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乙女の花園  作者: 森戸玲有
第1章
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第1章 ③

 ―――夕暮れの橙が完全に闇に溶けた頃……。


「さて……」


 ルクレチアは、腕まくりをして、教職員寮の裏手に回り込んでいた。

 教職員寮は平屋建てだ。部屋数は多くないが、内部はグレイテルの趣味で、南国の観光地風に装飾されているのは知っていた。すでに、ルクレチアは入学してから、何度もここには来ている。教職員寮への教職員関係者以外の立ち入りは固く禁じられていたが、要はバレなければ良いのだ。もとより、教職員寮には、グレイテルが厳重に法術で結界を張っていて、不法侵入できないよう厳重警備がされている。執拗に張り巡らされている割に、察知しにくい微弱な法力の線。それを見つけて、自身の力で一つ一つ解除しなければ、グレイテルから結界の位置を聞いている教職員とアベル以外、ここに来ることは出来ない。


 ルクレチアは、自分の痕跡を残すようなヘマはしない。だから、ルクレチアが侵入するたびに、グレイテルが更に過激な結界を張り直すのが常だった。


(その時のグレイテルの顔といったら……)


 ルクレチアは、得意げに薄ら笑みを浮かべて、お目当ての奥の部屋を目指した。

 誰かに出くわすことを想定して、中庭や他の部屋の前は通らず、壁伝いに歩いて行った。


(ここか……)


 大きな窓の離れの部屋。部屋の広さも他と比べて、倍はある。

 この部屋が客人用の部屋であることは、調査済みだった。

 ここに、東国の子供が一人で住んでいることを知ったのは、つい先日だった。

 ルクレチアが定期報告のため、教職員寮に忍び込んだ際、彼の姿を見かけたのだ。

 グレイテルか、アベルの遠縁か、それとも昔の仕事絡みか?

 あの二人は現役を退いてはいるが、昔の伝手で頼って来た人を、無礙(むげ)にできず、容易に住まわせてしまったりすることがある。今回も多少訝んではいたが、相手が子供ということもあって、深刻には受け止めていなかった。

 でも、今日、ナユタがここに来たことによって、ルクレチアは考えを改めたのだ。

 あの子供には、何かある……と。


(お子様は、とっとと寝ていてくれれば良いけど)


 幸い、部屋の中は真っ暗なようだ。ルクレチアは夜目が利くので、都合が良い。

 開けっ放しの窓に耳を傾けると、微かに、寝息が聞こえてきた。

 ルクレチアは口元に笑みを蓄え、窓から簡単に部屋の中に足を踏み入れた。ここまで簡単に事が運ぶなんて、怖いくらいだった。

 室内は、衣服が散乱して、荒れていた。


「え? ……荷造り?」


 部屋で暮らしている子供は、今日にでもここから出て行くつもりなのか?

 もっと情報が欲しいと、散乱した衣服を検め、周囲を物色し始める―――と。


「誰?」 


 背後から、少女の気怠い声がした。


「…………えっ」


 おそるおそる振り返ると、そこにいたのは子供ではなかった。肩までの黒髪の少女が目を擦りながら、こちらに近づいてくる。―――ナユタだ。


「……どうして?」


 ――貴方がここにいるのか? 

 ――あの黒髪の少年は何処にいるのか?


 問いかけようとして、しかしルクレチアは口を噤んだ。


 ――まずい。


 今、自分は男の姿に戻っている。ルクレチア=自分とバレたら、それだけで退学。いや、ルクレチアが教職員寮に不法侵入したとバレただけでも、退学ではないか? 

 退学は怖くないが、アベルに、嘲笑されるのだけは耐えられない。

 こうなったら……。

 ……ナユタには、眠ってもらうしかない。

 今まで、ナユタはこの部屋で眠っていたようだし、術で誘導しやすい。攻撃系の呪文に比べれば、体の内側に働きかれる暗示系の術は、遥かに簡単で手っ取り早い。ルクレチアは、すかさず呪文の詠唱に入った。


