第3章 ③
◇◇◇
――親愛なるナユタ嬢
貴方がこの島に行ったことを、貴方の屋敷の給仕から聞きました。私はいても立ってもいられなくなり、ここまで貴方を追いかけて来てしまいました。
どうしても、もう一度貴方にお会いしたくて……。
この手紙をそちらの生徒に託そうと思います。どうか、無事、この手紙が届きますように。そして、もし、この手紙を読みましたら………………
◆◆◆
「お優しいナユタ様! ありがとうございます。このご恩は絶対に忘れませんわ!」
「ああ、うん。私は大丈夫だから、帰っていいよ」
「ありがとうございます。それではお言葉に甘えて、ごきげんよう!」
「ごき……、ごきげんよう?」
その場の空気を上げるだけ上げて、巻き髪の少女は軽やかに去って行った。
まるで嵐のようだった。静寂に満ちた教室には、ナユタ一人が残されている。
「――――――――ほんと、何やってんのかなあ。……私」
悲しい独り言だった。今日も、掃除当番を押し付けられてしまった。掃除なんて、魔法でぱっと終わらせてしまえば簡単そうなのに、それをしないのがこの学校の校則らしい。
(一昨日は頭痛がひどい子で、昨日は飼い猫の餌やりをしたい子だった。今日は塗装したばかりの爪が掃除で駄目になることを心配してた子で……)
遠い目をしながら、ナユタは黙々と掃除をしていた。この程度のことは、何てことない。
辛いと感じるのは、昼休みに、レイチェルに言われたことだった。
――ナユタは、恵まれている。
そんなことはないと自分では思っていたが、傍から見ればそうなのかもしれない。自分のことだけを考えて、ナユタはこの島までやって来たのだから……。何かを犠牲にしてまで、法術師になろうとしている人には、矮小な人間にしか見えないだろう。更に、男から手紙なんてもらっているのだから、レイチェルが軽蔑するのも無理がないような気がする。
「――何を悩んでいるんです?」
「うわっ!」
振り返るより先に、ルクレチアがナユタの前に回って覗き込んでいた。
さらさらの銀髪が首を傾げた彼女に従って、光の糸のように、ゆらめいている。
「ルクレチア、帰ったんじゃ?」
放課後になって、再び姿が見えなかったので、てっきり帰ったのだと思っていたが……。
「例によって、校長に呼び出されていたんですよ。私が貴方の帰りを待たずに帰ったことがありましたか? 貴方をあの小生意気な子供のもとに送るまでが私の義務ですからね」
「うん。分かってる。でも、義務でも嬉しいな。昔からこういうのって憧れてたんだ。友達が自分の帰りを待っててくれて、一緒に帰ろうってさ。私、ヒースクラウトでも友達少ないから、そういうことって一度もなかったんだよね」
「ともだち……ね」
言葉の意味を咀嚼するような呟きと共に、ルクレチアの顔はみるみる曇っていった。
「……あれ?」
ナユタの友達なんか絶対にイヤだという意志表示なのだろうか?
(だったら、悪いことを言っちゃったな……)
「ナユタさん」
「はい?」
「貴方にとって、数少ない友達の一人として、話しますけど」
「……う、うん」
「実は私、レイチェルから聞いたんです。ナユタさんに、故郷から手紙が届いたんだって」
「えっ。じゃあ、やっぱり、レイチェルが言っていたことは本当だったんだ」
ルクレチアとレイチェルが親しい仲だというのは、本当のことだったらしい。てっきり、レイチェルは何らかの意図を持って、ナユタに接近してきたのだと思っていた。
「本当? レイチェルが貴方に何か言ったんですか?」
「な、何も。おかしな話は一つもしてないよ」
……いや、していたかもしれない。ルクレチアの恋話とか。
ナユタの目は泳いでいた。そんなナユタに、ルクレチアの三白眼が向けられている。
何でだろう。責められるようなことをしてないのに、謝罪したくなってしまうのは……。
「それで、ナユタさん。手紙の差出人は誰だったんですか?」
「……別に、大層な人じゃないよ」
「大層でない人って、どんな人なんですか?」
「ルクレチア、揚げ足取ってない?」
……どうして、レイチェルはよりにもよってルクレチアに話してしまったのか?
ちゃんと説明なんて、出来なかった。サムエルという青年がナユタにとって、どういう存在なのか、自分でも分からないのだから。
「貴方にとって、数少ない友達の私に、そのくらいのことも、教えてくれないんですか」
「あっ、いや……。その……」
ナユタは言い訳を捻りだそうと、必死に言葉を探したが、目の前でイライラしながら、ナユタの反応を待っている気の短い友人に対しては、無駄な抵抗だった。
「分かった。全部話すから」
ナユタは両手を挙げて降参すると、渋々、サムエルとの馴れ初めを話し始めた。もちろん、恋だとか、愛だとかは抜きにして。心の底の真摯な思いを伝えたつもりだった。
――けれど。ルクレチアが複雑な表情で、頬を赤らめるナユタを見守っていたことを、ナユタはまったく知らなかった。