第5話
「うっ…うぅん……。」
久々に画面の向こうから出て来てくれない恥ずかしがり屋の嫁達とイチャつく夢から目覚め、まだぼんやりとしていた頭で周りを見回す。
段々と覚醒した頭と視界に入って来るのは見慣れた萌えキャラのポスターならぬ、無骨な灰色の石造りな壁。
ーー………マジで異世界だったか。
別に夢オチを期待してた訳では無いが、一晩寝て現状を再確認してしまうと溜息が出た。
ーーんー、とりま下におりてみるか…。
それを悲観するでも無くぽりぽりと頭を掻きながら欠伸を一つ、階段を降り食堂の中を軽く見回してみると室内にはまばらに客がいるだけでキース達の姿は見当たら無かった。
まだ寝てるのかとも考えたが、厨房から見え隠れするおっちゃんにとりあえず声を掛けて聞いてみる。
「あのー、すいません。キース達って、もう朝食を食べに来ましたー?」
何やら仕込みの最中だったらしくおっちゃんは奥から顔だけこっちに向けると、キース達は早朝のうちにギルドに行った事と俺には夕方に戻るからそれまで街を散策でもしといてくれ。と伝言を言付かっていたとだけ言って引っ込んだ。
ーーん~、散策っつてもなー。文字読めないから行動範囲も限られてくるし、どうすっかなー?
ーーお、そうだ!ザガンの店でも行ってみるか。一応誘われてたし。
ーーそうと決まれば即実行!
昨夜の話だとニアに街中を案内してもらえる筈だったが、仕事なら仕方ないと気持ちを切り替え部屋に戻ってコートを羽織り宿の外に出る。
「うわっ、眩しっ!」
どうやら宿の中が薄暗かったせいで、まだ朝だと俺が勘違いしてたらしく太陽はとっくに頭上高くに昇りきり、昨日の夕方には閑散としていた大通りには左右に露店が建ち並び、どっから湧いて来たのかと思える人混みでごった返していた。
ーーうおー、スゲー!
ーーこういうのって何か新鮮だな~。あっ、野菜とか麻袋とかで売ってるの初めて見た。おっ!アクセサリーとかもあるのか。
左右に並ぶ露店を時折覗きながら市場の活気を楽しみつつ進んでいくと、至る所に掲げられたり壁に打ち付けられていた看板をしばらく見つめながら溜息を吐く。
ーーは〜、やっぱ無理か。
外に出てから文字が読めなくても図形として憶えれば良いんじゃね?と思いついたのだが何故か俺が目にした文字は全てモザイク画にしか見えず落胆する。
ーーこれってやっぱアレだよな…、幼女の言ってた対価ってやつ。
今までアニメやゲームをやり込んでたせいもあり、イラストや図形に対する認識力と記憶力には絶対の自信があったのだが、流石にモザイク画で原形すら見えなければどうしようもないし、昨日よりモザイクのドットが粗くなっている事に只々溜息しか出ない。
だが文字以外、看板に時折描かれているマークなんかは普通に見えるのでそれを幾つか憶え、武器屋とか飲食店などマークの共通する店は何とか判別出来るようになった。
ーーまぁ、これで文字が読めなくても何とかなるだろう。
そう無理矢理に気持ちを切り替え、早速ザガンの店を目指してみる。
勿論、何処にあるのかも知らないので途中で何度もすれ違った人に尋ねながら大通りを進み、そこから二本奥になるやや細い路地に入って行くと、入口横に看板が掛かった建物が見えてきた。
ーーえーと、此処であってる筈だよな?
