花
裏1
私には生きていくという行為が苦行でしかなかった。この苦痛を抱えながら生きていく意味が私には理解できなかった。それが嫌でしかたなかった。だから死にたかった。
でも、私の中の本能――生存本能がただ無意味に「生きろ」「死ぬな」そう叫んでいる。私にはそれが邪魔で煩わしかった。私はそれに逆らう事が出来ずに未だに生きている。
何とも臆病な。私は自嘲する。鼻で笑う。私はそんな私が大嫌いだ。
だけどもしも、仮に、仮にだ。この私に、死ねるチャンスが回って来たとしたら? 私はその時に何を思うのだろうか?
「生」を望むか。
「死」を望むか。
願わくは私は……。
表1
「うー!」
ドシン! オレはハナの奇襲により起こされた。ハナはオレへダイビングをして、そのまま落下してきた。そして、彼女の全体重をのせた攻撃、のしかかりがオレを襲った。
オレは思わず「わー!」と叫んでしまった。眠りから覚めた数秒の間、何が起きたのかが分からずに気が動転していた。その後、状況をようやく把握した時、オレは赤面した。高校生にもなって大声をだして驚くなんて、と。
オレは自分の顔を手で隠した。朝から憂鬱だ。
「……ど……う?」
ハナは懸命に言葉をオレに伝えようとしていた。オレは額に指をのせて、ハナを見る。ハナは小首を傾げて、満面な笑みをオレに向けるのだった。
「……こういう起こしかたは感心しないぞ。ハナ」
オレはハナに、デコピンをした。ポコンといい音がした。ハナは当てられたその個所を両手で押さえ、「ぶー」とふくれた面になり、怒った。
「まあ、おはよう」
オレは頬を緩ませて、ハナに笑顔を送りながら頭をなでる。するとハナはすぐに嬉しそうな顔をした。綺麗な花が咲いたように。可愛らしい子供の表情だった。
オレはハナにカーテンを開けるよう命令した。ハナは嫌な顔を一つせずにそれに従った。ハナは窓へ向かっていき、そしてカーテンを全開にした。シャッ! とレールの擦れるあの高い音がオレの耳を通る。眩しい朝日と小鳥のさえずりがオレに朝を教えてくれた。
オレは伸びをし、ハナにもう一つ注文をした。「すまないが、部屋から出てって」とハナに伝えた。ハナは「何で?」と言いたげな顔をする。しかし、すぐにそれに従った。従順な子で何よりだ。
「はーい!」
ハナは元気よく部屋から出ていった。両手を広げて風を切っていった。
「はあ」
オレは一人になった部屋で一つため息を漏らした。そうしてから窓の方を見た。日の光が暗かった部屋を明るくさせていた。オレは、微笑する。「明るいな」と呟きながら。
「おはようございます。セイイチさん。よく眠れましたか」
セイイチというのはオレの事だ。柴坂誠一郎。高校一年生だ。まあ、どうでもいい。
オレは腰を掻きながら一階に降りていった。すると、リビングからその声がしたのだった。ドアが開いていたようで、フウカはオレの姿を簡単に捉える事が出来たようだ。オレは、ハナの奴がまたドアを閉めずに出ていったな、と、ため息をつく。後で叱っておこう。
オレは欠伸を一つ漏らしてから「ああ、まあな。おはよう。フウカ」と返した。そして、部屋に入り、ドアを閉める。
フウカは「そうですか。それは良かったです」と優しく微笑むのだった。彼女は朗らかな感じだった。オレはなんならフウカに起こしてもらいたかったなと思いながら、ボサボサな頭を掻いて、ソファーに腰かけた。
彼女はフウカという。ハナと同じで一緒に暮らしている女の子だ。中学一年生の女の子だった。
彼女は車いすの生活を強いられている。あまり言える事ではないが、フウカはダルマだ。つまるところ、両腕両脚が切断されているのだ。腕は肘のあたりから、脚は膝のあたりから。そこから先を失っている。だから、非常に不自由な生活を強いられているのだ。
基本、物も何も持てないし自由に動けないのでオレかハナが車いすを引いてあげる形だ。
「ハナはどうした?」
「お手洗いに行きました」
「そうか。ところでフウカは……調子はどうなんだ?」
「いいですよ」
フウカはニッコリと笑う。オレはそれが無理して作った笑みに見えた。「そうか」
「はーい!」
ハナが勢いよくドアを開けて部屋に入って来た。淀んだ空気が換気されたようだった。
そして、ハナはオレへ一直線に抱き付きに来た。すりすりと頬ずりしてくる。オレは顔を遠ざける。そうするとふてくされて、オレの両肩に手をかけて揺さぶるのだった。
