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乙女の花園  作者: 森戸玲有
第3章
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第3章 ④


 寝台から立ち上がったルクレチアは、格子窓の外を眺めていた。

 真っ暗な闇の世界に明かりはなく、景色らしいものが見えるわけでもない。


 それでも、寝台に横たわっているのは落ち着かず、体は疲れているのに、目だけは冴えているので、夜景を眺めて過ごしていた。


(こんな不毛な夜、早く終わってしまえば良いのに……)


 ルクレチアの父は、呪術師だった。

 それらしい呪術なんて使えやしなかったが、それでも土地の人から畏敬の念を持たれていた。皆から頼りにされている父はルクレチアの自慢だった。


 ――しかし。


(……この国が父さんを駄目にした)


 戦争の道具になどなりたくないと「法術師」になることを拒否した父は、軍に捕えられ、二度と能力が使えないよう、力を封印されたのだ。


 抵抗する者は徹底的に駆逐する横暴な国、ヒースクラウト。ルクレチアはこの国が大嫌いだった。


 ……だからこそ、自ら国家機関の内部に潜入したのだ。


 アベル=バーランドは、表向きは国王軍の一隊の長とされているが、実際は国王軍に良いように使われている「法術師」の一人だ。国が何を考えて、アベルの名前を世間に広めたのかは知らないが、ルクレチアにとっては、アベルこそ国の象徴だった。


 ―――いつか、アイツを斃してやる。


 それがどうして、女装までして学校に通い、挙句、期間限定とはいえ、アベルの妹の世話まで焼かなければならなくなってしまったのか。


(…………それに)


 何よりも腹立たしいのは、こんなにも屈辱的な毎日を送っているにも関わらず、それが当然のようになってしまっていることだった。

 今まで、周囲に気を許せる相手などいなかった。すべての人間が敵だと思っていた。しかし、ナユタは違う。ナユタは嘘をつかないし、つけない。思ったことがすぐに顔に出るし、駆け引きなんて出来ない。


 何より、ルクレチアを、「女」だと信じきっている。


(アイツの妹のくせに、どうしてあんなに素直に育ったんだろう……) 


 信用してくれるのは喜ぶべきことのはずだ。ルクレチアの変装は完璧なのだと、誇っても良いくらいだ。

 でも、腹が立つ。自分を信頼しきっているナユタが恨めしい。


 いっそ、あの日の夜、ナユタの口を塞ぎ、押し倒した男は、自分なのだと、告白してやりたいくらいだった。


 ――そんなことをしたら、ナユタの身が危険なのに……。


 自嘲のつもりで、格子窓にこつんと頭をぶつけた。冷たい感覚に、目は冴えるが、いくら、頭を捻っても、自分の感情はさっぱり分からない。


「お前も眠れないのですか。レイチェル?」


 同室のレイチェルが起きていることは、ルクレチアには分かっていた。

 ずっと前から、視線を感じていたのだ。


「あれ? 気づいてました?」

「嘗めないで下さい。それくらい気づいていましたよ」


 部屋の中央で仕切ってあるカーテンを開けて、レイチェルがひらひらのナイトドレス姿で出てきた。

 ……もう嫌だ。勘弁して欲しい。


「そろそろ寝るかなって、放置していたんですが、やはり、放置しておけば良かったです」


 ルクレチアは口元に笑みを浮かべてみせたが、心中で腸が煮えくり返っていた。

 ナユタの学校転入日、アレクサンドラと対峙していたルクレチアの背後で大笑していたのがレイチェルだということに気づいていた。

 問い詰めるのも、子供っぽいと思って黙っておいてあげたのに、その日の夜に、レイチェルは腹を抱えて「ハゲ」と連呼したのだ。


(いいや。それだけじゃない……)


 レイチェルは、今回ナユタをおびき寄せる任務を自分が率先して行うと、法術師協会に直訴し、了承された。

 ここまで大々的に仕事を引き受けておきながら、ルクレチアとレイチェルは法術師協会を裏切る予定で、むしろそれが快感なのだが、その最後の仕事を、よりにもよって自分ではなく、レイチェルがやるというのが、何とも先を越された感じで嫌だった。

