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花は散り急ぐ  作者: 夏冬春秋
されど月影の色を知る
14/48

思った以上に長くなってしまいました。

これで後編終了です。

一番最後のはオマケのOです。


玖の部分加筆しました。



 現場につくと、幽香ちゃんは石段の上でうずくまって泣いていた。オレはすぐに駆け寄った。


「どうしたんだ?」


 彼女は真っ赤にはらした目をオレに向けた。そして抱き付く。オレは動揺したが、それを受け止めてあげた。幽香ちゃんは泣いていた。嗚咽だけが耳に届く。表情は分からない。しかし、きっと悲しみに暮れているのだろうというのは分かる。


 オレは彼女の両肩を掴み、そっと身体から引き離す。そして、目線を彼女の高さに合わせて、もう一度たずねた。


「何があったんだ?」


 幽香ちゃんは戸惑っていた。自分の胸に握った拳を押しあてて、乱れた呼吸を戻していた。しばらく間が空いた。無言が続く。幽香ちゃんは話そうとするが、その踏ん切りがつかないようだ。オレは彼女が話すのをただ黙って待っていた。


 彼女は中々語ろうとはしなかった。オレは彼女をその場に座らせて、飲み物を買いに行った。近くに自販機があったため、オレは水を買う。オレは彼女の隣に座り、それを彼女に渡した。彼女はゆっくりとそれを飲む。


 大分落ち着いたのか、雰囲気が柔らかくなった気がした。やがて、彼女がポツリと呟き始めた。


「じ、実は……私……」声は枯れていた。「いえ……すみません、着いてきてもらえますか?」


 オレは疑問だった。彼女がここまで憔悴し、苦悩している理由が。オレは彼女の後を追い、石段を登る。ここは彼女とよく行く場所だ。あの山へ続く階段だ。


 百を超える階段を登ると、石畳があり、それに導かれるまま進むとまた階段がある。さらに進んでいき、山道に入る。そこをもっと進んでいくとあの頂上があるわけだが、そこへは向かわずに、山道を外れ、茂みの中に入っていく。傾斜をしばらく下る。どこへ向かうのかは分からない。木々が何かを隠すようにして立ち並んでいた。


 オレは訝しく思った。眉間に皺をよせる。幽香ちゃんはオレをどこに連れていきたいのだろうか。


 オレは目的地に着いたとき、彼女の真意を知った。


「これ……です……」


 オレは暗くて何も見えなかった。とりあえず、携帯を利用して明かりをつけた。するとそこには想像しえないモノがあった。


 それは死体だった。うつ伏せになって倒れていた。頭からは大量の血が流れていた。目を大きく見開き絶命していた。


「死んでるな」


 オレは冷静だった。もう見慣れたものだった。


「そ、そうです……」


 オレは事の重大さに気づいた。要するに、彼女が殺したのだろう。


 しかし、それを何故オレに見せたのだろうか……。


「この人が、言った……ストーカーです。見覚え、あると思います」


 オレは死体の顔を覗いた。死体を横向けにし、まじまじと見た。


「あの、痴漢か」


「そうです」


 その死体は男であり、あの痴漢だった。オレはおおよその事を理解した。


「なるほど。復讐をしに君を付け狙っていたわけか。それで、君は……」


「こうなるなって思ってなかったんです」彼女はその場で泣き崩れた。「もうどうしたらいいのか分かりません」


「少し、説明してくれるか?」


「私が下の方で歩道を歩いていたら、突然腕を掴まれて、人はいなくて、それで……私は逃げたんです。そうしたら、ここまで追って来て、こうなるなってしまったんです」


「なるほど」


 オレは彼女の話を軽く聞き流しながら、死体を観察していた。興味はそっちにあった。


 死因は頭部の強打か。オレは死体を仰向けにし、持ち物を探った。すると、何か気持ち悪いものが手についた。それを見ると血だった。オレは汚いな、と何か拭くものを探す。だけど、無かったのでそのままにした。


 胸辺りを触れてそうなった。ここにも血が流れていたようだ。オレはそれを確認する。確かに、そこに存在した。よく観察してみると、何か刺した痕があった。


 ナイフか。そこまで深く刃が入っていないと見た。多分、幽香ちゃんの仕業だろうな。この痴漢に襲われ、ここまで逃げてきたが、捕まり、抵抗してつい、刺してしまったのだろう。しかし、それでは致命傷にはならず、仕方がなく石で脳天を叩きつぶした、と。その凶器となった石はそこに転がっていた。血が付着していたので、それは間違いない。


 しかし、分からないものだ。どうしてここに逃げたのだろうか。人通りに出ればいいし、なによりも交番もある。そこに忍び込めばいいのに。それと、刃物はどこだろう。見渡す限りそれはない。まあ、彼女が持っているのかな?


 いや……そもそも、何で刃物なんか持っていたのだろうか。普通は護身用としても持たないよな。オレは中学の時に何となくカッターを制服に忍ばせて、満足していたが、幽香ちゃんは女の子だし、そういう痛い子ではなさそうだし。


 オレはハッとする。


 どことなく漂う怪しい気配に気が付いた。後ろを振り向くと、刃物を振りかざす幽香ちゃんの姿があった。


「……ッ」


 オレは紙一重でそれをかわした。本来刺さるはずだったオレの代わりに、あの痴漢に刃が突き立てられた。


 幽香ちゃんは舌打ちをする。そして、死体から刃物を抜いた。血が辺りに飛び散った。


 オレは体制を立て直し、彼女と対峙する。彼女は一身に血を浴びて、笑っていた。


「何をするんだよ」


「失敗しちゃいました。もう少しで殺せたのに、残念です」幽香ちゃんは男の顔を踏みつけた。「殺したのにもったいなかったですね」


 オレは混乱する。何故彼女がこんな事をするのかが理解不能だった。


「これは……?」


 幽香ちゃんはオレが隠し持っていた日記を拾った。よけた拍子に落ちてしまったのだろう。


「やっぱり、誠一郎さんが持っていたんですね」


「やっぱり……?」


「なるほど。もう、真相を全て知っているというわけですね。そして、あの夜に忍び込んだのは誠一郎さん、貴方だったわけですね」彼女は低く笑った。「この男だと思っていましたが、そっちでしたか」