「あー。うるさい。朝から元気だな」
オレはため息をもらす。
「元気なのはいい事ですよ。二人は兄妹みたいで可愛らしいです」
「年下のお前に可愛いとか言われたくねーよ」
「ごめんなさい」肘の付け根から無い腕で口元を隠す。笑っているのがばれているぞ。それにしても、意外に隠せるものだな。と少し感心した。「セイイチさんは今日も学校ですよね」
「そうだな。でもまあ、明日は休みだし、気は楽だ。……さてと。そろそろ朝食の準備でもしようかな」
オレはソファーから立ち上がる。ハナの相手はフウカにでもしてもらおうか、と、ハナをフウカの太ももの上に座らせた。
「すみません。この身体じゃ何も用意してあげられなくて……」
フウカはしょんぼりと肩を落とす。悲しそうな顔をする。ハナが心配し、フウカの頭をなでていた。
「まあ、そんなのはどうでもいいよ」
オレはそう言って、キッチンに向かう。冷蔵庫を開けて、今日の献立を決める。決めてから、朝食の支度を始める。
その間のハナとフウカはというと、二人仲良く遊んでいた。楽しそうであった。ハナはオレがハナと初めて出会ったときから言葉を知らなかった。だんだんと理解はしていっているが、それでもまだ足りない。だから、フウカに教えてもらったりしている。
この家には、オレとハナとフウカがいる。その三人で暮らしているのだ。オレの両親はもういない。弟も。だからこうやって、ハナやフウカと暮らすことが出来ている。オレの家族が死んだ後、オレはハナと出会い、それからフウカと出会った。ということだ。
オレはハナについて実は何も知らない。知っているのは性別が女だということだ。それは見ればわかる。まあ、強いて言うのならば偏食家であることかな。ハナは見た感じは十歳ぐらいの女の子だ。自分の年がどうやら分からないらしい。なので、そういう風なオレの勘でハナの年齢を確定した。とりあえず、子供らしくて可愛い子だ。見ていて、和む。そんなやつ。
オレはどこの誰かが分からない奴を引き取り、今こうして仲良く暮らしている。それは本物の――家族のように。
ハナについては、あと、そうだな……不思議な力がある、という事かな。
例えば、フウカだ。彼女の名前は田宮風香という。生きていた時、とある社会人と恋仲になったそうだ。しかし、フウカはそいつに殺されてしまった。どうやらそいつは死姦マニアらしく、その犠牲にフウカはなってしまった。フウカは生きたまま四肢を切断され、そのまま絶命してしまったようだ。そして次に気がついたとき、オレ達と出会った。
ハナは人を生き返らせてしまう力があるようで、そのおかげでと言おうかその所為でと言おうか。とにかく、フウカは生き返ったのだ。要するに平たく言えばフウカはゾンビなのだ。だから青白い顔をしている。ちなみにこれは余談だが、フウカの腕と脚は誰かに売り飛ばされてしまい、どこにあるのかが分からないままだ。
「おい、出来たぞ」
オレは皿をテーブルに持っていく。ハナにも手伝うよう頼んだ。ハナは自分の分を持っていき、テーブルに乗せる。それから、フォークを持ち、それを片手に躍るのだった。ピョンピョンと跳ね回る。嬉しさをいっぱいに体で表現する。
オレは自然と笑みがこぼれた。それから「落ち着けよ。それと、座れ」と自重させる。
「はい!」と、ハナは気もちがいい返事をする。
オレはフウカをテーブルの前に移動させる。それからオレはフウカの脇に手をかけ、体を持ち上げて椅子に座らせる。これで、メンバーは揃った。
でも、オレが作ったのは自分とハナの二人分だけだ。なぜなら、フウカは食べる事が出来ないのだ。人間の生理的欲求が彼女には存在しない。だから、空腹にはならない。フウカは「お二人の食べる姿を見るだけで満足ですしお腹いっぱいですよ」と言ってはいるのだが、果たしてその心境はいかなるものなのか。あまり考えるのはよした方がいいのだろうか……。
「にく!」
ハナは偏食家であることは前に説明した。それについてだが、ハナは肉しか食べない。野菜や米を与えても食べない。オレが言っても食べようとはしない。だから、朝にもかかわらずハナの朝食は肉オンリー。それだけだ。今日は生姜焼きを作ってあげた。
オレはハナの向かい側に座る。ハナは涎を垂らしていた。オレは手を合わせる。ハナもそれに合わせてパンッ! と手を叩く。
「いただきます」オレがそう言うと、ハナも「いただきます!」と元気な声で真似をした。
