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乙女の花園  作者: 森戸玲有
第4章
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第4章 ⑥

「な、な……。ナユタっ!!」

「大丈夫!? リュイ君」


 ナユタは元気よく呼びかけた。いまだ視力は、ぼんやり程度にしか戻っていないが、さすがに黒髪、半ズボンの特徴ある少年が誰なのかはすぐに分かる。

 アレクサンドラが強風を起こしてくれたおかげで、ナユタは空を飛んでいる気分だ。


(……やっぱり、正解だった)


 日頃、見えない力に、頼っている人達だ。

 面と向かっての激しい攻撃には慣れていても、空中からの攻撃には無防備なのではないかと、ナユタ自ら考えた。

 最初、木の上から飛び降りて、敵の陣地の間近まで忍び寄る予定だったが、アレクサンドラのおかげで、ここまで飛行距離を保つことができたのだ。

 ネアリリス一人を、どうにか出来れば、生徒の暗示も解けるのだ。


「…………ナユタ?」


 いかにも怪しい黒い外套の少女が目を丸くしている。


(あれが、ネアリリス?)


 そうに違いない。リュイの側には彼女しかいないのだから……。

 何処かで会ったような気がしたが、今はそんなことどうでも良かった。

 ナユタは、着地点を彼女の上に定めた。

 彼女が気を失わないと、生徒達の暗示も解けないのだ。だったら、この子だけには手荒な手段を使うしかない。


(女同士だし、ある程度なら)


 ナユタは小柄なため身が軽い。彼女の両肩に足を乗せて、蹴っ飛ばした反動で、あっさり地面に降り立った。

 抵抗する暇もなく、ネアリリスの小柄な体が仰向けにひっくり返る。


「よしっ!」

「よしっ……じゃねえ!」


 手と足を縄で縛られているリュイだったが、口と目は自由らしい。憤怒の形相で、ナユタを見上げている。


「何で、お前がここにいるんだ? お前はアイツと一緒に……。グレイテルだって」

「仕方ないでしょ。ナユタちゃんが行きたいって言うんだから」


 見計らったかのように、グレイテルがナユタの背後からのっそり現れた。


「それに、彼女の案が良かったのよ。木を伝って行けば、生徒を傷つけることなく、力の無駄遣いもなしで山頂に着くでしょ。ついでにナユタちゃん、体も軽いし、助かったわ」

「何を、猿みたいなことやって得意げになっているんだよ!」

「そんな怒らなくても。せっかくだから、誉めてあげたらどうです? 法術を使えないナユタちゃんが頑張ったんですから」

「何て暢気なんだ……。貴様も、アベルも……」


 リュイは怒りを通り越して、あきれてしまったらしい。もはや、グレイテルでは相手にならないと思ったのか、標的をルークに向けた。


「ああ、もう、そこの銀髪。お前、ナユタを連れて早くどっか行け! こいつの狙いは」

「………………おかしいですね」


 ナユタに続き、山頂に着いていたルークだったが、リュイの言葉などまるで聞いてなかったらしい。

 彼が真っ先に向かったのは、倒れているネアリリスの前だった。暫時、ルークは倒れたネアリリスの前に屈みこんでいたが、やがて弾かれたように立ち上がった。


「レイ! そこにいますか!?」

「何でしょう? 一体?」


 少し離れた木の枝の上で、待機をしていたレイチェルがアレクサンドラの風を受けて、こちらに飛び降りてきた。


「こいつ、ネアリリスじゃないような気がするんですが?」

「あれ? ルーク様って、ネアリリスを知らないのですか?」

「黒いマントのいかにも怪しい奴としか認識がなかったです。基本的無害でしたから」

「……ですよね。私もあまり至近距離で見たことなくて」

「おい。そういう時に、どうして、オレを呼ばない?」


 すっかり男言葉になっているアレクサンドラが空から舞い降りてきた。

 どうやら、自ら起こした風の中に乗せた巨大な扇子の上に飛び乗ってここまで来たらしい。


(いつもの艶めかしい女言葉って、地を出さないようにするための工夫なんじゃ……)


 男言葉のアレクサンドラは、おそろしくしっくりしていた。


「ネアリリスとは、同室だし、顔だって見たことがある。それなりに親しくやっていたんだ。なのに、コイツはオレを嵌めた。しっかり落とし前はつけてやろうと思っていたんだ」


