第5章 ④
ナユタの因縁を解放するためには「神外しの儀」というものが必要らしい。
その儀式には、四代元素を操る術師が必要で、それぞれ火・水・風・土の呪術を合わせた上で、疑似的な混沌を創り出し、女神にぶつけるのが手順なのだそうだ。
幸い、何の因果か、ここには四代元素を操るのを得意とした術師が四人いる。
さすがに、そんなことをしたら、ナユタの体が一層危険なのではないかと、ルクレチアはリュイに噛みついたが、リュイもグレイテルもナユタは大丈夫の一点張りだった。
『女神をナユタちゃんから外して、二度と戻らないようにするには、この手しかないの』
言い切られてしまうと、迷っている暇なんてなかった。
すでに、地震と雷が島を襲い、竜巻で建物のほとんどが持っていかれている。
傀儡と化していた生徒達は、リリスによって暗示を解かれたが、みな力を消耗しきっていて、使い物にはならなかった。リュイの指示通り、生徒たちはそれぞれ洞窟などに避難させたが、でも、もうこの島の何処も安全ではない。
このままでは、女神に島を沈められるか、高波で島ごと飲まれるか、どちらかだ。
こうなったらと、アレクサンドラは、やる気満々で、身長の二倍はある扇子を広げた。レイチェルも渋々だったが、大剣を地面に突き刺した。
――そして。
「いけっ!」
少し離れた場所で、リュイが大声で合図した。
ルクレチアは、すぐさま後ろ髪を一本抜き、愛用の杖を呼び出す。
目を閉じ、想像するだけで、念じた通り、杖の先端に炎が生まれた。
久々に能力を発揮できるのは、爽快だが、ナユタに向けて、この火の塊を放つのは、徹底的に気が重かった。
「貴様……。一体?」
傍らで、アレクサンドラが目をみはっていた。
ルクレチアの創り出した大きな火の玉に驚愕したのだろう。
(今更、分かったのか?)
ルクレチアは、一小隊を率いる現役法術師だ。ただの学生身分のアレクサンドラとは術者としての格が違う。
だが、アレクサンドラは、ルクレチアがアベルやグレイテルと同じ法術師であることを知らない。対抗意識を燃やして、おもいっきり扇を仰いだ。
「負けるもんかっ!」
……やっぱりバカだった。
けれども、あれだけ力を酷使したにも関わらず、凄まじい風力である。
法術師の中でも、ここまで力を持った男はいないだろう。
ルクレチアが放った真っ赤な太陽のような火の玉と、アレクサンドラの放ったつむじ風が重なり合った。
それを追って、地面を這うようにレイチェルの氷が駆け抜ける。
つららが舞い上がり、三つの力が摩擦を突破して、合流した。
「さあ、行くわよ!」
それを見届けて、最後にグレイテルがその場で鞭を打った。
――と、振動に沿うように、地面が隆起し、瞬く間に火、風、水、土の四大元素が重なり、空高く舞い上がった。
「ナユタさん!」
ごくりと生唾を飲む前に、黒い霧の中をたゆたうナユタと、こちらが放った混沌がぶつかった。今まで島を包み込んでいた闇がナユタ一点に収束する。
眩い閃光が四方に広がり、ルクレチアは一瞬目を閉じたが、体はすでに動いていた。
『ルーク。貴方にしか、出来ない「最後の仕上げ」があるのよ』
グレイテルにしては、珍しいくらい真面目な頼みごとだった。
『絶対、貴方が他の人にやらせたくないと思うから……』
確かに、他の誰にも、やらせるつもりなんてなかった。
だから、ルクレチアはグレイテルからの申し出に、二つ返事で了承したのだ。
(やらせてたまるか……)
ルクレチアはあらん限りの体力を使って、ひた走る。
「遅い! その程度の速さじゃ、間に合わねえぞ!」
鼻で笑いつつも、アレクサンドラは風を放ち、ルクレチアの体を勢いよく押し上げた。
ナユタに向かって、ふわりと飛び上がる。ルクレチアは両手を伸ばして、華奢な体を強引に抱き寄せた。両腕にすっぽり収まったナユタの体は温かい。
(大丈夫。絶対にやってやる……)
最後の仕上げとは、つまり……。
『女神に、混沌をぶつけ合い、場を無に帰した状態で、寄坐になっている女王の中に男の気を注ぎ、女王の体内の状態も無に誘う必要があるの』
なるほど。
ルクレチアにも、その仕組みはすぐに理解できた。
目に見える世界を更地にした状態で、女神の内部に接近し、こちらの力を注ぎこむ。
すると、不可視の世界もまた真っ新になる。
女神が男を嫌うのは、陰を支配する女神に対して、真逆の陽の力を持っているからだ。
混沌から秩序が生まれた時、女神という名の多大な力は、肉体から解き放たれる。
(……ナユタさんを、助けられる)
もし、これが成功すれば、彼女はいろんなしがらみから、解放されるだろう。
だけど、いざ実際ナユタと密着してみると、ルクレチアは自分がこれからしようとしていることが怖くなった。
ナユタを抱きかかえて、地上に降下している最中……。
ルクレチアは、ごくりと息を呑んで、ナユタの顔を覗き込んだ。
彼女の目蓋は固く閉じられている。起きる気配はない。
――ナユタに、気を送り込めって……。
言葉にするのは、簡単だが、要するに自分の息を彼女に吹きこむということだ。
(ナユタさんの唇を、自分の唇で塞ぐということはつまり……)
「うああっ、もう!」
それでも、他の人間にこの役目を譲りたくないのなら、ルクレチアがやるしかないのだ。
(駄目だ。緊張するほどに、みじめになる。ここは男らしく、一気に決めて……)
ルクレチアは、覚悟を決めて目をつむり、手探りで彼女の顎を上向かせた。
徐々に顔を傾けていくと、ナユタの吐息が近くなる。
――そして。
唇が重なるまさにその瞬間に、ナユタがぱちりと目を覚ました。




