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夜が明けたリャフルカの街の街門に、ふたりは肩を並べていた。
これから初仕事、向かうが先は東の地・ジャルクの都。だというのに、何故だかフィオレの顔は曇り空。いつ雨が降ってもおかしくない、と思わされる。
「どうしたんだい、フィオレ。もしかして眠いのかい」
ここで眠いのだ、と返ってきても、正直に言うと当然だ、と思う。なんせ今は午前3時。まだ街は眠りの中にあり、空を見上げれば満点の、とは言えないまでも星空が広がっている。本来ならまだ眠っていてもおかしくない時間帯だ。そしてこの時間に出るには、理由がある。
「眠いとしても、我慢してもらうしかないよ。なんたってこの時間じゃないと彼は連れ出せないし、彼の力は十中八九必要になるんだから」
眠そうに眼をこするフィオレの隣にいるのは、火竜スザクだ。人目につかないようにスザクと旅立つには、どうしてもまだ街全体が寝ている時間に出立するしかない。そして今回の目的であるミントがジャルクの都にいるとは限らない以上、安全の確立されていない街の外を歩き回る可能性すら有り得るのだ。ドラゴンと戦ったことのない二人が出るには、明らかに危険すぎる行為だ。戦力になるかどうかは謎ではあっても、スザクを連れて行く必要が必ずあった。
「ん、それは分かってる……そうじゃなくて、結局セルヴが帰ってこなかったな、って思って」
なるほど、確かに心配だ。しかし日が暮れた時点で、セルヴが日にちの変わらぬうちに帰ってくる可能性を捨て去るべきだったのはどうしようもない事実だ。今はセルヴの無事を祈るしかない。
「セルヴさんなら大丈夫だよ。とにかく今は早く出て、少しでも早くミントさんを見つけ出そう」
リアルなりに翻訳をしてはいるが、直訳をすると、さっさと面倒ごとを片付けよう、ということになるのだが、幸いフィオレにはそれを読解するだけの技術は持ち合わせていなかった。
「そうだね、街の外に出るなんてセルヴが知ったら怒るだけだし、セルヴよりも先に帰ってこないとね!」
どう考えても片道2日はかかる。不可能だ。
***
転寝をしている門番を起こさぬように外に出た二人は、そのまま東へ東へと歩を進めた。途中、何度か夜行性の草食ドラゴンを見かけるが、皆一様にふたりが近付くと離れていく。当然だ。街を出てすぐに一般には知られていない……恐らく狩人すら知らないであろう、アンドラの果実スプレーをしているのだから。
しかし気付かれぬようにそれを振った為に、フィオレはどうやら気付いていない。また離れていく夜行性の林竜を眺めながら不思議そうに呟いている。
「どうしてドラゴンが寄ってこないのかな」
「多分スザクが怖いんだよ」
「そっか……あれ、どうしたのスザク」
野生ではないとはいえ、スザクとてドラゴンの一匹だ。アンドラの香りが鼻につくのだろう。明らかに煙たそうに、リアルからなるべく距離を置いてついてくる。
それにしても……。歩きながら、リアルはボンヤリと考えた。
フィオレがドラゴンを手懐けている、とは「ある筋」から聞いてはいたが、まさかそれが火竜だとは思わなかった。火竜は数が少なく、人を見つけ次第襲ってくるような獰猛な性格もしていない。ただ数が少ない、希少種だというのが最近までの見解だった。しかしその希少性ゆえに進んでいなかった研究が進んだ結果、実は火竜はとてつもなく凶暴なのではないか、という火竜凶暴説が有力になりつつある。当然ドラゴンを手懐けるにしても難しいのは想像に難くない。
「そういえばジャルクの都まではどれぐらいかかるのかな」
後ろでフィオレが疲れた声を出す。まだ出発してから2時間と経っていないというのに、まさかもう疲れたのだろうか。
「2日はかかると思うよ。ドラゴンを連れているから行商とかの多い場所は避けなきゃいけないし、もしかしたらもっとかかるかもしれないね」
「そ、そんなに? 何のためにお店の改築したのよ、もう」
「接客の為に決まってるじゃないか」
「確かに昨日は助かったけど……ちょ、ちょっと待って。2日もかかるんじゃ、セルヴが絶対先に帰ってきちゃうんじゃないの?」
「まあ、普通に考えればそうなるね」
「はあ、帰ったら絶対怒られる……リアルに罪を擦り付けてやる……」
「溜め息混じりに嫌なこと言わないでくれるかい」
太陽が顔を覗かせ、やっとのことでリアルはほっと肩の力を抜いた。これで夜行性ドラゴンの危険性は粗方なくなったと思っていい。昼は昼でドラゴンが出没するが、危険性の面で言うなら視界の悪い夜の方が歩が悪いのは間違いない。あとは行商たちを気にすればいいだけだ。
「……リアル。前の方から、誰かが来る」
フィオレの口調に緊迫感が差し込まれ、リアルは吐いたばかりの空気を吸い込んだ。一難さってまた一難、などというものでもない。
「数は?」
「えっと……20、以上かな……多いよ」
よく見える。昨夜話し合っていて知ったことだが、フィオレは抜群に視力と聴力がいいらしい。その反面というべきか、味覚と嗅覚はさっぱりだという。アンドラの香りに気付かないことにしても、フィオレの言うことが事実なのだと分かる。
「きっと行商の集団だね。ついさっきまで近くの村で日が昇るのを待っていた、ってところかな。とにかく隠れて、やり過ごそう」
フィオレが緊迫の面持ちで頷き、二人はいそいそと近くの茂みへと身を隠した。少し遅れて茂みに入ってきたスザクが、フィオレの隣で丸くなる。
スザクのこともあるが、リアルにはもう一つ、行商たちに見つかりたくない理由があった。
一応、今は自分は追われている身だ。まさか行商たちが自分の顔を知っている、などということはないだろう。厄介なのはその行商の護衛をしている軍人、公安、そして狩人だ。一体自分の情報がどれほど出回っているのかは定かではないが、当然誰にも見られないに越したことは無い。
息をするのも忘れてしまいそうな緊張の中、行商の集団は二人の目の前を通過するだけに終わった。もうすぐ彼らの目的地であるリャフルカの街だけあって、彼らの足取りは軽い。
ようやく集団の影も見えなくなってから、フィオレは長く重たい溜め息を吐いてから、辟易と呟いた。
「これ、疲れる……」
まったくもって同感だった。