フウカのお話 続
すこし、アレだと思う。
フウカのお話
事の始まりは明け方でした。私はリビングでタロウと一緒にテレビを見ていました。買う気はありませんでしたが、通販番組を見ていました。プレゼンテーターの人が商品の良さを饒舌に、的確に分かりやすく説明していました。今紹介しているのは掃除機でした。高値ではありますが、コードレスに加え、軽量で持ち運びが楽に。小型なのにもかかわらず吸引力は普通の掃除機とは変わらない。二種類の便利なノズルがあり、どこであろうと簡単に掃除を行います。パソコンのキーボードや小物の並んだ棚や机の上。ソファーの隙間や壁際の隙間、サッシの溝などに入り込んだホコリやゴミの掃除に最適です。
通販番組で紹介された商品は別にいらないものですが、プレゼンテーターの話術がうまいのか、ついつい欲しがってしまいます。催眠術をかけられたかのように、気がつけば受話器を手に持っていたりします。非常に危険な番組です。セイイチさんに黙って購入してしまったら、ただ怒られるだけでは足りないでしょう。
でも、この掃除機は欲しいですね。高値ではありますが、掃除が楽に行えるなら、買っても損ではない気がします。いやいや。洗脳されかけていますね。
私は危ない、と深呼吸して心を落ち着かせます。平常心を取り戻します。
――コンコン。
私は体が跳ね上がりました。ビクッとしました。玄関の扉が何者かに叩かれています。ノックの音が聞こえました。私は、こんな朝早く誰なのでしょう? と恐る恐る玄関へ向かいました。
「どなたですか?」
段差がありますので、私は覗き穴で扉の先にいる人の顔を覗くことができません。
一枚挟んだ先の謎の人は何も答えません。黙しているばかりです。
「……ぅ……く……」
いえ。声が聴こえました。私は耳を澄まします。うめき声でしょうか、痛みに悶えるような、そんな声でした。
私は青ざめます。元々青ざめていた顔がより一層。
私はタロウにセイイチさんを起こすようにお願いします。タロウは急いで階段をのぼっていきました。
「た、……すk……け……」
何でしょう? 言葉を話しています。もしかして、助けて、と言っているのですか?
やがて、セイイチさんが寝起きの不機嫌な表情で「なんだよ」と言って降りてきました。私は事情を説明します。セイイチさんは、眉間に皺をよせて、覗き穴で正体を確認します。セイイチさんは慌てて鍵を開けました。
すると、少女が倒れこんできました。力なく、ばたりと。私は悲鳴を上げそうになりました。口元を抑え、それが漏れ出さないようにしました。
セイイチさんは少女を持ち上げます。隣の応接間に連れて行きます。
少女は傷だらけでした。裂傷に擦過傷。血がベットリとついていました。
「フウカ、拭く物を持ってくるから見ててくれ」
「はい」
私は少女の体を調べました。褐色肌で黒髪の少女で、私より一つ下に見えます。服もボロボロで、燃えた後がありました。これは元からでしょうが片目に眼帯を着用していました。とにかく、少女はひどい有様でした。私は傷口を調べます。それで、一つの謎が解けました。これは、やはり血だったのです。傷口から溢れです液体をこの目で確認し、ようやくその確信をえました。少女の血は緑色だったのです。見間違いではありません。赤ではなく、緑色。
この少女は、普通の人ではありません。そう……緑色の血を流す人は、普通ではないのです。私の常識に当てはめると、そうなります。普通の人は血が赤いのですから。
それならば、この子は? 人と同じ形をしています。呼吸、発汗、心臓の鼓動、言葉。それらは生物であり、ヒトである。そういえます。
私は、この子の、正体に察しがつきました。この子は、ルナさんと同じで、宇宙人である。まずそう見て間違いないでしょう。
「フウカ、これを。つけろ」
セイイチさんは私に地球外生命体のヒトと話せる翻訳機を二つ渡しました。それを私と彼女の耳に取りつけます。
「大丈夫ですか? 聞こえますか?」