 オレは一歩下がる。彼女はそのままだった。ふらふらと立っていた。口角が吊り上がっていた。オレは警戒する。安心は出来なかったからだ。


 ピリッとした空気が流れる。それは非常に張り詰めていた。


「まず、君が言いたいことは分かる。しかし、何故オレを殺そうとするんだ?」


「わかりません」


 ケロッとして言った。


「ただ……分かることは……私が誠一郎さんに好意を抱いていたという事だけですね」


「詳しく説明しろ」


「好きだって事ですよ。恋心。私は、誠一郎さんが好きです。この場ですからハッキリといいます。好きなんです」


「……突然告白されても困るが」


「それもそうですね。でも、私が誠一郎さんに気があるというのは覚えてくださいね」


「そんな事より、オレの質問に答えろ」


「誠一郎さんは人を好きになったことはありますか?」


「……」オレは答えなかった。いや、答えられなかった。それも彼女は知っている。構わず、話を続ける。


「私は、その好きな人に裏切られるのが一番嫌なんです。嫌われる事が嫌いなんです。恋をしているときは幸せです。幸福です。でも、相手の気持ちがわかった時点で、それが一転し、絶望に変わるんです。だったら、その前に、この気持ちを、思い出を、箱に詰めたまま、鍵をして、どこかに大切に保管していた方がいいじゃないですか」


 オレは黙っていた。彼女の言葉に真剣に耳を傾けていた。


「その箱を壊す者を私は許しません。それと、その箱の中身が傷つくのも私は許しません。私は、思い出や想いをそのままにしておきたいんです。今は大丈夫でも、日々が重なり積もりつづければ、それが形を変えて変貌してしまうんです。その人自身の手によって」


「……」


「私はそうなる前に、壊すんです。その人を。そうすれば、永遠に私の想い出のまま私の心の中に、箱の中に生きていられるんです。わかりませんか? そういうの」


「全然」


「ですよね。誠一郎さんには絶対に理解できませんよ」


 オレは顔を強張らせる。


「だから、死んでください。私の思い出の中で生きてください」


 彼女は距離を詰めていく。オレは動かなかった。


「逃げ惑わないんですか?」


「ああ。とりあえずな。なるほど。君の話は分かった。だから、父親も、妹も、母親さえも殺したわけか」


「そうですよ。もっとも、日記を見てしまったのだから、それはもう理解できますよね」


「この写真が示す通り、だろ?」


 オレは半分に千切られた写真を彼女に見せる。


「それ、返してください。私のです」


 オレはそれを放った。ひらひらと地面に落ちていった。彼女は警戒しながらその写真を拾った。恍惚とした顔を見せた。


「君と、君のお父さんの写真だね。多分、もう片方に君の妹とお母さんが写っているんだろうな」


「そうです。あいつらが、嫌いだったから。私のお父さんに、まとわりついていたからです。うじゃうじゃといる鳥は撃ち殺すに限るんですよ」


 どす黒い声だった。愛憎が複雑に絡み合っていた。


「長年にわたって周りに嘘の情報をねじ込ませたのに、何故君はお父さんを殺したんだ?」


 お父さんというのは、あの死体だ。四肢を切断され、絶命していたあの男性の死体だ。


 すべては計算だったのだ。こいつが積み上げてきたトラップ。


「それは、私は関係ないですよ。勝手に周りが勘違いしたんですから。私がお父さんをやったのは、私の箱を傷つけたからです。絶望したんです。お父さんが私の事を好きじゃないって知ったから」


「それだけの理由でか」


「誠一郎さんには分かりますか? 好きな人に嫌われるこの気持ちが!」


「知ったこっちゃないよ。そんなのは」


「はあ」彼女は呆れたようにため息をついた。


「オレには君の考えがまるっきり理解できない」


「理解しようとする気も無いですよね?」


「もちろんだ」


 彼女は苦笑を漏らした。肩を落とす。


「それで、どうしますか? 私を。警察にでもつきつけますか? 心残りはありませんから。まあ、強いて言うなら、あなたをここで今殺せない事が心残りになりますが。とにかく、死んでください。山を下れば逃げられるでしょう。でも、それは私がさせません」


 馬鹿なことを言っている。逃げられないのははたしてどちらなのか。


「証拠品であるこの日記も、仕方がありませんが、処分させていただきます。この日記に全てが書かれているので、解決は早くなるでしょう。私に渡した事は後悔するべきですね」


「関係ないよ。そんなのは。むしろいらないよ。そもそも、君を警察に突き出すつもりはない」


「どうしてです?」


「死ぬからな」


 オレは指を鳴らした。その合図と共に草陰に身を隠していたハナが颯爽と登場する。ハナは幽香に飛びつき、幽香が持っていたナイフと日記を落とす。そしてそれをオレに投げた。オレはそれを手に取る。


「こういう事だ」


 ハナにはあらかじめ食べないように命令してある。とりあえず今は動きを封じてもらっている。幽香は必死に抵抗するが、ハナの力には敵わない。


「ハナ、コトリもよこしてくれ」


 ハナはオレが言った通りにコトリを投げた。コトリは人形のふりをしていた。


「これで、形勢逆転だ」


 オレは勝ち誇った。


「どういう事ですか? これは」


「ハナだよ。まあ、家族だ。ともかく危険な奴だ」


 ハナは「そう」と幽香の耳元で言った。幽香は鋭い舌打ちをした。


「殺すんですか? 私を? 何で?」


「何を言っている。お前もオレを殺すつもりだっただろうに。ハナ、離してやれ」


 ハナは言われたとおりに手を離した。幽香はオレとハナを交互に見る。そして警戒を強める。


「君の武器であるナイフもオレが持っている。観念しろ」


「いやです。私は死にたくありません」


「ハナ、その男、いいぞ」


「いいの?」


「ああ」


 ハナは「やった!」と大はしゃぎする。そして、痴漢の男をむしゃむしゃと食べ始めた。ぐちゃぐちゃと肉を食う音と、ゴキゴキと骨が砕かれる音が山中に響き渡る。幽香はそれを見て血の気が引いていた。生気を失っているようだった。そして、嘔吐する。腹の中身をぶちまける。彼女は今自分に起きているこの異様な事実を目の当たりにして驚倒する。


