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花は散り急ぐ  作者: 夏冬春秋
籠の中の小鳥、月の遠さを知らず 
10/48

天 下

前編終了です。

思ったより長かった。

次の投稿はちょっと間が空きます。


 あれから一週間が経とうとしていた。季節は梅雨に入り、蒸し暑い日が続くばかりだ。雨ばかりの天気はオレを憂鬱にさせた。


 オレは雨が嫌いだ。深い事情はない。ただ単に、外出が面倒くさいという理由だ。オレは家にこもるのが嫌いだった。息がつまり苦しかったからだ。オレは外へ出るのだが、靴とか濡れてしまうのが億劫だ。ただそれだけだ。


 雨が好きな奴がオレは意外に好きだ。というか羨ましくある。雨といったら陰鬱。そう決められているようなものだ。それが人の心の中に強く根付いている。オレはそれでもなおそれを楽しめる者が人生を謳歌していると思う。何事もポジティブに捉えられるそんな隙間、穴、それを愛せる人が何事にも明るく取り組めるのだなと思う。


「柴坂、傘をもう一本持っていたりしないか?」


 SHRが終わり、いままさに帰ろうとしていた時だった。立石が申し訳なさそうにしてオレに聞いてくるのだ。


「今日の予報は雨だっただろうに、何で持って来てないんだよ」


 今日は午後から雨が降るという予報だった。今朝にそれをフウカに言われて傘を持っていったのが正解だった。ちなみに今朝は晴れていた。だから、雨が降るとは考えられなかった。まあ、梅雨なのだからそれを予見することはたやすいのかもしれないが。


「折り畳み傘を持って来たと思ってたらそうじゃなかったんだ。それで、どうなんだ?」


「念のために折り畳み傘をバックに入れといてよかったよ」


 オレはバックからそれを取り出した。自分が傘を忘れたときように忍ばせといて良かった。


「助かる。何か奢るわ。今度」


「別にいいよ。ちゃんと返してくれたらそれでいい」


 オレは立石に傘を渡した。


「ついでに一緒に帰ろうぜ」


「少し、用事があるんだ。悪いな」


「何だよ、用事って」


「たいしたことじゃない」


 オレは図書室に寄るつもりだった。ルナさんに頼まれて、いくつか本を借りなければならなかった。


 そういえばルナさんはもう日本語をマスターしていた。フウカやコトリの教え方が上手だったのか、一週間足らずでスラスラ言えるようになったのだ。脱帽してしまう。


「そういえば、あの女性ってどうなったんだ?」


「さあ?」


 オレはやはり嘘をついた。立石に悪いが、そうさせてもらう。下手に真実を言って話がややこしくなるのは避けたいからだ。かといって、バレた時が一番ややこしくなるのだが。まあいいだろう。


「じゃあ、また明日な」


 立石は肩を叩き、教室から去っていった。オレは図書室へ足を運ばせた。


 図書室は自習場所になっていた。静かで、教科書やノートを広げ頭の中に知識を叩きこむ人ばかりだった。もちろん、そんな人ばかりではなく、読書を楽しむ人や小声ながらも喋りに夢中になる人など様々な人がいた。


 オレはルナさんに面白い小説を借りてきて、と頼まれた。オレは人に物を薦めるのは好きな方ではない。自分の趣味を露呈させたくはないからだ。こういうのが好きなのか、と思われるのは良い気持ちがしない。


 とりあえずオレは図書委員が推薦している本を適当に手に取った。ミステリー小説らしく、文庫本にしては珍しく厚い本だった。有名な作家の力作であり、ベストセラーになったやつらしい。とりあえずオレはそれを借りる事にした。一人が借りられる本は二冊までなのであと一冊しか借りる事が出来ない。オレは上下巻ある本の上巻を借りる事にした。単行本で、文字が非常に小さいやつだった。一ページに文が二段に詰め込まれていて、強く読み応えがありそうなものだった。文字に慣れる為にはこれぐらいが十分だろう。オレはその二冊を借りる事にした。


 図書の先生に珍しいものを借りるねと言われた。確かに、こんな分厚いのを借りるのはよっぽどの物好きだ。


 本を濡れないようにバックにいれ、図書室を後にした。そして、玄関口へ行き、そこで靴を履きかえて、外に出た。雨はまだ降っていた。地面を景気よく叩いていた。傘をさして外に出るとパラパラと音を奏でる。オレは水たまりを避けて歩いていく。校門を抜けた時そこに誰かが立って待っていた。女の子だ。この学校の制服ではなかったので、誰かの彼女が彼を待っているのだろうな、と無視し、その横を通り抜けていった。


「あの……」


 その少女が声をかけてきた。オレにだ。オレは不意をつかれた。まさかオレに話しかけてくるとは思いもよらなかったからだ。


「柴坂……誠一郎さん、で?」


「あ、ああ……」


「私の事を覚えて……ますか?」


 オレはこの少女に見覚えがあった。制服も合わせ、この声やら顔。一週間前に見た少女だった。


「あの時の君か。どうしたの?」


「その、お礼が……言いたくて……ありがとうございました」



「それで、か。別にいいのに。でもわざわざありがとう」


「それで、これ……」


 紙を渡された。その手は震えていた。


「わ、私の……メアドと電話番号です。もしよければ……今度、ご、ご飯に……」


 ご飯に、なんて社会人か、とツッコミを入れたくなったが抑えた。


「面倒くさいからそういうのはいいって」


「で、でも……」


 彼女は悲しそうな目をした。情に訴えられた。


 彼女は今までここでオレを待っていてくれたのだから、断りづらいといえばそうなる。オレはどうしたものかと悩み、結果しぶしぶとその紙を受け取ったのだ。一度会って、それっきりにすればいいだけの話だ。