私は声をかけます。反応が見られました。
《……は、い…………ふねが、つい……ら……く、して………………》
「セイイチさん、テレビを見てきてもらってもよろしいですか? たとえば隕石の落下とか、そんなニュースが入ってきていませんか?」
私はセイイチさんを走らせました。私はテレビを見ていましたが、通販番組でした。特番でニュースに切り替わるのにタイムラグがあるのは分かります。それも明け方となれば。それと、テロップは流れていなかったことから、この子の宇宙船が落下したのは、数分前であると考えられます。だから、隕石の落下はこの近くとなります。でも、それだったら、爆音が響き渡るはずですが……。そこまで大きなものではないのでしょうか? でも……うーん……。
《き、ずは……すぐ、にな……おる……。わ、た……しのそんざ、をひみつに……》
「大丈夫ですよ。安心してください。分かっていますから」
《よ……かっ、た……》
緊張が取れたのか、気絶してしまいました。
「フウカ、やっぱり、そうだ。落下してた。大騒ぎだ」
「どこに落ちました?」
「○○山だ。三つぐらい隣の町だ」
「……そうですか」
私は翻訳機を耳から外します。彼女の分も取ります。応急処置を施しながら、セイイチさんと会話をします。
「どうしますか? 今、気絶していていますし、朝になると慧莉さんが目を覚ましますし」
「とりあえず、隠そう。詳しい話はオレ達が出ていった後に聞いてくれ。その方が楽だろう。多分、ここに住まう事になるだろう」
「ですよね。訳アリですからね」
「とにかく、慧莉にばれないように看病しないとな」
「面倒になりますからね」
私は彼女の傷口を見ます。私は少し目を疑いました。ぱっくりと開き、骨まで見えていた腕の傷口がもうふさがりかけていたのです。凄い回復力です。これなら、私のつたない処置でも大丈夫です。この回復力は私の理解の範疇を超えています。やはり宇宙は広い。そう実感しました。
「どうしたっすか? 騒がしいっすよ」
慧莉さんが起きてきてしまいました。私たちのこのドタバタで目が覚めてしまわれたようです。慧莉さんは、眠い目をこすっていましたが、この惨状を見て、はっきりと目を覚ましました。この状況に言葉を失っていました。セイイチさんは言い訳を考えています。
「えっと、アレだ。酔っ払いでな。家を間違えたようだ。それに、ペンキまでかぶっちまってな」
セイイチさんはこういうふうにごまかします。
「不良っすね」あくびを一つ漏らしました。「うち、看病とかメンドーっすので、寝ます。あ、風呂沸かしとくっすか?」
「ああ。お願い」
慧莉さんは、関わらない方がいいと判断したのでしょう。そして、浴室へ向かいました。
「ふう……」
慧莉さんが去って、私は一息入れます。私はこの子の頬に触れます。
やはり、何も感じる事が出来ませんでした。近くにいるのに、遠く感じました。おそらく、誰に対してもこの距離感を維持し続ける事でしょう。
「セイイチさん、この子は何者でしょうか?」
私は尋ねます。
「宇宙人だろ?」
「疑問に思ったのですが、どうして、この家を選んだのでしょうか? 事故現場からかなり離れているここへ」
「深く気にすぎなんじゃないか? とにかく歩き回った結果たまたまここへたどり着いたということでいいじゃないか?」
「……そうですね」
私は、考えます。私がこの子なら、正体を誰にも知られたくないから、隠れられそうな所で野宿をします。そういえば、ハナちゃんもルナさんも鼻がよく利きます。普通の人間が感じ取ることのできない匂いを感知する事が出来ます。だから、ハナちゃんにわずかにつく宇宙の香りをかぎつけ、ここへ来たのでしょうか? 瀕死の状態で、疲労もピークに達している彼女にとって仲間の匂いが救いだったのでしょうか? 無理やり、これで納得しましょうか。起きた時に彼女に聞けばいいのですから。
