第2章 ①
「退学……だな」
「退学……よねえ」
あの後、速やかに理事長室に呼び出されたルクレチアは、巌のような女装理事長・アベルと、毒花のように刺々しい変態校長・グレイテルの二人からほぼ同時に宣告された。
こういう時だけ、馬が合うのだ。この二人は……。
しかし、返す言葉もなく、ルクレチアは無言で頭を下げるだけだった。
「校則違反は重罰に処さなければ……ね。他の生徒に示しがつかないわ」
もっともらしく、グレイテルが言い放ち、それを引き継ぐように、アベルがわめいた。
「退学だけでは生温い。八つ裂きだ。地獄の底まで私の火で焼きつくしてくれる。私の可愛いナユタを、お前というヤツは、あろうことか、押し倒した挙句、唇まで奪うなんて!」
アベルは熱血すると、言葉遣いが男に戻り、粗野になる。
それにしたって何という、いい加減な誤解をしているのだろう。
「私は奪ってなんていません。大声を出されると困るので、塞いだまでです」
「塞いだ……だと?」
「あっ。いや、あくまでも手で塞いだだけですよ」
「お前のその手がナユタの可愛い唇に触れたというわけか……」
結局、焼石に水だった。
座っていた椅子を蹴っ飛ばしたアベルは、机上に仁王立ちになった。
「どうして、ナユタの唇を塞ぐようなことをしでかしたんだ! 欲求不満倍増ガキがっ!」
「欲求不満で彼女を襲ったわけじゃありません。あくまで、その……」
ちらりと、ルクレチアは少年を見遣ったが、本当のことを口に出来ずに言葉を濁す。
「まあ……何となく、成り行きで……」
「成り行きだと? じゃあ、襲ったことは、認めるんだな!? この暴行魔が!」
「暴行とは人聞きの悪い。くそっ。お前など一度死ねばいいんだ! 私が直々に葬って差し上げますよ。女装変態教師め」
もう我慢ならないと、ルクレチアは髪の毛を一本抜き、灰色の杖を空間から呼び出した。
「はっ。望むところだ。女の敵。婦女暴行魔め。いっそ殺してやるっ!」
その時にはもう、拳に炎を宿したアベルは、迎え討とうと身構えていた。
「まったく、二人共、分かりやすくて面白いんだから」
「焚き付けたのは、お前じゃないか。グレイテル」
「…………えっ?」
その子供らしからぬ言葉遣いに、ルクレチアは我に返った。
扉に寄りかかっていた気だるげな少年と目が合う。とたんに……。
「いい加減にしろよ。バカ」
怒鳴られた。幼い声音なのに、凛とした口調は刃のようである。
ただならぬ少年の眼光を前に、ルクレチアはもとより、アベルまでも矛を収めた。この部屋にいる四人の中で、誰よりも年少であるにも関わらず、話の主導権を握っているのは少年なのだ。奇妙な話だ。
「で? アベル。やはり、ナユタは、男……が駄目なんだな?」
突然話を振られて、アベルは暫時、返答に困っていたが、やがてがくりと頭を垂れた。
「ああ。そうだ。方々の医者に診せたが駄目だった。ナユタは兄の私ですら受け付けない」
「そうか」
訳知り顔の少年に、ルクレチアも気になることを口にした。
「そういえば、理事長とナユタさんは、血の繋がりがないんでしたよね?」
「おい。また盗み聞きをしたのか。ルクレチア」
「聞かれる方が悪いんです」
不敵に言い返すと、アベルは眉間に皺を寄せたが、それ以上、責めることはなかった。
「私とナユタはなあ、血の繋がりがなくとも、絆は深いのだ。ナユタのことを治してやりたいって、私が女の姿なら、警戒もしないんじゃないかって、色々と思い悩んできたんだ」
「……て、まさか、それで女装学校を作ったわけじゃないですよね!?」
理事長机をばんと叩いて、ルクレチアは身を乗り出した。
(いくらなんでも、この男とて、そこまで堕ちてはいないだろう……)
――が、アベルは真顔で、尚且つ即答だった。
「それ以外に、何があるというんだ?」
「…………バッ……カ……理事長」
ルクレチアは、嗤いながら同時に泣きそうになった。
この男が妹を溺愛するために作った学校で、自分たちは必死で女装しているのか?
こんな男のために、男の面子も容姿も捨てて、女磨きに専念していたというのか?
(あっ、だから……か)
ナユタは最初から、気づいていたのだ。アベルが自分のために、女装していたのではないか……と。彼女もまた血の繋がらない兄を憂いていたのだろう。
自分の恋のため、体質改善の方法を探しに、兄を訪ねてきたら、兄がこんなことになっていて、尚且つ、校長からは転入しろと言われるし、困惑していた……と。
なるほど。レイチェルの言う通りだった。彼女の気持ちも行動も一本筋が通っていて、理解できる。けれども、何でだろう。ルクレチアの心は、晴れなかった。
(恋した男に触れたいために、あの子は、こんな辺境の島まで来たっていうのか?)
