第2章 序
――それは、半年前のことだった。
ナユタは、近所の山道を散策中に、遭難者を見つけた。
バーランド家の敷地は広大で、そのほとんどは山野だ。
鬱蒼とした山の中腹に屋敷が築かれているので、そこに至るまでに、大抵の訪問者は迷ってしまう。
この青年も、同じ道を十周していた。このままでは陽のあるうちに、下山出来なくなってしまうだろう。
普段であれば、ナユタは必ず屋敷に戻って、給仕長に対応してもらうようにしていた。相手が男だった場合は尚更だ。
――でも。
「大丈夫ですか?」
ナユタは勇気を振り絞って、声をかけた。
この青年は新しい郵便配達員だ。よれよれの濃緑の背広には見覚えがあった。 昨日、退職する配達員と二人で屋敷に手紙を届けに来たのを、ナユタは窓越しに確認している。怪しい人ではないのだ。
「あっ、バーランド宛ての手紙ですよね? 私でよければ、受け取っておきましょうか?」
善意からの申し出だったが、青年は横道から突如現れたナユタを呆然と眺めていた。
「ちなみに、貴方、誰ですか?」
「あっ」
一番肝心なことを忘れていた。ナユタは、慌てて名乗った。
「私はバーランド家の者です。屋敷は山奥だし、ここからは結構あるんです。……だから」
「ああ。貴方がナユタ様。バーランド家のお嬢様ですか。大変失礼しました」
青年はナユタの言葉を遮って、脱帽して頭を下げた。
「お嬢様自ら届けて下さるなんて、滅相もないです。次から道に迷わないよう、注意しますから。……その、屋敷まで案内して頂けませんか?」
「……えっと」
そこで、ようやく、ナユタは後悔したのだ。やはり、給仕長に頼るべきだったのだ。
――ナユタは、極度の男性過敏症なのである。
男性に触れるだけで、呼吸困難をおこし、果ては酸欠で失神してしまうのだ。
長い時間、彼の傍にいるのは危険だ。屋敷に連れて行くのは容易いが、万が一でも、この体質が露呈してしまうことが怖かった。
ナユタはすぐにその場から逃げようとしたのに、数瞬、出遅れてしまったらしい。
いつの間にか青年が顔を上げていた。
目前に青年の中性的な顔立ちがあった。
綺麗な灰色の瞳と、癖のある橙色の髪。魅力的な容姿をしていた。
だが、ナユタは外見よりも彼の持つ雰囲気に惹かれた。
……遠い昔、どこかで会ったような親近感が彼にはあったのだ。