「遅いわよ、授業はしっかりと受けなさい。それと職員室ならすぐに行ってきたわよ」
太陽の光に当てられて、銀色の髪から光の粒がほとばしる。
それは、会った時の天使を彷彿とさせたヴィルヘインだった。
しゃべらなければ可愛いのに、と心の中で和正は素直に思った。
「今、失礼なこと思ったわね?」
「えっ、いや……ま、まさかですよ」
「嘘をつくのが下手ね。それじゃあバレバレじゃない、ほら貴方の席に座ったら?」
「あ、ああ」
先程まで、自分を殺そうとしていた人物の隣に座るのは気が引けたが。彼女には、もう危害を加えるつもりはなさそうな為、言われた通りに自分の席へと座る。すると、彼女は席を近づけ、最後はくっつけてしまう。
「あ、あの~……ヴィルヘインさん? なにやってるんですかね?」
「見て分からないの? 席をくっつけてあげたのよ?」
「いや、何で席をくっつけて……」
「先生から聞いたわ、成績がかなり悪いって」
「先生ぇぇぇ! 俺の個人情報を売らないでください!」
「先生も危惧していたわよ? このままじゃ、三年生にもなれないって」
「お、俺の成績はそこまで悪かったっけ?」
「でも安心しなさい、私が和正に勉強を教えてあげるわ」
そこで、彼女が何故、席をわざわざ隣にして、くっつけた意図を理解した。
「あぁ~なるほど、家庭教師は頼んでないのでお帰りください」
「そうはいかないわ。私、言ったわよね? 貴方を立派な男にしてあげるって」
「えぇ~、ど、どうだったかな?」
「本当に嘘が下手なのね、言ったのよ。それに貴方は私の相棒になったの。執行人として、生徒全員の規範になるようになってもらうの!」
「ほ、本気で俺を監視するつもりか?」
「勿論よ、私は貴方を必ず立派な男にするって決めたの! 任せなさい、私が付いたからには」
「失礼しまーす」
そっ、と席を立ち上がった和正の制服の裾を掴む。
動こうと引っ張るが、反対に倍の力で引っ張り返される。
「は、離せよ~……そ、そんなことに付き合ってられ~る~か~!」
「逃がさないわよ、それとも私にあんなに謝罪していたけれど。私に本当に悪いって思っていなかったの? あっ、あんなことされて……私、初めてだったのに……う、うぅ」
ヴィルヘインの発言と彼女の涙を見て、場の空気が変わる。
周囲の視線が、和正に向き、その大半が敵視と蔑視からくるものだった。
やられた、と和正は思う。
外堀を埋められたのだ、もしこのまま逃走を図れば、更に悪名が付くことになる。
それだけじゃない、噂はどこかで変化し、もっと酷い話へとなっていく場合もありえる。
ヴィルヘインは、上手く駒を動かし、王手をかけたのだ。
その証拠に他の生徒に分からないように、小さく笑みを浮かべていた。
「わ、分かった。ヴィルヘインさんのプランに付き合うから、もう泣かないでくれ」
「分かればいいのよ、分かれば」
先程の態度が嘘のように、彼女は普段の表情へと戻る。やはり、演技だったらしい。
場の空気は、相変わらず、和正には重たいまま。朝の授業へと移っていった。
●
「はぁ……やっと昼休みだ~……」
和正は、生気のない顔で机へと突っ伏した。
「ははっ、和正。お疲れのようだな!!」
「大久……そりゃそうだ……。普段だったら、少しぐらい寝ていてもバレないのに……。あんなにガッツリと隣で分かりやすく授業を解説されるとか」
和正の言う通り、ヴィルヘインは授業を分かりやすくまとめて、和正へと伝えていた。だが、和正としては今日ぐらいはのんびりと授業を受けたかった。彼女の行いは、和正にとってはありがたさと迷惑の半々といった感じになっていた。
「それよりだ、売店行こうぜ」
「あぁ、そうだな。気分転換が必要だ……」
席を立ち上がり、教室を出ようとすると。たまたま教室のドアから入ってこようとした梓とぶつかってしまう。後ろに倒れそうになる彼女の背中を右腕で受け止める。まるで、社交ダンスの最後の決めの形のようだ。
「悪い、梓。大丈夫か?」
「う、うん!! だ、だ、だ、だいじょじょ!!」
「いや、本当に大丈夫か!?」
顔を真っ赤に染め上げ、壊れたラジカセのように発音できない梓を心配する。