 腰を抜かし、ただただそれを呆然と眺めているだけでしかなった。


「演技はやめろ。君だって、血を見ているだろうに。お父さんを分解しただろう? それなのに何で怯えているんだよ」


 オレは彼女の肩に手を乗せた。彼女は小さく悲鳴をあげると、「違う!」と叫んだ。その声はこだました。


「オレが今から君にすることは理解しているよな?」


「も、もしかして……」


「こいつは綺麗に食ってくれる。だから死体を隠すという七面倒なことをしなくてすむ」


「やめてください! 助けてください!」


 幽香はオレの足にしがみつき、命乞いをする。


「君の家に死体がなかっただろう? それも納得しただろう?」


 ハナが肉を食い荒らす音だけがこの空間に流れていた。オレはハナにきちんと頭蓋ことまで食べるように伝えた。返事はなかったが、多分分かってくれているだろう。


「お願いします。何でもしますから。お願いします」彼女はそればかりをリピートさせていた。狂ったラジオのようにエンドレスだ。


「君は魂というのを信じるか?」


 オレは彼女に問うが、彼女は聞く耳を持っていなかった。オレは仕方なく独り言を話し始めるのだ。


「オレはね幽霊はいないと思っていたんだ。そもそもの話、魂という概念そのものが無いものだと考えていた。人間は死んだら「無」になるだけだ。その「無」が怖いから、天国とか地獄とかそんなくだらないものを作り出したんだ。オレは「無」になれればそれでよかった。生きる事に絶望していたからな。しかしオレは「無」が怖かった。オレは「無」を望んでいたにもかかわらずその「無」に怯えていたんだ。だからオレは生き続ける事を選んだ。しかし、オレは幽霊の存在、魂を知ってしまった。オレは失望した。死んだ先には「無」が無いと知ったからだ。死んだ先にも生があるのだ。オレ達は永遠に生を感じなければならない。それがどんなに苦行なことか。絶望か。わかるか?」


 彼女の返答はない。泣き叫ぶだけだった。


「安心しろ。幽霊となって、生き続けられるさ」


 オレは優しく幽香の肩に手を置いた。幽香は首を激しく横に振る。


「セーイチローそこまででいいだろ」


 コトリが動き出した。人形のふりをしていたコトリは体を動かし始める。オレの頭の上によじ登り、そこを椅子にした。


「トウショのヨテイとはちがうね」


「まあ、いいだろう。こんな感じだっただろう」


「こっちを見ろ」


 オレは幽香の首を持ち、無理やり上を向かせた。幽香の目には大粒の涙があった。そしてそれは頬に滝のように流れ落ちていた。嗚咽を漏らして、満足に喋る事ができないようだった。


「おネエちゃん。わかる? ユナだ」


「エ……?」


 幽香は声の主を探し出す。コトリがオレの頭から飛び降りた。そして、幽香に今の自分の姿を見せるのだ。


「こいつは、魂が宿ってしまった人形だ。オレはこいつの正体を探していた。それが、君の妹であるとにらんだ」


 幽香は分からないという顔だった。展開がさっぱり読み込めていなかった。


「あたしはキオクをウシナった。だから、ジツはチガうかもしれない。でも、これがイチバン、チカい。そうオモった」


 コトリは幽香の手を思いっきり踏んだ。それほどのダメージにはなっていないだろうが、幽香は手を引いて、踏まれた場所をさすっていた。


「君が妹を殺した。その殺された魂が、オレの元へやって来たのだ」


 確証はない。しかし、その説が今のところ確証に近いのだ。コトリの記憶。そのほとんどに幽香が絡んでいた。コトリが今までに思い出したことを総合すると、だ。家の事、家族構成、その近所。それらが日記の事や幽香の身辺から照らし合わせて酷似していた。


「あたしだよ。こんなになったけど」


「ゆ、ユ……裕菜……なの?」


「タブンね。あたしをとじこめてたんだよね」


「…………」


「ソトにでたいって、そういうコトだったんだね」


「そ……それっ……て……」


 幽香は段々と喋れるようになってきた。落ち着いてきたのか。あまりにも理解不能な事が立て続けに起きたせいで逆に落ち着きを取り戻したのか。


「オレが前に聞いたことだ。コトリの事だ。ああ、コトリは、今のコイツの名前だ」


「セーイチロー、すこし、だまって。あたしがはなしてる」


「わかった」


 オレは距離を取った。二人きりの、姉妹だけの空間を作ってあげた。それは不思議な空間だった。二人を取り巻くその空間は特別なものを感じた。神聖な場所のような気がした。


 もっとも、その中で流れているBGMは人の肉が食い荒らされている音だが。オレは腕を組んで木にもたれ掛る。二人の会話を盗み聞きする。


「おネエちゃんの口から、ちゃんとキきたい。どうして、とじこめた?」


「……それは……」


「いって。あたしは、チョクセツききたいだけ。おネエちゃんがあたしのことをどうおもっていたか。ブンより、クチからきいたほうが、いいんだ」


「……」


 幽香は震えていた。そして、また涙を流した。


「私は……」


 幽香は黙った。言葉が止まった。重たい口が中々開かない。固く閉ざされている。コトリはそれをひたすら待っていた。口が開くのをひたすら。


 二人の空間に静寂が訪れる。お互いに目を合わせていた。ジッと。彼女たちにはどのような事を思っているのか。オレには分からなかった。


「アンタが………憎かった」


 幽香が話し始めた。拳を握る。手に土を握る。歯がカチカチと鳴る。嗚咽が漏れる。そしてゆっくりと、幽香はコトリに、自分の気持ちをぶつけていく。悲しみと憎しみ、それらが混ざりに混ざった気持ちを言葉に乗せていく。




 私は妹の裕菜が憎かった。三つ下の妹が憎かった。それは私が三つの頃からだ。


 私は両親に愛されて生まれてきた。その時から。ずっと。私だけの物だった。私だけを見てくれていて、私だけに構ってくれていた。母はいつも私の傍にいた。お父さんとは顔をあまり合わすことはなかったけど、それでも、たまに見られるあの笑顔が好きだった。


 私が三つになった時、裕菜が産まれた。妹だ。それと同時に私は姉となった。


 私はそれから色々と我慢をしなければならなかった。姉だから、ただ先に生まれた、というだけで。後に生まれてきた妹の為に、耐えねばならなかった。


 愛情は私から妹に移っていった。


 私ばかりに構ってくれた両親は、妹ばかりを構うようになった。妹はただ泣くだけで、その気を引いていた。私はそれが憎くてたまらなかった。


 母は私を叱ってばかりいた。ぐちぐちうるさい。何かと文句をつけてくる。そしていつも妹を贔屓していた。本人はそうでもないというが私にはそう思えて仕方がなかった。それが嫌だった。


