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乙女の花園  作者: 森戸玲有
第3章
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第3章 ⑧

 ルクレチアは、そのままレイチェルを放置して、一人で山頂を目指し、走っていた。


 ――ナユタが忘れている過去の記憶を無理やり掘り起こす。


 レイチェルはそう言っていた。

 もし、ナユタが普通の少女であれば、こんなに慌てる必要はなかった。

 忘れていたことを想い出したところで、不都合などない。


 ……けれど、彼女はバーランド家の養女で、現在、混迷中のトゥーナの人間だ。


 ――まともな記憶でないから、ナユタは忘れているのではないか?


 そんなこと、ルクレチアにだって、とっくに分かっていた。 

 男に触れたら発作が起きるという特異な体質からして、彼女の出生に何があったとしてもおかしくない。だけど、それを無理に暴けば、ナユタは壊れてしまうかもしれない。


 これだけ執拗に、アベルが話さず、ナユタ自身思い出せないのだから……。


(……分かっていたさ)


 分かっていて、調べなかったのは、レイチェルの指摘通り、ルクレチアの私情だ。 


 ……胸がざわつく、嫌な予感。


 大人しく待ってろと言ったのに、さきほどナユタと別れた場所に、彼女の姿はなかった。

 代わりに、アレクサンドラが尻餅をついて、震えている。

 先日威勢よく、ルクレチアに喧嘩を売ってきた男とは別人のように青ざめていた。


「アレクサンドラ!!」


 登山の割に豪奢なアレクサンドラのクラバットを引っ張って、ルクレチアは凄んだ。


「ナユタ=バーランドは何処だ?」

「……オレのせいじゃない。だって、オレはお前に仕掛けたつもりだったんだ……」

「そんなことは、どうだっていい。私はナユタ=バーランドの居場所を聞いている」 

「……居場所って」


 ようやく正気を取り戻したのか、アレクサンドラは弱々しい仕草で、頂上付近を指差した。

 尋ねるまでもなかった。動転していたのは、ルクレチアの方だ。

 緑で覆われていた山頂は、灰色で覆われていた。

 雲ではない。


 ―――それは、竜巻だった。


 黒い猛風が旋回し、天にまで届いている。


「……ナユタさん、どうして??」


 頭が真っ白になった。

 ナユタがいわくつきの子供時代の記憶を取り戻したところで、何がどうしたら、竜巻まで発生してしまう事態になってしまうのか。

 その理由が導き出せなかった。


(私のせいだ。私は一時でも、彼女から目を離してはいけなかったんだ……)


 どんなに後悔しても、最悪な状態は変わらない。全力疾走で、暴風の中を走り、全身擦り傷だらけで辿り着いた山の頂上では、ナユタが風の中心に浮かんでいた。

 逆巻く黒髪は、風の色と同じ漆黒だ。

 意識はないようで、ナユタの目はきつく閉じられている。

 竜巻は、移動している気配はなかったが、ナユタがいつ解放されるのかは不明だ。


「くそっ……!」


 ルクレチアは初めて恐怖を感じていた。

 自分に起こっていることなら、どうとでもなる。

 しかし、今尋常でない状況を作り出しているのは、何一つ事情を知らないナユタなのだ。


「……ルーク様。トゥーナの術師は、捧げ物なしに術を使うことが出来るのだと、昔、聞いたことがあります。これは、どう見てもトゥーナ人の技だと思いますが……」

「なんだ。ついて来たのか。レイチェル」


 瞬間的に頭に血がのぼったルクレチアだったが、喧嘩を売るより聞きたいことがあった。


「レイチェル。つまり、お前は、彼女がトゥーナの術師だと言いたいのか?」

「それは、分かりません。もしも、彼女がトゥーナの術師だったとしても、こんな力、聞いたことがない。いきなり覚醒して、ここまで派手に開放される能力なんて知りません。術者は誰しも少しずつ努力して、自分の術式を確立していくものでしょう」


 その程度のことなら、ルクレチアだって分かっている。

 知りたいのは、彼女がトゥールにおいて、何者であるのか……だ。


「…………あの子、男じゃなかったのか? まさか、本当に女の子だったなんて……」


 言葉遣いが普通だったので、気づくのに遅れてしまった。


「アレクサンドラか」


 ここまできたら、嘘を言っても仕方ない。


「それで? ナユタさんが女だとして、何だと言うんだ?」


 ぶっきらぼうに聞き返す。――と、アレクサンドラが冷や汗を拭いながら、答えた。


「いや、オレ、東洋魔術を習ってたから、聞いたことがあるんだ。トゥーナでは女神の血を引く女王を崇拝するんだって。女王は生き神。その力は一人で国を滅ぼせるほどだとか。内戦が始まる前までは、女王が国を支配していたらしい。でも、存外、あっけなく、国が滅びたから、オレ、女王の力なんて大したことないなって、思ってたんだけど……」

「…………つまり、ナユタさんは?」


(……嘘だろ?)