私は彼女の体を拭きます。セイイチさんにはそれを見ないように頼みました。私は二人になりたいので、セイイチさんに服を取りに行ってもらいました。
私は彼女と二人だけになり、彼女の体を調べます。もう、傷口はふさがっています。事実は小説より奇なり。とはまさにこの事ですね。常識を簡単に覆してくれます。
でも、この子は眼帯をしています。これは治ることはないのでしょう。いくら回復が早かったとしても、治るものには限りがあるという事でしょう。
そういえば、ハナちゃんの血は紅いらしいですね。でも、傷はすぐに回復するとセイイチさんが前に話していました。やはり、ハナちゃんは、地球外の生命体なのでしょうか。超人的な力に加え、私をよみがえらせた能力、そして……。
私は自分の額を軽く叩きました。まるで思考の操作をされているみたいです、分からなかった謎を他人から解かれ、しかしそれの信憑性は薄いものの、出された答えが一つしかないからそうであるととりあえず信じてしまう。そして、その答えに合うように必要な情報は取り入れ、不必要な情報は切り捨てる。そうして、その答えに納得を持たせようとするのです。私はそれが操作されていると感じます。
「……ルナ……さん」
そういえば、ルナさんも、褐色肌でした。ルナさんをこの子に合わせます。
「うっ……」
彼女が起きました。勢いよく上体を起こしました。そして痛みに顔をゆがめて倒れます。私は慌てて翻訳機を取り付けました。
《ねてた……》
「そのようですね。もう、傷は良くなりました。もう、喋れますね」
《これは、どこで……?》
「知人が渡してくれました。あなたはもしかして宇宙から来ました?」
《これをもっているということは、はなしてもだいじょうぶ?》
「もちろんです。ここに住むひとは訳アリの人ばかりですから。これぐらいでは問題はありませんよ」
《うちゅうせん、こわれた》どうやら、気を失う前のことは覚えていないようです。
《……ばかやった。……あずかって、ほしい。かえるとこ、ない》
「それを決定するのは私ではありませんが、たぶん大丈夫だと思いますよ。安心してください」
《そう》
よかった、と安どの息を漏らします。
「ところで、最初の頃に日本語を少し話していましたが、通じるのですか?」
《うちゅうせん、で、べんきょうした。すこしだけだけど。はなすのは、むずかしいけど、きくぶんには、ゆっくりならあるていどりかいできる》
「そうですか」
セイイチさんが服を持って来てくれました。私が彼女をここに住まわせていいですか、と尋ねると即答で「いいぞ」といってくれました。私はそれを伝えると、表情を和らげました。
彼女はありがとうと、伝えて、と言いました。私はそれを伝えます。
「ところで、あなたの名前はなんですか?」
《わたし……?》目を泳がせました。言い渋っていました。《えっと、つ……ツキ……。ツキハ。そう、よんで》
私は何か訳があるのかと思い、言及を避けました。
「そう。ツキハちゃん。よろしくです」
「ツキハ、か。そうか。よろしくな」
私たちも自己紹介します。
ツキハちゃんは私の肩を掴みました。それを支えに立ち上がりました。私はまだ眠っていていいですよ、と言いますが、もう治ったと言ってききませんでした。その証拠にジャンプしました。
「傷が治ったのなら、風呂でも入るといいぞ。体をきれいにしな。オレは。ご飯でも炊いてるわ」
私はツキハちゃんの着替えを持って、ツキハちゃんを浴室へ連れて行きます。使い方をある程度説明した後、戻ろうとしました。その時、ツキハちゃんが、私の腕をガシッと掴みました。私はハッとしました。
《フウカ、へんだね。もしかして、しんでる?》
ツキハちゃんは、怪訝な顔で尋ねます。隠しても意味もないので、私は正直に「はい」と明かしました。「他言はしないでください」
《うん。このめと、おなじだろうね》
「え?」
《ふしぎ。うごいているなんて》
「私もそう思います」
《このようにおきあがってくれるのなら、こうかいはしなてくすむのだろうね》