「君の名前はなんていうの?」


「あ、そうですね……。まだ言っていなかったですね……。私は、(ひいらぎ)幽香(ゆか)です」


「柊さんね」


「ゆ、幽香で……大丈夫……です」


「うん。わかった。幽香ちゃんね」


「はい。ありがとうございます」


「ところでさ、もしかしてずっとオレの事を待っていてくれたのか?」


「はい。制服で、学校しか分からなかったので……」


「何か、悪い気がするから、ファミレスとかそこらでどう?」


「いいん……ですか? ぜ、ぜひ……喜んで」


「いいの? 予定とかないのか?」


「だったら……待ちません」くすりと笑った。


「それも……そうなのかな? じゃあ、行こうか」


「はい」


 幽香ちゃんは嬉しそうだった。どうせ、これっきりだし。まあいいだろう。


 オレはとりあえず安い所へ行こうかなと考えていた。幽香ちゃんはオレの横を歩く。


 幽香ちゃんは確か中学生だ。わざわざ礼をしたいがためにここへ来るのはいやはや行動力があるものだ。オレは少しだけ感心する。


 そういえば、彼女は電車通学だったな。違うのかもしれないが。この辺りに住んでいて電車で通っているのだろうか。待つにしたって、少なくとも学校が終わるより早く待っていなければ待ち人を逃す可能性がある。もしそれから今まで待っていたとすると、学校が早く終わったか途中で抜け出したかになる。まあ、ガバガバの推理をしても何も生まない。どうせ、暇つぶしに寄って少しだけ待っていたのだろう。まあ、どうでもいい。


 オレ達はファミレスへ寄った。


 人は別に多くはなかった。まばらだ。オレは同じ学校のやつがいないかだけ確認した。制服を着ている学生は何人かいるが、その中に警戒すべき学生はいないようだ。オレは安心して、中に進むことが出きた。


 店内の奥の方を案内された。幸いなところ、近くの席には誰も座っていなかった。オレは荷物を横に置いて、腰を押しつかせた。幽香ちゃんはその対面で腰を下ろす。


「雨、私たちが出たときには……止んでいるといいですね」


 幽香ちゃんが最初に話を振って来た。


「幽香ちゃんは、雨は嫌いなのか?」



「微妙……です、ね。好きでもなければ、嫌いでも……ない、みたいな……」


「ふーん。それよりさ、固いね」


「固い、とは……?」


「もう少しさ、リラックスしていいんだよ。こっちまで緊張しちゃうよ」


「は、はあ……。すみません」


「いや、まあ別にいいけどさ。とにかく、自然体で行けばいいんじゃない? オレはその方が楽でいいけどさ」


「……はい」


 とりあえず頷いただけだ。別に今日までだから別にいいけど。


「何頼もうか」


 オレは金をあまり浪費したくない。前までは特に考えていなかったが、もう少し考えるべきであるのだ。安くて軽く食べられるものがいいな。


「私は、ナポリタンで……。少し、早いですが、夕飯に……」


「じゃあオレはサラダでも頼むよ」


 注文を決め、店員を呼び出す。そして互いに注文し、商品が出てくるのを待った。


「あの、誠一郎さん、て呼んでも……いいですか?」


「別にいいよ。呼び方なんて」


「じ、じゃあ……誠一郎、さんは……兄弟は、いるんですか……」


 何だろう、この不躾な質問は。いや、案外普通の質問なのかもしれないな。


「……弟がいたよ」


「そう、なんですか。私は……妹がいました」


「長女なんだ」そうは見えないが。


「でも……私、全然、お姉ちゃんらしいことをしてやれてないです」


「オレも似たようなものだよ」オレは水を一口飲んだ。「あれからさ、どうなのさ? 電車でまだ通っているんだろ?」オレは話題を変えた。


「あ、あれですね。……はい。何も……ないですよ」


「それは良かった。何か部活はやっているのか? あの時間帯はそんな感じだけど」


「いえ……。やってないです。学校で、宿題を、してから……帰るんです。いっつも」


「へえ。偉いね。オレは寝る前にならないとやる気がしないよ」


「誠一郎さんは……?」


「オレもやっていない。というか、バイトやっていたしな」もちろん、今はやっていない。ハナとかが来て、そんな暇は無くなったからだ。しかし、最近はまた始めようかなと考えていたりもする。


「そっちの方が、私は偉いと……思います……」


 そうこう話している内に料理がやって来た。オレはまずフォークを手に取り、野菜をつついた。口にはまだ運ばずに、彼女の料理が出てくるのをまった。数分後ようやく出てきた。彼女もフォークを手に取り、パスタを巻きはじめ、それを口に運ぶ。「おいしい」と満足そうな顔をしていた。


