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若者よ。君たちには金持ち高齢者から金を巻き上げる権利がある

作者: イワン・カラマーゾフ

「今日、僕は…人を殺す]

古ぼけたアパートの一室で男は何かに憑かれた様に呟いた。

この男の名前は佐藤哲也。三十三歳。独身だ。

「そして、このクソみたいな世の中を変えるんだ…」

哲也は生気の感じられない様子だったが、仕事に出かけるかのように髭を剃り、顔を洗った。しかし、彼は仕事を辞めて既に三年が過ぎていた。

「まあ、こんなものか。これならヤツに近づくまで目立つことはない。下見の時は不審そうな顔を俺に向ける連中が居たからな」

哲也は久しぶりに顎のラインを見ながら、髭の剃り残しを確認した。そして、鏡に映るやつれた顔の男に説明するように話をしている。

この男は、このような独り言が多かった。それは元からではない。仕事を辞め、外に出なくなってから身に着いたものだ。

そして、それは殺人の計画を始めてから更に増えていた。

哲也はカッターシャツに袖を通し、ネクタイを結ぶ。

「あれ、どうやって結ぶんだったか…、こっちから巻いて…くそっ。なんか違う。ちっ、やってられるか」

哲也はネクタイを投げ捨て、スーツを着た。そして、鏡で確認する。

「まあ、ネクタイくらい無くても誰も不信に思わないだろう。ふっ。しかし、……お前も随分老けたな」

そう言うと哲也は枯れた笑みを浮かべた。そして、着替え終えたことに安心した様子で、最期の食事を取り始めた。

コンビニで買った九十八円五本入りのスティックパン。その最後の一本を噛みしめながら食べた。

そして、食事の最後に水道水を飲む。

「はぁ~、美味しかった…」

財布には、次の食事を買う金はない。二日前から朝と夜に一本ずつを食べるのが精一杯だった。

食事を終えると親に向けて手紙を書いた。

短い謝罪だけだ。

迷惑をかける。ただそれだけだった。

哲也は間違ったことをしているという想いは無かった。

「さて・・・」

哲也は部屋を見渡した。部屋には、パソコンや雑誌は無かった。

部屋の中の物から性格を推測されるのが嫌だったからだ。

ただ、二冊の本を残していた。

本の題名は

『罪と罰』と『カラマーゾフの兄弟』

ドストエフスキーが残した偉大な作品のうち、『カラマーゾフの兄弟』を手に取りページを捲った。


「一粒の麦は、

地に落ちて死ななければ、

一粒のままである。

だが、死ねば、

多くの実を結ぶ」


哲也は、この聖書に書かれた一節を歓喜の声で読んだ。そして、興奮した様子で震えている。

「一部の金持ちや老人たちに、子どもたちの未来が搾取される日々を、終わらせるんだ。多くの未来ある子どもたちが救われる。僕があいつを殺すのは、その大いなる第一歩。かけがえのない多くの子どもたちを守るために僕は人を殺すんだ。この殺人は許される。失われた一つの命で、多くの子どもたちが笑顔になる未来が来るのだから。法が許さなくても、きっと、神が許してくれる。いや、僕は神が許さなくても構いやしない。僕は、子どもたちの未来を救うんだ!」

哲也がこのような思想を抱いた根底にあるのは、『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフに感銘を受けたからだ。

もちろん、現代の日本は、一九世紀のロシアとは違う。

外国の遠い昔の話。

哲也は、そう思っていた。しかし、哲也が仕事を辞めるきっかけとなった退職金制度変更の話を聞いた頃から、『罪と罰』の金貸し婆の姿が頭にちらつく様になったのだった。

哲也が不満を持った退職金制度の変更は、退職時に払われる金を六十歳まで証券会社で運用すると云うものだった。

証券会社が運用すること自体は悪い話ではなかった。税金も一部免除される。

会社と証券会社が開いた説明会では社員のことを考えた素晴しい制度だった。

しかし、資料をよく読んでみると退職金の計算の仕方が変わっていた。前の制度が退職時の給料と役職によって、計算されるのに対して、新しい制度は、その時の給料に対して払われる。

そして、新しい制度の対象は勤続年数が十年未満の社員だった。つまり、年功序列で給料が上がっていた年輩の社員は若い頃の働きに関係なく、退職時の役職で膨大な退職金が出るのに対して、十年未満の若手社員は、若い頃の働きはその分しか払われない。

結局、若手社員の退職金が減らされるということだった。

哲也はそのことを課長に訴えた。しかし、課長は証券会社が言うメリットを繰り返すだけで、取り合わなかった。そして、気づけば哲也は会社で孤立していた。

哲也は人間不信に陥ったまま退職をすることになった。いや、人間不信だけでなく、社会が信じられなくなっていた。

退職金制度を調べながら年金制度についても調べてみると、今、年休を受給している世代が払った以上に貰えるのに対して、若くなるに従って受給額の方が支払額よりも減るのだ。

