2話
温かい目で見守っていただけると幸いです。
和正は、唾をゴクリ、と飲み込んだ。
あんなに遠かったはずのヴィルヘインも、既に手が届く距離まで近づいた。
彼女は、歩みを止める。
「ご、ごめん!! いや、本当にすみませんでした。どうか……どうか寛大な心を……!!」
「今更、遅いのよ。私は、刑を執行することに決めたの。貴方を必ず切り刻んでやるって!!」
「えっ……じゃあさっきのは?」
「さっきの? あぁ……勿論、嘘よ」
「で、ですよね……ははっ」
額から、汗が滝のように落ちてくる。
彼女は、もう既に殺る気なのだ。
そんな彼女に、みすみす近づいてしまった時点で、和正はどうなるか決まってしまっていた。
「フッ、ハッ!! ヤァ!!」
「ちょ、ちょっと待っ!!」
何も言わず、ヴィルヘインは彼に斬りかかる。
それを彼は、寸での所で何とか避けて、再び逃走する。
彼の聖霊が出来るのは、相手の聖霊を借りること。
戦う術などあるわけがなかった。
「ま、待ちなさい!! また、逃げるのね、男なら戦いなさい!!」
「当たり前だろ!! 完璧、今の殺りに来てたじゃん!それに俺のは、基本的に攻撃なやつじゃないって言ったじゃんか!!」
「そんなこと忘れたわよ!!」
「そうですか、すみませんね!!」
学校内に逃げる訳にもいかず、彼はただ校庭を走り回る。それを鬼のような顔で、ヴィルヘインは追い回していた。
校舎からは生徒達の楽しげな声が聞こえる。
「どっちに賭ける?」
「俺、あいつ!」
「なら私は、ヴィルヘインさんに!」
「俺も俺も!!」
どちらが決着が付くのか、見せ物のように楽しんでいた。冗談抜きに、和正にとっては命を脅かされる危機なのに対して、助けてくれよ、と心で和正は嘆いた。
「はぁ、はぁ……頼むから……ゆ、許してくれよ」
「駄目よ、貴方は私が必ずこの手で……!! あ、あんな……えっちなことされて……恥ずかしい姿まで見られ……だから貴方は私が必ず!!」
「それなんか罪人を裁く気持ちより、私怨の方が強すぎるじゃん!! 忘れる、忘れぶっ!!」
和正は、走りながら話していた為。足元の小さな小石に気づかなかった。彼は、豪快に顔面からスライディングし、転んでしまった。
起き上がろうとした時、左右の首に刃先が向けられる。後ろを振り返ることも出来ない。
「はは……詰んだ……」
「念仏でも唱えなさい、その時間ぐらいあげる」
刃先が離れ、振り上げられる音が聞こえる。
力を込めて、一気に首を狩るつもりのようだ。
諦めて目を閉じ、力を入れるのを止めて。来世はこんな人生は送らないと、胸に誓った。
「執行人に、人を殺める権限は与えていないはずだが?」
ヴィルヘインではない、大人の低い凛とした声が耳に聞こえる。ゆっくりと後ろを振り返ると、ヴィルヘインは荒縄で捕縛されていた。
黒の事務服に身を包み、ハイヒールを履いている女性が立っていた。彼女は、この学校の校長。仁宮つかさという。
「校長先生、話を聞いてください!! この男は!!」
「ピーピー喚くな、話は校長室で聞いてやる。お前もそれでいいか、和正」
「は、はい……OKです」
彼がそう返答すると、教室で見せ物のように楽しんでいた生徒達を睨み付け、その場から散らせた。
縛り上げたヴィルヘインを肩に担ぎ上げ、彼女は校長室へと向かっていく。その後ろを和正は、そっと付いていくのだった。
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「校長先生、離してください!! 私は、この男に刑を執行しなければ!!」
「ふん、刑を執行か。大方、胸でも揉まれたか?」
「なっ……何で知って」
ヴィルヘインを肩から下ろし、彼女は校長専用の大きな机へと座ると。パチン、と指を鳴らして縄を解く。
「こいつのそれは、昔からだ。それに、それぐらいしか大きな罪は思いつかないぐらい良いやつでもある」
「いい奴……なのは百歩譲って認めてもいいです。ただ、こいつはしっかりと私の胸を!!」