「誠一郎さんは……動物は、好きですか……?」


「動物? まあそうだね。ハムスターが好きだったな」


「ハムスター、ですか。可愛いですもんね。……小動物が好きですか?」


「どちらかといえば、ね。犬とかも好きだが」


 オレはハナが食べたあの動物たちを思い出した。あの中に犬もいたよな、と思いながらサラダをむしゃむしゃと食べる。


「私、鳥がダメです……」


「鳥か……鳥はよくわからないな。ツバメとかは可愛い気がするが」


「私、特に、小鳥が……ダメなんです。……カラスとかそういうのは……いいですけど」


「珍しいね。カラスが好きな女の子はめったにいないよ」


「あ、すみません……」


「いや、謝る所ではないけど」


「すみません……」オレはくすりと笑ってしまった。「私、小鳥って、か弱いから、嫌いなんです」


「ハムスターも、そうじゃないか?」


「いいえ。……あの、小鳥は、飛んじゃうじゃないですか。だから、捕まえにくい……すぐに、逃げちゃうし……それが……嫌……です」


「……ふーん」


「だったら、籠の中に閉じ込めていた方が、楽ですよね」


「それは……飼うって事だろ? 鳥に限らずに大体はそうやってないと逃げてしまうからな」


「フフ。そうですよね。でも、実際に飼っていましたよ。犬も」


 照れくさそうに彼女は笑った。


「そうだったんだ。動物を飼うって、大変だよな」


「はい。私は、どうも動物には好かれないようで、小鳥は手を出すとつつくし、犬は何かと私に吠えるんです」


「いるよね。何か動物に好かれない人って。なんだろうね。幽香ちゃんは動物に嫌われそうには見えないけどな」


「犬は好きだったんですが、吠えられてばかりで残念でしたよ。ああ、でも、ハムスターには好かれていましたね」


「ハムスターも飼っていたのか。意外に生き物を飼っているんだね」


「でも、いなくなっちゃったんです」


「……なるほどね。脱走しちゃったのか」


「みたいな……ものですかね……」彼女の中ではあまり適当な言葉ではなかったのか、口をとがらせて、自分の真実に合う言葉を探していたようだったが、それが見つからなかったのか、それで納得した。そして「まあ、八年ぐらい前の話なので」と記憶があいまいだという事を説明した。


 オレ達はそれからぽつぽつと会話をしていき、食事を終える。しばらく店内で雑談を交わし、時間を潰した。店を出たときには暗くなり始めていた。結構長いこと店内にいたようだ。


 オレは彼女を駅まで見送ることにした。彼女は「ありがとうございます」と礼を言っていた。


 駅につき、オレは彼女を見送ろうとする。彼女は「連絡してください」と言っていた。オレは「分かった」と言った。


 連絡先だが、オレの分も彼女に教えてしまった。だから、今晩もしくは別れてから数分後に向こうからメールが来るだろう。


 オレは彼女が改札口を通るまで見送り、それから別れた。


 オレが家に帰るか、と吐息をついたとき、さっそくメールが来た。『今日はありがとうございました。また会いたいです。いつ空いていますか?』とメールが来た。オレは後で返信するか、と文字を読んだだけで携帯をそっと閉じた。


 雨はまだ降り続いていた。






 家に帰ると珍しく、いい香りがした。料理の匂いだった。


「今日はカレーか」


 オレはリビングに入ると、いつものようにオレを迎えてくれる人がいた。


「ルナ、りょうり、してる」


 ハナが一番にオレに抱き付き、報告した。


「セイイチロウお帰り! もう少しで出来るから待っててね」


 ルナさんが一週間で取得したとは思えないような流暢な日本語で、オレに話しかけてくるのだった。オレは「気にしなくていいですよ」とハナを引きはがしながら言った。しかしハナは中々しぶとく、はがせなかった。


「カレーですか。本とか見たんですか?」


「フウカに教わったわ」


 ルナさんが料理をするのは初めてである。今朝に何を食べたいか聞かれて、オレはいくつか候補をあげた。ルナさんはその中から今晩の食事を決めた。それがカレーだった。


「スパイスとかいくつもあって大変だったわ」


「もしかして、ルー使ってないんですか?」


「やるなら本格的に、が私の料理に対する愛よ」


 すばらしい、と感服する。しかし、それを教えられるフウカもフウカだが。


「私は一般的な作り方しか教えていませんよ。大体はルナさんの勘です」


「ほう。それはすごいな」


「今日も遅かったようですが、どうされたのですか?」


「友人とな、寄り道していたら遅くなった」


「ユージンなんかいたんだ」


 コトリがぼそりと毒のある言い方をした。


「失礼だな。コトリは大人しくしていたか?」


「ヒテイはしないんだ。あたしは、ここしかいれないからな」


「今日は一緒に本を読みましたし、すごろくをして遊びましたよ」


 フウカはコトリを膝の上に乗せると、万歳させた。コトリは邪険にそれを振りほどいた。


「イキがツまる。キモい」


「どうしたんだよ。何か荒れているな」


 ハナがオレの後ろに隠れた。顔を少しだけ覗かせ、様子をうかがっていた。


「喧嘩はしちゃ駄目よ」ルナさんが台所から声を張る。


「ソトでたい」


 コトリがそう言った。たった一言だけだったのにもかかわらずその言葉はすごく重く感じた。


「わかった。今晩、いいか?」


「……はあ」コトリはため息をついた。「まあいいよ」


「じゃあ、みんなで行くことにしようか。ルナさんもいいですか?」


「いいよー」


 台所から声が聴こえた。ハナはオレの肩を揺らした。喜んでいるのだろう。


「セイイチロウ、運ぶのを手伝ってくれないかな? できたらハナも」


「はい!」


 ハナは勢いよく走り出した。ルナさんにご飯とカレーがのったお皿を渡され、それを食卓に持っていく。オレもそれを手伝いに行く。


 フウカはコトリを広い、自力で食卓に向かう。車いすをこぐのが上手になっていた。方向転換もすばやく、見事だった。


 支度がすべて終え、全員席についた。


「美味しそうですね」


「マレイ星のラヌーという料理を意識して作ってみたのよ。何となく似ていたから」


「よく覚えていますね」


「大体頭の中に入っているのよ。でも、どれも大まかなことしか記憶になくて、細部までは覚えていないのよ。自分のメモリの無さに落胆するわ」


 オレは、ルナさんが言う記憶は本人が言うよりはるかに優れていると思う。多分、口ではこう言っているが、オレだけではなく人類が驚愕するぐらいのメモリを脳に携えているに違いない。