 正直、顔も見たくないくらいだ。


「酷いなあ。私はずっと昔から、貴方の忠実な僕でいるのに。私はルクレチア様のためを思って、ナユタさんに関わることにしたんですよ。大体、貴方がぴったり傍にいたんじゃ、あの子、友達の一人だって出来やしないでしょうに? ルクレチア様と違って、社交性もありそうだし、放置されているのも、可哀想だと思ったんですよ?」

「友達って……ね。レイチェル、ここにいるのは全員、男ですよ。彼女は、ここが女装学校だなんて知りもしないんです。彼女が本当に女であることも、私と貴方くらいしか知らない。この状況で友達だなんて、野獣に餌を与えているようなものじゃないですか?」

「一番、危ない人がここにいるんですけどねえ……」

「何か言いましたか?」

「いえ」


 確かに、手紙を渡すだけとはいえ、躊躇いはあったかもしれない。

 仕事であっても、彼女を騙すことに抵抗は覚えただろう。

 それでも、レイチェルとナユタを二人きりで会話させるよりは、マシだ。


「どんなふうに、お前はナユタさんに手紙を渡したのです? どんな話をしたんですか?」

「そこまで訊くんですか?」

「お前が私を出し抜いて、ナユタさんに接触したから、お前とナユタさんの会話を盗み聞き出来なかったんですよ。訊いて当然です」

「うーん。さすが、ルクレチア様ですね。滅茶苦茶なのに、正論に聞こえるところが怖い」

「レイチェル。余計なことをナユタさんに吹き込んでないでしょうね?」

「余計なことなんて、話していませんよ。とりあえず、若者らしく恋愛の話で盛り上がってみせましたよ。ルクレチア様が恋患いをしていると、彼女に吹き込んでみました」

「そうですか。お前には自殺願望があったんですね。望み通り、火葬してあげましょう」

「嫌だな。私の得意属性は水ですよ。そう簡単に燃やされませんって」

「試してみる価値は、あると思うんですけどね?」

「ちょっと、……こんなことで本気で怒らないで下さいよ。大丈夫ですって。彼女、鈍感だから、何も分かってませんって。すいませんでした!」


 心のこもらない謝罪を繰り返しながら、レイチェルは近づいてくる。月明かりに照らされたその顔には、思った通り、半笑いが浮かんでいた。


「貴方がナユタさんと、イチャついている間に、私はちゃんと仕事はやっていましたよ」

「……現時点で、不審な動きをする者はいないということですか?」

「ええ。静かなものですよ。理事長の出張を知っている生徒自体が少ないですからね」

「それなら、いいですけど。私たち以外にも協会に連なる人間は、この学園に必ずいるはずですからね」

「心配性ですね。まっ、でも、あと少しの辛抱。結果的には理事長の弱点は手放した格好になりますが、協会の鼻を明かすことは出来そうだし、あの無垢なお姫様がこれ以上、利用されるのを見なくて済むんですから、ルクレチア様にとっては、最高の別れ方でしょ?」

「…………最高の別れ……か」


 ルクレチアはひとりごちて、落ち込んだ。


「どうしたんですか?」

「何でもありません」

「サムエルは、もうすでにこの島に潜入しているんですよね?」

「ええ。昨日会いました。ナユタさんがサムエルの筆跡を知っている可能性も考えて、例の手紙は本人に書いてもらった方が良いと思ったので。今は港近くの宿で待機中ですが?」

「サムエルはどんな人でしたか? ……気が優しくて、好感の持てる男でしたか?」

「変なルクレチア様ですね。協会の人間で、好感の持てるような人格者なんているはずないじゃないですか。そりゃあ、先輩の体格は立派で、精悍な顔立ちはしていましたけど」

「…………精悍な顔立ち……ねえ」


 どうやら、サムエルという男は、ルクレチアとは真逆の男らしい体格の持ち主らしい。


「一体、何なんですか? ルクレチア様。変を通り越して不気味ですよ」

「そのくらい自分でも分かっていますから、言わないで下さい。更に落ち込みます」


 明らかに、間違った質問だった。

 ナユタを意識しているのだと、自分で認めているようなものだ。

 ルクレチアはすべてを振り払うように、大声を出して自分に言い聞かせた。


「ともかく、明日の課外授業には行かなければなりません。私はちゃんとヒースクラウトまで、ナユタさんのことを見届けなくてはいけない。それが、グレイテルとの取引きですからね。朝も早いし、もう寝ますから、お前は自分の寝床に帰りなさい」