国は、法律で強制的に若者から金を奪い取り、老人に配る。自分たちには還って来ることはない金を搾取され続けるのだ。

このままでは、老人たちが造った社会の仕組みのせいで、若者たちが疲弊してしまう。

哲也は、なんとかしなくてはならないと思った。

そんな想いを思った時に見た報道番組は哲也に残酷な現実を見せ付けた。

報道番組の内容は、片親しかいない親子の実情に迫ったものだった。

過労で痩せ細り倒れる母親。

満足な食事を取れない子ども。

そして、生きるのが精一杯な家庭は増えつつあると云うのだ。

社会が歪んでいる。

今の世の中は、補助を受けるべき人に金が届いていない。

生きていてもしょうがない老人たちに金は払い続けられ、未来ある子どもたちからは奪い取れれる。

そして、貧しい家庭で育った人間はロボット、IT技術に仕事を取られる。さらに、グローバル化によって、金をかき集めれる才能を持った人間とそれ以外の人間の格差は広がって行く。

裕福な家庭に育った人間は良いが、貧しい家庭に育ち、教育を受けれなかった子には搾取されるだけの未来しか待っていないのだ。

なんという、負の連鎖だろうか。

国はNISAという小額非課税制度で株に投資をすることで、若者にも機会を造った様に宣伝していた。資産がある人間は良い。知識や技術を持った人間に投資すれば、対価を得られる。しかし、そんな余裕すら無い若者はどうすればよい。株で資産を溜めこむのは、結局のところ、投資する余裕がある老人たちがさらに金を溜めこむだけではないか。

そんな、社会の歪みを正すためには、振り込め詐欺のように老人から金を奪い取ることすら必要と哲也は考えていた。振り込め詐欺は社会の歪みが生んだ当然の結果だ。虐げられた弱者が社会に反撃した結果だ。

だが、もちろん振り込め詐欺で何かが変わるわけではない。

哲也が考えたのは、社会の歪みを世の中に訴えることだった。

金や権力を持った人を殺し、社会の歪みを訴える。しかし、そのような人物には中々近寄れない。ならば、その家族を殺せばよいと考えた。

金や権力を持った人間は、皆を幸福にする責務を果たさなければ大事な人を失うことになると。そして、自分が一人を殺し、犯行の理由をマスコミの前で語れば、同じ境遇の人たちが続いてくれると信じて疑わなかった。


「よし、時間だ、逝こう」

哲也は一ヶ月も前に多摩川の河川敷で見つけた錆びた鉄の棒をスーツの内側に隠し持った。首に刺せば、人を殺すことは十分に可能だった。

殺す相手はこの計画を練り始めてすぐに決めてあった。

辞めた会社の副社長。会長の息子だ。

この歪んだ社会の勝者。会長の息子というだけで、生まれながらの勝者だ。

哲也は話したこともない相手だった。

しかし、こんな社会が続けば、同じようなことが起こる。それを訴えるには適任だった。。


電車に乗る金がない哲也は、会社までは歩いた。

会社まであと少し。再開発が進む武蔵小杉を歩きながら哲也は呟いた。

「乗りたい波に乗り遅れた奴は間抜けか・・・」

哲也は自嘲した。しかし、どこか晴れ晴れとした表情で高層ビルの間から見える空を仰いだ。

会社が見えてきた。いよいよ、その時が迫って来たと思うと哲也の鼓動は激しくなっていた。

会社の裏口から一つ道を曲がった所で待った。錆びた棒を袖に隠しすぐに突き刺せるようにしてある。副社長は昼になると食事へ出かける。その瞬間を待った。


十二時を五分過ぎた。年輩の男たちと一緒に四十代の男が出てきた。

副社長だ。後を付ける。

一つ目の角を曲がった。副社長と役員と思われる男が二人。他には誰もいない。

殺せる。

逃げる必要は無い。殺した後に、犯行の理由を語るまでが使命だ。

後ろから近づく。袖に入れた錆びた棒を確認する。

三メートル。

錆びた棒を握る。首元に振りかぶって思いっきり刺せば殺せる。

二メートル。棒を握る手に力を込めた。

一メートル。

子どもの声。住宅街の昼に木霊する幸せそうな声。一組の親子が楽しそうに笑っていた。

哲也は立ち止った。副社長はそのまま歩いて行く。気付いた気配はない。

哲也は棒を握っていた手を拭く。汗で濡れていた。呼吸はするのがやっとだった。


哲也は重い足取りで、アパートに帰った。すると、郵便受けに何か入っていた。

封筒を確認すると弟からだった。携帯電話を解約してからは連絡すら取っていなかった。

哲也は無感情に握りしめたまま部屋に入ると、何も無い部屋の中央で封をきった。

弟から結婚の知らせだった。

「ふっ、はははははは。あはははははは」

哲也は、錆びた棒を握りしめた。両手でしっかりと持つ。

そして、しっかりと自分の腹に錆びた鉄の棒を刺した。

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