「それって、どういう……」
《これからよろしくね》
ツキハちゃんは手を握りしめます。一方的に話を切り上げました。
《あ、これ、ぼうすいきのうついてないから、かえす》
翻訳機を返します。それで、ドアを閉めます。私は、しばらくドアの前にいました。
リビングへ戻った時、電話が鳴りました。セイイチさんが受話器を取りました。電話の内容は分かりませんでしたが、声の調子が明るかったです。でも、途中で顔色が変わりました。
「どうしました?」
「よかったぞ、コトリが見つかったそうだ」
「本当ですか! それはよかったです」
私たちは二人で喜び合いました。
「でも、浮かない顔をしていましたよね?」
セイイチさんは、コトリちゃんの説明をしました。今、コトリちゃんは病弱な女の子と一緒にいるそうです。その少女は今まで友達が出来なかったようで、しばらくの間、その子と友達になってあげるそうです。だから、いつ帰るかは分からないそうです。
しかし、もう先が長くないそうです。だから、複雑な心境なのでしょう。私も、そうです。コトリちゃんが帰るという事は、つまりそういう事なのですから……。
「でも、どこにいるか分かっただけでも十分ですよ」
「そうだな」
セイイチさんはさっそくハナちゃんに伝えに行きます。だけど、コトリちゃんが見つかったという情報だけです。余計な事は教えない方がいいと判断しました。
慧莉さんが起きてきました。私たちの喜んだ顔を不思議がっていました。今朝の事は、どうやら、夢だと思っていたようです。寝ぼけていたのでしょう。私たちはそれを利用して慧莉さんを誤魔化そうとしましたが、風呂上がりのツキハちゃんがタイミングよくはいってきました。濡れた髪を首に巻いたバスタオルで拭いていました。
「あ、今朝の」
ツキハちゃんはペコリと頭を下げました。何かを喋っていましたが、宇宙語でしたので伝わりませんでした。慧莉さんも、「なにいってるかわかんねぇっす」と笑っていました。
ハナちゃんも起きてきました。セイイチさんがハナちゃんにコトリちゃんが見つかったことを告げました。ハナちゃんは緊張の糸が切れたように、安堵し、その場に座り込みました。胸を撫で下ろしました。
「……ん?」
ここで、ハナちゃんは気がつきました。人数が一人多いことに。ツキハちゃんと目が合います。ツキハちゃんはハナちゃんに手を差し出します。そして、半ば強引に手を握ります。ブンブンと腕を乱暴に振ります。
「いたい……」
ハナちゃんは顔をしかめます。ツキハちゃんはやめました。
「紹介がまだだったな。ツキハというらしい。よろしくは?」
「うー。よろしく」
ツキハちゃんは、ハナちゃんを抱きしめました。「うー。くすぐったい。なに、いってる?」ハナちゃんは嫌そうな顔をしました。
「まあまあ。ハナちゃん、こっちに来てください」
私はハナちゃんを呼びました。耳元でハナちゃんに「あとできちんと説明しますから」といいました。ハナちゃんは納得しました。
時間はたくさんありますから、ハナちゃんがツキハちゃんを知る機会も多くなります。もちろん、それは私も、深く知る機会があります。
あと、どうせ私が言葉を教える役目になるのでしょう。少し、気が進みません。でもまあ、これも役に立てるといえるのなら喜んでその役目をお引き受けましょう。ツキハちゃんは日本語を少し理解できているので、教えるのは楽になりそうですが。
私たちはそれからとりとめもない会話をします。ツキハちゃんは喋りませんでした。理解できているのかはわかりませんでした。
慧莉さんがおっしゃっておりましたが、タロウの飼い主を探すには、張り紙がいいのではないか? そう発案しました。私たちはその事を考えてはいましたが、やはり、それが最善の選択なのでしょう。なので、セイイチさんたちが登校した後、私たちがつくることになりました。配るのはセイイチさんたちがやってくれるそうです。多分、みんなで貼りに行くことになるでしょうが。