 お父さんとはわずかな時間しか一緒にいられなかった。夕飯の時から、寝る時までの数時間程度。本当に僅かだ。朝もそう。お父さんはすぐに仕事へ行ってしまう。


 その限られた貴重な時間に、私は、お父さんに甘える。いつもべったりだ。将来はお父さんのお嫁さんになるのが夢だった。そんな風に、子供らしく可愛かった。


 母がお父さんと話しているのが憎かった。それもあった。なんだか、私のお父さんを一人占めされているようで嫌だった。実際にそうだったのだろう。母だけではなく、母を見ている父にも少しだけ、憎悪が芽生えるようになった。


 私は、私だけを見ていてほしかった。私にかまけてほしかった。四六時中ずっと。


 休日は頼み込んで公園へデートしに行ったり、欲しいものを買ってもらったり、甘えさせてもらっていた。私はその時が一番幸せだった。そしてずっとこうでありたいと願い続けていた。


 お父さんは妹にも気を配るようになっていった。私の影が薄くなっていく気がした。お父さんの私だけを見る時間がどんどん少なくなっていった。


 妹の当時はまだ赤子。喋る事も出来ない。よくわからない言葉を使ったり、泣いたりして、コミュニケーションを取っていた。それは突然にだ。横取りする形で。例えば、私がお父さんと話しているときに、泣くと、お父さんはそっちに行ってしまう。普段は母が世話をするのだが、二人であやすのがしばしば。私は孤独感がたまらなかった。


 私は姉として、妹の世話をしなければならない。母の代わりに、面倒を見なくてはならない時がある。とろくて、何を考えているのか分からない妹にイライラしていた。気に入らないことがあればすぐに泣き、それで母が飛んでいき、私を叱る。私は何も悪い事をしていないのに。


 私と妹がお互いに成長して大きくなっても、それは変わらなかった。私よりも、妹ばかりが優先されていた。


 私の祝福の時だった、デートにやがて妹も加わることになる。私はそれが嫌だと断っても、お姉ちゃんなんだから我慢しろ、そういう風に言いくるめられていた。私は当然納得していない。


 私は妹に、私の時間を邪魔するな、と怒ったことがある。妹は私の言うことを理解してくれなかった。叩くと、泣かれ、私は怒られる。フラストレーションは着々とつもっていくのだ。


 だから私は妹をよくいじめた。憂さを晴らすために。親の見ていない所で、叩いたり、閉じ込めたり、いろいろした。でも、最終的には、それがバレて大目玉を食らう。それを理解しているにもかかわらず、やめられなかった。


 妹は私をどう思っているのか、それが疑問だった。


 私がどんなに妹を虐げても、時間が経てばまるでなかったかのように、私と仲良くして来ようとする。私に引っ付いて、甘えてくる。私には理解できなかった。


 私の心境は複雑だった。





 ある日、私は決意した。邪魔者は消してしまえばいいのだ、と。そうすることで、私は理想を手に入れられる、と。


 六歳の時。私たちは家族旅行へ行った。ドライブで、温泉やら、どこかに行った。その時、殺そうとした。母と私が崖の近くで、海を眺めていた。周りには誰もいなかった。お父さんと妹は、売店で楽しそうにアイスを食べていた。その時だけは、私は妹に譲ってあげた。


 私は、油断している母を崖から突き落した。柵を突き破り、母は悲鳴をあげ、海へ飛び込んでいった。私はそれを呆然と見下ろす事しか出来なかった。私は素知らぬ顔でお父さんの所へ戻った。


 やがて、姿を見せない母に疑問を持ったお父さんは、母を探し始める。見つかった時、もうすでに母は死んだ後だった。死因は事故死と判定された。


 私はほくそ笑む。これで邪魔者は妹のみとなった。少なくとも、母がいなくなればそれだけで、お父さんといられる時間が増える。私はそう踏んでいた。


 でも、現状は悪化しただけだった。逆に、お父さんは仕事に打ち込むようになり、家に帰るのが遅くなっていった。そして、私は妹と共にいる時間が多くなっていったのだ。それは私の望まぬ形だった。


 私は妹を虐めつづけた。その夜になると、お父さんに言いふらし、私が殴られる。怒られる。前のお父さんは怒るだけだった。叱るだけだった。でも、母が亡くなってから、怒るときに、拳が来るようになった。私はそれで泣く。妹は自分の部屋で呑気に遊んでいる。


 私のお父さんはどこかへ行ってしまった。私は悲しみに暮れる。


 私は理解している。怒られるのを。でも、妹が許せなかった。私は知っている。お父さんは私よりも妹の事が好きだって。それを知っている。だから、私は妹を虐める。妬みだ。嫉妬だ。私はそれによりお父さんから嫌われるのを分かっているのに、それを止められなかった。私は何度も繰り返す。


 私はどうしたらいいのか分からなかった。お父さんは私を殴る回数が次第に増えていった。妹には手を出さない。私にだけ。


 すべては妹の所為なんだ。あいつの所為で何もかもくるってしまったんだ。


 どうしてあの時母を先に殺したのだろう。先に殺すべきは、妹だったのに。私のミスだ。


 私は、妹を殺そうとしたことがある。しかし、失敗した。


 また事故に見せかけて殺そうとした。でも、失敗したのだ。妹は、病院で生死をさまよった。私はこのまま死んでくれと願った。だけど、妹は奇跡的に一命をとりとめてしまった。


 私は複雑だった。


 私は妹の為に食事を作ってあげていた。私は、その料理の中に、妹の分の中に、洗剤を混ぜていた。妹は苦い顔をしながら食べていた。文句は言っていなかった。気づいていないだけだろう。


