4
周囲が完全に暗闇に包まれた。そろそろいいか、と高を括り、リアルは突然方向を変えた。奇声を上げながらも、フィオレも何とかついてくる。
そう時間をかけることなく、二人は街道へと躍り出た。ジャルクの都とリャフルカの街を繋ぐ巨大な道だ。その道の真ん中まで走り抜けてから、ようやくリアルはくるりと反転した。若干遅れて来たスザクが、ピッタリとフィオレの横にくっつく。
「いいかいフィオレ、スザクから離れちゃいけないよ。僕が合図したら、東に逃げるんだ。すぐに小さな村があるから、入り口が見えたところでスザクを草むらに隠して、村に逃げて欲しい」
「リアルも一緒、だよね?」
軽く袖を引かれ、リアルは不覚にも返事に困ってしまった。
無論、いざとなったら自分の命を捨ててでもフィオレを守るつもりだ。もしフィオレが一緒に逃げようと言い出しても、自分は彼女の盾になろうと決めていた。それがリアルの意思であると同時に、彼の意思でもあるのだから。だがすぐ横で突然の事態に恐怖する少女を見たリアルは、こんな場面であるにも関わらず戸惑ってしまったのだった。
……こんな少女が、ドラゴンが目の前に現れないうちから恐怖に怯える女の子が、本当にシエラ様の意志の後継者なのか?
彼はそう信じていたし、彼の方がリアルよりもはるかに頭が良かった。だがこの時ばかりは、その彼の判断を疑ってしまう。
本当は別にシエラ様の後継者がいるのではないのか、と。
しかし彼女が本物であるという証拠が、すぐ横にいる。その意志なくば、ドラゴンを手懐けることなど不可能だ。ましてや奴にも制御の出来なかった凶暴なドラゴン・火竜を。
「ああ……一緒だよ」
迷ったリアルは、それでもすぐにそう答えた。事実はどうあれ、彼女は今は恐怖に慄くひとりの女の子なのだ。シエラ様の後継者だろうと赤の他人だろうと、リアルには彼女を守る義務がある。
そしてそれは、ゆっくりと姿を現した。
身の丈は4メートルほど。草原の背丈は決して低くは無いが、その草が玩具のように感じる大きさだ。脚を折って隠れていたのだろう。
身体は毒々しい濃い紫色。爛々と光る黄色い双眸は、明らかに獲物を見つけて狂喜している。傷口のようにパックリと開かれた口からは絶えず唾液が滴り、垂れた唾液が地面を抉るように溶かしていく。
間違いない。夜行性ドラゴンの中でも最悪のドラゴンに属される、毒竜だ。
獲物を見つけると猛毒である唾液を飛ばし、触れた者はすぐに動けなくなる。致死性は低いが、動けなくなれば最後、毒竜に食い殺される。毒による生き死には問題ではない。
爪、牙、唾液と様々なところに毒が含まれている為、掠めただけでも致命傷だ。遠距離攻撃をしてくるドラゴンはそう多くないが、毒竜はその中でも最悪の部類に属されるだろう。
「フィオレ……逃げろ」
命令するリアルの声が、知らず知らずのうちに掠れていた。
「え?」
「早く逃げるんだ。こいつ相手に、君を庇いながら戦う自信がない。僕は置いて、逃げるんだ」
「嫌」
恐怖に脚が震えているのにも関わらず、フィオレは凛と拒否した。
「だってさっき言ったじゃない。逃げるなら一緒だよ、って」
刹那、リアルは直前の自分の言動を後悔した。やはり彼女はシエラ様の後継者だ。少なくとも、理不尽に頑固なところはそっくりだ。
「分かった……それじゃ、その草むらにでも隠れておいて。何とか倒してみるから」
頷いたフィオレがそろそろと草陰に入ったのを確認してから、リアルはポーチから己の得物を取り出した。括られているゴムをはずし、その柄を丁寧に、かつ素早く繋いでいく。最後に先端の袋を取り去れば、柄に対して極度に小さな、しかし鋭い刃物が姿を現した。
彼は様々な分野で専門家クラスの達人だった。リアルは何年も一緒に過ごしてきたが、彼よりも極めたものはそう多くない。そのうちの一つがこの武器……槍だ。
「……行くよ」
リアルの小さな声に反応し、毒竜が雄叫びを上げた。同時に逞しい筋肉に覆われた四肢がぐっと縮み、一気に飛び掛る。
舐められてるな、とリアルは感じた。毒竜の最大の武器は毒性の高い唾液だが、その量には限りがある。そして使えば使うほど毒性は弱まり、再び体内で毒を生成する必要がある。つまりこの毒竜は、武器である毒をなるべく温存しようと考えているのだ。
毒竜が飛び掛るよりも一瞬早く、リアルは横っ飛びに飛んでいた。しなやかな四肢を最大限に使った跳躍攻撃の速度は圧巻だったが、その爪は地面に穴を穿つだけに終わる。その脇に着地したリアルは即座に槍を横払いに一閃。小さいが切れ味を最大にまで研ぎ澄まされた刃の一撃は、いとも簡単に毒竜の前肢を切り裂いた。
大きな悲鳴を上げた毒竜だったが、たかが槍の一撃で倒れるドラゴンなどそうはいない。すぐにぎろりとリアルを睨み、その口から何の前触れもなく毒が吐き出された。
毒竜による毒攻撃の面倒なところは、直前動作が極端に短い。というより、ほぼない。そしてその精密度は驚嘆に値する。その狩りの方法から、毒竜は「ドラゴン界のテッポウオ」などとあまり聞き栄えの良くない通称をさらったのだ。
しかし既にそこに、リアルはいない。予備動作のない攻撃を知っているリアルが、いつまでもじっとしているわけが無い。その頃には毒竜の背後に回り、鋭く、浅い一突きを与える。再度、毒竜がむせび泣いた。
いかに研いだ刃の一突きでも、ドラゴンを倒すことは不可能だ。それでも浅い攻撃を繰り返す。目的はドラゴンを倒すことではない。毒竜を撃退することにあるのだ。その為には毒竜に小さなダメージを与え続け、諦めさせるよりほかに無い。
だが思ったよりも毒竜は粘った。何度突かれても、その黄色い眼球に諦めの色が浮かばない。
長期戦になるな、とリアルは覚悟した。