ハナは勢いよく食べ始めた。
オレとフウカは互いに顔を見合わせる。ハナの言動が可笑しく、オレ達は笑い合った。それからオレも箸をつけ始める。
「今日も、夜は出かけるんですか?」
フウカがそう尋ねてきた。
「うーん……そうかな。いつものようにハナと、な」
「そうですか。気を付けてくださいね」
「大丈夫だよ。そこは心配する必要はない」
「セイイチさんが、最近飼い犬とかの誘拐事件が多発していると仰ってましたが、それの犯人には注意なさってください」
近所で噂というか、事件になっていることだが、最近、ペットの誘拐が多発しているようだ。それに加え、野良の動物も数が減ってきているようだ。何者かが連れ去る姿を複数の人が目撃しているらしい。世の中にはけったいなやつもいるものだ。それと、注意が足りない。そういうのはバレないように、もう少しうまくやるものだ。
「そこは安心していいだろう。人間を襲うやつ以外、大して怖くないさ」
「……それもそうですね」
オレ達が朝食を終えた後、オレは身支度を始めた。歯を磨き、制服に着替え、教科書類の確認。それらが整った後、オレはハナとフウカを家に残したまま家を出る。そして自転車にまたがり通学路を進んでいくのだった。
裏2
私が誕生したのは今から十三年も前の事だ。
とある平凡な夫婦から産まれたのが私。父はサラリーマン。母は専業主婦。一般の、どこにでもある、ありふれた家庭。
私はその家庭がとても居心地が良かった。
学校から帰ると、当たり前のようにお母さんは家に居て、私を出迎えてくれる。そこで私はいつも学校であった出来事を話すのだ。えくぼを崩しながら気持ち高々に色々と話すのだ。友達と何して遊んだとか、男子がまた馬鹿をやっていたとか、そんなどうでもいいような話をするのだ。お母さんはその話題にいつも付き合ってくれていた。そして笑ってくれていた。
私が七歳の誕生日の時だ。お父さんが私にお人形をプレゼントしてくれた。フランスの可愛い女の子のお人形だ。金髪で青目で、白いドレスを着ている。まるでお姫様のようだった。
私がそれを嬉しそうにもらうと、あのごつごつした手で私の頭をなでる。何故か私はそれがとてもうれしかった。安心するというのだろうか。心が浄化されていくような、どんなに辛い事があってもあの大きな手が私を守ってくれる。そんな安心感のようだ。
私はそれを自分の代わりにし、可愛がっている。それは今でも続いている。私は未だにそれを大切に持っているのだ。なぜならお父さんとの絆でもあるから。
私はその人形にコトリと名付けた。容姿には似つかない和名をつけた。
コトリ――小鳥。私は小鳥が好きだった。あんな小さな体でも大空を自由に飛べるあの子たちが羨ましかった。だからコトリという名前は私のその憧れから来たものだ。
コトリは私の分身。理想の私。何者にも傷つけられない、束縛されない、自由な私。奔放な私。それがコトリだ。
――運命という言葉は信じるだろうか。私は信じる。人との出会い、人とのつながり。その運命。
それは神様によって結び付けられたものだろう。ヒトには見えない糸があり、それを神様が結んでいくのだ。一人一人がそれで繋がっているのだ。つまり、巡り合える人たちはみんなその糸でつながっているのだ。私にはそれがロマンチックに思える。
私が友達と出会えたのも、その運命という名の糸のおかげに他ならない。奇跡に近い形の運命。
人は独りでは生きていけない。だからその運命を、その糸を、切れないように大事にして生きていくのだ。
しかし、その運命の糸は実はか細い糸でできている。それに加えその糸は無数にある。伸び広がり、結ばれているのだ。だから時として絡まることもある。ほつれる事もある。さらには、切れてしまうことだってある。
物は何にでも寿命というものがある。脆くなり、廃れていくのだ。悲しい事に。
私は……それが嫌だ。運命は残酷だ。神様も。
いつか切れてしまうものなら、初めからつながないでほしい。その先に悲しみがあるのなら、喜びなど教えないでほしかった。最初から何も知らない方がよかった。無い方がよかった。そうすれば、こんな気持ちにはならなかっただろう。
そうだ。むしろ、生まれてさえいなければよかったのだ。そうすればよかったのだ。
ただ苦しいだけなのに、何で生きなくちゃいけないんだろう。自分の意思とは関係なくこの世に生を受け、そして死を待つ。何で?
