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「な、何でそれを……?」
セルヴの声が震えるのを、フィオレは初めて聞いた。しかしセルヴの心配をする余裕など欠片も無い。どうして彼は、フィオレの秘密を知っている?
「何でって……愚問だなぁ。見たことがあるからだよ、お姉さんと同じく、ドラゴンを手懐けた悪魔をね。その悪魔は自分の所業を僕の罪へと置き換え、何食わぬ顔で姿を消した。残された僕はそいつを見つけ出して殺すべく、この街へとやってきた。これが恐らく誰も信じてくれない事実だよ」
なるほど、確かに誰も信じてはくれないだろう。しかしフィオレは違う。ドラゴンを手懐けることが不可能では無い事を知っている。フィオレに出来たことが他の誰にも出来ないなど、誰にも言い切れはしない。
そしてひとつ、聞き逃してはならない言葉があった。そう、リアルがこの街にやってきた理由。
「そいつを殺すべく……? まさかそいつが、リャフルカの街に来てるのか?」
セルヴの戦慄く問いに対し、リアルは顔色一つ変えることなくセルヴを見つめ返すだけだった。明らかにリアルは肯定をしていた。
「何でそんな奴がこの街に……。お前は何か知らないのか」
セルヴがつかんでいた胸倉をやっと突き放すと、リアルは冷たい瞳をフィオレに向けたまま短く答えただけだった。
「邪魔者の排除……。僕はそう考えるけどね」
「邪魔者? 私が?」
「そうだよ。人は狩人のようなプロ以外じゃドラゴンは倒せない。そしてその狩人にも倒せるドラゴンの数には限りがある。ロゼルタの村がいい証拠だ。村には何人もの狩人がいたけど、村は全滅した。だけどこの街には自分と同じくドラゴンを手懐ける者がいる。それを知ったら、厄介なことになる前に消そうとするのが普通じゃないかい?」
「ま、待ってよ。何であなたやその犯人は私がスザクを連れていることや、私がここにいることが分かったの? 根本的なことが分からない」
「それは多分だけど……」
ぼそり、と呟いた答えは、フィオレの耳にまでは届かなかった。
「え、なんて?」
「いや……そんな気がしたからだよ。勘と言ってもいい」
「答えになってないよ! 何でなの? ここまで言っておきながら、そこを言えないの?」
「言えない……言っちゃいけない、と言った方がいい。君が知るべき時じゃないんだ。少なくとも今は」
「そんな中途半端なの、そんなのないよ……ねえセルヴ、セルヴも何とか言いなさいよ」
言いながら弟の助けを求めたフィオレは、続きを言おうとして口を噤んだ。セルヴが激しい怒りと憎悪をあらわに、歯を食いしばっていた。その怒りは、恐らく獰猛な猛獣でも逃げ出すだろう迫力を秘め、フィオレは思わずぎくりと身を引き、やっとのことで上げかけた悲鳴を押し留めた。
「答えろ」
その口から、軋んだ声が漏れた。極限まで見開かれた眼に何が映っているのか、覗き込むのも躊躇われた。
「その腐ったゴミは……姉貴を狙っているその埃ほどの価値も無いゴミ虫は……一体誰だ」
それだけの怒りを見ても、リアルは眉ひとつ動かさなかった。何を言われても感情を見せなくなれば、リアルはまるで機械のように表情を消す。不気味だな、と場違いにも感じてしまう。
「それについては謝るしかない。分からないんだ。村にドラゴンが雪崩れ込んできたところからの記憶がなくてね……気付けば、瓦礫の山と化した村にひとり佇んでいた」
大きく舌打ちをしてから、セルヴはようやく転がった椅子を起こし、面倒くさそうに身を戻した。相変わらずその瞳は爛々と怒りに燃えているが、少なくともリアルの言葉を信じるには至ったらしい。しかしフィオレには、最後にひとつ、何が何でも確認せねばならないことがある。
「リアル、最後に確認させてほしい。あなたのその話、裏づけは取れるの?」
「僕の話が本当か否か……その証拠が欲しいということかな」
「そう。確かにスザクは私の言うことには素直に聞くし、私以外にも同じような人がいる、って言われても、理解は出来る。だけど、もし……軍人が追っているのが本当はあなたで、村を襲ったのが本当はあなたの仕業なのだとしたら。まだその可能性が残ってる」
「そうだな。お前は冤罪だと言ったが、俺たちにはお前の冤罪を確認する術が無い。逆に軍人がわざわざここまでお前を捜しに来てるってことは、お前が犯人だという確かな証拠を持った上で行動している可能性が極めて高い」
「それもそうだ。だけど僕にはそれを信じてくれ、というより他に道は無い。軍人が僕を追っているのは、僕が村唯一の生き残りだから。ただそれだけなんだよ」
話は終わった、とばかりに、リアルは沈黙した。そのリアルの表情を、セルヴはまじまじとみつめているだけだ。まるでリアルの顔に真実が暗号化されていて、それを何としてでも読み解いてみせる、とでも言うかのように。
一方フィオレはといえば、もう胸中でしっかりと意見を確立させていた。信じてくれ、と言われれば信じる。彼の冷たさの中の寂しさを何とかしたい。それに何より、同じ村の住人が全員殺され、悲しむ間もなく冤罪という汚名を着せられている。それでもなお、犯人を見つけ出すという強い覚悟を持っている。そんな人間を放っておくことなんて、フィオレには出来なかった。
「分かった。それじゃ、私たちはあなたに協力して犯人を見つけ出す。だからあなたは私たちの『火竜屋』の売り上げに貢献する。決まりね」
フィオレの一声に、セルヴはやれやれと溜め息をつきながらも、否定をするつもりはないようだった。もしフィオレが狙われているのなら、守り人はひとりでも多い方がいい、とでも考えているのだろう。
「ありがとう。感謝するよ」
「ただし、一つだけ条件があるの」
「何かな。売り上げの確証が欲しいということなら、正直応じかねるけど」
「違う。『火竜屋』は私のお店なんだから、それをあなたに求めるつもりは最初からないよ。そうじゃなくて……もし犯人を見つけても、その犯人を殺さないでほしい」
……残された僕は、そいつを殺すべくこの街にやってきた。
真実を語り始めてからずっと感情を見せなかったリアルが、その一節にだけ感情を見せた。分かりにくい、冷たさが更に増しただけの、ごくごく小さな変化。しかしフィオレはその変化に動揺した。
憎悪に恐れを抱いたわけではない。むしろ驚いたのだ。リアルが見せた一瞬の憎悪、それは犯人に対してではなく、リアル自身に向けられたように感じたから。
この人は、まだ何かを隠している。
だがフィオレはそれを聞くか考えた挙句、やめた。ここまで(恐らく)真実を語ったリアルが、それでも話すのをやめるような何か。そこまで深く、堅く閉ざした秘密を聞ける技術なんてないし、聞く権利も無い。それはリアルの問題だ。
それでもリアルには自分を憎むのはやめてほしい。多分、その憎しみの根源はそこにある。だからリアルから復讐宣言の時に憎悪が現れた。一体何故、何を憎んでいるのか、それはフィオレの聞けるものではないのだが。
やはり表情は変わらなかったが、ここにきて初めて返答に窮した。あまりにも予想外の条件だったから、と考えるのは安直すぎるだろうか。
答えないリアルの目の前に勢いよく右手を突き出し、フィオレはにっこり笑って、
「私はフィオレ。よろしくね、リアル!」
ゆっくりと、しかししっかりと握り返してくれたリアルの右手は、その空気とは対照的に温かかった。