第3章 ⑦
「レイチェル! 何処にいるんですか!? レイチェル!」
ルクレチアは、悲鳴が聞こえた方向を走り回っていた。
登山道ではない獣道を、腰丈にまで茂った草を掻き分け進む。耳には自信があるので、絶対にこの付近にレイチェルがいるだろう確信はあったが、しかし、情報戦を得意としているレイチェルに限って、不意打ちを食らうことなど有り得ないと思っていた。
まったく心配はしていないが、余計な面倒事が増えたような気もしている。――案の定。
「ここですよ。ルクレチア様ったら、せっかちなんだから」
声を張り上げる必要はなかったようで、レイチェルはひょっこり、木陰から姿を現した。
課外授業には参加しないと宣言していたためか、彼女はいつもの制服姿だった。
「レイチェル。一体、どうしたんですか? 計画の中止なら……」
……願ってもないことだと、口に出しそうになったら、レイチェルが笑っていた。
「やっぱり、ルクレチア様は、何だかんだいってこの作戦には反対だったんですね」
「…………緊急の用がないなら、私はナユタさんの所に行きますよ」
レイチェルの緩みきった表情に、ルクレチアは一気に脱力した。緊急性はなさそうだ。
(やっぱり、ナユタさんの側を離れなきゃ良かった)
本気でルクレチアが腹を立てることを知っていて、レイチェルはわざとやっている。
「お前とは、後できっちり片をつけてやるからな」
「やっぱり、ルクレチア様は変わってしまいましたね。どうして、そんなに急ぐんです?ここの生徒で、直接彼女に手を出そうという勇気のある人間なんていませんよ。少しばかり、嫌がらせはするかもしれませんが、しょせんは、やっかみです」
冷静に告げられて、ルクレチアは頭を抱えた。
――ナユタは男に触れられたら、発作を起こす。
しかし、その厄介な体質を、あえてレイチェルには話さなかった。そんなことを口にしたら、また面白がるのが目に見えていたからだ。ちゃんと話しておくべきだったのか……?
「ねえ。ルクレチア様。鳥籠の中の姫君を、別の鳥籠に送るだけの簡単なお仕事じゃないですか。もっと鷹揚に構えましょうよ」
「昨夜の話の続きなら、何もここでなくても良いでしょう?」
「本当、ひどいですわー。私はルクレチア様のことをとってもとっても尊敬しているのに」
「気色の悪い女言葉はやめろ……と」
そこまで言いかけて、ルクレチアの脳裏に閃くものがあった。
「…………レイチェル。お前?」
「察しが良いルクレチア様。でも、別に私は何もしていませんし、昨夜報告した通り、ナユタさんに対して不埒なことを企む生徒はいませんでしたよ。ただ、ルクレチア様に対して、一位の賞品をすりかえて、嫌がらせをしてやろうという、一部の生徒はいましたけど?」
「貴様っ!」
勢いにまかせて、レイチェルの胸倉を掴む。だが、レイチェルは冷静だった。
「彼女、記憶喪失なんでしょ? 自分の素性を調べにここまで来たんです。彼女の思いを遂げさせてあげても良いじゃないですか。「過去視の鏡」って聞いたことありますよね?」
法術師は幼少期に過酷な目に遭っている者が多い。修行も辛く、いろんな物も犠牲にする。だから、思い出したくない「過去」を己の潜在意識に封印している者も多いのだ。
そういった過去の心的外傷を突っつくための陰湿な道具を「過去視の鏡」と呼ぶ。
そんな話を以前、魔道具の扱いを主にする応術専門の術者から聞いたことがあった。
「……でも、それは、そう簡単に入手できるものでもないでしょう?」
「ルクレチア様。言ったはずですよ。彼女には絶対何かあるって。過去を遡れば、何か有益な情報が得られるかもしれないでしょ。貴方が彼女の友人でいようと苦心しているのは知っていますが、これは仕事です。貴方が何もしないのなら、私がやるしかないでしょう?」
「…………レイ?」
「ルーク様。貴方はどの勢力にも与しない。貴方は貴方が正しいと思う道を歩んでいたはずです。以前の貴方なら、私と同じことをしていたはずだと思いますが?」
「…………それは」
ルクレチアは、殺気を漲らせ、自分を睨みつけるレイチェルの面差しに昔の彼の姿を見た。
彼はレイチェルではなく、レイ=フリューゲル。
彼はまだこの学校に染まったわけではなかったのだ。
…………それでも。
「もっともらしい理屈はやめてくれますか。……レイ。一体、お前は誰に買収されたんです?」
「ルーク……様?」
「これ以上は時間の無駄なので、今は追及しません。でも……」
ルクレチアは冷たく言い放ちながら、すでに小走りになっていた。
「お前は気軽に引き受けたつもりでしょうが、 レイ。今回のことは高くつきますからね」