第4章 ②
ナユタが目を開けると、一面の白い世界が広がっていた。
山の頂上で、鏡を見ていただけなのに、どうしてこんな所にいるのか、思い出せない。
とりあえず、歩いてみようかと体を起こすと……。
「……うわっ!?」
気づかなかった自分がおそろしいくらいの至近距離で、黒髪の少女が一人胡坐をかいて座っていた。
「えっと、ちょっと、何で?」
ナユタの混乱をよそに、少女は静かに笑っている。
変な人だ。
年齢はナユタより少し年上のようである。
少女の着ている見たこともない衣装。
ヒースクラウトではない、他国の民族衣装のようだった。
(ともかく、関わらない方がいいような人種よね?)
それだけは、ナユタにもとっさに判断できた。
「えーっと、それじゃあ、私はこれで」
「おい」
すかさず、立ち上がった少女に首根っこをつかまれた。
なかなかに力が強い。
予想はしていた。……が、やっぱり逃げられないようだった。
(どうして、私の周りって変人たちばかりなんだろう……)
自分のことを棚に上げて肩を落とすと、少女は片眉を吊り上げて首を傾げていた。
機嫌を損ねてしまったのか?
「……まったく」
……それもまたナユタの予想通りだったが、だからといって、帰してくれるわけでもないようだ。
「そんなあからさまに嫌そうな顔をされると、私もがっかりなんだが?」
「すいません」
しかし、笑おうにもきっかけがない。
……ひとまず。
「ここはどこなんでしょうか?」
付け焼刃な愛想笑いを浮かべて問うと、少女は一層顔を曇らせ、再びその場に胡坐で座った。
「いや、まず順序的に、私が何者か訊くべきなんじゃないのか?」
「ああ、そっか」
……とはいえ、どうせ訊いたところで、ろくでもないことだ……。
アベルの妹として長年の経験から、妙に肝が据わってしまったナユタは、気にもしていなかったのだが、言われてみれば、確かにそうかもしれない。
ひとまず、名前くらい訊いておいた方がナユタの平和のためにいいだろう。
「えーっと、じゃあ、あなた名前は?」
「それは言えない」
……訊くんじゃなかった。
ナユタは額を抑えた。
「見るからに、異国の人って感じですよね?」
「異国……というか、長い間、君の中にいた者だ。むしろ君自身ともいえる」
「……私の中?」
ナユタはぎょっとして、自分の体を上から下まで眺めてみたが、意味のない行動だとすぐに分かった。
ナユタの体が透明になっている。
つま先から頭のてっぺんまで、周囲の純白の景色が透けて見えた。
……かといって、実体がないわけではないだろう。
でなければ、少女がナユタの首根っこをつかめるはずがないではないか。
けれども、試しに頬をつねってみると感覚がない。
「何で……?」
ああ、そうだ。
きっと、これは夢なのだ。
そうじゃなかったら……。
(私、……死……??)
「……夢……だよね。へへへ」
ものすごく怖くなった。
考えないほうがいいのだ。絶対に……。
……しかし。
「まあ、夢には違いないかな。君の中の力が溢れた副産物とでもいうべきか……。私が君に触れることができるのは君の一部だからだろうな」
「……えーっと?」
独り言だったはずの言葉に、少女は生真面目に返してきた。
痛ましいほど達観しきった表情を浮かべている黒髪の少女は、混乱中のナユタを置いて、早口でぺらぺらと喋り始める。
「君も十七歳。もう子供じゃないからな。そろそろ事情は知っておいた方が良いと思ってね。過去をさかのぼる道具の力を利用して、私が出てきてあげたというわけだ」
「はあ?」
一体、彼女は何を言っているのだろうか?
まるで、言葉が通じていない。
ツキノワ人だからなのだろうか?
