序章
この話は割と最近書いた話です。
オカマが乳型爆弾を投げる話をどうしても書きたかったみたいです。
――聖カレア学園は、新設校。
――クラスは三つ。
――四方を海に囲まれたフローラル島で、独立国家のように存在している。
――生徒の数は百人に満たないが、皆、国内外の高貴な令嬢ばかりで、城のような寮で起居し、典雅な学校生活を送っている……らしい。
「学舎は、圧倒的な広さで島の半分をを占めている……とのこと」
今朝、島に降り立ったばかりのナユタは、事前に入手した情報を記したメモを、肩掛け鞄の底に沈めると、決意を新たに校門の前に立った。
ごくりと息を呑む。
一昨年から住所不明の兄を捜して、ようやくこの学校にいることを突き止めた。
ナユタは養女なので、兄のアベルとは血の繋がりがないのだが、両親を早くに亡くしたアベルは、ナユタを唯一の身内として、実の妹以上にナユタを可愛がってくれた。
見た目は、熊のようなアベルだが、性格は意外に几帳面で、頭の回転も速く、武芸にも秀でている。あらゆることが人並み外れていて、超人的な兄を知っているナユタだから、アベルの身の心配などまったくしていなかった。
そもそも、住所のない手紙なら大量に送られてくるので、アベルが無事なことは分かっている。
ここまで、危険を冒す必要などなかった。
故郷のヒースクラウト国の南端の港から船で丸二日揺られて、つい先程、このフローラル島に辿り着いた。おとなしく家で待ってれば、アベルは帰ってきたはずだ。……でも。
(行くと決めたんだから……)
緊張に竦みそうになる足を何とか動かした。
天にも届くと表現できるほど、高くそびえた鉄製の正門は、煌びやかな女子高の門というより、罪人の隔離施設の壁のような役割を果たしているようにも見えなくはない。
(この門……。何となく、家の門に似ているような?)
ナユタが兄捜しのために抜け出してきた実家の門もこんな感じだった。
しかし、実家に比べれば、遥かに趣向は凝らされている。
温かみのない灰色の壁ではあるが、可愛らしい花々の浮彫が全面的に施されていた。やっぱり、ここは禁断の花園世界。
――女子専門学校という名の……。
「よしっ」
ナユタは拳を握りしめて、正門の両開きの扉を開けて、一気に敷地内に飛び込んだ。しかし、途端によろけてしまったのは、足元を見るのを忘れてしまったためだ。
「えっ?」
目が点になった。
入口の先の世界は、一面の薔薇園だった。煉瓦造りの温かみのある学舎まで、一直線に伸びた石畳。その両脇に、赤、白、桃色、紫、青の色彩豊かな薔薇が、競うように咲き誇っていた。甘い香りに、酩酊してしまいそうだ。
(ここは天国……?)
ナユタも最低限の教育を受けるための学舎には通った経験があるが、こんな城館のような造りをしてなかった。もっと、こぢんまりとした無彩色の空間だった。勉強のための場所だから、質素なのは当たり前だと習ったのに……。
(本当に、ここは学校なの?)
こんなきらきらした世界で勉強なんて、出来るのだろうか。
柔らかい女の子の笑声が何処からか聞こえてくる。眩い陽光が新緑を透過して、ナユタの真下を淡く照らしていた。
「女子学校」が何なのかナユタとて想像しなかったわけではないが、まさかここまで華やかな女の園だったとは思っていなかった。それに比べて、ナユタといえば……。
荷物は最小限が良いと衣服を削ったせいで、動きやすい薄手の青のワンピース一枚の姿だ。しかも、一応性別は女だが、女らしさというものは欠如している。
兄に憧れ、様々な運動をしていたせいだろうか、髪は肩口でばっさり切っていたし、日に焼けて肌も小麦色になってしまっている。
こんな所にいたら、身分不相応だと追い出されるかもしれない。
「兄さん……。凄まじすぎだよ」
呆然とした心地で、ナユタは兄に向けての一歩を踏み出そうとする。
だが、それは次の瞬間、強い力で引き寄せられて阻止された。
「……へっ?」
一体、自分に何が起こったのか?