 法術師協会がナユタに目をつけ、ナユタ誘拐をルクレチアに指示してきたのは、アベルの弱点が彼女にあるからだと思っていた。

 しかし、実は違っていたのだ。

 

 協会側は、それを知っていたのだ。


 ――ナユタがトゥールの女神の血統であることを。


 そして、アベルとグレイテルもそれを知っていた。


 グレイテルが暗示をかけてまでねこの学校にナユタを留めたのは、駆け引きがあったからだろう。

 最初から、両者はナユタをめぐる攻防をしていたのに、ルクレチアだけ蚊帳の外だった。


(……そうして、なぜか、部外者の私がばっちり巻き込まれている……と)


 昔の記憶を刺激して、起こしてはいけないモノを起こしてしまったわけだ。


「原初の女神の力は混沌。そこには善悪もなく、ひたすら虚無を作り出す……」


 アレクサンドラが鬼気迫る表情でルクレチアを煽る。一刻の猶予がないのは明白だった。


「レイチェル!」

「……はい。ルーク様」

「学校に戻って、グレイテルに連絡を。アイツ、わざと私に何も教えなかった」

「………………わ、分かりました」


 言い放つと、ルクレチアは上着を脱ぎ捨てた。


「どうする気だ?」

「彼女を、元に戻すんですよ」

「…………どうやって?」

「少しは賢くなったようですね。アレクサンドラ。いつもの怪しい女言葉が出ない」


 乾いた笑いを向けると、アレクサンドラの渋面があった。


「今回は……オレのせいだ。お前に一泡吹かせてやりたくて……」

「そんなことはどうだっていい。とにかく私は彼女を止める。それだけです。…………アレクサンドラ、お前は過呼吸を起こした人の対処法を知っていますか?」

「はっ?」

「私も少しは図書館で調べたんですが、自信がないので」

「心得程度なら」

「そうですか。では、もう一つ。――お前の得意属性は何ですか?」


 アレクサンドラは躊躇なく答えた。


「風だ」

「…………上等!」


 その時点で、アレクサンドラはルクレチアの言いたいことを咀嚼したのだろう。

 すぐさま、掠り傷の血液から、クリスタルの扇を具現化させ大きく煽った。

 アレクサンドラの発生させた風に乗って、ルクレチアは大きく飛翔する。激しい風はルクレチアの侵入を拒んだが、ルクレチアは杖を突き立て、割って入った。


「くっ! ナユタさんっ!!」


 ルクレチアはナユタに向かって手を伸ばした。彼女に対する疑問の答えが降ってくる。


 ――男に触ると発作が起こる。


 それは、混沌の女神を彼女がその身に宿している証拠だ。

 女神は処女を表す。並みの男が彼女に触れることは無理だ。


(じゃあ、女装の私を、女神は受け入れてくれるのか?)


 ――無理だった。


 女神に体を乗っ取られているナユタの手は掴んだ途端、雷撃に襲われたようにびりびりと痺れた。

 やはり、女神はルクレチアを男として認識しているようだ。


(それって、この状況で喜んで良いんだろうか……)


「ちくしょう!」


 それでも、ルクレチアはナユタを手繰り寄せ、その体を抱きしめた。

 全身が痛い。針の山を抱いているような感じだ。


(まったく、人の気も知らないで)


 気を失っているナユタの顔には苦悶の欠片一つない。

 意識のない状態で、男に触れられても、ナユタに苦しみはないようだった。

 ナユタを抱え込み、片手で杖を掲げる。

 ありったけの力を込めて、ルクレチアは火炎を生み出し、地面に叩きつけた。散った土砂で、風の勢いが鈍る。

 そこにアレクサンドラの風がぶつかり、黒い竜巻は一気に霧散した。

 力尽きたルクレチアは重力に従い、急降下していく。

 何とか両足で着地してから、膝をつき、ナユタに覆いかぶさるように突っ伏した。


「……う……ん」


 体重をかけてしまったせいか、一瞬だけルクレチアの腕の中で目を開いたナユタだったが、物憂げに宙を仰いでから、再び意識を手放してしまった。


(――今。…………正気……だったよな?)


 目覚めたら、まったく違う人になっていたとか、女神に乗っ取られたままになっているとか……。そういう類の心配はなさそうだった。

 用心のため、ルクレチアはナユタの背中に回していた手を振り解いて、少し距離を置いた。


 力のほとんどを使ってしまった。

 出来ることなら、ナユタが眠っている間だけでも男の姿に戻って、力を蓄えたい。


「こんな強敵。今までで一度も会ったことないですよ。ナユタさん」


 今回はアレクサンドラの援護があったから、何とかなったが、次にこんなことがあったら、ルクレチア一人でどうにか出来るものか……。


「…………ん?」


 そこで、ようやくルクレチアは、アレクサンドラがいないことに気が付いた。


「おい? アレク……?」


(あれ?)


 名前を呼んでから、愕然とした。

 大体、こんな大掛かりな嫌がらせを、アレクサンドラが単独で企み、実行に移すだろうか?


(共犯者は?)


 寝転んでいる自分を見下ろす、大きな影にふと気づく。


「誰だ。お前?」


 瞬時にナユタを抱えて飛びのいた。


 直後に聞こえた声は、甲高く、子供のようだった。


「ナユタ様を渡してくれませんか?」

「はっ?」


 振り返るより先に、刃の切っ先が頬を掠め、ルクレチアはナユタを抱えて後ろに飛んだ。

 今までルクレチアがナユタといた場所には、黒い外套を纏った華奢な少女が佇んでいる。


 ルクレチアは自身の窮状に、我ながら嘲笑するしかなかった。

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