 やがて妹に症状が出始めた。妹は病気にかかった。私は毎日こつこつとやった甲斐があったと喜んだ。


 妹はまた入院する。そこで私が料理にそれを仕込む事が出来なかった。妹は次第に元気になっていき、また普通に学校へ行けるようになった。


 お父さんはその間、ずっと妹につきっきりだった。私は家に取り残されていた。


 どうしてこうも上手くいかないんだろう。私は泣いた。枕を濡らす日々が続く。




 私が今度した事は監禁だった。最初は家に閉じ込めてはいない。姉妹だけが知っている秘密の場所があった。そこは今でも誰にも教えていない。そこで動けないようにして、閉じ込めた。しばらく私はそこへ通った。妹は私が来ると嬉しそうにした。


 妹は行方不明扱いされていた。捜索されたが、半年たっても見つからなかった。


 その間のお父さんは荒れていた。妻を亡くし、愛娘を失くし、悲しみに暮れるのも無理はない。でも、これでようやく私が望んだ日常がやってくるのだ。お父さんと二人だけの世界。私は心が躍った。


 でも、私に幸せなど来なかった。お父さんは、廃人と化していた。私は頑張って、世話をするがお父さんは虚ろのままだった。


 それでも私は嬉しかった。今となってはお父さんには私しかいないのだから。


 私はそろそろいいだろうと妹を家に戻した。まだ息はあった。喉は潰しておいたので、声は出せない状態だ。私は、ある部屋のクローゼットの中に妹を押し込んだ。


 私は滑稽だった。お父さんは妹をまだ探している。しかし、その本人が同じ家にいるのだから。


 お父さんは家に帰ってくるのが遅くなった。帰ってこない日さえあった。


 そういう日は、私は妹と話をする。もっとも、一方的であるが。


 ある日私は修学旅行へ行くことになった。当然、妹は放ったらかしにしなければならなかった。私は、まあいいだろう。と、そのまま満喫することにした。


 帰ってくると、すこし変な臭いがした。あのクローゼットの中だ。私は恐くなった。


 私は、あのクローゼットの中を開けるのをためらった。もしかすると、この中に妹の死体がある。


 望んでいたはずなのに、恐かった。私はそこを封印した。開けられないようにした。


 そうすることで、安心した。




 シュレーディンガーの猫はご存じだろうか。


 箱の中に猫を入れて、生きているか死んでいるか。という感じの奴だ。その猫の生死は箱を開けて見なければ分らない。つまり、箱を開けない限り、猫は生きている可能性がある。


 私は、妹が生きている、そう思っていた。いや、信じていた。


 本当なら、死んでいるだろう。臭い的にもだ。でも、それでも、万が一、生きているかもしれない。それは箱を開けて確かめて見なければわからない。


 だから、まだ妹は生きているんだ。


 心の中が複雑だった。





 当然、日が経つにつれてその異臭は強烈になっていく。お父さんはその異変に気付いた。お父さんはその部屋に行く。そして、私がした封印を解こうとする。箱を開けようとしたのだ。私はとっさに、お父さんを殴った。近くにあった棒で、思いっきり殴った。


 私には理解が出来なかった。なぜこのような行為に及んでしまったのか。


 私はどうしようか、と考えた。その先に出たのは、監禁だった。


 もう、バレてしまっては、どうしようもない。だから、ついでにこの部屋に監禁するのだ。そうすれば、お父さんにいつでも会えるではないか。なぜ、こんな事に今まで気づかなかったのだろうか。


 私は、お父さんを監禁した。


 まずしたことは、お父さんの移動手段を潰すことだ。腕と脚を切断した。処置もしっかりとした。それで身動きがまず取れない。


 何もできないお父さんのお世話を私はした。食事も、着替えも、全部やった。


 でも、お父さんはちっとも喜んでくれなかった。そればかりか、私に中傷的な言葉を使う始末だった。


 私はお父さんに今までの事を全部話した。すると、お父さんは、私にひどい事をいった。罵られたのだ。面罵されたのだ。罵倒されたのだ。痛罵を浴びせたのだ。


 私は頭の中が真っ白になった。


 そしてお父さんは最後にこう言った。「お前を初めから愛してなどいなかった」と。


 私は気が付いたら、お父さんを殺していた。


 私が何度声をかけても、動かなかった。


 死んでいたのだ。


 私は茫然自失する。


 前が見えなかった。


 私の人生の輝きが一気に失われた。


 私は愛されていなかったのだ。お父さんに。


 私は何だったんだろう。


 急にばからしくなった。今までやって来たことが馬鹿らしくなった。心に大きな穴が空いた。私はその穴が空いたまま、それからを過ごした。


 でも、私のその穴が埋まるのは、割とすぐだった。






「どうしてあんたは、私の邪魔をしたの⁉」


 幽香は叫んだ。


「……ごめんね」


「謝れても……! どうしようもない!」


「……ごめん」


「……! 何で⁉ 何で謝るの⁉ 私がした事を、あんたは知ってるでしょ⁉」


「しってる。ヒョウメンジョウだけだけど。でも、ツタわるキがする」


「何が⁉」


「おネエちゃんが、ココロのヤサしいヒトだって」


「……!」


「どうして、カンキンしたトキ、あたしをタスけてくれていたの? なんでわざわざキてくれていたの?」


「それは……逃げ出してないか、確認する為で……」


「ウソ。ホントは、シンパイだったんだろう?」


「他人かもしれないアンタが! 変なことを言うな!」


「……あたしは、おネエちゃんがやったことは、タダしいとはオモえない。でも、もうすこし、ジブンにスナオになるべきだった」


「うるさい!」


「あたしは、とじこめられ、サビしかった。でも、アンタはそれをまぎらわした。わずかであったが、それはキボウでもあった」


「…………」


「あのシャシンがショウコだよ。ウツっているのは、おネエちゃんとお父さんではなく、あたし……ユナだろ?」


「……ど、な……!」


「やっぱり。にているようだけど……おネエちゃんじゃないもん」


「……」


「ダイジにしてたんだね。フタリとも」


「アンタに何が分かるのよ……! 曖昧な存在なくせに」


「たしかにそうだよ。フメイなソンザイだ。それに、このあたしのキオクはたしかじゃないかもしれない。でも、あのジンジャで、あんたと、アソんだこと、それはキオクがある。これはジシンをもっていえるよ。おぼえている? そこのブランコで、アソんだ。ナイヨウはおぼえていないけど、ハナした。オカシをおごってくれた。ソーダあじのアイス、すきだったよね。あたしは、そのトキのおネエちゃんのエガオも、フシギと、キオクにのこってる」


