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乙女の花園  作者: 森戸玲有
終章
31/33

終章 ①

 彼の日のことは、忘れられない伝説になるだろう……。


(あらゆる意味でね……) 


 昨日の出来事は大事件ではあったが、グレイテルは思い出すだけで、吹き出しそうになってしまう。

 淹れたてのお茶を口に運ぼうとしていたのに、ティーカップを持つ手が震えて仕方ない。それを見ていた熊男、もとい相棒のアベルは、苦々しい顔で席を立った。


「何度目だ。グレイ? 嫌がらせか?」

「いや、だって今思い出しても、おかしくて。ナユタちゃんが倒れた直後に帰ってきた貴方の姿といったら……。あれは、もう本当、歴史に残ると思うわよ」


 あの日、アベルはヒースクラウトから海を泳いでフローラル島に戻ってきた。船で二日かかる道程を、数時間で泳いで戻ってきたのだ。

 しかも、海藻や魚を引き連れ、ほぼ裸の状態でナユタのもとに駆け付けたのだ。ある意味、一度見たら忘れられない悪夢である。


「あれは、傑作でした」


 自然に会話に割り込んできたのは、ルクレチアだった。今回の事件の後処理の一環で、アベルが理事長室に呼んだのだが、アベル嫌いの彼は不機嫌極まりなく口数も少なかった。

 だが、アベルの失態に話が及ぶと、この上なく嬉しそうだ。笑顔がきらきらしている。


「あら、ルーク君。でも、私は貴方のこともおかしくて仕方ないんだけどね?」

「はっ? 何です? 貴方を笑わせる芸など私にはないはずですよ」


 生真面目に答えるルクレチアが心底面白かった。若いとは素敵だと言ってあげたい。


「最後の仕上げって……。神気を吹き込むよう言ったけど、口づけしろとは言ってないわ」

「…………な……に?」


 ルクレチアの顔が赤くなったり、青くなったりと、様々な色に変化していった。


「ナユタちゃんに息を吹きかけるだけで良かったのよ。トゥーナ風にいくと、「気」ってやつ? 元々は、「吐息」を捧げ物にしているアベルがやる予定だったんだから……」

「何だと。私がナユタのために、練習を積んできた大役をコイツにやらせたのか。グレイ?」


 アベルが怒り任せに、理事長机の上によじのぼった。


「正確には、やらせようとしたけど、ナユタちゃんが自主的に回避したってことかしら?」

「回避? どういうことだ」

「違う! 私は無実です。グレイテル! 貴方の言い方が悪い。あれじゃあ、誰だって!」

「あら。レイチェルもアレクサンドラもちゃんと分かっていたわよ」

「…………本当ですか?」


 ルクレチアは、今度こそこめかみを押さえたまま、前のめりに倒れそうになっていた。


「かわいそうに。冷静な判断がつかなかったのね。ついどさくさに紛れたくなった……と」

「違います!」

「じゃあ、下心がなかったと言うことなのかしら?」

「…………それは」


 ルクレチアが一歩退いた。

 若き法術師は術のことに関しては、末恐ろしいくらい洗練されているが、恋愛に関しては、ある意味子供以下かもしれない。


「クソガキ! そんなやらしい目で私の妹を見ていたのか!」


 机の上で、縦巻ロール髪のアベルが地団駄を踏んだ。大きな金色の獅子が踊っているようにしか見えないのは、何故なのだろうか?