支度を済ませたセイイチさんと慧莉さんは登校しました。
「ツキハちゃんはどういった目的でこの地球に来られたのですか?」
私はツキハちゃんに尋ねました。ハナちゃんはタロウを枕にして、仲良くお昼寝しています。
《ヒトを、さがしに。かおとなまえはしっている。たがいにめんしきはないけど、ちょっと……ね》
いいづらそうでした。私が言及しても何も言いませんでした。
《ところで、フウカは、なぜいきてるの?》
「それは私にもわかりませんが、ハナちゃんが起こしてくれたのです」
《ふーん》ツキハちゃんは私の腕をつねりました。私は反応を示しませんでした。《ごめん。ただかくにんしたかった。いたみは、ないんだ。うらやましい》
「隣の芝は青い、ですよ。私はみんなと同じが良いです」
《くるしむのは、わたしはいや》
「でも、それと引き換えに楽しいこともあるんですよ。感覚は。痛覚を失えば、それ以外もなくなるんですよ。嫌な事ばかり気にして、だから無くなってしまえと願います。大切なモノも一緒に無くなってしまうのに気がつかずに」
《面白いね》頬を綻ばせながら眼帯がしてある右目に触れました。《ところで、みんなはどういったかんけいなの? しつれいだけど、きょうだいにはみえない》
「偶然に出会ったもの同士ですから」
私は簡単に説明しました。
《わたしのいえも、そうだった。ほとんどちがつながりをもたないものたちがあつまってできたものだった。でも、ほんとうのかぞくのようになかがよかった。ちはかんけいないんだな、とおもうよ》
「それを目指してます。ツキハちゃんのご家族は元気にしていらっしゃいますか?」
ほんのわずかですが、顔がおわばったような気がしました。
《元気にしているよ》
「……ツキハちゃんが探している人はどのような人なのですか? 協力できるならしますよ」
《まあ、ありがとう。でもけっこう。いそいでないし。ゆっくりみつける。もし、きょうりょくしてもらうひつようができたら、そうしてもらう》
「はい」
《ひとは、ふたりさがしてる。ひとりはわたしのさがしびと。ひとりはたのまれたさがしびと》
「この地球にいるのですか? その人も、また地球外生命体なのですか?」
《そうだね。たのまれたひとは、ここにすんでいるけど、わたしのさがしびとは、どこにいるかはわからない》
「見つかるといいですね」
《ところで、はりがみつくらないの?》
「あ、そうでした」
言われて気がつきました。私はハナちゃんを起こします。ハナちゃんは、面倒くさいと嘆いていました。でも、文句をたれながらもやりだしました。
張り紙の製作は三人でやります。ここはこうした方がいいと意見を出し合いながら作成していきます。休憩をはさんだり、サボろうとするハナちゃんを咎めたり。楽しい時間はあっという間に過ぎていきました。
午後になり、セイイチさんと慧莉さんが帰ってきました。完成したものを見せました。セイイチさんは礼をいうとさっそくそれを印刷し始めます。三十枚ぐらい。それをセイイチさんと慧莉さんが手分けして張ることになりました。昼食を食べ終えてから、貼りに行きました。
その間、私はツキハちゃんに日本語を教えました。その時間にあてました。
やがて日は落ち、夜となりました。私以外の人は寝どころへつき、また、私一人だけの時間となりました。……あ、タロウがいますから一人ぼっちというわけではありませんね。
コトリちゃんがいてくれればさらに気は紛れますが。でも、それでも、満たされない、というのがあります。タロウがいなくなって一番寂しいのはひょっとすると、私なのかもしれませんね。
コトリちゃんは眠れるようになりました。理由は分かりません。どうして、コトリちゃんには来て、私には来ないのでしょうか。
私は深海にいる気分です。それはとてもとても深い。深淵の、底なしの闇。暗闇の別世界に。そこで私はうずくまりしずんでいるだけです。何も見えずに何も感じもしない。