「だ、だからそれは謝ったじゃないか! 悪かったって二度と触らないって!! ってか、あれは俺がやった訳じゃなくて……」
「二度も触らせてたまるかぁ!! やはり、私は和正をこの男を許すわけ」
パン、とつかさは手を叩く。
二人は、話を止めて、校長へと視線を向けた。
「とりあえずだ、ヴィルヘイン。こいつを許してやってくれないか? 悪気はないんだ」
「お断りします!! それと校長先生。先生は、この男を昔から知っているような口振りでした。どういう関係なんですか?」
「親代わりという所だろうか、こいつの母とは旧知の仲でね。昔からこいつのことは知っている」
ヴィルヘインは、二人を交互に見つめた。
見られた和正は、苦笑いを浮かべて頭を掻く。
「つまりご友人の息子であるこの男をコネを使って、こいつの罪を消そうと?」
「罪は消えないさ、犯した罪は決して消えない。だがな、許すことは出来る。それだけだ」
「なら私は、この男を許すことは出来ません!!」
「そうか。ならば仕方ない……」
彼女は、真剣な表情でパソコンに何かを打ち込み、数分の間、話しかけてはいけない雰囲気から、沈黙が訪れる。そして沈黙は、パソコンのメール受信音によって、破られた。
つかさは、パソコンのメールに目を通すと、ニヤリ、と不適に笑みを浮かべて、二人に告げた。
「では、校長として命令する。和正とペアを組め、こいつがこれ以上、そうゆうことをしないように四六時中一緒にいろ。要は監視役も兼ねている」
なっ、と和正とヴィルヘインは口を開いた。
そして、声を合わせて同じことを言う。
「嫌だ!」
「嫌です!!」
二人はお互いの顔を見合わせる。
「ちょっとどういうよ!! 私と一緒にいるのが、イヤって!! 私も嫌だけど!」
「嫌に決まっているだろ!! こんな、いつ襲われるか分からない状況なんだぞ!!」
「校長先生!! それにこいつは、執行人じゃ」
「ヴィルヘイン、お前の言ったコネというやつだ。状況を伝え、和正の聖霊について話したら許可がでた。お前と和正は、ペアで動いてもらうことになる。いいな?」
「そ、そんな……納得できるわけが……」
「生徒の規範になる者が、上の言葉に反発していいのか? お前は、執行人としてかなりのプライドを持っているように感じていたが……どうやら違ったらしいな。残念だ……」
「なっ!! そ、そんなこと……ぐぐ……!!」
ヴィルヘインは何か浮かび上がってくる感情を押さえ込み。力を抜いて、ガクリ、と肩を落とした。
それは和正も同じで、詰んだ、詰んだ、と小さく呟き続けている。
「どうやら納得したようだな。ヴィルヘイン、こいつの監視と聖霊憑き共の抑止力、頼んだぞ」
諦めてヴィルヘインは、力無く了承し、和正と共に校長室を出ていく。とりあえず命の危険が無くなったことが分かり。緊張感が抜けた和正は、安堵の息を漏らした。
だが、背後から悪寒が走る。
おそるおそる振り返ると、ヴィルヘインが顔を伏せながら、睨むように和正を見つめていた。
「ヴィ、ヴィルヘイン……さん?」
「和正」
「は、はい!! 何でしょう!!」
ビクリ、と体を震わせ、思わず直立してしまう。次の言葉を待っていると、ヴィルヘインは顔を上げて、和正を真っ直ぐ見て言った。
「和正、物凄く不服だけど……決まったからには仕方ないわ。お前を私のパートナーに認めてあげる!! 校長先生の言っていた通り、四六時中監視もする。お前を更正させて、立派な男にしてあげるわ! それがお前に対する刑の執行よ!」
「えっ、いや。それは」
「い・い・な!! 」
「は、はい!」
どうやら彼女の中で、何かとてつもない決意が決まったらしい。それはつまり、言われた通り和正を四六時中監視して、立派な男とやらに育てる気なのだろう。和正の日常が、ボロボロ、と壊れていく音が聞こえたような気がした。
和正は何か燃え始めているヴィルヘインを見て。小さく頭を抱えては、深く溜め息を漏らしたのだった。