「ふん。大体、お前が裏をかく作戦などでっちあげて、物事を煩雑にしたのが悪いんだ」

「責任転嫁するな! ナユタが危険な目に遭ったのはお前のせいだ! 責任を取れ!!」

「責任……」


 ルクレチアが目を丸くする。


「ああ。そうだ。責任だ。どう落とし前をつけてもらおうか。今回の騒動で、法術師協会には、お前もレイも戻れないだろうが……」


 涼しい顔でアベルは捲し立てる。後処理とはそういうことだったらしい。

 協会に居場所がなくなったルクレチアの今後の進退を問うためだったのだが……。


「――分かりました。彼女に対しての責任というのなら、私がちゃんと取ります」

「はっ?」


 思いがけない方向に話が転がって、アベルはぽかんと口を開けた。

 ルクレチアは吹っ切れた透明な微笑を浮かべている。


「お前が魔術師だった父を捕え、父の力を奪った。私はそれを恨んではいましたが……」

「そういえば。ルークのお父さんの仕事を廃業させたのは、コイツだったかしら?」 

「あのな。お前の親父は、自ら力をなくして欲しいと頼んできたんだ。何度も話しただろ?」

「それでも……」


 ルクレチアは、興奮を抑えこむように咳払いした。


「許せるものですか。協会によって力を奪われた父は、あれだけ高潔だったのに若い女を見るとデレデレ。酒は飲む。賭博はやる。ろくでもない男になり果ててしまったんですよ」


 奥歯を噛みしめ、怒りを堪えている青年の姿(……女装はしているが)に、さすがに心を乱されたのだろう。アベルは机から降りて、真正面から向かい合った。


「だが、それが本来のお前の父の姿なんだ。長い間、抑圧されていたってことだろう?」

「違います。私は術者としての父を尊敬していました。全部、お前のせいですよ」


 冷たく一蹴したルクレチアだったが、それを噛み殺してアベルに深々と頭を下げた。


「でも、それと今回の件は違う。彼女を危険に晒したのは私です。ここは大人しく責任を取りますよ。アベルを兄と呼ぶのは、憤懣極まりないのですが、彼女のことは……」

「なっ! ちょっと待て!」

「責任を取れと言ったのは、アベル。貴方の方じゃないですか?」

「ふっ、ふっ、ふっ」


 アベルは不気味に肩を震わせ、怒りを増幅させてから、叫んだ。


「ふっざけるな! お前なんぞにナユタはやらん! すぐに島を出ろ! この色情魔!」

「何てことを言うんだ。責任取れって言ったから、貰ってやるって言ったんだ!」

「お前なんざにもらって欲しくないわ」

「私だって、お前みたいのが兄じゃなければ、もっと積極的に……」


 怒鳴り散らすアベルを前に、ルクレチアも、ほとんど愚痴のようではあるが、退く気配はない。

 これは派手な喧嘩になりそうだと、グレイテルが覚悟した時だった。

 レイチェルがノックもなしに飛び込んできた。


「ルーク様!!」

「取り込み中です」


 すっかり、感情的になっているルクレチアはアベルと睨みあったまま、レイチェルを見ることもなかった。しかし、次の一言で変わった。


「ナユタ様が目を覚ましたそうですよ」

「本当か?」

「はい。ルクレチア様のことも気にしていましたよ」


 ルクレチアがすぐさま駆け出した。……が


「グレイテル」


 扉を一歩出たところで、ルクレチアが振り返った。


「なーに?」


 暢気に返すと、ルクレチアは男の声で返してきた。


「今回のことは、その。………………覚えてろ」

「はっ?」 


 グレイテルは目を丸くした。入口にいるレイチェルがばつが悪そうに肩を竦めている。


「な、何かしらねえ。まったく」

「さあ」


 レイチェルも苦笑交じりにそれだけ言うと、ばつが悪そうにその場から姿を消した。

 残ったのは、自分の目前に仁王立ちしているグレイテルの長年の相棒・アベルだけだった。


「あれ? 貴方は行かないの? ナユタちゃんのところ」

「お前と話をつけるのが先かと思ってな。今の様子。ルークも気づいてるみたいだし」

「うーん。その姿で、凄まれてもね」


 巨漢を包み込んでいる今日のドレスは純白だ。花嫁ではあるまいし、勘弁して欲しい格好だが、相棒は無自覚だ。……というよりワザとかもしれない。


「サムエルのことについてだが、報告が不自然なような気がするのだ。ガキが法術師協会のサミュエルを騙っていたらしいが、そんな重要な情報が俺のもとに届かないはずがない」

