立石のお話 然
よくよく考えたら、誠一郎と立石は正反対かもしれない
今の俺に絶対沸くではないだろう殺意が湧いて出てきてしまった。芽吹いてしまったのだ。
人というのは薄情なものだ。どんなに親しかろうがそれは上辺だけでのものでしかないのだ。何かあった途端、何もかもが崩れ去る。捨て去られる。
俺の場合は家族である兄貴が捕まったことだ。俺自身は何もしていないのに。ただ血のつながった家族が罪を犯した。それだけで、みんな俺を侮蔑する。
そんなのはもう嫌だ。誰も何も信じない。
俺はマンションの屋上にいた。
このまま飛び降りる。死ぬ。そして楽になる。だが、下を見ると震える。躊躇してしまう。このまま一歩を踏み出せば楽になれる。しかしその楽になる一歩が中々できない。勇気が持てない。
俺は自然と電話を取っていた。
柴坂だ。あいつはこんな俺でも構わずかかわってくれたから。
そして、俺はあいつに自分が今から死ぬことを伝えた。場所も伝えた。
俺はどうしてそこまでしまたのだろうか。伝える必要など一切合切なかった。しかしながら心の底のどこかでたすかりたいのかもしれない。
俺は……一時兄貴に対して殺意を抱いた。猛烈に。それは死に至る病になるまで俺を蝕んだ。しかしながら、俺はそれを選択できなかった。
やはり……。
兄貴に対して向いていた殺意は今や俺自身にむけられていた。
一人でぽつんと立つ。
風がなびく。
俺は今から飛び降りる。そう思っていた矢先、招いていない来客が来た。
「おやおやおや。これはこれは。とんでもないところに遭遇してしまったのかもしれませんね」
女性の声であった。聞きなれない声に思わず声を漏らした。振り返る。
「立石貴志くんね」
「そ、そうですが……」
「私は、生原。生原奈美菜。まあまあ警察ですね」
そう言って、警察手帳を取り出した。
「兄貴の件ですか?」
「ええ。ええ。だけれども、面白そうな現場に遭遇してしまったようね」
「面白そうって……」
「なに? 死ぬの?」
なんでこいつはこんなにもストレートな物言いをするのだろうか。怒りがふつふつと湧いてくる。人をいらだたせるそう言った天性か、もしくはわざと。意図的に行っているのか。もしそうだとするのならば、相当意地が悪い。
「なんなんですか? 急に」
「まあまあ。気持ちはわかるわ」
感情が何もこもっていなかった。ただ言っているだけであった。
「要件はなんですか?」
「あなたのお兄さんについて。まだまだ、どうやら、聞いていないようね。とあることを言いに来たのだけれども。まあ、今は今は。しかしながら、人の命を守るのが私たち、刑事の役目。そう思わない?」
「なにをいっているんですか?」
「基本的には、人が死んでから動くのだけれど、今日は順序が狂ってしまった」
話がなにも進まない。イライラする。
「何故死にたいの?」
「俺はもう疲れたんです。なにも、俺はななにもしていない。それなのに、どうして、兄貴が捕まったというだけで、ここまで同じような扱いを受けなくてはならないのでしょうか。同じ犯罪者。そう世間から冷たい目で見られて。冷遇を受けて。ただ同じ血を引いているだけであって。同じ家族だということであるだけで。なぜ。どうして?」
「あっそ」
そっけなく言いのけた。
「お前さっきからなんだよ! なにがしたいんだよ! 殺してやる!」
「あらあら。警察によくもまあまあ。お前も逮捕しちゃうぞ」
指先を俺に向けた。
俺は生原という刑事の胸ぐらをつかもうとする。が、途中で踏みとどまる。
「同じ血をつながったもの。兄弟で犯罪の遺伝はしているのか。そうした研究があった。どうやら、7割以上の兄弟が同じ犯罪者になる。そういうものである。つまり、だ。兄貴が犯罪者ならば、その弟も同じ犯罪者になる可能性が高い。同じ穴の狢なんだよ」
俺は握りこぶしをつくる。そして、それをこいつに向けて力いっぱいに振りぬこうとした。しかし、それを途中で止めた。
「ほらほら。どうした、どうした? 殴るの殴らないの? どっちなんだい」
呼吸が荒くなる。頭に血が上っている。俺は歯を食いしばる。違う。振り下ろさらんとするその握りこぶしを、俺は自分に向けた。
痛い。痛い。鈍痛がする。これが俺の怒りの痛み。涙があふれる。
「立石」
声がした。俺の名前を呼んだ。柴坂だった。
「どうしたんだ?」
