第4章 ⑤
「――ったく、俺はこんな台本、聞いてねえんだからな」
ひとりごちて、リュイは苦笑と共に溜息を零した。
両手両足は拘束され、身じろぎも出来ない状態だが、有難いことに、口は自由なので、思う存分、嫌味だけは喋ることができる。
しかも、景色は最高だ。
ナユタが登っている山の頂きに連れていかれたのだ。
目隠しされていないため、海も学校も、気持ち良いほどよく見える。
普段賑やかな学校には人影一つなかった。
がらんとしているのは、生徒たちのほとんどが傀儡となってここにいるからだろう。
(異常事態も甚だしいな。だから、アイツらにまかせるのは嫌だったんだ……)
以前から、カレア学園の生徒の中に法術師協会と繋がっている者がいないか、ツキノワの女王派の残党がいないか、アベルは入念に調べていると話していた。
絶海の孤島での命取りは、味方が裏切ることだ。分かり切っていることだからこそ、リュイはアベルとグレイテルがうまくやってくれたのだと信じていた。
(俺の目も曇ったってことか……)
アベルがいない課外授業。
あえてそういう日を作って、法術師協会側がナユタ誘拐の好機を与えたつもりが、まんまとツキノワの女王派に出し抜かれたということだ。
あまりの体たらくに、リュイの口元に皮肉な笑みがこぼれた。
(これじゃあ、ナユタにバカなんて言えないよな)
「あれ? この状況で笑っていられるの? すごいわね」
黒い外套の少女が無邪気に尋ねてきた。
彼女がこの学校の生徒であることは、現時点で唯一分かっていることだった。
「別に、嘲笑してみたただけだ。この学校、もうおしまいだなって」
少女の周囲を固める、制服姿の生徒たちの数は、目算でも百人近い。
全校生徒に匹敵するほどの大人数が、ここに佇むたった一人の少女の手によって、操り人形になり下がってしまっているのだ。
「仮にも、法術師の卵が情けないもんだよな。おい。操り人形だぜ」
「仕方ないわよ。みんな法術習って一年にもならないんだし。元々、法術とツキノワの呪術は別物なんだもの。……まあ、たまに習ってもないのに、出来ちゃう化け物もいるけど」
それは、さっきまで独りで勝手に応戦していた赤髪の女装男のことだろう。
確か、名前はアレクサンドラとかいう……。
(化け物ねえ……)
リュイの周囲には、化け物揃いだったはずなのだが、逆に力が巨大だからこそ、こんな小さな少女に、嵌められてしまったのだろう。要するに、油断したのだ。
「知らなかったな。ツキノワにこんな術があったなんて……」
「貴方は知らないでしょうね。これ、ツキノワでも秘術らしいのよ。目と目を合わせて、こちらの気を叩きつけることで、お人形さんを作るの。この学校に入学してから、少しずつ、増やしていったのよ。大変だったわ。効果がある人とない人がいるから」
「なぜ、お前がツキノワ人なんだって、誰も気づかなかったんだろうな」
さすがに、ツキノワ人が学校にいたら、変装をしたとしても、アベルが気づくだろう。
少女は得意げに自らフードを取った。
橙色の髪に黒い瞳。露わになった顔は、大人びていて、切れ長の瞳は、色香すら漂っていた。
意外にナユタより年上かもしれない。しかし、声だけは子供っぽい。次の言葉も舌足らずだった。
「知らなかったの? 私、ヒースクラウト人よ。貴方が国を滅ぼしてくれたおかげで、居場所を失ったツキノワ人の父が、ヒースクラウトに逃れたの。母はヒースクラウト人」
「そうか」
だったら、調べても分からなかったかもしれない。父がヒースクラウト人に成りきっていたのなら。
……でも。
「確か、ツキノワが新政権になったのって、十五……年前だったよな?」
「ええ。そうよ。だから、私は十四歳。貴方と違って、変身の術なんて使ってないわよ」
やっぱり、この学校は恐ろしい。
外見なんて、すべてまやかしなのだと痛感させられる。
「一応、念のために、訊いておくけど、お前は男……なんだよな?」
「だからー、変身術は使ってないって言ったでしょ。まったく嫌になっちゃう。私は正真正銘、女の子。ここにいる間は、面倒な女装術をしなくて済んで、本当に楽だったわ」
リュイは、息を飲んだ。
それにしたって、女王派は正気なのだろうか?
こんな年端のいかない娘に、何をやらせているのだろう。
「協会が動くという情報を仕入れたから、私たちも出し抜かれまいと動くことにしたのよ」
「ツキノワは、俺が目的だったはずだろ。だったら、まずオレを連れていけばいい」
「それは、挑発のつもり?」
少女は口元に手を当てて、優雅に笑っている。
「だから言ったでしょ。連行するならそうしているし、殺すなら殺してるってね」
「じゃあ、早く俺を殺せ。俺の命をくれてやる。だから、アイツには関わるな」
「残・念―。貴方なんていらないわ。貴方を暗殺したと思い込んで、勝手に喜んでいるツキノワのジイサンたちには、貴方の首がどうしても必要なんでしょうけど?」
少女はすべて知っているのだ。リュイが暗殺されかけたこと。
その傷を癒すため、昔留学していたころの伝手を頼って、アベルのもとに来たことも……。
子供だからと、侮ってはいけない。彼女は挑発にも駆け引きにも乗る気がないのだ。
「私たちは見たこともない祖国のことなんて、どうだって良いの。欲しいのは、一つだけ」
「……なぜ? ナユタのことを知ったんだ?」
リュイは、冷や汗が背中を伝うのを感じた。
ナユタの存在は、極秘だったはずだ。
ナユタのことを知っている神官連中だって、反乱軍が神殿まで押し寄せた際、混乱のさなかで、ナユタは死んだと思っている。
ヒースクラウトの法術師協会がナユタのことを知ったのだって、きっと、アベルの弱点を探しているうちに、偶然、彼女に行きついてしまっただけだ。
……なのに。
「私たちはね、法術師協会が彼女の存在に感づく、ずっと前から、父からナユタ様のことを聞かされていたの。バーランド家の養女になっていることだって、昔から知っていたわ」
「ずいぶんと執心だな」
「ええ。父は女王とは身内だったのよ。生前は女王の話ばかりしてた」
「でも、女王に子供がいたなんて、本当の話か分からないぞ。ナユタはツキノワの戦争孤児かもしれん。お前たちの父親の虚言だったらどうするんだ?」
一応、罠を仕掛けてみたが……。
「貴方がそれを言うのもどうかと思うけど?」
少女は、まったく意に介さなかった。
「一応、私たちも念には念を入れようって、さっき、過去視の鏡を使って確かめてみたのよ。正真正銘、彼女は女王の子供だったわ」
「じゃあ、こんな回りくどいことしないで、ナユタを操り人形にすれば良かったのにな」
「……それでは、私たちの目的が成就しないから」
少女の一言に、リュイは彼らの最終目的が何であるのかを理解した。
ただナユタを崇拝しているだけなら、こちらもやりようがある。
……でも、彼らは違う。
「予想以上に、最悪な展開だな」
ナユタは計画通りにいけば、今頃洋上のはずだが、すんなり事が進むとは思えなかった。
(あの銀髪吊り目坊主を頼みにするのは、悔しいが、こうなったら、アイツに賭けるしか)
鬱々と悩んでいると、前の大木の葉がゆさゆさと揺れたことに気が付いた。
――そして。
「リュイ君! 大丈夫!?」
こちらの気持ちを朗らかに裏切って、空からナユタが降って来た。