「……どうして」


「あたしは、ホントにユナかわからない。でも、あたしが、かわりにいってあげる。「イマまでありがとう。そしてきづけなくてごめんなさい。あたしのブンまでイきて」だよ」


「ほ、本当に……許してくれるの?」


「……」


 コトリは幽香の頭を撫でた。そして、可愛らしく笑うのだった。


「そんなツゴウのいいようにはならないよ」


「えっ……?」


 コトリの思いもよらぬ発言で、幽香は絶句する。


「そもそもあたしは、ユナなんかじゃないよ。そうダンゲンできるコンキョはないが、なんとなくそうおもう。いや、あたしのガンボウだな。おまえみたいなジブンカッテなサツジンキのいもうとなんかいやだね」


「ど、どうして……?」


「まあ、しいていうならばあたしのキオクには、あんたはいる。だけど、ニッキとことなるぶぶんがたたある。それぐらいかな」


「わ、私は……! 殺人鬼なんかじゃないよ! 自分勝手でもない!」


「どこが?」


 冷酷にいいはなった。


「あんたはケッキョクじぶんのことしかかんがえない。そしてじぶんのセカイのキョウリョウさにきづいていない。だからあんなことがデキるんだよね」


「ちがう! 私は……ただ! 好かれたかったの! 私を好きでいてほしかったの!」


「それがジブンカッテだというのに……。ハンセーもなにもないね。やっぱり、コロすしか……ないよね?」


 コトリはナイフの刃先を幽香に向けた。幽香は「ひっ」と間抜けな声を出して後ずさる。


「ゆ、許してください……。殺さないでください……。お願いします……」


 懇願する。藁にも縋る思いだ。死にたくはないから、殺さないでくれと頼み込む。哀れを誘っている。


「あんたは、それでも、ゆるしてほしいの?」


「は、はいぃ……!」


 惨めだった。顔が涙でボロボロだった。


「うー」


 ハナがオレの裾を掴んだ。ハナも冷ややかに幽香を見ていた。


「なら、このナイフで、ジブンのめをつぶせ。ゆるしてほしいというきもちがあるなら、それぐらいはできるよな?」


 コトリは幽香にナイフを投げた。それは地面に落ちる。幽香はそのナイフを拾う。カタカタと手が震えていた。自分の目に刃先を近づける。中々決心がつかないのか、アクションを中々起こさなかった。


 そして、幽香は、ナイフの柄を地面につけて、頭をふりかぶり、ナイフの先を自分の顔にぶつけようとした。


「……」コトリはそれをただジッと見ているだけだった。コトリはこの時、何を想っていたのだろうか。


「そこまでだ」


 オレはナイフを蹴り飛ばした。遠くにそれは飛んだ。オレはハナに「拾ってこい」と命令する。ハナは言われたとおりにそれを取りに行った。


 オレはしゃがみこみ、泣き崩れる幽香とコトリを交互に見た。


「コトリ。もう、わかったんじゃねぇか?」


「……」コトリはしばらく沈黙する。それから「そうだね」という。


「はい! セイイチ!」


 ハナがナイフを届けてくれた。オレは「ありがとう」と言ってそれを受け取った。


「えっ……?」


 幽香は状況がうまくつかめていなかった。


「オレから一つ、お前に質問だ。お前はこれからどうしたい?」


 オレは幽香にそう尋ねた。幽香はオレを見ていた。


「わ、私は……た、ただ、許して、欲しい……です」


「誰にだ?」


「か……家族に」


 オレは何故かイラッときた。眉間に皺をよせる。


 幽香にイラッときたのではない。それは分かっている。だけど、怒りが止められなかった。


 オレは幽香を平手打ちした。


 幽香は吹っ飛んだ。


 オレの手はジンジンと痛んだ。なにか、気持ちが悪かった。


「まずは一つ言いたいことがある。オレは、お前が嫌いだ」


「ど、どうしてそんなことを言うんですか……」


「お前みたいなやつ、愛されるわけがないんだ」


 オレはゆっくりと立ち上がった。そして、コトリにナイフを手渡した。


「何で……? 私はただ、好きになってほしくて、愛してほしくて、私だけを見ていて欲しかっただけなんですよ? それがダメなんですか? いけない事なんですか?」


「……」


 オレは何も答えない。ハナが心配そうにかけよる。


 オレはこれから何も言わなかった。


「あんたは、シタしかみていない。そういうことだ。ジブンをせまいセカイにとじこめたやつが、そうしてもらおうなんてむりなはなしだ」


「わからない……わからないよ……」


「なら、チャンスをあげるよ。ユナのブンまでイきろ。そうして、リカイしろ。ジブンがなにがたりないかをな」


「生きる……?」


「だが、ジブンのためだけにいきるな。それがジョウケン。あんたは、これからは、ユナのかわりになるんだ。ユナがいきられなかった、とじこめられただけのイッショウをあんたがかわりにうけるんだ。それをヤクソクできなければいまここでコロす」


「ど、どういうこと……? どうやればそんなことが?」


「テメェでかんがえな。あたしにはわからない。それはあんたしだいなんだから。あんたの、その「ゆるされたい」というきもちだけだ」


「……」


「それが、あんたができる、ツグナいだ。くるしんでもがいて、そしてリカイしろ」


「……なんでさ……私が何をしたか理解して、言っているんでしょ? それなのに何でそんな事いうのよ……」


「いいか。あたしはユルしてはいない。マチガったオコナいを、オカしたツミはカンゼンにセイサンすることはできない。でも、それをキョウクンにタダしていくことはできる。かえていくことができる。そうしようとするココロがあるか、ないか、でちがう。もし、そうじゃないなら、いまここでシネ。ツグナいたいなら、イキロ。あたしが、みはってやる」


「うっ……私は……」


「ひとからもらったことばだけど、アンタは、シタしかミてない。そこのセカイしかしらない。だから、たまにはうえをみろ。そこにも、ちがったセカイがある。それをしれ。あんたはそれをみるんだよ」