「あー。これはこれは。確か貴方は……どなた?」
「どういう状況なんだ?」
「……柴坂」
嗚咽を漏らした。涙があふれてしょうがなかった。
「俺は……どうしたらいいんだ?」
「……」
柴坂は答えない。いや、言葉を考えているのか。
「とりあえず、生きてみればいいんじゃないか? なにも死ぬことはないだろう。なぜならお前自身は何もしていないじゃないか」
「だけど……兄弟で遺伝するんだ。犯罪の血というのは」
「本当にそうか?」
「なんで、そう思うんだ」
「少なくともお前はお前だよ。自分のことを顧みずに好き好んで人助けをする。どんなに怖かろうがなんだろうが。そして、今見ていたが、お前は怒りに任せて、他人を殴ろうとしなかった。自制した。自分を殴った。自粛しできたんだ。それが立石。お前じゃないか? 血だとかそんなもんは関係なくて、お前はお前じゃないのか?」
俺はハッとした。言われて気がづいた。
「そうだ。俺は俺だ。バカな俺だ。なんでこんな簡単なことに気が付かなかったのだろうか」
俺は立ち上がった。萎れていた花が元気を取り戻し、すくすくと立ち上がるかのように。
「生原先輩」
別の声がした。男だった。
「ちっ……」生原という刑事は舌打ちをした。「なんだなんだ。邪魔するなよ」
「え?」きょとんとしていた。「いや、すみません」
「で? なにかよう?」
「あの、誤認逮捕だったっていう話をされていたんじゃないですか?」
生原はさらに強く舌打ちをした。
「余計なことを」
「え? 生原先輩はそれを言いに来たんじゃないですか?」
「ええ。ええ。そうですそうです。西山君。あとはよろしく」
「は?」
生原はそう言って去っていった。
「えーと……状況が全然わからないんですが」
西山と呼ばれた男は戸惑っていた。
「とりあえず。君が立石君だね。それで、君は?」
「柴坂です」
「あ、そう。ぼくは西山っていって、さっきの人と同じ警察です。それでね、立石君、君の
お兄さんだが釈放されたよ」
「え? そうなんですか?」
「うん。申し訳ないけれど、君のお兄さんはなにもしていなかった。最近、とある誘拐犯が
逮捕された。凄惨な事件になってしまったが、その誘拐の容疑を君のお兄さんにかかってい
たのだが真犯人が逮捕されたため、釈放されたんだ」
驚きだった。まさか、兄貴は何も、していなかった。誤認逮捕だった。そんな馬鹿なことがあるのか。しかし、それが現実であり、事実であった。
「兄貴はなにもしていなかった」
「ああ。お兄さんを信じていて、よかったね」
信じていた? 俺はなにも信じてはいやしなかった。いや、信じることができなかった。同じ家族で会ったのにもかかわらず。何も疑いもせずに、あいつがやったと。さも当たり前のように受け入れていた。
「まさか……」
俺こそが同じ穴の狢だったのではないのか。兄貴が逮捕され、俺に悪意を向けた人たちと兄貴をなんも疑わずに犯人であったと決めつけた俺の何が違ったのだろうか。そうだ。何も違わない。
「……」
悔しかった。そして、俺自身が恥ずかしかった。こんな自分が。
「柴坂……」
「どうした?」
「来てくれてありがとう。助かった」
「オレ、なにもしてないんだけど」
「いいや。ありがとう」
兄貴ともう一度会う。そう決めた。
「兄貴」
久しぶりに声をかけた。兄貴はびくっとしていた。
「ごめん。俺、兄貴を信じてあげることができなかった」
涙を流す。
「一切合切何の曇りもなく、俺は真実だとそれを受け入れてしまった。兄貴は俺のたった一人の兄弟なのに。同じ家族なのに。どうしてだろうか……」
俺は泣き崩れた。そして、そんな俺に対して兄貴は静かに肩をそっと乗せるのであった。
犯罪者の兄弟のお話は、前に本を読んでこれをネタに使おうと思っていて、この話を作ろうと思っていたのだが、何年もたってしまい、本も売ってしまったがために、そのネタの詳しい部分を書けなかったのがマジで残念。詳しいパーセンテージとか実験の内容とか書きたかった。メモっとけばよかったと後悔している。
ただ、あくまでも、その研究は否定されているというのはある。つまるところ、犯罪に兄弟も血のつながりもあまり関係がないのではないかと思う。あくまでも、環境。これが一番のような気がする。
ドグラマグラが好きだから心理遺伝のお話で絡まると面白いのだが、まあそれはそれ。これはこれ。