「それじゃあ、いただきましょう」


 そう言って、食べ始めた。しかし、食欲旺盛なハナが不満顔をしていた。あまり手をつけていなかった。


「どうしたんだ?」


「にく、すくない」


「好き嫌いは良くないわよ」


 そういえばルナさんにハナの偏食をつたえていなかった。それを伝えると、ルナさんは勢いよく立ち上がり「それはよくない!」と叫ぶのだった。ハナはそれに怯えていた。


「大丈夫。美味しいから」そう言ってから自分の分を食べて味を確認した。頷き、その言葉の正しさを自ら認め、ハナの分をスプーンですくいあげ、口に押し付けた。


「いや、よくないですよ。それは」


「この子に肉以外の何かを食べさせたことはある?」


「いや……」食べさせようとはしたがハナがそれを頑なに拒否し続けたので、食べたことは現実にはないのだ。


「食わず嫌いの方が良くないのよ。ただ見た目だけで拒否して、食べてもいないのに批判して、そういうのが一番たち悪いのよ」


 ルナさんはご立腹の様子だった。人を変貌させていた。


 ハナはそのルナさんの気迫というか、怒気というか、そんなオーラに怖気づいていた。そしていよいよハナが根負けし、口にしたのだ。肉以外を。


「うーー!」


 ハナは奇声をあげて飛び跳ねた。椅子が倒れた。そして、皿を持ったかと思えばそれを犬のように口だけで食べ始めたのだ。


「ホラ、言ったでしょ? 食べて初めてその良さに気づくのよ。見た目も大事だけど。見ただけではその良さは分からないのよ」


 ルナさんは椅子を元に戻し、ハナを座らせる。興奮するハナをなだめて、皿をテーブルに置かせる。カレーで汚れた口元を拭いてあげて、それからスプーンを持たせる。ハナはがつがつと食い始めた。そして、十秒たらずで完食してしまった。ハナはルナさんにおかわりを要求する。ルナさんはハナの頭を撫でて、よそいにいった。


「ハナ、おいしいか?」


「うん!」


 こんな笑顔は見たことがなかった。多分、出会ってから一番の笑顔だ。すごくうれしそうだった。新しいおもちゃを見つけた子供のように目が輝いていた。


「ただの食わず嫌いだった、てわけか」


 オレは落胆する。その事にもう少し早く気がついていればな、と今までの苦労を振り返った。


「本当、美味しそうですよね」


「あたしたちにはカンケーないけどね」


 コトリはテーブルを歩き回っていた。口ではこう言うものも、オレのカレーを物惜しそうに眺めていた。


「食べるか?」


 オレはスプーンですくってからそれをコトリの口元に差し出した。


「ムリ」手を横に振った。「ニンギョウはムリ」冷静な物言いだった。


「ひょっとすると幽霊なら食べられるかもしれませんよ」


「どういうこと?」コトリが小首を傾げた。


「あの、人形の体のままなら無理ですけど、もしも幽体離脱が出来るとしたなら、魂の状態で召し上がることが出来るのではないかな……と考えたんですが」


「漫画とかなら、何となくそれが出来ているよな」雰囲気だけだけど。


「なるほど。でも、そのユータイリダツはどうやるの? フウカなら、できるよね?」


「そう、決めつけられても、困りますが……」フウカは頬を掻いた。


「キュークツだね」はあ。と深いため息をついた。


「それは興味深いわね」


 ルナさんはハナにおかわりを渡してから、席についた。


「死んだ魂も食事が出来るなんて少しロマンを感じるわ。今、私たちが食べているこの味と同じ味を感じる事が出来るのかしら。どうのように味わう事が出来るのか、そんな事を考えたらわくわくどきどきよね」


「そ、そうですか……」


「フウカも、その体ではだめなのかしら?」


「残念ながら。試しても意味はありませんでした」


 オレにはフウカが嘘をついたのが分かった。多分、ハナの時と同じように無理やり食べさせられるのが目に見えているからだろう。オレはここでは口を噤んであげる事にした。


「できたらあたしもたべたいな。ウラヤましい」


「なら、私が見つけるわ。人形でも食べられるような料理、開発してみせるわ」


「そういうポジティブすき」


 コトリはルナさんと握手するのだった。


 オレはそれを横で笑いながら眺めていた。


「そうそう。セイイチロウに聞きたかったことがあったのよ」


「何ですか?」


「バイト……ていうのかしら。おすすめはないかしら?」


「言葉も覚えて一週間しかたっていないじゃないですか。早くないですか?」


「大丈夫。むしろ遅い方よ」


「そうですか。飲食店がいいんじゃないですか? もしくは、高級な専門料理店で働くとか……」


「おすすめは?」


「じゃあ、後で、ネットで一緒に調べましょう。それより、戸籍とか大丈夫なんですか?」


「大丈夫。売ってもらったわ」


「いったい誰にですか」


「そこらに転がっていた人。なんだかんだあって今の私は、ミツキ=サントーニャよ。変わらずにルナと呼んでもいいわよ。ただし、このメンバーがいる時だけよ」


 一体どうやってその名前を手にしたのかは分からないが、何はともあれ、ミツキ……いや、変わらずにルナさんでいこう。ルナさんは地球に順応できているようなので、よしとしますか。