教えてもらったとおりの店構えとはいえ似た様な建物が彼方此方にあるのでイマイチ自信が持てず、恐る恐るといった感じで扉を開け隙間から中を覗くと奥の机でザガンが何やら作業に没頭してる姿が見えた。
「こ、こんにちは~、お邪魔しまーす。」
その姿にホッと息をつきつつ作業の最中なら邪魔にならないようにと気を使い小声で挨拶をすると、俺に気付いたザガンが顔を上げ横にあったタオルで両手を拭きながら笑顔で出迎えてくれた。
「おう、早速来てくれたのか?ちぃとばかり散らかってはおるが、遠慮せんと中に入ってくれ!」
「はは…んじゃ御言葉に甘えて。」
「で、来てもらって早々なんじゃがこれからどうするつもりなんじゃ?自分の国に帰る方法でも探すのか?それとも……。」
いきなり直球な質問に思わず苦笑を浮かべる。
「う~ん。昨日も少し話したけど事故で此処にいる訳だから帰る方法については、此処じゃあ調べる事すら難しいと考えてるんだ。…それに元々向こうでも一人だったから、これも何かの縁だったと割り切った方が良いと思って、昨日ギルドに登録したよ。」
「……そうか。事故の事は仕方ないとして、悲観する程人生は損をすると先人達は言うておったからのぅ。それはそれで良い選択じゃったと思う事じゃな。」
そう言って笑うザガンに、ギルドに登録してから今朝までの事を簡単に話した。
「そうそう、そういえば技工士ってどんな仕事なのか気になってたんだが、聞くタイミングを昨日は逃してたんで良ければ教えてくれないか?」
「そうじゃな、口で説明するより見てもらった方が早い。丁度今、調整が済んだところじゃし、実物を見てみるか?」
「え、じゃあ…お言葉に甘えて。」
俺の言葉にザガンは笑顔で頷き、先程作業をしていた机の方へ案内してくれた。
その机の上をには小さな歯車やらビスらしき物やら、何かの機械の部品らしい物が区分けされた小箱にキチンと整理して収められ、椅子の前には満開の花を型取り意匠の凝らされた小さな箱が蓋を閉じた状態で置かれていた。
「この箱はな、帝国から最近輸入され始めた『オンゴー』と呼ばれとるらしい非常に高価な品なんじゃが、お主の国で似たような物を見聞きした事はあるか?」
「オンゴー…は、無い……かな?」
そう答えた俺に、ザガンは我が子を見せる様な顔で小さな木箱を優しく手渡してきた。
「蓋を開けてみぃ。」
木箱を開けてみると微かに流れてくる音楽…
聞いた事のない旋律が聞き覚えのある音色で奏でられるそれは……呼び名は違えどオルゴールに間違いなかった。
「どうじゃ?コイツは‘‘ぜんまい”と呼ばれる薄い鋼の板を動力にして動いとるんじゃが、細々とした精密な部品が多くての、修理ともなるとワシの様に手先の器用な者でなければなかなかに調整が難しい品なんじゃよ。」
「それが昨日の討伐に何か関係が有るのか?」
「うむ、実はその動力たる‘‘ぜんまい”が折れてしまっておっての、代用品としと希少な魔獣の髭が必要になったんじゃよ。でな、この辺りではなかなか手に入りにくいそれを融通してもらう為に、ギルドの依頼を受けたという訳じゃよ。」
それを聞きながら日本のカラクリ人形も昔は鯨の髭をゼンマイ代わりに使ってたっけと納得する。
更に話を聞いてみるとザカンの両親が元々魔道具職人をしていた事や、ドワーフの血を引きながら戦闘はからきしだったが、動物や危険を察知する能力には特化していたので、獲物を見付ける才能があった為にギルドに登録したなんて経緯も教えてくれた。
「基本的に冒険者ギルドちゅーんは、兼業が許可されておるから出来るんじゃがの。」
そう言って笑うザガンに俺は昨日とは打って変わり、とても馴染みやすい印象を受けた。
「そっか〜。所で話は変わるけでザガンはこの国や近隣の国、それに他にも色々と聞きたいんだけど……いいかな?」
