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目を覚ますと、セルヴはまず最初に枕元の短剣を確認する。耳を澄まし、階下の様子をそっと覗いて確認する。全てはあのドラゴン……スザクを警戒してのことだ。
調べてから分かって驚いたのだが、スザクはドラゴンの中でも「火竜」と呼ばれる、かなり珍しい種だという。ドラゴンの中ではかなり弱い種族で、あまり他種族間での戦いを好まず、鹿や猪などを食すことはあっても、他のドラゴンにちょっかいをだすことはまずないのだという。確かにセルヴ自身、大型の凶暴な炎竜種は見たことがあるが、こんなに小さく、穏やかなドラゴンは見たことがない。
しかし油断は禁物だ。どんなにおとなしくても、ドラゴンはドラゴン。いつ牙を剥くかも分からない危険な動物であることに変わりは無いのだ。もしスザクが襲い掛かるようなことがあれば、姉だけは命に変えても守らなければならない、と、常々自分に言い聞かせている。
スザクだけでも胃が痛くなるほど厄介な問題だというのに、これ以上問題が増えるとなると、本格的に胃腸炎にでもなってしまう。昨日から居候を始めたリアルという名の少年が危険因子にならないことを願ってやまない。そういう願いこそ裏切られるものだ、とは考えたくないものだ。
ちらりとリアルに与えた寝床を見て、驚いた。既に布団の中は空だった。
時刻はまだ午前3時。街は夜の静けさに包まれたままのこの時間帯に起き出して、一体何をするつもりなのか。
ふと嫌な予感に囚われたセルヴは、短剣を懐に忍ばせ、足音を立てることなく部屋を出た。
螺旋階段を少し下りれば、そこはフィオレの寝室だ。
昨日リアルが語った物語が真実か虚実かは、セルヴに判断できるところではない。だがフィオレが信じると言った以上、セルヴは付き合わされることを否応無しに覚悟させられた。一度決めたらてこでも動こうとしない姉を持つと苦労する。「火竜屋」を出すと言い出した時もそうだった。
つまりセルヴに出来る最善の策は、ひとつしかないのだ。
常に最悪のケースを想定し、それを防ぐ為に行動する。
リアルがロゼルタの村壊滅事件の首謀者であり、自分同様ドラゴンを手懐けられるフィオレを狙ってきた。これがセルヴの考える最悪のケースだ。もしそうなら昨日「ポポ」でフィオレを襲っている、或いは「ポポ」から連れ出した後で襲っていると考えるのが普通だと思うが、何らかの理由でそうしなかった、と考えられなくも無い。実際リアルは、まだ姉弟に隠している何かがある。
リアルを信用してはならない。少なくとも今はまだ。そう誓い、セルヴは音を立てぬよう細心の注意を払ってドアをほんの少しだけ開け、中の様子を窺った。
すやすやと小さな寝息が聞こえる。どうやらフィオレはまだ爆睡中のようだ。
ほっと胸を撫で下ろしてから、セルヴは静かに扉を閉めた。
それにしても、リアルはどこに言ったのだろうか。姉とこっそり話し合い、リアルとスザクはまだ引き合わせないことにしている。なんとなくその方がいい、というフィオレの意見を尊重してのことだ。
もしかしたら、リアルはフィオレが手懐けたスザクに興味があり、こっそりと覗きに行ったのか。可能性としてはある。というより、もうそこしか残ってない。3階建ての家の、2階と3階それぞれの唯一の部屋は、今確認したばかりなのだから。
そう考えると同時に、セルヴは一つの可能性に至った。
もしリアルがスザクと相容れられたとしたら、それはリアルがロゼルタの村壊滅事件の犯人であるというれっきとした証拠となるのではなかろうか。犯人とフィオレだけでなく、リアルもドラゴンを手懐けられる可能性も、確かになくはない。だが今まで16年間生きてきてフィオレ以外に見たことのない希少種が、いきなり2人も現れるなんてことがあるのだろうか。
ごくりと生唾を飲み込んでから、更に警戒心を強めてセルヴは階段へと足を踏み出した。
当然ながら、部屋の中は真っ暗だった。しかしその中でも、スザクの黄色い双眸は確認できる。目だけは開けて、じっとこちらを凝視している。襲ってこないとは思うが、それでもやはり短剣を握りなおしてしまうのは、一種の職業病であろう。
室内にいるのはそれだけだ。他には誰の気配も感じない。自分の呼吸音すらむなしく響く気がして、セルヴはそっと扉を閉じた。
どこにもいない。果たしてこれはどうしたものか。
考えながらも、セルヴは階段を上がって自室へと戻る。今日からまた狩人の仕事が入っている。少しばかり遠くに行った方が稼ぎもいい為、普段セルヴはこの時間から準備をしている。早く行かねば、遅刻をしてしまう。
取り敢えずいつも通り、フィオレのことはポラーゼに任せるか、と考えながら3階に辿り着いたセルヴの目の前で、いきなり扉が開いた。自室……ではなく、その隣のトイレの扉。
「あれセルヴさん、ずいぶん早いね。おはよーございます」
まだ目が醒めきっていないために呂律の回っていない挨拶をしたのは、探し回っていたリアルだった。