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胸の高さほどの身長の弟に宥めすかされ、渋々店を「貸切」にして奥へと引っ込んだ大男を哀れみをもって見送ってから、フィオレは小さなテーブル席に落ち着いた。恐らく「閉店」の札を使わなかったあたり、後で貸し切り代金を請求するつもりなのだろうが、そこは先輩商売人の技術として見習うだけにしておくことにする。
フィオレの向かいにリアルが腰を下ろし、少ししてからセルヴがコーヒーカップを二つ持ってフィオレの隣に座る。
「あ、ありがとう」
礼を言ってカップを受け取ろうとするリアルを一瞥してから、セルヴは冷たく「自分で注ぎな、セルフサービスだ」とあしらう。しかしいくら記憶を思い起こしても、ポラーゼがセルフサービスという言葉を使ったかどうか思い出せない。
仕方なくリアルは伸ばした手を下ろし、気まずそうにキョロキョロと辺りを見回した。
「それじゃ……話してもらおうか、その複雑な事情というやつを」
「えーっと、まあそうですね。どこから話そうかな……」
「じゃ、質疑応答形式ね。あなた、路地で軍人に追われてたよね? あれはどうして?」
フィオレが単刀直入に尋ねると、リアルはうーん、と再び唸る。
「いきなりそこか……まあいいけど。僕はこのリャフルカの街から東の出身でね」
「東というと……ジャルク城の城下町か」
「いいや、ジャルクの都よりももっと東……ロゼルタの村っていう、小さな村だよ」
「ロゼルタ……だと? 本当か、それは」
セルヴの表情が厳しくなる。狩人として時には遠征もするセルヴなら知っていてもおかしくない。
「ロゼルタ? って、どんな所なの?」
対照的に接客経験のない何でも屋の店主は、街の外に出たことが無いどころか、外の話を聞いたことも無い。誰もが知っていて然るべきジャルクの都は知っているものの、他の街に至っては名前すら知らないところがほとんどだ。無論、小さな村たるロゼルタの村の名前を耳にしたことなど、あろうはずもない。
「ロゼルタの村は、一月前にドラゴンの群れに襲われて壊滅した村だ。表向きは野生ドラゴンの暴走ということになってはいるが、実際はどこかの馬鹿がドラゴンに売っちゃならない喧嘩を吹っかけ、そのとばっちりを食らった……もっと悪いもんだと、誰かが意図的にドラゴンの群れに村を襲わせた。そんな噂もある。まさかとは思うが、お前……」
そこまで説明してから、セルヴが一際厳しい目つきでリアルを見据える。とうのリアルはというと、落ち着き払った姿勢を保ちながらも、慌てた口調で否定した。
「違う、違うよ! 僕はドラゴンにちょっかいなんて出してない! だけどほら、冤罪ってやつ? 何処の誰かは分からないけど、僕がやった、みたいに言った奴がいるんだよ!」
「本当か?」
「ホントホント、誓って嘘は言ってません」
フィオレ同様リアルの行動に落ち着きを感じたからか、セルヴは黙って先を促した。
「だから僕は逃げてきたんだ。軍の連中、冤罪だって言ったって聞きやしないんだ。だから村からひたすら離れ、西へ西へと向かって……やっとこの街に辿り着いた、ってわけさ」
「ふん、どうだか」
リアルの説明を聞いても、セルヴは一笑に付しただけだった。
「せっかく考えを練った嘘に水を差して悪いがな……お前のその経歴には幾つかの矛盾点がある」
「矛盾?」
「そうだ。まず第一に、お前の今朝の行動だ。軍に追われている人間が、路上ライブなんて目立つ真似をするか? ここにいるから捕まえて下さい、って言ってるようなものだろうが」
「僕は路上ライブなんてやってない。あれは軍の連中が僕を誘い出す罠だったんだ」
「その嘘にも矛盾があるがな……それとさっきの矛盾にも繋がるが、軍はそんな回りくどい真似はしない。この国の人間なら誰でも軍の言うことは素直に聞くからな。さっさと指名手配でもすれば終わるだけだ。しかし俺はそんな指名手配は見たことが無い。知り合いに地元公安の奴がいるから、そんな指名手配があればすぐに分かる」
「ドラゴンに喧嘩を売るほどの奴を相手に、そんな堂々としたことをしたくないんじゃないかな。怒った犯人が同じことを繰り返さないとも限らない」
「軍は犯人が同じことをするなんて考えちゃいないさ。ドラゴンに喧嘩を売るなんて危険なことを何回もやってたら、命が幾つあっても足りないからな」
「確実にドラゴンを手懐け、村を襲わせる方法に軍が心当たりがあるとしたら……どうかな」
そこで初めて、セルヴは沈黙した。反論がない、というわけではない。悪用こそしていないものの、リアルの発言にセルヴに、そしてフィオレ自身に心当たりがあったからだ。
この人はもしかして知っている? 私がドラゴンを手懐け、店にドラゴンを置いていることを……?
そんなはずはない。あくまで噂に聞いた限りだが、「火竜屋」に客が来ないのは、店の中に本物そっくりのドラゴンの置物が気持ち悪い、或いは怖い、という理由だ。
つまり客の中にでもいるわけがない。その置物が実は本物のドラゴンだった、など。客含めスザクが本物のドラゴンだと知っているのは、フィオレとセルヴの二人だけのはずなのだ。
突然沈黙した二人の姉弟を交互に見やってから、リアルは静かに話を続けた。
「ごめんね、変なこと言って。嘘だよ嘘。ドラゴンを手懐けるなんてそんなこと、人間に出来るわけが無いからね。もし出来る人がいたとしたら、そいつはとっくに軍に利用され……」
ガタン! と大きな音が鳴り響き、リアルの言葉を掻き消した。セルヴが勢いよく立ち上がり、椅子が後方に吹っ飛んでいた。当のセルヴはというと、リアルの胸倉をつかみ、憤怒の形相で至近距離からリアルをギラギラと睨みつけている。
「それ以上続けてみろ……その知ったかぶった頭を消し飛ばすぞ」
「知ったかぶる? 一体何の話をしているのかな」
子どもであればドラゴンであろうと慄かせる狩人の逆鱗を間近に見ても、リアルの表情は一片たりとも変化を見せなかった。その瞳からは徐々に光が消え去り、冷たさが増していく。
あの時と、同じように。
「知ったかぶりなんかしていない。知っているさ。君のお姉さんがドラゴンを懐かせていることぐらい」