 鼻息荒く、アレクサンドラはネアリリスに近づいた。その後ろにナユタはついていく。

 しかし、黒外套には違いないが、白目を剥いて倒れているのは、ナユタが先ほど見た少女ではないような気がした。


「うーん。ネアリリスって、こんな顔じゃなかったぞ。だって、髪色も違うし……」

「あっ!」


 困惑気味のアレクサンドラを突き飛ばして、レイチェルが身を乗り出した。


「…………この人、サムエル先輩ですよ。間違いないです」

「はあっ!?」


 それは、この場にいる誰もが唖然とした瞬間だった。


「えっ、でも、確かに私、今、女の子を……。サムエルって? あれ?」


 ナユタは少女だと確認してから、攻撃をしたのだ。いくら、ふらついているとはいえ、性別の違いくらいは見分けられるはずだ。


「変わり身の術ですよ。ネアリリスは、貴方の攻撃を寸前で避けたんです」

「うそ」

「しかも、それにサムエル先輩を使うなんて……」

「えっ……。でも」


 ルークの言うとおり、術を使われたことはナユタにも理解できた。しかし、この人物がサムエルとは、どうしても思えなかった。

 ナユタは、しゃがみこんで、男性の顔を凝視した。……男性には違いないが……。


「……やっぱり、違うよ。この人、サムエルさんじゃない」


 どうして、みんなこの人をサムエルと呼ぶのか。姿、顔形、まったく違うのに……。


「お言葉ですけど、ナユタさん。私が一度見た人間を見間違えるはずがないんです。ええ。絶対。この人は正真正銘法術師協会・諜報部のサムエル先輩ですよ」


 ぴしゃりと、レイチェルに断言されて、ナユタはうろたえた。


(じゃあ、ヒースクラウトで私が会っていたのは、誰?)


 ナユタが会っていたサムエルという青年は、一体何者だったのだろうか?


「グレイテル」


 リュイが腹立たしげにグレイテルを睨みつけた。


「この状況を、どう収拾つける気なんだ?」

「うーん。ほら、私、人生って予想外の展開の連続だと思っているのよね?」

「ふざけるな。だから、あれだけ俺が念押したのに!」

「まあまあ。でも、一つだけ分かったこともあるんですよ」


 リュイの厳しい眼差しから逃れるように、グレイテルは言った。


「ネアリリスって生徒は、協会も私達のことも、様々な情報を入手していたってことね。だから、サムエルすらも手駒にできた。彼女もまたツキノワの国家に属しながら、ルーク達のように自分の意志で動いている……っていうことなんでしょう」

「最悪じゃないですか?」


 詳細が分からないナユタでも、それくらいは分かる。

 しかし、追求している間もなかった。


 ――突然、地鳴りと共に地面が揺れたのだ。


「ナユタさん。つかまって!」 


 ルークが差し出してきた手を必死に掴んだナユタは、激しい横揺れに耐えた。

 ナユタたちの手前まで、地面が裂けて、盛り上がっている……が。


(地震……じゃない!?)


 この揺れの正体が地震でないことは、さすがにナユタにも分かった。

 いくら、目が霞んでいたって、高波のように押し寄せる人波を見過ごすわけがない。


(うわあ……。これ、夢かな)


 今まで待機状態だった生徒たちが、術を放ちながら、どっとこちらに押し寄せて来ている。それを地震と勘違いしたのだ。


「まさか、こんな……?」


 巨大な弓を呼び出して、火のついた矢を射る者、棍棒を振り回して突っ込んでくる者。 爪を刃のように伸ばして、襲いかかってくる者。きっと、掃除当番を代わってあげた子だ。


(掃除するだけで、爪が危ないって心配してたのに!)


 何てことだろう。彼女はきっと自分の意志でこんなことをしているわけではないのだ。


「そりゃあ、術者が失神していないということは、暗示も有効ってことよね。仕方ない」


 どこまでも楽観的なグレイテルだったが、口調は淡泊だ。ナユタを庇うように前に出る。

 グレイテルは、突如、何もない空間から鞭を取り出すと、おもいっきり、地面を叩いた。


「さあ! 先生が皆に法術とは何かを教えてあげるとしましょう。かかって来なさい!」


 そうして、再び鞭を振り上げると、旋風と共に、頭上の木の葉が剣のように乱舞し、生徒達の持っている道具を壊していった。

 刀剣も、棍棒も爪も、すべて砕け散る。圧倒的な強さだった。


「さすがアベル=バーランドの長年の相棒。 凄まじい能力だ」


 目を輝かせたアレクサンドラがグレイテルの傍らに走り出した。


「校長先生! わ、わたくしもご一緒しますわ!」

「急に、女言葉?」

「放っておきなさい」


 しかし、ルークの言う通りには放置できなかった。

 押し寄せる生徒達の中心で、アレクサンドラは、突如自分の胸をまさぐると、肌色の丸い球体を二つ取り出し、空高く放り投げた。あれは、きっと胸だ。


「ええっ?」


 嫌な予感がした瞬間には、頭上で爆発が起こっていた。ナユタの頭をルークが保護している。ともかく、しゃがんでいないと危なくて仕方ない。


「何やっているんだ。あのバカ」


 ルークの冷ややかな声は届かずに、アレクサンドラは清々しい顔をしている。


「これが役に立つ日が来るとは……」


 周囲の迷惑をまったく考えていないアレクサンドラの胸は、見事にしぼんでいた。


「ルークさん。……今、アレクサンドラさんの胸が爆発したような気がするんだけどな?」

「胸の一つや二つ、弾けるでしょう」

「いやいや、弾けないと思うけど」

「あれは、法術の一つです。炎の術を、物質に込めたんでしょう。投げると爆発する仕組みのようですね。まったく最低な紛い物だ」

「冷静に説明されても……」

「忘れて下さい」

「忘れられない自信ならあるよ」


 この期に及んで、ルークもアレクサンドラもグレイテルも誰一人動じていない。


(法術師……って)