いや、少なくともリュイはこうではなかったのだが……。
「ともかく、ここにすわりなよ。顔上げて話すのも疲れたんだ」
とてもそうには見えないのだが……。
信じて良いのか、疑った方が良いのか、ナユタにも判断がつかなかったが、少女は早くしろと、しつこく手招きする。ナユタは渋々少女と向かい合うように、その場に正座した。
「そう身構えないでくれよ。訳が分からないのなら、ただの夢として聞き流せば良いんだ。得意だろう。気づかないフリ」
「じゃあ、お言葉に甘えますけど……」
ナユタはずばりと自分が聞きたいことを、訊ねた。
「貴方はツキノワ人?」
「君もツキノワ人じゃないか」
「そうみたい……ですね」
「更に言えば、君の母はツキノワの最後の女王。父は女王を滅ぼした反乱軍の首領といったところかな」
「――――――はっ?」
それは初耳だった。いくら夢でも、ずいぶんと傲慢な夢である。
「……今、とても恐ろしいことをさらっと言いませんでした?」
「君にとっては恐ろしいことかもしれないけど、嘘は言わないよ。そんなに時間もないしね。私はずっと君の中にいたんだ。君よりも君のことをよく知っている。君が治したがっている体質は、ツキノワの母親から継いだものだよ。君だって疑っていたはずだ。ただ単に育ての兄に申し訳なくて、聞けなかったんだろう?」
さすがに、もう夢だなんて言ってられなくなった。
「じゃあ、ツキノワに行けば何かこの体質を治す手がかりがあるんでしょうか?」
「不安定なツキノワに行って、しかも女王の子孫だってバレてみなよ。体質云々というより、君の人生真っ暗になるだけじゃないか?」
……もっともな話だ。
仕方ないと覚悟を決めたはずなのに、なぜ自分は足掻いてしまんだろうか。
「……ですよね。私がバカでした」
「まあ、待ちなよ。問題はなぜ君がそんな厄介な体質を持っているかってところから見ていかなきゃ」
「理由なんてものがあるんですか?」
「理由もないのに、病気になるはずもない」
いちいち、まっとうなことを話す少女だ。
年下だと思えば腹が立つが、年上だと思えば頭が下がる。
もしかしたら、年上なのかもしれない。
「二人は成人の儀の最中に、駆け落ちしたんだったよなあ」
「成人の儀?」
「君の両親のことさ。女神が十七歳になった頃に行われる儀式のことだよ。いつの頃からか、儀式となっていてね。その時、一時的に女神を女王の体から放す。女神は男性を嫌う。女王に子供を生ませるためのものだ。女子を生んだら、また女神を体内に戻すんだよ」
「……何だか、それって。女王って名ばかりで、まるで、道具みたいですね?」
「女王は女神の入れ物なんだよ。君の父親は、そんな女王の運命を解放してやりたかった。……でも、駄目だった。結局、女王はすぐに神殿に連れ戻されてしまったな」
「じゃあ、私は?」
少女はこくりと頷いた。
「その時、すでに君は女王の腹の中にいてね。君は神官や側近たちにとって、正当な血を引かない忌むべき子だった。だから、君が殺されるくらいならと……、女王は君を護るため、秘密裏に、自分に宿る女神を君の体内に移すことにした。つまり、君の体質は………………」
「ちょっと、待ってください。まさか、私の中にそのツキノワの女神ってものが……?」
「……そっ。君の中に男嫌いな女神がいるということだ」
そして、少女は形の良い唇に笑みを乗せると、ゆっくりと立ち上がった。
「君は女神に気に入られたのさ。まあ、女神と問わず、人にも好かれているかな。こっちは十五年ぶりなのに、君の友人たちは、私との時間も割いてくれない」
「えっ?」
「ほら、時間切れだ。君の王子さまが呼んでいる」
……王子さま?
(誰のこと? サムエルさん……じゃないよね?)
その名前を口に出そうか否か迷っているうちに、転瞬、少女の姿はナユタの前から掻き消えていた。