視線だけを後ろに向けると、繊細な長い指がナユタの袖を引っ張っていた。
「あの……?」
驚いた。強い力だったので、一瞬男だと思って慌ててしまった。
だけど、この綺麗な白い手は、女性のものに違いない。
(お嬢様の手……)
この学校の生徒に違いないだろう。
「貴方は誰? もしかして、転入生ですか?」
少女が投げかけてきた予想通りの質問。
低くも高くもない耳に程良い落ち着いた声は、ナユタの乱れた心を上手に解してくれた。
「あの……。私」
事情を話してしまおうと、ナユタはゆるゆると振り返る。
だが、すぐさま少女はナユタを自分の背後に隠した。
「しっ。いいから、私から離れないで」
「えっ?」
言うや否や、少女はさらさらの長い銀髪を自ら一本抜き、それに、柔らかく息を吹きかけた。一体、何を始めるつもりなのか……。
あっけにとられているうちに、なんと、髪はみるみる灰色の杖と形を変えていった。
「な、何?」
(夢? それとも、錯覚?)
現実とは思えない場所で、あり得ない現象を目撃している。
「手品?」
ナユタは必死で目を擦るが、残念ながら少女はその場に実在していて、きょとんとした様子でナユタを見守っている。
「手品とは違いますけど。……あれ? 貴方、転校生じゃないんですか?」
「違います。私は……」
「部外者の侵入は固く禁じますと、正門横に注意書きがあったはずですが?」
「一応、部外者ではないです。私はアベル=バーランドの妹で……」
「…………アヤべル理事長の……妹?」
「えっ? アヤベルって?」
似た名前だが、一文字違う。
それに、アヤベルはヒースクラウトでは一般的な女性名だ。
小首を傾げるナユタと同様、ナユタの前に立っている少女もまた同じように首を傾げる。
しかし、次の瞬間には、そんな余裕もなくなっていた。
ぐぎぎ……と不気味な音がしたと思ったら、目前の地面がえぐれていた。
「な、何?」
一瞬のことで、最初何が起こったのかさっぱり分からなかった。
――が、少女はあくまで冷静だった。
「薔薇です」
「はっ?」
「綺麗な薔薇には棘があるっていうじゃないですか?」
「それは知ってるけど……」
この状況とは関係ない。言葉の意味は不明だったが、ナユタ自身、自分の目に映っているものが巨大化した薔薇の花の茎だということは分かって……しまった。
「…………嘘でしょ?」
薔薇が巨大化してその茎が鞭のように人に襲いかかるなんて……。
兄が贈ってくれた薔薇も、庭の薔薇も、突然巨大化して攻撃してくるようなことはない。
「貴方、本当に素人なんですね」
「……素人って?」
ここまで凄まじい異常現象に、玄人も素人もあるのか?
――と、少女はどんと杖の先で地面を軽く叩いた。
杖の下に銀色の円陣が浮かび上がる。円の中には見たこともない文字と図形がびしりと書き込まれていた。円の中から突風が吹き荒れ、少女の髪を乱した。
『悪しき式を、消し去れ』
少女の凛然とした一言と共に、杖の頭から真っ赤な炎が生まれた。
巨大な如雨露から水遣りでもしているかのように、炎は薔薇に向かって飛んでいく。
最後の攻撃も虚しく、薔薇はすべて焼かれてしまい、今まで天国のように麗しかった世界は、灰色の焼け野原となってしまった。
(まるで、戦場のような……)
獰猛な薔薇ではあったが、こうなってしまうと、少し憐れに思えた。
そして、ナユタには、いよいよ分からなくなった。
ここは何処で、一体この少女は誰で、そして、兄アベルは何をやっているのだろうか?