だが彼女は何とか、大丈夫、と告げて彼の手から離れて顔を伏せてしまう。
どうしたものか、と和正が思っていると彼女の手に風呂敷に包まれたお弁当があるのが見えた。
「あっ、あぁ~っと、もしかして一緒に飯でも食べようって誘いに来てくれたのか? なら、今から大久と一緒に売店に行くから待って」
彼が全てを言い終わる前に、和正の顔の前にそのお弁当が差し出される。まだ赤みの取れていない顔で、そっと上目遣いのまま彼女は言った。
「和正君、男の子だから……足りないかもしれないけど、お弁当良かったら」
「いや、それは梓のだろ? 俺が食べるわけにはいかねえよ」
「えっ、えっと……だからね、これは」
そんな口ごもる梓に助け船を出したのは、意外にも大久だった。
「いいじゃねえか、貰っちゃえよ。和正」
「いや、でもさ」
「かぁ~、これだから和正はよ! 梓ちゃんにあまり恥かかせるなって。ほら、貰っておけよ」
梓の手から、弁当を奪い、和正の胸へと押し付けてしまう。
「んじゃ、和正は弁当があるし。俺は、売店に行ってくるぜ。お前は、梓ちゃんにあ~んでもしてもらっておけよ。この鈍感が」
「なっ、おい! どういう意味だ、おい! ったく……いいのか、これ本当に貰って?」
「わ、私のあるから……」
青色の風呂敷に包まれたお弁当を、彼女は背中から取り出す。出した原理は全く分からないが、彼女は彼女用のお弁当をもう一つ持っていた。
普通なら、これがどういうことか流石に分かりそうなものだが。当の和正自身は、全く気づいておらず
「意外に、梓って大食いだったんだな」
真意に気づいておらず、ズレにズレた発言をしてしまう。だが、梓は全くそんな彼にもの申すことなく、むしろ彼の発言に対しては寛容な発言をする。
「う、うん……。恥ずかしいけど、やっぱりお腹いっぱい食べたいから」
「そっか、ならむしろ悪いことしたな……。今度は、俺が梓に弁当を作ってやるよ」
その言葉に、梓の目は、くわっと開き。背伸びして、和正の目を生き生きとした目で見つめてくる。
「いいの!? 和正君のお手製のお弁当を貰っても!?」
「お、おう。勿論だ、だから……その一旦、離れてくれないか?」
「ご、ご、ごめんね!! 和正君が作ったお弁当を貰えると思ったら私……その嬉しくて」
「そうか? 俺なんかが作った飯がそんなに食いたいなら、それこそ毎日作ってやろうか?」
「か、和正君……それって」
彼女の顔が、喜びで綻んでいくのが分かった。
そんなときだ。背中から、ぞわっ、とした感覚に襲われる。この感覚に、和正には覚えがあった。
「げっ、ヴィルヘイン……」
「なに、その嫌そうな顔は? ほら、昼御飯を食べましょうよ。私もお腹ペコペコよ」
「あ、貴方が……ヴィルヘインさん」
梓は、和正の前に立ち、彼女と向かいあう。
精一杯、梓は威嚇するように睨み付けるが。その姿はどこか小動物の雰囲気を醸し出している。
一方、ヴィルヘインといえば、猛獣のような強い生物の雰囲気を醸し出しており。見つめ合う二人に緊張感がはしっても、梓に勝ち目がない様子が浮かんでしまう。
「和正、この人って?」
「白間梓だよ、俺の数少ない友人の一人だ」
ふぅ~ん、と彼女は梓と再度、目を合わせる。
「それで、何で梓は私を睨み付けているのよ?」
「話は聞いています!! ヴィ、ヴィルヘインさんは和正君を消そうとしているって!! そ、そんなこと絶対にさせません」
必死に威嚇する彼女を見て、ヴィルヘインは溜め息をついてしまう。彼女からは、全く圧力という感じがしなかったのだ。むしろ頑張って強がっている印象を受けてしまい、可愛らしさを感じてしまう。
「梓さん」
「な、な、何ですか?」
いきなり自分の名前を呼ばれて、驚いたのか。梓は、和正の後ろに隠れながら、ヴィルヘインと話を続ける。
「梓さん、私はもう和正に危害を加えるつもりなんかないわよ」
「ほ、本当ですか……?」
「ええ、むしろ良くしていきたいと思っているのよ。和正を、男にしてあげたいって」
「お、男に……?」
ほんの数秒の空白が生まれる。