「さあ、どうかしら? そういうこともあるかもしれないわよ」


 ゆっくりと茶を啜っていると、更にアベルは上体を屈めて畳み込んできた。


「それだけじゃない。どうして昨日、都合良く、四大元素を得意とする術者が四人も現場に揃っていたんだろうな。しかも、そのうち三人は現役法術師で、アレクは経験こそ薄いが、独学で術を学んでいる。学年一の秀才だ」

「すごい。偶然ね。やっぱり能力が強いと、トゥーナの妖術にも操られずに済むのかしら?」

「偶然? 本当にそう思うのか?」


 いつもなら手が出そうなところを、アベルは深い溜息を吐いて堪えたようだった。


「レイはルークにとって忠実な部下だが、アイツほど直情的でもない。お前、レイと打ち合わせたな。ナユタを覚醒させる手助けをするように……と。そもそも、この学園に、ナユタが来るように手配したのは、お前だったはずだ。十七歳になったばかりのナユタを……な?」


 グレイテルは最後の茶を飲み干して、微笑した。


「さあ、何のことかしら?」

「なぜ、そんなことを? 結果的には上手くいっても、どうなるか分からなかったんだぞ」

「あら、ずいぶんと言ってくれるじゃない?」


 グレイテルは声音を変えて、厳しい眼差しでアベルを見据えた。


「可愛い義妹に、実の娘。今は安定している状況。それを覆して、一か八かの賭けに出ることなんて、貴方たちに出来る? いずれやらなければならないことでも、やりたくない。でも、先延ばしすればするほど、彼女が覚醒した時の危険性は高くなる。……それなら」


 そこまで言ってから、グレイテルは笑った。


「私ならいいのよ。絶対にしなければならないことなら、私がやるわ。恨まれても構わないの。それが必要ならね。もっとも、成功するって確信がなければ、私だってやらないわ」

「……グレイ」


 アベルがわずかに眉を顰めた。


「お前さ……。戻ったらどうだ? その、……女に」


 優しいからこそ、残酷な一言だった。


「俺に付き合う必要はない。法術師じゃなくても、術が使えなくても、お前はお前だろ?」

「貴方は、相変わらずのバカだわ」


 法術師には、必ず一つ捧げ物がいる。グレイテルの場合、それは「性別」だった。つまり、女性の機能を手放す代わりに術を使いこなすことが出来る。苦悩の末の選択だった。


「私は、女性である前に、貴方の一番の相棒だとうぬぼれていたんだけど……ね?」

「当然だろ。お前はよくやっている」

「じゃあ、もう言わないで頂戴よ。私は望んでやっているんだから……」


 グレイテルは、アベル以上に彼のことをよく知っている。


(こいつは絶対に人を裏切らない。見下さない。見た目で判断しない)


 だから、己の正しいことだけを信じて、太陽の下で真っ直ぐ生きていけばいいのだ。


 ーー学校を作り、自分たちの手で有能な法術師を育てる。


 そして、いつの日か、協会に属さない、国家間の戦争になど絶対に手を貸さない、中立的で完全に独立した術師の一団を作り上げよう……と。


 それが、二人が目指している最終的な目標だった。

 

 幾多の悲惨な戦場を経て、アベルとグレイテルは強く決意したのだ。

 

 ……誰かの言いなりになって人を殺すのなんて、うんざりだった。

 「術者」というだけで、戦いに参加しなければならないなんて、そもそもがおかしいのだ。

 

 しかし、この考えは二人の中では当然でも、現在の常識からは大きく逸脱している。

 要するに、国家に対する反逆行為だ。 

 もし、知られたのなら、協会が総力を挙げて、潰しにかかってくるだろう。


 ……当然、犠牲者は出る。


 この夢を実現させるためには、命を投げ出すほどの強い覚悟が必要なのだ。

 ……だから。


(痛いことは、すべて私が引き受ける)


 ーーアベルを守る盾となる。


 それは、遠い昔にグレイテルが固く誓ったことだった。


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