少しずつ
左腕の赤い跡はほどなくして消えた。
あれはいったい何だったんだろう。
もし本当に誰かに掴まれたのであれば、覚えていないわけがない。
それに、痛みも伴ったはずだ。
真司は、試しに右手で自分の左腕を握ってみた。
ドキッとした。
思わず手を放す。
いや、そんなはずはない。
真司は慌てて左腕をさすった。
ここに来てからというもの、なぜか不思議なことばかりが起こる。
おばさんは、きっとすべて真司がやったことだと思っているに違いない。
しかし、真司にはまったく覚えがない。
それに、さくらという少女。
いったい誰なんだ。
なぜ真司の部屋に突然姿を現すのか。
気が付けば、さくらのことばかり考えている。
おばさんの前で涙した日から、真司は少しずつ心を開いていた。
おばさんに聞けば、すぐにでも解決する話なのかもしれない。
しかし、真司はどこかためらっていた。
この日もおばさんは、夕食を持っていつもの時間に真司の部屋にやって来た。
そして、いつものように他愛のない話を始める。
真司は、いつの間にかこのひとときを楽しむようになっていた。
おばさんにさくらのことを聞けば、この楽しい時間が失われるような気がしてならなかった。
なぜかはわからない。
「ごちそうさま…」
「ありがとう」
おばさんは笑顔で食器を乗せたトレイを持って立ち上がった。
「そうだ」
部屋を出る間際、おばさんは振り返って真司に言った。
「明日から、リビングでおばさんと一緒にご飯食べない?」
「…」
真司はどう返事をしていいかわからず、思わずうつむいた。
「急にごめんね。真司くんの気が向いたらでいいから」
おばさんは、ニコッと笑って部屋を出ていった。