梓の雰囲気が重くなり、彼女は、ぶつぶつ、と何かを呟き始め、顔を伏せている。
「和正君は、渡しません!! 『砲式要塞』」
彼女の聖霊は、印象とは違うものだった。
両腕に砲身の短い大砲を持って、彼女を守るように砲身の長い大砲が浮かんでいる。背中にも自分よりも大きい大砲が担いでおり、まるで彼女自身が要塞になったようだ。
「お、男にするだなんて。そ、そんな羨まし……ううん、ふしだらな関係を和正君に持たせようだなんて。私は許さないですよ!」
「ちょ、ちょっと和正!! 何で、梓さんは怒ってるのよ!! 聖霊出しちゃってるし!!」
「知らねえよ、ただ一つだけ言える……。逃げるぞ!!」
「えっ、あっ、待って」
砲口がこちらを向いている以上、避難しなければ。影も形もなく消されてしまう。和正は、突然のことでなかなか逃げる速度が速まらないヴィルヘインをお姫様のように抱え上げ、廊下を全力疾走する。
「逃がしません!! 全弾装填、ここに貴方の名前を刻んであげます……一斉掃射!!」
ドゴ、ドゴ、とけたたましい音と共にいくつもの砲身から砲弾が放たれ、彼らを襲う。
「ヴィルヘイン、覚悟を決めろ!!」
「何を言って」
和正は、廊下で逃げることを止め。窓際に駆けていき、窓ガラスを跳んだ勢いを生かして、蹴りを放った。ガッシャン、と窓ガラスは粉々に割れ、彼らは校舎の4階から飛び降りた。
「きゃぁぁぁぁぁ!!」
「ぐっう……うぅ~!!」
ぶわり、と一瞬だけだが、体が浮くが。地球の力に勝てる訳もなく。重力に従って、彼らは地面へと落ちていく。
「ヴィルヘイン、聖霊で何とか!!」
「いやぁぁぁぁ!!」
ヴィルヘインは悲鳴を上げたまま、体を強張らせて和正の方に既に意識が向いていない。聖霊を使う余裕も無さそうだ。
「くそっ、悪い!! さっそく、約束を破る!! 『胸を借りる者』!!」
『はいはい、待ってたわよ~』
嬉しそうな彼女の声が、頭に響く。
手にグローブが付くと、彼女から両腕を離し。今回は、何の躊躇いもなく、胸へと手を伸ばした。
「『胸を借りる者』、頼む!!」
『任せなさい、すぐにほぐしてあげる』
ヴィルヘインの胸をまるで下着のように、下から包み上げ。高速で手が上から下に、下から上に移動する。
「あっ……んぁ、あ、あっ!! こ、こんな時に…なぁにん!!」
『秘技・うなぎ登り……なんちゃってね』
ヴィルヘインは、顔を真っ赤にして、和正の体へと腕を回し、背中にも足を回してしがみついた。体は、ぷるぷる、と震えており、甘い吐息が耳に当たってこそばゆい。
だが、そんなことに意識を向けている時間もなく。彼女から借りた『神を苦しめる牙』を両手で持ち、校舎の壁に突き立てた。
だが、切れ味が良すぎるせいか。落下することを止めることが出来ないまま、突き立てたまま落下していく。
「止まれぇぇぇ~~!!」
彼の願いが通じたのか。ガガガガ、と引き裂かれる音は徐々に小さくなり。遂には、落下は止まった。
「はぁ……はぁ……止まった……」
もう少し突き立てるのが、遅かったら。きっと止まることなく、落下していただろう。彼は、何とか反動を生かして、近くの窓へと跳び移り。窓から廊下へと入っていく。
「ヴィ、ヴィルヘイン……大丈夫か……?」
「う……うぅ……だ、駄目」
「お、おい。『胸を借りる者』、何だかいつもと様子が違うんだけど?」
『そりゃあ、緊急事態だったし。いつもより激しくしちゃったからね~……こう見ると我ながら凄いテクよね~。まぁ、そのうち治まるわよ』
「そのうちって?」
『そのうちは、そのうちよ。』
体を小刻みに震わせて、甘い吐息を漏らし続けている。確かに、まだ彼女の中で甘い電気がほとばしっているようで、辛さと吐息を漏らす恥ずかしさからか制服の肩へ甘噛みしている。その姿に、ドキリ、と和正は胸を鼓動させてしまうが、頭に川を思い浮かべ、何とか血流が一部分に集まらないよう分散させる。
「分かった、じゃあしっかりと掴まっていろよ。ちょっと保健室に入れていくからな」
「ふ…ふんふん…」
和正は立ち上がって、彼女を連れて保健室へと向かっていく。後ろから、既に追っ手が迫っていると知らずに。