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「帰ってこないね、セルヴ……」
フィオレの声に、ぐったりと床に臥していたリアルが面倒そうにちらりと顔を上げた。その顔は不満一色である。
当然だろう。今日一日、リアルはフィオレの雑用に付き合わされ、店中のリフォームにこき使われたのだ。いくらか注文を出したとはいえ、その使いっぷりは尋常ではなかった。今日だけで一体何回死を覚悟したことか。
しかしリアルの決死の努力も実ったのか、店はたった一日で見違えるように様変わりしてた。埃は全て取り払われ、寂れた置物は姿を消し、隅で根気良く獲物を待っていた蜘蛛の巣も消滅している。ドラゴンがいることを除いても、何故この店に客がやってこなかったのか、リアルはよく理解できた。
時刻は既に午後5時半。陽も沈みかけ、街は夕刻の朱色で真っ赤に染まっている。程なく日が暮れると、あたりは暗闇と静寂に覆われ、夜がやってくるだろう。
それなのにセルヴが帰ってこない。街の外で夜行性ドラゴンが闊歩し始めるのも時間の問題だ。そうなるともはや帰ってくるのは絶望的になるだろう。今までも遠征と称して泊りがけで狩りに出かけることは何度もあったが、そんなときは決まって計画的なものであり、事前にフィオレに泊りがけになることを伝えていたらしい。今日は初めて、それがない。
「狩りに手こずりでもしたんじゃないかな。今頃どこかで宿を取っているはずだよ」
半ば投げやりにコメントしてから、ふとフィオレを見上げる。フィオレは驚愕を臆面もなく顔に貼り付け、リアルを見下ろしていた。
「な、なに?」
「意外。あなたがそんな優しいことを言うなんて」
「随分失礼な物言いだな。そんなに優しくないように見られてたわけ?」
「優しくないというか……傍若無人? 人が傷つくことをずばずば言って平気な顔してる、そんな人だと思ってた」
「うーん、酷評」
どうも自分はいい方に見られることがないらしい。正直言って心外ではあるが、これが客観的な評価なのだから何もいえない。
「そんなことより、お腹空いちゃったな。ご飯作る時間なくなっちゃったし、どこか食べに行こうか?」
「なくなっちゃったって……人に命令してるだけだったフィオレが言えることじゃ……ぐはっ!」
「さ、早く行って早く食べて、早く帰って早く寝よう!」
人の鳩尾を蹴り上げたその足で、フィオレは意気揚々と店を出る。傍若無人は一体どちらなのか。
「ま、待ってよフィオレ、僕はまだこの街に詳しくないんだから!」
言いながらフィオレを追って店を出たリアルだったが、すぐに足を止めることになる。
先に店を出たフィオレの目の前に立った、ひとりの所在なさげに佇むメガネの青年が原因だった。
「ここ、いわゆる何でも屋だと聞いたのですが……もしかしてもう営業時間終わっちゃいました?」
散々こき使われた挙句に残業なんて真っ平御免。即座に断ろうとしたリアルよりも早く、フィオレが大きく扉を開け、満面の笑みを浮かべ。
「ようこそ、いらっしゃいませ!」
別宅で居候を考えたほうがいいかもしれない。
***
結局予想通りこき使われ、リアルが出した薄いお茶を一口つけてから、メガネ青年はゆっくりと話を始めた。
「ミントを探してほしいんです」
「………………」
明らかにフィオレはどう反応しようか迷っている。しかしこの場面で取るべき選択肢、聞くべきことは一つしかないだろう。初めての客相手に勝手が分からず困る気持ちは分からなくもないが、最低限聞くべきことがあるだろう。
「そのミント、というのは何なのでしょうか?」
フィオレの後ろ、座る場所も与えられなかったリアルが尋ねると、フィオレがいきなり睨んできた。なぜ睨む。
「失礼しました。ミントは女性です。僕の恋人なんです」
なるほど、面倒そうだ。ミントが物ならあまり難しくはないが、人だと面倒極まりない。なんせ人は移動する。
「恋人さん……ミントさんに、何かあったのでしょうか?」
今度はフィオレが尋ねる。手順がわかった、というより、ただの好奇心なのだろう。
「それが、分からないんです。何故ミントが出て行ってしまったのか……」
「そうですか……。ミントさんが行きそうなところに心当たりはあるのでしょうか?」
「はい。ミントはもともとリャフルカの街ではなく、ジャルクの都の出身なんです」
「つまり一度帰ってしまったのでは、と思うわけですね。でもそれなら、わざわざここまで我々に頼みに来る理由がないですよね。ジャルクの都は広いけど、その彼女さんが行く心当たりとしては実家と考えるのが妥当だと思いますが」
意見を口にした途端、前に座るフィオレからの冷たい視線。意見はするなということか。しかしリアルは改装業者ではない。
「そうなんですが……実家の方に手紙を送っても『帰ってない』と」
「手紙? す、すみませんがミントさんが家を出たのはいつの話ですか?」
「一週間ほど前です。だからとても不安なんです。もしかしたらジャルクの都にすら着かないままに何かあったのではないか、と……」
普通に考えればドラゴンに襲われて、もう生きてはいない。しかし悲壮感漂うだけの可能性に考えを馳せるにはまだ早い。もしかしたらメガネ青年に嫌気を刺したミントが実家に立てこもり、親が怒って偽りの返信をしたのかもしれない。或いはジャルクの都、ないしはリャフルカの街の友人宅にでも泊まっているのかも知れない。
「この街の心当たりは全て当たったのですが、残念ながら手がかりすらありませんでした。ジャルクの都に行った、と僕は考えています。しかし仕事もありますし、僕はこの街から出られない。お願いします。ミントを捜して頂けませんか」
端折りに端折られた説明がようやく完結した。そしてこれからもっと大変そうな仕事が始まりそうな予感がする。その不安を更に上書きするように、フィオレがトンと胸を叩いて自信満々に宣言した。
「任せてください、必ずミントさんを見つけ出しますので!」