やっぱりそうだったのかと、考えれば考えるほど、苛々してくる。
「妹を想うなら、こんな学校潰して、彼女の傍にいてやれば良いんじゃないですか?」
「残念ながら、そういうわけにもいかないんだ。実家も安全ではないようだからな」
アベルは熊のような顔を更に凶悪にして、腕を組んだ。
どうやら、アベルもまた、法術師協会が自分のことを調べていることには気づいているらしい。
――ということは、ナユタの恋している相手の素性も、当然知っているのだろう。
「まっ、とりあえず!」
グレイテルが場違いに、高い声を張り上げた。
「ここは一応、女子校な訳だし、荒行だけど、ナユタちゃんの体質改善に役立つと思うの」
「だから、校長。ここは、彼女の体質改善のための場所じゃないですよ……」
げっそりするルクレチアと同じく、アベルが溜息を落とす。
「グレイ。お前まだ、こんな獣の群れの中に、可愛いナユタを放り込もうとしているのか?」
「だって、ルクレチアの女装は、ナユタちゃん、大丈夫なのよ。つまり、女装の男には、触れない限り、発作を起こさないってことなんでしょ? だったら、完璧に術を使いこなせるように、ここは生徒たちの腕の見せどころってことよ。違う?」
「だからな。そんな真似してナユタが死んだら、どうしてくれるんだ? 「ナユタが発作を起こした。お前は未熟者だ」って、生徒を叱る程度じゃ、話は済まないんだぞ!」
(ああ、無駄に白熱している。二人の仲は相変わらずだな)
仲が良いのか、悪いのかさっぱり分からない。だけど、彼らの喧嘩の中心は、あくまで「ナユタ」だ。他はどうでも良いらしい。
――理不尽だ。
唇を噛みしめるルクレチアを、グレイテルが背後から抱きしめた。
「あらあら、不満げな顔しているじゃない。欲求不満坊や」
「き、気持ち悪……」
「何ですって?」
更に、無駄に豊満な胸を押しつけられて、ルクレチアは思わず仰け反り青ざめた。しかし、グレイテルはルクレチアの嫌悪感を平然と受け流し、視線を小さな少年に向けていた。
「彼はリュイ殿。貴方、この子が気になって仕方なかったんでしょう?」
「…………リュ……イ?」
その名前は、ヒースクラウト人では聞かない珍しいものだ。
(やっぱり、こいつもトゥール人じゃないか?)
聞き返そうとしたルクレチアだったが、今回も間髪入れず、グレイテルが話を進めた。
「ルクレチアちゃんは、そこの理事長殿に個人的な恨みがあるだけで、リュイ殿の部屋で何か理事長の弱みになりそうなものをと、あさっていただけよね。……で、たまたまナユタちゃんと遭遇してしまった……と?」
「ああ。はい。少しばかりの嫌がらせを企んではいただけです。他意はありません」
「他意のない嫌がらせは、聞いたことがないがな……」
アベルが不気味に口角を上げ、嗤いだした。ルクレチアも負けじと言い返した。
「分かりました。これからは悪意も込めることにします」
それを、淡々とリュイ、グレイテルが眺めている。
「傍から見ると、本当にバカだな」
「そうかしら? こんなに楽しい二人組は、なかなかいないと思うわよ。ルクレチアのしたことだって、若気の至りでしょ。人生一度の過ちくらい見逃してあげるのもいいわよね」
「グレイ!? 何を馬鹿なことを言っているんだ」
雷のような怒声を轟かせるアベルに対等な鋭い視線をグレイテルは送る。
「アベル。貴方だって分かってるでしょ。このままでは駄目なの。策を講じなければ……」
「それは、その……」
小声で文句を言っているアベルを無視し、グレイテルは、ルクレチアの顎を持ち上げた。
「そういうことだから。ね? 盗み聞きと潜入が得意な情報通のルクレチアちゃん。今まで貴方を泳がせてあげていたよしみで、お互いに情報開示してみない?」
「貴方たちは、私のことを信じるんですか?」
ここにいる三人の意図がさっぱり読めない。むしろ、全員考えていることが違いそうだ。
「信じる、信じない? それは、貴方次第でしょ。こちらが操っているのか、あちらが操っているのか、それとも、貴方が私たちを操りたいのか。一体、どれが正しいのかしらね?」
「全部お見通しってことですか。確かに、その少年の部屋に強固な結界を張って、術を無効化させるくらいですしね。グレイテル先生は私が侵入することも分かってたんでしょ?」
「私が? リュイ殿の部屋に結界を張ったって?」
「違うのですか?」
「さあ、どうかしら?」
不敵な微笑を返されて、ルクレチアはたじろいだ。やはり、食えない。
――仕方ない。 最初から、ルクレチアは負けているのだから……。
「……条件は?」
「ふふっ。察しが良い子ね。怖いくらいに。…………協・会・の・間・者・さ・ん」
グレイテルは柔和な口調に毒を塗り込めつつ、ルクレチアの想像していたことを話した。