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石の直撃を受けた少年が、よろよろと頭を押さえて膝を折る。無理もない。そこそこ大きな石が勢いよく飛んできたのだ。痛がらない方がどうかしている。
「いって……な、何なんだ一体」
「あ、ごめんなさい!」
慌てて謝りながら近付いたフィオレは、その少年がフィオレとさして歳が違わないことに気付いた。おまけにどこかで見た気のする少年だ。
「……まあいいや。急いでるから、今回は気にしないことにしよう。それじゃ!」
颯爽と片手を挙げて見せてから、少年はさっさと歩き始める。一方この少年の正体を記憶の中からまさぐっていたフィオレは、やっとのことで今朝の有蓋商店街の路上ライブを思い出す。
「あ、あなた! 今朝商店街で歌ってた人?」
ぎくりと背中を強張らせてから、少年は驚きの混じった表情で振り返る。
「み、見てたのか……?」
明らかに見られたくないものを見られてしまった、という顔である。しかし路上ライブをしている者が見られたくない、と言ったところで、どう反応したらいいのかいまいちよく分からない。
「うん、見てたよ。とても上手だった」
正直に興味がなかった、などとは言えないフィオレは、とりあえず褒めておくことにした。しかし少年は冷や汗を流し、視線は宙を彷徨っている。どう見ても対応に困っている。
「そ、そう……それじゃ僕はもう行くから。急いでるんだ……」
突然挙動不審になったかと思うと、そそくさと去っていく。不審者、という言葉が脳裏に浮かんだ。
「ま、いっか」
たった二度会っただけ、しかも一度に至ってはこちらが一方的に視認しただけの相手。必要以上に関わる必要はない。そうでなくても、フィオレには取り組まねばならない課題が山のように残っているのだ。
くるりと反転し、セルヴの元に戻ろうとすると、背後からバタバタと足音がした。少年が戻ってきた、のではない。足音は複数、それもかなりの数だ。
振り返り、足音の主を確認したフィオレは仰天した。
「え、う、嘘?」
そこにいたのは、亜麻色の鎧に身を包んだ男たちの集団だった。鎧は東の城の兵士たちの証だ。城を警備したり、犯罪者を取り締まる彼らが、何故、こんなところに。
するとフィオレの姿に気付いたらしい兵士のひとりが、フィオレに近付いてきた。
「このあたりで男の子を見かけなかったかい?」
さっきの少年を探していることは間違いない。兵士に追われているということは、何らかの犯罪を犯したのだろうか。思い出せば、終始挙動がおかしかったし、急いでいるように見えた。
だが、咄嗟に出てきた返答は、事実とは異なるものだった。
「見てないですよ」
「そうか……くそ、見失ったな。北を探すぞ!」
ガチャガチャと喧しい音を立てながら、兵士たちは少年が走り去った方角とは真逆の方向へと姿を消した。
残されたフィオレは、一気に疲労を感じてその場にへなへなと座り込んだ。
***
「いやいや、軍に嘘つくのはまずいでしょ」
呆れ口調でフィオレを見下ろしているのは、喫茶店「ポポ」の店主・ポラーゼだ。かつてはセルヴと一緒にドラゴン狩りをしていたが、足を負傷してからは冴えない喫茶店の主に落ちついた、隻眼の大男である。ただでさえ大きな身長差のせいでまともに目を見たこともないのに、こうしてカウンターに座れば、もはやポラーゼの鼻の穴しか見られない。
「だって本能がそう言うんだもん。仕方ないじゃん」
「あのな、軍がわざわざこんなところまで来るなんて珍しいことなの。そこらのコソ泥追うだけなら、普通なら地元公安の連中に任せるもんだ。それをわざわざ軍が追うってことは、そいつは余程何かをやらかしたんだ、きっと」
「でもでも、そんな危ない人が人目を引く路上ライブなんてする?」
「俺もそこが腑に落ちんのだが……まあ、無理に考えるなら軍への挑戦、ってことになるかな」
「そんなわけねー」
不機嫌さを思い切り出しながら、フィオレは大きな音を立ててコーヒーを啜った。
ポラーゼの店に来たのは、ただの気まぐれだ。本当ならセルヴのもとに戻るべきなのだろうが、そんな気分になれないのだから仕方がない。そんな気分のフィオレの前に「ポポ」があったのだから、これは店をこの場所に構えたポラーゼが悪い。ということにしておいている。
「それで、店はどうなわけ? 確か『火竜屋』とか言ったっけか?」
「あー、今はその話はなしなし」
今店の話なんかしたら、セルヴを思い出してしまう。戻るのが非常に億劫な今は、非常に困る。
しかしポラーゼは一度気にしたことはとことん気にし、一度考えることを放棄すればとことん忘れる。熱しやすく冷めやすいポラーゼの好奇心は、早くも謎の路上ライブ少年から「火竜屋」へと向けられた。
「その口調じゃ、面白くないことになっているのか」
「面白くないも何も……何も出来ないんだもん」
「何も出来ない? 店構えて何も出来ないとはどういうことだ?」
「だって……お客さんが誰も来ないんだもん」
「さすが、お前は思ってた以上にかわいそうな子だったわけだ」
「それ、もとからかわいそうって思ってた、ってこと?」
「んー、ま、そういうことだな」
「酷い……」
ポラーゼが何故フィオレをかわいそうと考えていたかについては思い当たる節があるにはあるが、思い出すのも嫌になる。
膨れ面でコーヒーを飲み終えたフィオレの背後で、来客を告げる扉の鐘の音が鳴り響いた。ポラーゼがいらっしゃい、と声をかける。
客はそそくさとフィオレの隣に座り、突然フィオレのほうに向き直る。誰かと振り向いたフィオレは、唖然とした。
「客の来ない店、うん、非常に都合がいい。しばらく厄介になってもいいかな?」
噂の謎めいた路上ライブ少年だった。