 兄アベルも相当な変人だが、やっぱり皆、変人ばかりだ。

 ……そう、みんな変人ばかりなのだ。


「分かりました。では、とっととこの事態に片を付けて、嫌なことから目を背けましょう」


 言うや否やルークは、背後で高みの見物に徹していたレイチェルを呼んだ。


「お前のせいですからね。レイチェル」

「はいはい。分かっていますよ。そんなにナユタさんを巻き込んだのが気に入らないんですか。怖がる彼女のために、さっさと解決したい……と」

「愚か者。元々、お前が私にアレクサンドラとネアリリスの計画を知らせていたら、こんなことにはならなかったんです。」

「でも、まだか弱い生徒諸君じゃないですか。まともに攻撃したらかわいそうだし……」

「御託はいいから、やれ」

「はーい」 


 厳命されて、渋々前に出たレイチェルは、何もない空間から柄の青い大剣を呼び出した。

 アベルの身長くらいありそうな大剣を容易く地面に突き刺す。

 ――と、刹那に大地が凍りつき、あっという間に、生徒たちの足や手を凍らせていった。見ている分には綺麗だが、あれを食らったら、一溜りもないだろう。


「一体、何が起こってるんだろうね?」

「ああ、ほら。グレイテル先生は植物を。レイチェルは氷を操っています。アレクサンドラは先ほど一人で力を使いすぎたのでしょう。素手で戦ったりしています」

「いや、そういう意味じゃなくて……」


 せっかく、ナユタが頑張ったのに……。

 上手くいけば、誰も傷つかなくて済む方法だったのに、どうして、こんなふうになってしまったのか?

 ナユタはそれを嘆いてたのだ。

 だけど、ルークにはナユタの気持ちは伝わらない。

 リュイの縄を解きながら、冷然と言い放った。


「まったく。だからナユタさんは来るべきではないって言ったんです。乱闘になるのは、目に見えていましたから。それを、貴方が勝手に来たんです。失神はしないで下さいよ」

「それは、分かってる……けど」


 反射的に言い返したものの、しかし、本当は体調も最悪だった。これで、現在、益々気分が悪くなって倒れそうだと言ったら、ルークは怒るだろうか?


(……怒るよな。当然だよね) 


 更に、ナユタを突き飛ばすような勢いで、自由になったリュイが迫ってきた。


「おい。ナユタ! いい加減にしろ。好奇心なんかでここにいられてたまるか。お前はここにいちゃ駄目なんだ! 今からでも遅くない。とっとと姿を消せ」

「……リュイ君?」


 眉間に皺をよせ、震える拳を握りしめている。

 しかし、リュイは心底ナユタのことを心配しているのだ。

 それがナユタには分かってしまうから……。


「ねえ、リュイ君? 君は、最初から私の出生のことを知っていたんじゃないの?」


 リュイが驚愕の面持ちで顔を上げた。


「ナユタ。何処でそれを?」

「さっき夢の中で、女の人が言ってた」

「嘘つけ!」

「嘘だったら、それはそれで怖いと思うけど?」

「…………女だって?」

「…………あの、リュイ君。君はさ」


 わずかな距離を詰めるように、ナユタはリュイの目線に合わせてしゃがむ。……だが。


「―――えっ?」


 二人同時に、見上げたそこには、まるで頃合いを見計らったかのように、先ほどナユタが見たはずの黒外套の少女が立っていた。

 さっきは外していたフードを再びかぶっているので、顔はまったく見えなかったが、体格からしてネアリリスに違いないだろう。


「……アイツがネアリリス……ですか」


 ナユタを背中に庇って、少女と対峙したルークは、緊張をみなぎらせていた。


「違うわ」 


 しかし、少女は強い否定と共に、肩を震わせ笑い出した。


「私は、ネアリリスじゃないのよ」

「分かっていますよ。どうせ、お前も偽名なんでしょ?」

「それもハズレ。私の名前は、リリスというの」

「はっ?」


 不審な顔でうなずくルークだったが……。


「……っ!?」


 刹那に、血相を変えてナユタの背後を睨んだ。

 合図を待っていたかのように、黒ずくめの人物がもう一人、ナユタの背後に現れる。


「兄の名前は、ネアというのよ……」


 笑い混じりに言うや否や、二人同時にフードを取った。


「…………あっ」


 ナユタは、自分の背後にいるネアの顔を直視して、思わず叫んでいた。


「…………貴方、…………サムエル……さん?」


 ――…………想定外も、いいところだった。

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