「あとそれと一つ言いたいけど、呼び捨てで良いわよ。敬語もいらない。親しくいきましょう」


 ルナさんがこんな事をいいだした。そういうのにはなんとなく抵抗があった。


「……分かりました」


「「分かった」でいいわよ」


「う……ん。よろしく。ルナ」


「よろしい」


 ルナはニッコリと笑った。






「誠一郎さん。早く来てください」


「待ってくれ」


 オレは呼吸を激しく乱し、膝に手をつき、汗をダラダラと流していた。彼女はなんらそう言う素振りを一切見せずに、オレとの距離を一〇メートル離していた。元気そうに、手招きする。年上として情けなくなった。


 彼女は運動部にも入っていないにも関わらず、元気だ。息も一つ乱していない。底知れぬ体力だ。


「大丈夫ですか?」


「ちょっと、休憩」


「あ、じゃあ、あそこにベンチがあるので、そこで一休みしましょう」


 オレ達は山中に来ていた。とはいえ、軽い山だ。神社の後ろにある山で、年寄りとかが朝の散歩に使いそうな山道だ。


 オレは幽香ちゃんとそこへ来ていた。学校の帰りに、たまたま幽香ちゃんと会い、そこで話をしていた時、ここへ行こうという話になったのだ。梅雨の時期とはいえ、珍しく晴れていた今日は、山登りには最適だった。しかし、制服でそれはいささか準備不足というものだろう。しかも陽が落ちてきた時間帯なら尚更だ。


 オレはベンチに座り、乱れた呼吸を整えていた。


「これ使ってください」


 オレはタオルと開けていないペットボトルの水を渡された。オレは礼を言いながら、それを使った。水が喉の渇きを一瞬にして潤し、生き返った心地になった。


「すみませんね。こういうのにつき合わせてしまって」


「いや。いいよ。たまには運動も必要さ」


 幽香ちゃんも自分のペットボトルで喉を潤した。やはり彼女も暑いのか下敷きを取り出し、仰いだ。


「使いますか?」


「いや、自分のを使うよ」


 オレはうちわをとりだし、それを使った。


「いいですね。うちわ」


「たいして変わりはしないよ」


「音は……結構変わると思いますよ」


「そうだな」


 ポヨンポヨンと音を立てる下敷きと、パタパタと鳴るうちわの方が少しだけ心地よい気がした。


「それにしても、明るくなったよね。幽香ちゃん」


「そうですか? でも、そうかもしれません。私、人が苦手なんです。怯えてしまうんです」


「でも、わざわざ礼を言いに会いに来るんだから、思い過ごしかもよ」


「あれは……その……」頬を赤らめてもじもじしだした。「とりあえず、こうしなきゃ、て思ったら、やっちゃうんです」


「行動力が凄まじいよね。褒めているからね」


「はい。ありがとうございます。ところで、誠一郎さんは、普段帰ったら家で何をするんですか?」


「そうだな……最近は……」ハナと遊んだり、全員で外に散歩しに行ったり……ルナさんとクイズやったり……などかな。「ゲームかな。うん。特にこれといって面白い事はやっていないよ」


「どんなゲームが好きなんですか?」


「トランプとか、そんな感じの」


「弟さんとやるんですか?」


「まあ……妹……とかとかな」


「妹がいるんですか? それは初耳です。三人兄弟ですか」


「ま、まあ……そうだね」


「私は二人ですが、下の子って、煩わしいですよね」


「煩わしい……まあ、そうだね」オレはハナたちではなく自分の弟を思い浮かべてそれに頷いた。


「でも、楽しいといえば楽しいから複雑ですよね」


「そうだな」


 オレは適当に相槌を打つことしかできなかった。まともに答える事がオレにはできなかった。


「一つ、聞きたいんだけど、いいかな?」


「いいですよ」


「外に出たい、てどういう気持ちだと思う?」


「それはどういう意味ですか?」きょとんとしていた。


「オレもよくわからないから考えてほしいんだ」


「私もよく分かりませんが、そうですね……今の時期で例えるなら、少年が遊びたいのに、雨の所為でそれが出来なくてもどかしい、雨、ふざけるなていう感じじゃないですか?」


「少し違う気もするが……」


「冗談です」あっさりと言う。


「知り合いがさ、そういうんだよ。それが分からなくてさ」


「もしかして、病気の人ですか?」


「違う、違う」オレと同じ考えだな。


「私の考え言ってもいいですか? 私が思うに、籠の中にいるんだと思いますよ。その人は。そう、鳥のように。狭い所に閉じ込められて、でも、外の景色は見る事が出来る。例えば月とか。そこからだと手が届きそうだと思うのに、届かない。籠の中にいる鳥はそれがすぐ近くにあると信じきるしかないですから。だから、ずっと届くものだと思って手を伸ばし続けるんですよ。それでも、あの月に触れたい、と。その為には籠を壊さなければならない。それが、出来ないからもがく。あの月に触りたくて、外に出る事を願っているんですよ」


「ずいぶんと抽象的だね」


「ようするに、その人は何かしらの殻に閉じこもっているんですよ。悩みを抱えているんですよ」


 殻……人形……。一理なくはないか。


「少しは参考になったかもしれない。ありがとな」


「こんなのでいいなら。さて。そろそろ行きましょう。帰りが怖くなりますよ」


 幽香ちゃんはオレの手を握ると、引っ張る。そして、山の頂上へ向かうのだ。


 頂上へ着いた。頂上は質素なものであった。大体そうだろう。何かの記念品なのか、でかい像がそこにあった。そこに裏に石版があり何かしら名前が書いてあった。オレと幽香ちゃんはそこにお賽銭をし、お祈りをした。


