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ふたりが話をする為に選んだ場所は、造った人にすら忘れられているであろう寂れた鉄橋の上だった。話をするだけなら「ポポ」でもいいだろう、とフィオレは提案したのだが、あまり多くの人に聞かれたい話ではない、と却下されたのだ。
既に夕陽が傾き、街は茜色一色に染まりつつある時刻。今日街に繰り出したのは勿論買出しの為だが、結局買い物はおろか、何をするのかも決めていないときている。そろそろ戻らないとセルヴの堪忍袋の緒が切れるのではないか、と懸念されるが、今回ばかりはそれを心配することもなかった。それよりも目の前の謎の路上ライブ少年の言い出したことのほうが気になった。
「それで、何で私の店に居候なんてしたいの?」
フィオレが早速沈黙を破る。少年はそんなフィオレをちらりと一瞥だけしてから、にやりと笑って手を差し出しただけだった。
「……なに?」
「何って、握手に決まってるだろう? 手相見てくれなんて頼んだ覚えはないんだけど」
「握手って……だから何で?」
「これからしばらくお世話になるわけだからね。礼儀ってやつ?」
「居候の許可出した覚えないんだけど」
フィオレの冷静な突っ込みを無視し、少年はいきなりフィオレの右手を引っつかんだ。
「僕はリアルだ。よろしく、えーっと……」
「や、やめてよ!」
慌てて引き上げられた右手を引き戻す。いきなりのことに驚いたが、少年は屈託なく笑うだけだった。
「名前は何ていうの?」
「何であなたに名前を教える必要があるわけ? 大体あなた、何者なわけ?」
「何者って……酷いな、せっかく名乗ったんだから聞いといてくれよな。僕はリア……」
「名前じゃなくて! あなた、軍人に追われていたでしょ? 一体何で追われているの?」
「ああ……」
呟いてから、リアルと名乗った少年は居心地悪そうにポリポリと後頭部を掻いた。
「なんだ、気付かれてたのか……あいつら、見境なく追うんだもんな……」
ぶつぶつ呟いたかと思うと、んーーー、と唸りながら頭を抱えてしゃがみこむ。何かを熟考しているようだが、そんなに複雑な理由があって追われていたのだろうか。
「ねえ、何考えてるの?」
試しに聞いてみる。とても間抜けな質問だ、きっと説明の道筋を立てているんだ、などと返ってくるに違いない。そう考えながら尋ねると、
「いや……何を言ったら君が納得してくれるかな、って」
「堂々と嘘つきますよ宣言?」
「だってさ、本当の事を言ったって君は納得しないだろう? 僕だって嘘つきたくなんかないけど、生活がかかってるんだから考え込むさ」
もはや開き直っている。どう突っ込めばいいのかも考え付かず、フィオレは溜め息をひとつだけついてからくるりと背を向けた。
「それじゃ私、帰るから」
「ままま、待ってくれよ! 本当に生死のかかった一大事なんだって!」
「あのね、見ず知らずの人の生死にいちいち構ってたら、私の身がもたないの! 悪いけど自分で何とかしてくれる?」
「そんな、冷たくない?」
「そう感じて当然よ、冷たくしてるんだから」
正直に言うなら、連れて帰っても全然いい。ただ問題はセルヴとスザクだ。セルヴは軍人に追われている正体不明の路上ライブ少年を見ただけで顔をしかめるだろうし、スザクだってリアルを襲うに違いない。
「だったらさ、こうしないかい?」
なおも食らいつくリアルに、フィオレはとうとう怒鳴りつけようと向き直り……硬直した。
リアルの眼の奥の何かが、フィオレを正面から打ち据えていた。有無を言わせない、動くことすら許されない、そんな気持ちにさせる何か。フィオレの感情、思考、身体、全てを凍りつかせ、その場に留まらせて動かさないであろう、氷のような冷たさ。我知らず、フィオレは冷たい汗が背筋を伝うのを不気味に感じていた。
「まったく客が入らない君の店を、僕が何とかしてみよう。もちろん君にも手伝ってはもらうけど、それならいいんじゃないのかい?」
「な……何か策とかあるの?」
息も絶え絶えに尋ねるフィオレに、リアルはにかっと笑い、さっきまでの氷のような冷たさを感じさせない明るさを取り戻して答えた。
「なんとかなるって、きっと!」