「ハッハッ~!ワシも異国の者と話すのは久方ぶりじゃから、楽しみじゃわい。知ってる事で良ければ何でも答えるぞ。」
破顔しながら大声で笑うザガンから出してもらった丸椅子に腰掛け、じっくりと腰をすえるとこの世界の事を怪しまれ無い程度に細心の注意を払いながら聞き出していく。
それで判った事はーー
戦士、僧侶(神官)薬士、魔法使いなど、ゲームでもありふれたり耳にした事のある職種の話はスルーして、どの程度日本に居た頃の知識と重なる部分があるのかに重点を置いたお陰で職種に関してはほぼ把握出来た。それと、やっぱりと言うかお約束と言うか…奴隷がいた。
しかもこの世界での奴隷の扱いは『人』では無く『物』だと聞かされ、高校時代のイジメにあった時の記憶が一瞬だけフラッシュバックした。
「ん?どうかしたのか?」
「い、いや、何でも無い。」
一瞬顔を顰めた事に気付いたらしいザカンに素っ気なく応えながら話題を変え、この辺りに住んでる種族についても聞いてみた。
すると意外な事にこの大陸にはドワーフと獣人、人間の三種しかおらず、混血化も進み純血種は僅かに存在が確認されるだけで、ドワーフ達は遥か北部の山脈の向こうに。獣人達はこの国の南部に自治区を作り、小規模な集落を形成して住んでいるらしかった。
それとエルフは当然居ると思い込んでいただけに、居ない事に少し驚いた。
昔はどこにでも居たらしいのだが、ある時期を境に混血を避けるために集団で大海を渡り別の大陸へと行ってしまった為らしい。
それと同じ頃に妖精族も姿を消したらしいのだが、こっちは元々めったに存在が確認出来ない種族だったらしく、詳細は今だに不明なんだとか。
ーーはー、エルフ見たかったなー。
で、最後に一番肝心な地理を教えてもらった。
まず、今俺が居るのがファンゼル国で国王制
西がメルデス帝国で帝王制
北がマッケラス大国で国王制
南は樹海と少数部族の村や町のある中立自治区
東はヤンガル火山と魔族が住むザザ国
それと、隣接はしていないが何処の国にもある大地母神の教会の総本山、エストーワーク教国
一応この五つさえ知っていれば大陸南部の地理で困る事も無いと言われ、各地にある街の名前とかはいきなり全部言われても覚えきれそうに無かったので、おいおい覚えて行く事にした。
それと地図があればとも思ったが、字が読めなければ結局は同じ事なので催促はしてない。
「………と、まぁこんな感じじゃな。それにしても、ユージ殿の国は人間だけとは…それは、それで珍しいのぉ~。」
「いやまぁ、俺が出会ったり見てないだけで居たかも知んないけど…。」
ザガンにしてみれば俺の居た大陸にエルフが移住したと思ってたらしく、ちょっと意外そうに驚かれた。
ーーまぁ、本当は世界が違うんだけどね。
とは流石に俺も言えず、愛想笑いで答えをはぐらかし何気に視線を窓に向けると室内には長い西日が入りこみ、いつの間にやら夕焼け色に染まっていた。
「おっ?もうこんな時間か……。今日は本当に色々とタメになったよ、ありがとう。そろそろ宿にキース達も戻ってるだろうし、腹も減ってきたから帰るよ。」
「そうか、また何時でも遠慮せず寄ってくれて構わんぞ。それに久々に長話をしたお陰で、儂も今夜の夕飯はたっぷりと入りそうじゃわい。」
そう言って、腹の辺りを笑いながらさするザガンと別れ店を後にする。
外に出ても通りに並ぶ建物の壁は朱く彩られ、時折夕飯の支度でもしてるのか、どこからか食欲をそそる香りが絡み付いてくる。
ーーくぅ〜、旨そうな匂いさせやがって。
匂いに反応して小さくなる腹に手をやりながら足早に宿へ向かったために、夕陽を遮る細い路地の奥から黒のフードを頭までスッポリと被った人影が、俺に対して無言で目線を向けていたなんて事、気付きもしなかった。