「見せたいのはこっちです」


 幽香ちゃんが指を指した方向には、下の景色がずらりと広がっていた。


 自分の住む町が一望できた。


 オレは感嘆した。自分の家を探し、上から眺めるとあんな風に見えるのか、と感心した。あそこは自分の学校で、あそこは公園。探していると、面白かった。他の山も小さく見えた。


 暗くなっていたので家の明かりが広がっていた。そこには人の暮らしがあった。人々の息が聞こえてくるようだった。


「ね。いいでしょ。標高は低いけど、それでも、町を見下ろすには十分なんですよ」


 幽香ちゃんは明るく笑った。誇らしげに語っていた。


「へえ。面白いね。こんな風に見えるんだな。知らなかったよ」


「別の所の……えっと……○×てマンションがありまして、そことかは丘の上にあるので、いい景色が見られますよ」


「よく知っているな。好きなのか? こういうのが」


「はい。なんか、世界の広さを知れるようだからです。例えば、あの公園はとても広いですが、ここから見ると、そうでもない、て感じますよね。私が見ている景色はこれだけじゃない。もっともっとあるんだ。て思うんです」


 意気揚々と語り始める。


「いくつも家がありますが、それは所詮大きな模型にしか過ぎないんです。その模型はいわゆる鳥籠の中です。籠の中に住んでいるのと変わらないんですよ。だけど、一歩外に出るだけで、世界が変わって見えるんです。壮大に思えるんですよ。ここに立って、上から眺めて、世界の広さを実感できるんです」


「面白いね。君の考えは。そういう風に考えたことがなかった」


「誠一郎さんは、井の中の蛙大海を知らず、て言葉を知っていますか?」


「ああ。狭い見識にとらわれて、他に広い世界があることを知らないで、自分の住んでいるところがすべてだと思い込んでいる人の事を例えて言う言葉だろ?」


「その通りです。まさしく、これだと思いませんか? 井戸の中でしか生きていない蛙は、大きな海をしらないんです。それは、まさしく私たちだと思いませんか?」


「まあ、そうだね。じゃあ、されど空の青さを知る、て言葉を知っているか?」


「ああ。知ってます。でも青さですか? 高さじゃなくて」


「そんな事は関係ないんだ。造語らしいしね」


「そうだったんですか。でも……あまり意味は知りません」


「要するに、狭くても、一つの事を突き詰めれば、そこが広大な世界になるんだよ」

「そういう意味だったんですか。じゃあ、籠の中に住む小鳥も、その籠の中が広大な世界だと思えるんですか?」


「多分ね。そうじゃないかな。でも、本当は無い諺だから、真理は判断しかねるけどね」


「ことわざが全てというわけでもないですからね」


「そりゃあ、そうだ」


 オレは苦笑した。


「さて。もう遅いし、帰ろうか」


「それもそうですね」


 オレ達は暗い山道を下りていった。






「いらっしゃいませー」


 店に入ると、そこには聞き覚えのある声が初めに耳に届いてきた。


「あら、誠一郎たち、来てくれたの?」


 厨房からルナが顔を出した。


「ちょっと顔を見に」


「どうぞ。座って」


 オレ達はルナのバイト先にやって来た。店内は意外に空いており、会話が楽にできた。


「何だい、知り合いか?」


 店長が話しかけてくる。オレは「オレの家にホームステイしているんです」と伝えた。そういう設定になっている。


 ルナはスペインからの帰国子女となっている。父方がスペイン人で小学生の頃までは日本にいたが、仕事の関係上、今まで向こうで過ごしていた。しかし、大学を卒業して、こちらに戻り、一人暮らしをすることを決め、今はオレの家でホームステイしている。という感じの設定だ。


「おう。話には聞いているよ。座りな」


 オレ達はテーブル席に腰を下ろした。フウカは車いすから席に移して座らせた。


「何か、サービスするぞ」


「ありがとうございます」


 太っ腹の人のようでよかった。


「注文決まったら言ってね」


 オレはメニューを取り出し、何にするか考えた。


「ハナ、肉、食べたい」


「そういう所じゃないからな……。じゃあ、チャーシュー麺にするか」


「じゃあ、ハナ、それ」


「分かった。オレは豚骨ラーメンかな」


 オレはルナに注文した。ルナは明るく対応した。店長は、それだけでいいのかと疑問を持っていたが、「夜に食べないようにしているのです。ダイエットです」とフウカが説明した。店長は「我慢は良くないぞ」と大笑いしていた。


「それにしても、まさかラーメン店で働くとは思わなかったな」


「そうですよね。でも、ここ以外にも掛け持ちをしているようじゃないですか」


 ルナの行動力は素晴らしいと思う。とりあえず働くこと、と毎日のようにシフトを入れている。金を沢山ためて、とりあえず専門学校へ行きつもりらしい。オレが貸してもいいといったのだが、のんびり行きたいといっていた。若干矛盾しているかもしれないが、とにかくルナが体を壊さないか心配している。ルナはラーメン店のほかに日本料理店、フランス料理店と働いている。まだまだ他に働くつもりらしいが、身体がどう考えても足りなくなる気がする。


「しかし、なぜ、ラーメンをチョイスしたんだか」


「どこにもなかった料理だからよ。特に味が独特ね。これ、サービスよ」


 ルナはウインクする。水餃子を出してきた。オレ達は礼をする。


「確かに。美味しいと感銘を受けていましたね」


「そういう事」


 ルナさんはコトリの頬をつつくと厨房に戻った。しばらくして注文したものが出てきた。ハナは飲むようにしてラーメンを食べた。よっぽど気に入ったのだろう。店長は笑ってそれを見ていた。