「ごめん……なさい……」


 幽香はコトリを抱き上げる。コトリはそれを受け入れる。声が響く。その声は悲しみであふれていた。


「でも、ホントに、ただいきたいとオモうだけなら、いまここで、シネよ?」


「は、はい……」


「セーイチロー。コロすか?」


「いや」


「もしも、コロすなら、まずはそのナイフでじぶんのクビをかききれ。それがジョウケンだ」


「……」


「アンタも、同じだよ」


 その言葉はひどく冷たく感じた。


「……わかったよ。ハナ、帰るぞ」


「はーい」


 ハナの声に元気がなかった。もう一人食えるかもとずっと待っていたのだから。


 オレ達は幽香を放って、帰ろうとする。


「待って!」


 幽香がオレ達を呼び止めた。


「この子……ことりに……会いに行っても……いいですか……?」


 オレはコトリを見る。コトリは小さく頷いた。


「ああ。いいよ」


 幽香はまた泣き始めた。嗚咽を漏らし始めた。


「もうちょっと……いいか?」


 コトリが幽香の傍に駆け寄る。コトリは幽香の袖を掴む。


「いいか。あたしをワスれるなよ。ジブンのカゾクをワスれるなよ。そのカゾクにしたことも、すべて。ワスれたら、コロしにいくからな。…………ゆか……」


「うん。……わかったよ。…………ことり……?」


「ああ」


 オレは二人をただ見守る。この時オレは何を思ったのだろうか。





 七月に入った。暑さはどんどん増していっている。夏が湿度によるジメジメとした蒸し暑さではなく、普通の暑さで勝負を仕掛けはじめた。


 オレは冷房の効いたリビングで、ぐったりしていた。もうすぐテストだというのに、勉強せずに、漫画を読んでいた。


「フウカは、動物を飼ったことはあるか?」


「どうしたのですか? 藪から棒に」


 オレはパソコンから音楽を流してそれを鑑賞しているフウカに尋ねた。フウカは薄く笑いながら、体をこちらに向けた。


 ハナとコトリは二階で遊んでいる。コトリは無理やり連れていかれた。今頃ハナのいいおもちゃとして扱われているのだろう。


「そうですね。金魚を一回だけ飼ったことがあります。友達とお祭りで、金魚すくいをして取れた子です。すぐに死んでしまいましたけど」


「まあな。ああいう出店の金魚は病気持ちだとか、先が長くないやつを揃えているからな」


「セイイチさんはどうですか?」


「オレか? オレはハムスターだ。小さい頃にな」


「それは可愛いですよね。ゴールデンハムスターとか、ジャンガリアンハムスターとか、見ていても飽きないですよね。でも、寿命が短くて少し、悲しいですよね」


「そうだな」


「どうしてセイイチさんはこの話をしたのですか?」


「いやなに。あまり関係ないさ」


「気になりますよ」


「まあ……ふと、昔を思いだしてな」


「昔ですか?」


「ああ。ハムスターを飼っていた頃な。もう六年ぐらい経つのかな。オレはあいつを大切にしていた。あいつも、相当オレになついていた」


 フウカは言葉に合わせて頷いて、聞いていた。オレは続けた。


「でも、いなくなってしまったんだ。弟が、オレに無断で小屋の外へ出し、遊ばせていたんだ。それで、弟が少し目を離した時に、どこかへいなくなってしまったんだ」


「それから……見つかったのですか?」


「いや。見つかっていない。この家のどこかにいるはずなのに、それでも見つけられなかったんだ。オレは弟を責めた。でも、弟は、謝りを一つもしなかった。そして許されたんだ。弟を怒るオレが逆に親に怒られた。せっかく大切にして育てていたものを失くされ、それでもオレは我慢しなくてはいけなかったんだ」


「それは……ひどい話ですね」


「さすがに、もう死んではいるだろう。でも、亡骸は見たかったな。ちゃんと弔ってあげたかったなと今でも思っている」


「そうですよね。ちゃんと、看取ってあげたいですよね」


「あいつ、まともに生きて幸せそうに死ねたのかな」


「多分……そうだと、そうであると……信じたいものですね」


「ああ。……分からないものだな。しかし、小屋の外に永遠に出られたんだ。あいつにとっては良かったのかもしれないな。……と、悪いな。急にこんな話をしちゃって」


「いえ。大丈夫です」


 フウカは寂しそうだった。目を伏せていた。オレは移動しフウカの肩に手を置いた。フウカは少しだけ笑っていた。





「あれからどうなんだ?」


 オレは幽香とファミレスで話していた。未だに幽香との交流は続いている。コトリとも仲良くしているようだ。たまに家に遊びに来ている。それをオレは許可している。


「何も変わりませんよ」


 口ではそう言ってはいたが雰囲気が前に比べるとよくなっていた。明るくなっていた。


「私、ずっとモヤモヤしていたんですよ。そしてそれに苛立ちを覚えていた、それです」

「そうか」


「ことりが道を作ってくれたことに、感謝しています。私は私自身がなすべきことをしたいと思います」

「その為のすべき事は見つかったか?」


「いいえ。さすがに無理です。まだ見つからない。でも、まだ先は長い。十年も二十年もあります。それで答えをゆっくりと見つけていきたいと思います」


「それがいいと思うよ」


「私、留学しようかと思っているんです。高校から、ですが」


「留学? 場所は?」


「まだそれは決まってないですが。とりあえず、世界を見て回りたいんです」


「世界を?」


「はい。私は、これで満足していましたが、それではだめなんですね。私は、ここにいる世界が全てであると思っていました。でも、そうではなかった。結局、目を背けていただけなんだって。だから、私は、もっと、知りたいと思っているんですよ。あの、神社の山からの景色だけではなく、色々な景色を」


「そうか。それがいいと思うよ」


「私は、いうなら籠の中に自ら閉じこもっていたんですよ。でも、誠一郎さんに会えて、なによりも、ことりに会えて、気づいたのかもしれません。でも、籠の外は未知です。何が起こるか分かりません。でも、私はそれでもいいと思っています」


