終章 ②
「えーーっと」
昼下がりの医務室で、ナユタは自分の前に不機嫌な少年と背後に棒立ちになっている双子を交互で見比べた。今日はネアもリリスも黒外套姿ではない。リリスはこの学校の制服姿で、ネアは濃紺のブレザーを着ていた。男女の違いはあるが、二人共よく似ている。
「お茶でも飲む?」
気が遠くなるほどの沈黙に耐えかねて寝台から起き上がろうとしたら、怒られた。
「バカ。寝てろ!」
「この状況で眠っていられるほど、神経が図太くないんだよ」
「もとはと言えば、お前のせいだろ。お前がおかしなことを言うから、いけない」
「おかしなことを言った記憶はないけど?」
「では、あのエセ乳野郎の耳が悪かったのか? お前、二人を責めるなって言ったんだろ」
「……エセ乳野郎って」
エセ乳はともかく、野郎は失礼だ。
目覚めて最初に会ったのがアレクサンドラだった。
医療系の術も得意だということで、校医と共にナユタの様子を診に来ていたのだ。そこでナユタは、ネアとリリスがどうなるのかを訊ねた。
アレクサンドラは、さも当然といった調子で
「トゥーナで処刑でしょ」
……と語ったため、ナユタは青ざめてしまったのだ。
それはダメだと声を荒げてしまい、結果、二人の身柄を引き受けていたリュイが出てきた。
現状、脱走阻止のため、表にはアレクサンドラが待機した状態である。とんだ大騒動となってしまった。
「ほら、色々あったけど、今回はこうして何とかなったんだし、別にトゥーナに引き渡す必要も、ヒースクラウトで裁かれる必要もないかなって、このままじゃ駄目なのかな?」
「ずいぶん、甘いことだな。ナユタ。お前、まさかとは思うけど」
リュイは椅子の上に胡坐をかき、ナユタを凝視した上で背後を振り返った。
「まだコイツに未練があるわけじゃないよな?」
「違うよ」
ネアと目が合い、つい口調が強くなってしまった。
「その……、恋愛とか、そういうのじゃなくて、家族のような感じがしただけなんだ」
「確かに、ユウヅキの家は、女王の遠縁です」
恐々としつつも、リリスが口を挟んできた。
「……ほう」
だったら、なぜ実の父親の自分のことは、まったく意識しなかったのかと、言わんばかりの眼差しを向けられて、ナユタは言葉に詰まった。
「リュー殿。ナユタ様がサムエルに親しみを覚えていたのは、私も感じていたわ。でも、恋愛なんて空気はまったくなかったのよ。だって、私も頻繁にサムエルに変装してたから」
「…………うそ?」
それにはナユタも衝撃を受けた。この双子はとてつもなくよく似ている。
(ちよっと待ってよ……)
悪夢だ。
ナユタがサムエルと信じていた存在は、男でもなかったらしい。
「妹と僕はよく入れ替わるんです。正直、サムエルに化けるのは無理かと思ったんですが」
「……気にするな。ナユタ。そういうこともある」
リュイはひどい。下を向いて笑っているのだ。一睨みすると、リュイの方が折れた。
「悪い悪い。分かったよ。お前の言う通りにしよう」
「えっ?」
ナユタが聞き返す間もなく、リュイが二人に訊ねた。
「お前たちはどうすんだ。こいつはお前達に何もする気はないらしいぜ」
「僕たちには行き場がない。むしろここで監視されている方が安全かもしれません」
「……だったら、ここにいればいい。どうにかなるだろ」
リュイは頷くと椅子から降りた。早速、ここから去ってしまいそうでナユタは慌てる。
「リュイ君は、ツキノワに帰るの?」
「ああ。傷も十分癒えたし。いつまでも暗殺されたままでいるわけにもいかないしな。それに、あんまり長くここにいると、金を請求されそうで怖いんだよ」
「……兄さんとは、長いんだ?」
くるりと後ろを向いたリュイは、ネアとリリスを指差した。
「丁度このくらいの年だ。世界を見たいと思ってツキノワを飛び出した。……で、まだ小さいアイツらに会ったんだ。まさか、お前を託すことになるとは思ってなかったけどな」
「……そっか」
ナユタはうなずいて、言葉に詰まった。
話したいことが山ほどあるのに、何から話せば良いのか分からなかった。
黙っていると、リュイが言いづらそうに尋ねてきた。
「その…………。お前、女の夢はまた見たりするのか?」
「ううん」
ナユタはゆるゆると首を振った。
「…………多分、女王の夢は、もう見ないと思う」
「そうか」
「二回しか夢の中では会ってないけど、何となく、すごい人だったよ」
「そうだな。俺の知る限りで、最高の女だったと思う」
「……彼女の名前、教えてくれる?」
「…………ユイだ」
「なるほど。それでリュイ君だったんだね?」
「………………そういうことは、察しがいいんだな」
リュイが初めて声を出して笑った。屈託のないその顔は、しかし子供には見えなかった。
温かい眼差しで自分を見守る大人の男性の姿。彫りの深い、日に焼けた顔。意志の強そうな一重目蓋。
遠い昔に一度だけ、ナユタはこの人を目にしていたはずだ。
「また会えるよね。……父さん」
「ああ。必ず。国が落ち着いたら、呼んでやるから」
――だから、待っていろ。
多分、リュイはそう言いたかったのだろう。しかし、言葉は聞き取れなかった。
派手に部屋の扉が開いたからだ。
「ナユタさん!!」
息を切らして現れたのは……、
ナユタのよく知る銀髪の少女だった。