『古の精霊エプレージル。清らかな夜に横たわる彼の者のもとへ届けたまえ……』


 ――しかし。


「貴方は誰? 一体、さっきから何をしているの?」


 ナユタは、いたって冷静に問いかけてきた。その瞳は、ぱっちりと見開いている。


「………………何で?」


 ルクレチアは呆然とした。

 どうやら、ナユタには、術が効いていないらしい。通常、ここまで呪文を詠唱すれば、仕掛けられた方は、半分以上眠った状態にあるはずだ。でも、ナユタはけろっとしている。

 術がかからない。……というより、無効化されてしまっている。

 ナユタはよろけながら、立ち上がって、ルクレチアに近づいてきた。


「……ちゃんと答えてくれないと、私が捕まえるよ」 


 随分と、強気な挑発をする。まったくうろたえていないのには驚きだった。

 ――しかし、雲に隠れていた月が出た頃から、ナユタの様子はおかしくなった。


「君……、男……?」


 月光に、ルクレチアの姿が仄かに照らし出され、ナユタが初めて怯えの表情を見せた。


「……あっ、あっ……」 


 今にも悲鳴をあげそうなほど、狼狽している。困ったものだ。

 これが正しい反応なのだが、さすがにここまで怖がられると、ルクレチアも罪悪感を覚えてしまった。ナユタに危害を加える気など、これっぽっちもないのだ。


「あの、私は……」


 逆毛の立った猫を宥めるように、低く、穏やかな声音で囁いた。とりあえず、彼女を落ち着かせようと、その一心で、一歩近づく……。が、ナユタは早足で遠ざかっていく。


「来ないで!!」


 一喝された。全身でルクレチアを拒否している。そこまで酷いことをしているという自覚のないルクレチアだったが、両手を挙げつつ、後ろに歩を進めた。ここは撤退するしかない。けれども、それは逆効果だった。


「兄さん! ここに不審者が!!」


 ナユタが扉を開けて叫ぼうとしたので、ルクレチアは反射的に彼女に駆け寄った。


「ちょっ! 待って! しっ、静かに!!」


 腕を捕えようとして、体勢を崩し…………。


「うわっ!」


 ルクレチアはナユタの体ごと、寝台の上に倒れ込んでしまった。これでは、華奢な女の子を押し倒して、暴行を働こうとしている、変態にしか見えない。


(何だって、どうしてこんなことに?)


 どくどくと、心臓が跳ねる。無論、ルクレチアとて、いけないことだと分かっていたが、ここで見つかってしまっては、穏便に済ませようとしたすべてが無駄になるのだ。

 少しの間、ナユタが黙っていてくれれば、それで済むのに。……だから。


「ごめん。大人しくしてくれれば、私はすぐに退散するから、だからあと少しだけ黙って」


 暴れる彼女の口を掌で覆ってから、謝罪する。卑怯かもしれないが、そうすることしかできなかった。

 ――だけど。一息ついてから、この後の行動に困却した。

 これから、どうやって、彼女から離れたら良いのか。

 今まで、ルクレチアは、こんな至近距離で、女の子と向き合ったことがなかった。

 この学校に入ってからは、自分が女になりきることがすべてだった。

 女はただの観察対象で、特別な感情を抱くことはなかった。

 でも……。

 いざ本物の少女に触れてみると、自分の術がいかに子供騙しか認識せざるを得なかった。


(何て、小さくて頼りないんだろう……)


 柔らかい唇を右手で覆い、壊れそうな手首を、左手できつく握りしめている。

 今朝、初めて会った時から、華奢な娘だとは思っていたが……。

 至近距離で見つめると、それがはっきりした。涙にぬれた長い睫毛と、さらさらの細い髪。ルクレチアの目は、ナユタから離れなくなっていた。


(いけない……)


 首を横に振って、自分の理性を総動員させる。ルクレチアは、そろそろとナユタから離れた。

 ―――が、その時、すでにとんでもないことがナユタの身に起こっていた。


「うっ、うっ、……ぐっ」


 突然、ナユタが呻いたのだ。

 呼吸は荒く、額にはじっとりと冷や汗が浮かんでいる。


(なんだ。これは?)


「…………発作?」


 もう、逃げるどころの騒ぎではなくなってしまった。助けを呼ばなくてはいけない。

 長いこと生か死かの世界で生きてきたルクレチアは、病人を介抱したことなどなかった。

 今、ナユタがどういう状態でいるのか、さっぱり分からないのだ。


(医者か!? ああっ、医務所が何処だか思い出せない!) 


 あたふたしながら、ルクレチアは扉を目指した。


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