「大丈夫ですか?」
「……あっ」
ナユタは、彼女の制服の袖を掴んでいたようだった。
(良かった。女の子で……)
彼女が男だったら、ナユタはそれだけで失神していたかもしれない。
赤面しながら、顔を上げると、そこには絶世の美女がいた。
雪のように白い肌に桃色の唇。整った鼻梁に、日差しをいっぱい浴びた若木の葉のような新緑の瞳。きらきらと輝く長い銀髪。まるで、修道女のような質素な紺の制服が彼女の清楚さと可憐さを引き立てていた。――完璧だ。
今まで、女の子らしい友達がいなかったわけではないナユタだが、こんなに麗しい少女は目にしたことがない。
「はい。体は平気です。頭は混乱中ですが」
「じゃあ、問題ないですね。良かった」
「全然、良くないですよ。これは一体?」
「少なくとも、貴方は、私よりはマシなはずです」
「えっ?」
少女に釘付けになっていたナユタは、その時までまったく気づいていなかった。少女の視線の先……。どうやら、自分の背後に人がいるらしい。
「今日もご機嫌麗しく、ルクレチア」
いかにもな男の武骨な声だった。しかし、妙に色気を含んでいる。怖いほどに……というより、禍々しいほどに。
(これは……)
ナユタも給仕長に聞いたことがある。性別は男なのに、女の格好を好んでする人間がいるのだと……。
(オネエとか、オカマとか……。あれ? もしかして、アレなの?)
実際会ったことはなかった。一度会ってみたいとは好奇心程度に思っていたが、男気溢れる兄の側にいて、そういう人達と会う機会はないのではないかとも思っていた。
恐る恐る後ろを見る。
―――と、しかし、その男女はナユタの想像の域を越えていた。
「げっ」
いまどき見ない、桃色のフリルのドレスに、頭には重そうなかぼちゃのようなカツラを抱えている。大きな顔を隠すように、レース地の大きな扇を口元に当てていた。
「遅刻した挙句、その罰則である毒薔薇を燃やすなんて、ふふふっ。相変わらず、良い度胸をしているのね?」
絵の具のように真っ青なアイシャドウの下。オネエさんの爛々と輝く鋭い瞳が少女を睨んでいる。少女はばつが悪そうに、しかし憮然とした表情で反論した。
「いや、でも、聞いて下さい。先生……」
「言い訳は聞きません。ルクレチア。この学校に入ったら、私の指示に従ってもらいます。さあて、今日の罰則は何にしようかしら」
「待って下さい、アヤベル先生。今日のは不可抗力です」
「ふん。言い訳? 私相手に陳腐な言い訳が通用するとでも?」
「これが見えないんですか?」
少女は自分と向き合うようにして固まっていたナユタを半回転させて、強引にアヤベルと向かい合わせた。
「……………………へっ」
どうやら、アヤベル=アベルは、小柄なナユタの存在に気づいていなかったようだ。
「ナユ……タ」
彼が間抜けな表情を隠せなかったのは、手にしていた扇を落としたためだ。
間違いない。
ここまで勘違いな格好をしていたとしても、ナユタが兄の濃い相貌を見間違えるはずがなかった。
白塗りの顔に浮かぶ深い青の瞳がナユタを凝視する。
「えーーーっと。にい…………さん?」
ナユタは泣きそうになった。
「兄さんだよね?」
居心地の悪い沈黙が二人の間を支配する。
懐かしい昔の記憶が瓦解しながら、ナユタの脳裏を駆け巡った。
――武門の誉れ高い名門貴族、バーランド家の跡取り息子。
誰よりも強く、逞しく、身寄りのないナユタの父代わりとなってくれた兄が……。
(……何で?)
――久しぶりに再会した兄は、オカマになっていました。
(そんなオチがあったたまるかっ!)
ナユタは激しい眩暈に襲われて、その場に崩れ落ちた。