過去は輝く
『わぁあ、綺麗!』
小さな頃のアルフの記憶だ。
目の前に広がる光景に、彼女は心から感動していた。小高い丘から見える、一面に広がる色とりどりの花。空は夕焼けで赤く染まり、それが尚更その美しさを際立てていた。
その日はアルフの5歳の誕生日だった。
エルミナもルーザも小さく、まだあまり良くわかっていなかったし、魔王も仕事で忙しくアルフに構ってはくれなかった。勿論、素敵なプレゼントは贈られたわけだが。
その当時は、亜族との交易にも乗り出していたために、ほとんどの者が大忙しだった。
今まではアルフの母がいた。母が、アルフとお出かけをしていたり、素敵なお菓子を作ったりした。
そんな彼女の母もいなくなって、誕生日だというのに幼いながらも鬱々としていた時のことだった。
『お嬢様、素敵なところに連れて行って差し上げましょう。』
自身も仕事で忙しいはずなのに、ニコリと笑みを浮かべてシュロムはアルフを連れ出した。
後からアルフが聞いた話では、その日のためにシュロムは数日前から睡眠時間を削って仕事を終わらせていたらしい。
道理で、あの時期のシュロムは顔色が悪かったわけだ・・・とアルフは1人で納得した。
彼女はどこに行くのかもわからないまま、シュロムと出かけた先が小さな丘だった。
特別何があるわけでもない場所だが、あの時の鬱々としていたアルフにとっては、素晴らしく思い出に残る場所だった。
2人でシュロムの作ってくれたサンドイッチやお菓子を食べて、笑いながらたくさん話をして、たくさん遊んだ。
あの時、シュロムの作ってくれた花冠は今でもアルフの記憶に深く残っているし、必死に探して見つけてくれた『幸運の花』だってきちんと加工して保存していた。
アルフとシュロムが、まるで兄妹のようになったのはそれからだった。
彼女は彼に良く懐いた、それは甘える相手がいなかったからだと思う。
アルフの母がいない分、アルフがルーザとエルミナの世話をしないといけないという使命感に幼いながらも追われていたし、仕事で忙しいお父様の邪魔をしてはダメだ!と甘えることもしなかった。
振り返ると、いかにアルフがシュロムと居たかがよく分かる。
「喜んでくれるかなぁ。」
アルフは握りしめた手を開いて、『幸せの花』を加工して作ったネックレスを見つめた。
男の人が付けても、全くおかしくないように加工しているが・・・贈り物というのはやはり難しいものだ、と力なく笑みを浮かべる。
コツコツと歩く音が聞こえて、アルフは瞬時にその贈り物を隠す。
「荷物はこれでよろしいでしょうか?」
シュロムは大きなバスケットともうひとつバッグを持って彼女の前に立つ。
彼女が自身の部屋にある荷物を取ってきて欲しいと頼んだのだ。
「ええ、それで十分よ。さあ、行きましょう!」
アルフが意気揚々と言い、転移魔法を使用する。転移した先は、丘のふもとだった。
「こ、こは・・・。」
「さぁ!登るわよっ!」
丘の上にはあえていかず、下から登るというのもかつて彼女たちがしたことであった。
そう、この丘は10年以上前に2人が訪れた丘である。そして、アルフとシュロムがこうして一緒にいる最後の時間をこの場所で費やすのだ。
本当は、2日程かけて色々な場所に行きたかったのだ。美しいものを見て、美味しいものを食べて。しかし、アルフが得られたのは1日だけ。
それというのも、図々しく2日も時間を貰うのは気が引けてしまったからである。
だから、この1日を彼にとっても自身にとっても最高の時間にしたいというのがアルフの考えだった。
そうして考え出したのが原点回帰である。
2人にとっての始まりの場所へ。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
余裕綽々といったように、スタスタと丘の坂道を登るシュロムに対し、すでにゼイゼイと息を上げるアルフ。
まだ頂上までは半分もあるわけなのだが。
「ちょっと・・・運動不足、かしら。」
必死の形相は、絶対に夫であるディズに見せることなどできないであろう。
いや、彼ならばむしろ喜ぶのだろうか?とシュロムは内心で考察をした。
「よ、し・・・着いたぁ!」
頂上に着いたのはそれから15分後のことで、確実に普通ならばその半分以下の時間で登れるような距離ではあった。