 人が良さそうな人で良かった。ルナの表情を見る限り、余計な心配はいらないようだ。


 店長は普段より早くルナをあがらせた。オレ達をただ帰すより、一緒に帰した方がいいという判断からだ。中々分かる人じゃないか。


 店を出て、暗い夜道を歩き始めた。食後の軽い運動にはちょうどよい。


「ルナの星には、ラーメンはないようで」


「まあ、そうね。ラーメンだけではないけどね。星を回って分かることは、やっぱり、住まう地域の環境や生息する動物によって使用する食材も異なれば作り方さえも異なる。てことよね。地球はさすがといおうか、他の星にない生き物が沢山いて、料理も違うわ。この星の料理だってそうでしょ? 日本やら中華やら、イタリアやらインドやら、様々な料理があるじゃない。そういう事よ」


「さすがです。伊達に星を飛び回っていないですね」


「それが楽しみの一つだからね」


 ルナはご機嫌だった。スキップし、鼻歌まで歌っていた。


「そうだ。夜景でも見に行こうか」


「あ、それはいいですね」フウカがポンと手を叩いた。


「じゃあ、案内よろしくね。誠一郎」


「オレが? 突然言われてもな……」オレは幽香ちゃんが言っていたのを思い出した。確か、丘の上にある○×マンションからみる景色がいいという話だ。オレはそこに行こうと提案した。


「じゃあ、そこにしましょう」


 ルナはハナの手を引く。二人で仲良くスキップしていた。こうしてみると、姉妹のようだった。


 オレはフウカの車いすを押しながら二人の後を追った。というか、オレが道案内するのに、先に歩かないでくれ。




 歩くこと三十分、オレ達は目的の場所へ着くのだった。


「いやあ、絶景ね」


「本当ですよ」


 遠くから見えるビルの群は夜の主役となっていた。ネオンが輝いており、暗い夜を鮮やかにしていた。このまま眠らずに明け方まで光を届けるのだろうか。


「まあ、そこそこなものね」


 コトリは言葉ではこう言っているが、夜景に見とれているのは間違いなかった。ハナも口をだらしなく開けていた。オレは「閉じてろ」とハナの歯をカチンと鳴らした。


 評価が意外に高くて安心した。後で幽香ちゃんにお礼を言っておかなければな。


「ルナは、下のキョーダイはいるのか?」


 コトリが突拍子もない質問をした。


「よくわかったわね。そうよ」


「なるほど。ナンか、したしみやすい」


「確かに、そんな感じがしますね。お姉ちゃんのような」


「私は、十四人兄妹ね」


「十四人⁉ オオくない?」


「この地球に比べると寿命が長いし、老化も遅いしね。だからお盛んなのよ」


「おサカんて……?」


「ルナは何番目なんだ?」コトリの質問は答えづらいものだったから、その質問を質問で塗りつぶした。


「三番目かな? 上に兄が二人で、下に弟が六人、妹が五人ね」


「旅をしてから百年以上ですよね? 手紙とか何かで連絡とっているんですか?」


「時々家に帰っているのよ。たまには顔を見せないとね」


「人、多いと、大変」


「私はいない事が多いから分からないけど、母星で生活していた時は大変だったわね」


 ルナさんは空を見上げた。きっと自分の星を思い出しているのだろう。


「ルナはナンでこのホシにきた?」


 珍しく、今日はコトリがおしゃべりだった。


 ルナは肘を手すりに乗せた。そしてコトリの質問に答えていくのだった。


「私か。それはこの世界がとても狭く感じたからよ。まず初めに自分の星を旅したわ。とても広々としていて、見たことのない世界がこの目にいくつも映ったわ。でも、それだけじゃ足らなかった。宇宙があったのよ。興味があるかしら?」


「よくわからない」


 ルナは「ごめんね」とコトリをフウカから拾い上げた。そして、手すりの上に乗せる。二人だけで会話をするようだ。しばらくそれが続く。オレ達はその様子を黙って聞いていた。


「そう。……私が母星を旅して広大に感じたこの世界も、米粒のように小さいものだったって、知ってしまったのよ。宇宙には数えきれないほどの星々がある。その中の一つの中に住む一つの生物にしか過ぎないって。そう考えたら、とても怖く感じた。この世界にとっての私は、微生物に等しいのだから」


「あたしも、そうなの?」


「残念ながらね。だから私はあがきと言うのかな、宇宙を見て回ろうと思った。私が行った星々はちっぽけなものにしか過ぎないけど、それでも、私は世界が広がって見えたの。様々な星へ行き、そこに住まう人々と関わる事で、世界の広さを知る。それも小さなことかもしれない。でも、この世界にはまだまだ可能性がある、自分が分からないことが沢山ある。それを知ることで、生き心地がいいのよ」


「ルナは、エラいんだね。あたしには、そんなことカンガえられない。あたしはここでトじコモるしかないから」


「大丈夫よ。コトリは米粒を削って出てきたカスしか世界を見ていないのよ」


「でも、ルナは、あたしのキモチは、わからない」


「どうして?」


「ルナは、しってる。あたしが、これになるまえの、キオクがない。という事を」


「だからなにさ。記憶ほど曖昧なものはないわよ。記憶は、脳の中に刻まれているのよ。ただ思い出さないようにいじわるしているだけ。大丈夫。記憶喪失なんて一時的なものよ。ひょんなきっかけで元に戻るわ」