ただ死ぬためだけにどうして生きなくちゃならないんだろう。私には「死にたい」という感情が心から溢れ出てやまない。
だけど、それでも私が死ねないのは、ひょっとすると、「生きる」という楽しさを知っているからなのかな……? その先に楽しい事がある。その希望があるからなのかな? あの頃に戻りたい。戻れるかもしれない。そんなありえない、馬鹿みたいな、もしもを未来に期待しているからなのかな?
そういう希望を、偽りの希望を自分に与え、偽りの感情を抱かせる。自分を騙して、さらに騙して、嘘をついて、無理やり自分を生かそうとする。
例えば、頂上には本物の幸せがあると希望を与えられ、断崖絶壁の岩山を登らされる。頂きはまだかと登り続ける。しかしそれは見えない。まだ見えぬものを追いかけ、登り続ける。ある時ふと、本当はないのでは? と不安がよぎった時にはもう遅いのだ。引き返せない。後戻りできない。その場合は落下するしか道はない。しかし助からない。
私たちはその恐怖を背負いながら延々と登りつづけていくしかないのだ。
――残酷だ
表2
「ただいま」
「お帰りなさい。遅かったですね」
オレは部活に入っていないので、普段なら帰宅するのが早い。しかし今日は違った。本屋へ立ち寄ってしまったのだ。それで帰るのが遅くなってしまったのだ。面白い本はないかと探している内に、気がつけば立ち読みをしていて、さらには一冊を読み切ってしまった。それだと店に悪い気がしたので、前々から気になっていた本を一冊購入してきたのだ。
「これを買っていた」オレはそれをフウカに見せた。
「なるほど。だからなのですね」フウカは頷き、納得していた。
オレは制服のままリビングのソファーに腰かけた。自分で肩をもみながら首をポキポキと鳴らした。
そうしていると、ハナがソファーにやって来て、オレの膝を枕代わりにし、横になった。
「ハナちゃんは、ずっとセイイチさんの帰りを待っていたんですよ」
ハナは安心した表情でそのまま静かになる。オレはハナの頬を軽くつねる。柔らかかった。ハナは「うー」とうねりながら、オレの手を払いのける。
「ハナはずっと家にいたのか?」
「……」
フウカは黙った。
「まあ。無理もないか」
「ごめんなさい」
ハナではなく、フウカが謝ったのだ。
「いや、フウカが謝ることはないだろう」
「私はこんなのだから何もできないんです……。お留守番もまともにできない。誰かがいないとまともに動くこともできない」
寂しげで、影のある表情だった。
「そう卑屈になるなよ。……どうかしたのか? 突然……」
「いえ。特に何もないです」
「……」
フウカの気持ちは分かる。フウカはこの身体なのだから、自分が満足いくように動くことが出来ない。それにこいつは、眠ることもできない。だから、オレ達が就寝した後でも、一人でずっと起きていなければならない。一晩を過ごさなければならない。それはある意味拷問に等しい。
「私って、生きている意味はあるんでしょうか……?」
フウカはハナの影響で生き返った。だけど、あのままずっと寝かせてあげるのが良かったのではないか? そう思うと心が痛む。
「意味はあると思うぞ。何か、まだやるべきことがあったんだよ」
「それって……?」
「それは……」オレは口ごもる。何も言えやしなかった。
「ごめんなさい。突然こんな重い話をしてしまって」
フウカは無い手でオレの頭を撫でようとする。それは暖かさを感じた。オレは黙ってそれを許していた。
オレはフウカの頬をつねる。両方のそれをつねり、横に伸ばしたり縦に振ったりした。フウカは「何をしているんですか」と笑っていた。それにつられてオレも笑った。
「まあ、今こうして笑えているんだからいいじゃないのか?」
「……それも、そうですね」
ひとまず、オレはこの話題を置いといた。後回しにした。
「それよりも、ハナ」
オレはハナの頭をパンと叩いた。いい音がした。
ハナは頭を押さえ、眉間に皺を寄せながら俺を見る。
「勝手に家を出るなと言っただろう?」
「ことばわからない!」
「何でこういう時に限って流暢に言えてるんだよ」
オレはまたハナの頭を叩いた。
そうすると、ハナが反撃に出た。ポコポコとオレに幾重もの拳を放つのだ。オレはハナのその攻撃を防いだ後、脇をくすぐる。ハナは大きな声で笑い転げる。
フウカはその光景を横で笑いながら見ているだけだった。