「あーっ、ひどい。私を起こしておいて、ルクレチア様が先に寝るなんて」

「誰も起きてくれなんて言っていません」

「ふーんだ。一人でねちねち考えているくせに。つれない。どうせ、眠れないんでしょう?」


 寝台の毛布に手を掛けていたルクレチアは、ぴたりと動作を止めた。


「やっぱり、初恋ってヤツですか? 色恋に関しては、遅咲きなんですね?」

「お前は、何を言っているんですか?」

「実は、私もナユタ=バーランド嬢のこと、気になっちゃったんですよね?」

「はっ……?」

「…………面白い顔をしていますね。ルクレチア様ったら」 


 呆然としているルクレチアを茶化すように、レイチェルは片目を瞑って笑った。


「いやだなあ。私が気にしてるのは、彼女の素性のことですよ」

「…………素性?」

「そう、素性ですよ。ルクレチア様。大体、おかしくないですか? 彼女明らかにトゥーナ人でしょう。どうして、建国以来の大貴族であるバーランド家が素性の知れない外国人なんかを養女に迎えたのでしょう? 何の縁もない外国人を養女に迎えないでしょう?」

「……ああ。そのことですか」


 ほっとした。

 レイチェルはあくまで理事長の妹としての興味について語っていたらしい。


「別に、理事長はトゥーナと交流があるようなので、その縁でしょう。現に彼女が寮で同室の少年はトゥーナ人のようですし……」

「うーん。だとしても、それこそ、おかしいような気がしますよ? トゥーナは今内戦状態に発展しつつある危険な国ですよ。渦中の国の少年がどうしてこんな孤島に来たんでしょうか? ルクレチア様だって、最初、その少年が不審だって言ってたじゃないですか? それこそが、彼らがこんな辺鄙な島に学校なんて建てた理由なんじゃないかって」

「それは、まあ……」


 確かに、言っていた。そして、調べようとして、ナユタを巻き込んでしまったのだ。


「少し気になる存在ですけど。でも、徹底的に調べるほどの価値は感じません」

「やっぱり、いつものルクレチア様らしくない。恋は人を変えるって本当なんですね?」

「いいから。お前は寝ろと言っているんだ」


 痛いところを衝いてくる。

 元々、ルクレチアはこそこそ嗅ぎ回ることが好きではなかった。ナユタがここにいる間は尚のこと、彼女に自分がしていることを知られたくなかった。


「でも、でも。ルクレチア様。もし、調べて何か分かれば、理事長の弱みも握れるし、ヒースクラウトとも取引しやすくなりますよ~。ねえ? もう少し、彼女をここに留めて、じっくりと調べるっていうのはどうですか? その方がルクレチア様も幸せでしょう?」

「その気色悪い声を出すのをやめろ……と、再三言っているはずなんだけどな?」


 鼻にかかった甘い声に、ルクレチアは鳥肌を立てた。これ以上この変態と付き合えない。


「私は寝ます。おやすみなさい」


 レイチェルを見ることなく、ルクレチアは寝台に入り毛布を頭からかぶった。


「ルクレチア様は、私の進言を何一つ聞いて下さらないのですね」

「取るに足らないことを言うからですよ」

「やっぱり、ルクレチア様。貴方は飲み込まれてしまったんですか。この学校に?」


 馬鹿なことを言う。飲み込まれたのは、レイチェルの方だろう。

 少なくとも、ルクレチアは女装を楽しんでなどいない。

 着地点の見当たらない問いかけに、窮していると、溜息一つ残して、レイチェルも自分の寝台へと戻ってしまった。


 何かを見落としているような気がした。

 ……だが、それが何なのか、その時のルクレチアには、皆目見当がつかなかったのだ。


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