「きっかけって……?」


「それは分からないわ。でも、私が選択肢をあげるわ。コトリは、記憶を取り戻さずにそのままでいて新しい生活を始めるのか、靄に隠れた記憶を取り戻そうとするのか」


「……わからない」


「すぐに答えを出そうなんてしなくていいのよ。そう悩んでいる内に気がついたら記憶が戻っている、というのもあるわ」


「それでいいかな?」


「ええ。焦らずに、ね。ホラ、上を見て。空が一面に広がっているわ。コトリは地面しか見ていないのよ。そこには土しか見えないわ。でも空には目に余るぐらいの星がある。雲だってある。うつむいてふさぎ込むのではなく、見上げて、世界の広さを見るのよ。それが一番大事なこと」


「……うん」


 コトリは空を見上げた。表情は変わらないその姿であったが、微笑んでいたようなそんな気がした。肩の荷がおりたように、少しだけ楽になったようなそんな感じがした。




「いい感じにまとまりましたね」


 フウカが小声でオレに言った。


「みたいだな。コトリもこれで少しは気楽に行けるだろう」


 オレはしゃがみこみ、フウカと目線を大体同じにする。ハナは後ろに抱き付く。頭頂部に顎をのせる。オレは笑い混じりにため息をついた。


「ごめんなさいね。二人だけで話してしまって」


 ルナが振り返る。そして、手招きをする。ハナはコトリを持ち上げ、ブンブンとまわした。コトリは「キモイキモイ」と言いながらあたふたしていた。呂律はあまり回っていなかった。


「待たされて、少し怒っているな」


「でも、楽しそうですよね」


 ハナはコトリと手を握り、クルクルと回る。「とめろー」とコトリは言っているが、もう少し見ていようかと思った。もう少ししたら止めるつもりだ。


「セイイチロウは、何か、夢とかある?」


 ルナさんが突拍子もない事を尋ねてきた。


「夢? 特に……ないね」


「そう。まあ、アドバイスとして、一つぐらいは持っておいた方がいいわよ。別に夢じゃなくてもいいけど。例えば趣味とか」


「うーん……」


「とりあえず、そうしないと閉じていくわよ。目標がないままだとね」


 ルナはほほ笑む。


「ルナは、どうなんだ? その、夢というのは」


「確かに、私の夢は閉ざされてしまったわ」


 ルナは自分の星で今までの培ってきた経験を生かしてお店を開きたいという事だった。しかし、宇宙船が消滅し、その夢が遠のいている。


「でも私はね、諦めてはいないわ。夢は必ず叶えるつもり。でも、それは母星でなくても良いかもしれない、と考えているわ」


「どういう……?」


「私は、ここの地球の料理を学んで、この地球でお店を開くことにしたわ。それでもいいかもしれないわ」ルナは空を見ながら笑いながら言うのだ。目は子供のように輝いていた。「そのために頑張らなきゃね」ルナは握り拳を作り、それを月に掲げた。


「前向けだね。ルナの前には大きな道が広がっているんだ。オレはどうだろうな」


「まあ、そんな事はわりとどうでもいいかもしれないわ。人次第よね。閉じていようが広がっていようが、そこにちゃんと自分という世界があればいいのだから。とにかく、困った時は空を見ればいいのだから。気分は晴れるわよ。今日の天気みたいにね」


「家の中だと見られないですよね。こんな素晴らしい景色は」


 フウカが車いすを動かしながら言った。


「ハナちゃん、そこまでにしてね」


 フウカはハナの所へ行き、ハナの回転を止めた。ハナは回りすぎて酔ったのか地面にへたれこんだ。


「ザマーミロ」


 コトリには三半規管がないようなので、目が回るという現象は起きないようだ。コトリはフウカに抱き付く。


「やはり、フウカはおちつく」


 コトリはフウカの膝の上で落ち着いていた。


「そうだ。さっきいいワスレれてたけど、あたし、すこし、おもいだしたことがあった」


「本当か?」


「ルナをみて、あたし、ねえちゃんがいた。それをおもった。なんとなく、だけど。シマイ。それ」


「ほう。でも、よかったな。少しずつ思い出しているじゃないか」


 オレは何かが頭によぎった。それは電流が走ったように、ビリッと鋭い音を立てて頭を駆けるのだった。


 オレは何故か知らないが、幽香ちゃんの顔が頭に浮かんだのだ。関係などあるはずもないのに、幽香ちゃんの顔が思い浮かんだのだ。


 そういえば、幽香ちゃんは「妹がいた」って言っていたな……。「いた」ってどういう意味だろう……。


「まさかな」オレはその想像を馬鹿馬鹿しいと切り捨てた。


「どうされたのですか?」


「ああ、気にするな」


 オレは地面に倒れたままになっているハナを起こす。ハナはおんぶを要求してきたので、しかたなくそれを受け入れた。


「帰ろうか」みんなはそれに頷く。そしてオレ達は歩きだした。横に並んで家へ向かう。


 空を見上げると、月がオレ達を照らしていた。その月は蒼白い光をオレ達に浴びせるのだ。地面には影が伸びていた。オレはそれを見ながら、笑う。なんだか、渺茫(びょうぼう)としていたような気がした。




本当は四部分にしたかったのですが、最初のキャラ説明が長くなってしまったのでしかたなく二部分にしました。いらないだろ、ていうシーンは多々ありましたが。

前編はルナ中心のつもりでしたが、まあいいでしょう。

とりあえず、後編を頑張ります。

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