4
音に導かれるままに走ったセルヴは、思わず舌打ちを鳴らしていた。音源は樹海の向こう側から聞こえていた。
どうする……一度戻り、仲間たちにこの状況を知らせるか。悲鳴の主は聞いた限りひとり。単独行動は狩人の中ではご法度。樹海で襲われているのが誰なのかはわからないが、もし狩人でなければ先ず間違いなく助からない。
一般人がこんなところにいるわけがない、と考えるのが妥当だ。襲われているのが誰であれ、狩人ならば自己責任で何とかする。だが、しかし。
何故自分がこんなにも悩むのか、それすらも分からなかった。俺はこんなに優柔不断だったか?
「くそったれ……どうとでもなれ!」
せめて自分が樹海に入った、という証の代わりとして、セルヴは水汲みの竹筒をその場に置くと、樹海の中へと突進した。
***
樹海の中は驚くほど暗かった。以前入ったのがいつだったのかは忘れてしまったが、こんなに暗かっただろうか。夜行性ドラゴンが出てきてもおかしくない暗さだ。
足元を確認するのも困難な中、セルヴはひたすら疾走を続けた。悲鳴はまだ時折聞こえる。どうやら走っているようだ。
そして見つけた。巨大な音竜の黒い背中が、不器用に揺れている。その先にいるはずの悲鳴の主は見えないが、最初の悲鳴からかなり時間が経っている。もう体力はほぼないはずだ。
猶予は無い、と直感したセルヴは、咄嗟に足元の石を拾い上げ、その背中めがけて投げつけた。
石は頭部に直撃した。巨躯を誇るドラゴンにとって、石ころなど蚊に刺された程度の痛みも感じないはずだ。が、ドラゴンは明らかに怒りの雄叫びを上げながら振り向き、その全身をもって威嚇行動に出た。
音竜は広義の翼竜族に属する。漆黒の翼は広げれば8メートルにも達し、醜い嘴は真っ白。嘴の下部には音源となる音袋があり、ここから発する奇怪な音で対象の三半規管を攻撃し、平衡感覚を狂わせる。獲物の魚に対してではなく、天敵となる肉力ドラゴンの為に特化した、珍しいドラゴンだ。
さっと辺りを見回すが、音竜は一体のみ。他にももう一体いるはずだが、幸か不幸か見当たらない。
「うし、まずてめえをぶっ倒す。そうすりゃもう一体もすぐに出て来んだろ」
セルヴの悠々たる宣戦布告を理解したわけでもないだろうが、音竜は大きく音袋を膨らませた。
音の攻撃は、どうあっても防げない。しかし防御不可能の攻撃とはいえ、必ず弱点が存在する。音竜は音袋を膨らませてから音を出すまで、若干ではあるが時間がかかる。そしてその間、音竜は完全に無防備状態。
相手が何もしてこないと分かっているからこそ、セルヴは一直線に音竜に急速接近し、斧を鋭く音袋に叩きつけた。
吐き出す前の未完成の音が暴発し、静寂の森に響き渡った。未完成とはいっても、これだけの至近距離でこの音量。少しクラクラするが、大きな問題ではない。
「よしっ」
続いて逃げ出さぬようにと、右翼に斧で切れ込みを入れる。今の悲鳴を聞きつけたもう一体が、すぐにでも駆けつけて……、いや、翔けつけてくるはずだ。その前に片付けておかないと、さすがにキツイ。
「どぉぉぉらぁぁぁっっ!」
チームメンバーがいないのをいいことに、音竜にも負けない珍妙な掛け声と共に斧を大きく振り回す。音竜の翼の一撃と激突し、音竜のほうがよろよろとよろける。が、遠心力を味方につけた斧の一撃は、その程度では終わらない。
一回転してきた斧が、音竜の背中を強打した。たまらず音竜が再度悲鳴を上げるが、今度は耳障りな奇怪音ではなく、弱々しい断末魔のようだった。
「まず一匹……! ぐっ!?」
仕上げに背中に斧を付きたてたセルヴだったが、背後からの強烈な音に立ちくらみにも似た感覚を覚えた。どうやら仲間が倒れたのを見た敵の援軍による攻撃だ。
視界がぼやける。頭をハンマーか何かで殴られているかのような、言葉に出来ない不快感。しかしそんな朦朧とした視界でも、飛来してくる音竜たちはぼんやりと確認出来た……。音竜、たち?
ばさばさと羽音を響かせ、音竜たちが高度を下げてくる。その数、4頭。
つまり倒した音竜含め、ドラゴンは5体いた計算だ。
「くそ……協会め、帰ったらしばいてやる……!」
立っているのもやっとのことだが、それでもセルヴは斧を握りなおした。
せめてあいつらが来てくれるのを信じて、堪えるしかない。