内にある障害から、外からの障害から、満たされず、不満だけがひり乱れ膨満する。そして、中で入り乱れはじけ散る。
水圧に押しつぶされる。自分から溢れ流れる涙のだまりの。
人はいつも何かに満たされずに生きていきます。そして、他人の物を自分が持っていないものを欲しがり、持っているモノを嫉みます。
衆情が消え失せたとき満ち満ちるのでしょう。
深海で全てを捨て去り、眠りにつくことこそが、人にとって本当の「幸せ」となるのでしょう」
「……おきて?」
ツキハちゃんが私に声をかけてきました。機械なしでもすこし喋られるようになりました。
「うん。私は、眠れないので。永遠に。そう言う体になってしまいました」
「……」
ツキハちゃんは目を伏せました。ツキハちゃんは自分の耳を指先で軽くトントンとたたきました。耳に翻訳機をつけろといっているのでしょう。私はそれを取り付けます。そして、ツキハちゃんに渡します。
《ねむりたい?》
「それは、そうですね。みんなと同じが良いです」
《ひとりのじかんはさびしい?》
「はい」
《ねむりはくるしみをやわらげるもの?》
「今の私にとってはそうですね。夢を見て、現実から離れてみたいです」
《ゆめはひげんじつをかならずしもあたえてくれるものではないよ》
「そうですね。結局は現実の復讐をしているだけにすぎませんから。でも、だからといってそれは悪いものでもありませんよ」
《おもしろいはなし。ゆめは、パラレルワールドのじぶんをついたいけんしている。わたしはそうかんがえている。そのいちぶをぐうぜんにきょうゆうできたもの。わたしは、すこしたのしいけど、うれしいけど、かなしくなる》
「どうしてですか?」
《こういうせかいがあったんだって、しらないほうがいい。よけいにむなしくなるだけ。しあわせなせかいせんにいるじぶんにしっとするなら。くるしみのせかいせんにいるじぶんにゆうえつかんをいだくぐらいなら。わたしは、ゆめはみない》
「それだったのでは、希望になるのでは? ここはああした方がいい。こうしたほうがいい。別の世界の自分から学び、今をより良くしていこう、と。夢とは、教えなのではないでしょうか。教訓を実体験で学ばせる。そうして、自分を成長させていく。夢とは、立派な学びなのではないでしょうか」
《まえむきだね。うん。やっぱり、きみはおもしろい。ゆえに、かなしい》
「悲しい?」
《わたしは、ねがいをかなえるためにきた》
「人探しの事ですか?」
《それをこのめに……。いいえ。そのために、わたしは、たいせつなひとたちをおいてきた。だから、そのねがいがたっせいしたとき、わたしは……はなれなくちゃいけない。だから、ヒトとわかれなければならない。それが、かなしい。いや、かなしみは……かんじれるといい》
ツキハちゃんがどのような決意でここへ来たのかは私には理解できないでしょうが。でも、私にはツキハちゃんを励ますことはできます。
「仮にツキハちゃんが願いを叶えて、いなくなってしまったとしても、ツキハちゃんが私たちとの思い出を憶えている限り、ずっと会えています。傍にいれています。それに、信じてさえいれば必ず会えますから」
《ふふ。そうだね。しっかし。ひとりでのながたびのせいか、あったばかりのヒトにこのようなはなしをしてしまうなんて》
「私は嬉しいですよ。私でよければ、どのような話の相手になってさしあげます」
《ありがとう》
「なんだか、楽しいです。やはり、一人で時間を過ごすより誰かと一緒に時間を過ごす方がいいですね」
《フウカは、そうだね。ねえ、フウカ。ねむれるといいね。のぞみとおり》
「気長に待ちます」
私たちは時を忘れて会話に華を咲かせます。いつまでも、こういう風に楽しい時間が、誰かといる時間が、続くのを今の私は望みます。
少し読みずらい所があったかもしれません。
次は7月12日20時です。
ハナのお話 後
短いです。
次で一区切りつきます。それで、三分の一が終わります。
本当に長い。収集がつくのか……。まあ、頑張ります。
では。