 幽香は笑顔でそう言った。オレは「そうか」と言ってほほ笑んだ。


「今の気持ちは、絶対に忘れるなよ。コトリとの約束は忘れるなよ。オレはそれの言うとおりに、行動するから」


「わかっています」

 幽香は力強く頷くのだった。





「タイクツだ」


 コトリはルナが作ったブランコで遊んでいる。ハナとフウカはオセロを楽しんでいた。ハナの悔しがる声がしたので、また負けたのだろう。今日はこれで九回目か。


 コトリはブランコから飛び降りて、自分の家に戻った。階段を使って、三階のピンクの部屋に行き、ベッドに横たわった。


「結局、真相は分からない、か」


 フウカがは黒を白に変えていた。それと同時にハナが「ぎゃー」と言って倒れこんだ。オレはその中でコトリに話しかけた。


「そうだ。あたしは、ナニモノか、わからない」


「本当に、裕菜ではないのか?」


 コトリはそう言ったのだ。そして、それと同じことを幽香も言っていた。


「たぶんね。カンだ。あたしは、ちがう。でも、あのキオクはホントだとオモう。だからきっと、ユージンだったのかな。そんなかんじ。なかのよい、そんなかんじがするし」


「しかし、あの一帯に住んでいたというのは分かっているのだから、もう少しで自分を見つけられるだろ?」


「そうだね。でも、まあ、いいや。もう、キオクとかそんなのどうだっていいや。ベツのなにかをみつけるよ。とうぶん」


 コトリはベッドから起き上がり、それから屋根に上り、立っていた。


「もう決めているのか?」


「まだ。とりあえず、ゆかをみる、というモクテキがある。それイガイもほしい。まあ、このカラダでできることをしていきたいな」


「そうか」


「セーイチローもみつけろよ」


「わかってるよ」


 オレはコトリを見た。コトリは人形だ。だから、表情が変わるはずはない。でも、なんだか、コトリは笑っているような、そんな気がした。


 ルナが作ったコトリの家がこのリビングにある。オレはそれをただ見つめる。それはもう小鳥の住まう家ではなかった。なんだか大きく感じた。オレは前髪をかきあげた。そしてソファーに倒れこんだ。


 オレはそのままで外の眺めを見る。そしてそれに手を伸ばす。しかし、その手は虚空をつかんだ。虚しさだけが心に残っただけだった。






 籠の中に出られた。そこは見たことのない世界だ。手が届かなかったあの月をようやくつかむ事が出来たのだ。


 後ろを振り返る。そこにはさっきまで自分を閉じ込めていた鳥かごがあった。もう小さくなっていた。これでようやく自由になれるのだ。この森の中を走りながら笑う。空を飛びまわっているような気分だ。浮かれる。手を大きく広げる。風が祝福しているようだ。澄んでいて気持ちがいい。何年振りだろうか。この感覚は。


 閉じ込められる前は当たり前に感じていたことがこんなにも幸せだったなんて知らなかった。鳥かごの外がこんなにも幸せであふれていたなんて全然知らなかった。


 月は自分の影を照らす。


 籠の中から見たそれは希望の光だった。その希望の光をただ籠の中から眺めていた頃が懐かしく思える。今はそれを全身にそれを浴びる事が出来るのだ。そしてこれからもずっと。


 走る。駆ける。


 とにかく、あの鳥籠の中から遠くに逃げなければならない。


 もう縛り付けるモノは何もない。自由になれたのだ。世界へ羽ばたく翼を手に入れたんだ。


――ねえねえ。君はどこへ行くの?


 それは分からない。


 でも、前へ進もうと思う。


――君が言うあの鳥籠の中は、幸せだったんだよ


 そんなことは分からない。自分の中ではこの外が幸せに見えたのだ。だから、外に出たのだ。飼われることから逃げたのだ。


――逃げるなよ


 違う。旅立ちだ。あなたがいう「逃げる」とは違う。小鳥は自分の世界を見つけに巣から羽ばたくのだ。そうして大きくなっていくのだ。


――君は何も知らない。その、君が望んだ世界というのがどれだけ危険だかという事を。君は知らないのだ


 惑わそうとする。その甘いようで苦い言葉に耳を貸すほど馬鹿じゃない。


――だから君の飼い主になってあげたんだよ。それは親鳥に飼われているよりよっぽどいい事だよ


 ちっともよくない。どこがいいんだ。


――どうして君は理解してくれないんだ? いつになったら言葉を信じてくれるんだ? 君の幸せを願っているだけなのに。だから傍でずっと飼ってきたんだ。ずっと世話をしてあげたんだよ。可愛がってあげたんだ。それなのにどうして刃向うんだ? たてつくんだ? 攻撃するんだ? 君にとって素晴らしい鳥かごを用意してあげたのに。どうしてそこから逃げようとするんだ? 理解がまるでできない。そこは楽園だ。幸せの園だ。そこには世界が詰まっている。世界という恐怖から逃れる術がそろっている。幸せだったんだよ。君が言うあの窮屈な世界は君に幸福をもたらすものなのだよ。それを何故君は理解しようとしないのだ。外に出た鳥は外の恐ろしさを理解していない。天を駆けるけることができないのだ。翼をもがれ、地に這うのだ。そして君は思う。あの巣が幸せだったのだと。食われて気づくのだ。エサにされてようやく気付くのだ。だから君の為に籠を用意してあげたのだよ。それを何故理解してくれないんだ? なら、壊すしかない。君は壊れるしかないのだ。もう君は永遠に理解しうる事が出来ないのだろう。この言葉を本当の意味で理解することはかなわないのだろう。君が他の誰かに食われてしまう前に、壊してあげよう。食べてあげよう。そうすることで籠の世界が全てだと思ったままで飛んで行ける


 あなたは可哀想な人。閉じた世界で永遠に生き続けているといいわ。


――ねえねえきみきみどこいくの?


 わからない。でも、大空に羽ばたこうと思う。


――さようなら


 翼はおられた。


 地をなめる。


――さようなら


 おわかれだ。


 束の間に見えた希望に。


 さようなら。


 籠の中で静かに目を閉じた。



ゼロ


 箱の中で眠っていた。もう誰も来ない。誰も助けに来ない。


 もう、諦めていた。ずっとこのままなんだろうって。


 だけど、ふたがあいた。開かれた。光が差し込む。真っ暗闇で、絶望の闇であったこの空間に一縷の希望の光がさしこんだ。


 そして、手が差し出される。


 その手を受け取るか迷う事はなかった。


 すぐにその手を受け取った。


 すると、その手は自分を引っ張り上げ、この箱の中から取り出してくれた。


 世界が広がる。


 ようやく自由になれたんだ。


 空を自由に羽ばたけるんだ。


 もう、なにもいうことはない。


 わたしは満足だ。



多分、大体は回収したと思います。

矛盾がありそうなのが恐い。

どこまで真相を話せばいいのか、さじ加減が難しいですね。

とりあえず、言いたいことが伝わっていればいいです。




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