頂上に着くや否や、元気になったアルフはテキパキとシートを広げ、大きなバスケットをあけた。
そこに詰まっていたのは沢山の料理。
「これは・・・。」
「私が作ったのよ!1人でこの量は大変だからエルミナにも手伝ってもらったけれど。」
照れくさそうに彼女は笑う。
最近では、エルミナが料理等を行っていたが、その実アルフも料理は得意だった。
他国の王族が聞いたなら、それはそれはビックリするだろうが。
普通、王族は家事もしないし料理も行わない。そういう自由すぎるところが、まさに魔族らしいというか・・・事実、歴代の王族だって自由奔放な方が多かった。素晴らしい程に自由だった、勿論その家臣だって自由な人が多くなるのは当然で。
どこの国の家臣に、王族に料理や家事を教え手伝わせる人がいるのだろうか。
否、きっと魔国だけであろう。
「シュロム、最近忙しくて余り食べれていないでしょう?だいぶ痩せちゃってるし・・・だから、たーんと食べて!」
ニコニコと笑うアルフに、シュロムはやれやれと笑みを浮かべ、その食事に手を付ける。
シュロムはアルフの作るものが美味しいことは十分知っていたので、なんの疑いも心配もなくそれを食べ進める。
素直に美味しいと感想を述べれば、嬉しそうに笑う彼女にシュロムまで暖かい気持ちを抱いていた。
それと同時に寂しさも覚えた。
妹のように可愛がってきたこの子を、出来るならばいつまでも側にいて見守りたいと切に思っていたからだ。
しかし、自身の魔族として役職を考えればそれは良い策とは言えない。
そうでなくても・・・。
「シュロム・・・?顔が怖いけれど、本当は口に合わない?」
「とんでもない、少々考え事をしていただけです。」
アルフはシュロムの言葉を聞くと安心したように、ほぅと吐息をついた。
「夕陽もいいけれど、雲ひとつない青空も素敵ね。」
アルフは景色を眺めながら、一言発する。
映し出される景色が、何かひとつの要素が違うだけでこうも違って見える。
雲の数、空の色、花の様子・・・その要因は多すぎる。だからきっと、1秒ずつ景色は変わっていくのだろう。
まるで、それは私たちの生きている世界のように。
「私、後悔してるの。」
依然として景色を見つめたまま、ポツリと零す。
何をとアルフは言わなかった。
しかし、シュロムにはそれが前世についてなのだと理解することが出来た。
自身の中の坂上章介という人格が、その表情を前世の彼女と重ね合わせた。まるで容姿は違うはずなのに、重なり合う二つの影。
だがそれは、坂上を責め立てる要因の一つにしかなり得ない。
その後悔とは、俺のことだろうかとシュロム胸をざわつかせる。
自身が彼女を裏切った、罪かと。
しかし、アルフが次に口に出した言葉は彼の思うようなことでは無かった。
「私は、何一つ出来なかった。私が周りにしてあげられたことって・・・なんだったのだろう。今でも、それだけがずっと心残りなの。」
そんなことなかった、と告げたかった。しかし、今の自分にはそんなこと言うことは出来ないとシュロムは言葉を発すことが出来ない。
彼女が周りに与えたものは大きかった。いつも笑顔で明るく、元気を与えた。誰かのためになろうといつも必死だった。そんな彼女は、多くの人に好かれていた。
近くにいた坂上や彼女の友人なんかは特に彼女の影響を受けていた。苦しい時には精一杯助けようとしてくれる、良いことがあればまるで自分のことのように喜んでくれる。
当たり前かもしれないが、当たり前のことをするのは難しいものだ。それを彼女は、それをするのは普通だと言うように振る舞う。
いつだって、周りの幸せを考えていたのだ。
だから彼女は知らないままで居なければならない、前世での坂上たちの行動も、これからのシュロムたちの行動も。
シュロムは彼女の横顔を見つめながら、ギュッと拳を握った。
「でも、今度こそは・・・。」
アルフは、決心したように呟いてシュロムに向き直る。
「シュロム、今までずっとありがとう。」
懐にしまっていたネックレスを取り出し、彼に渡す。当事者のシュロムは、驚きを隠せずにぴきりと固まってしまった。
「私がここまで来れたのは、シュロムのおかげよ。これからは、私が皆を幸せに出来るように頑張るわ!」
ジャラリ、と音を立てながらそのネックレスを受け取る。
シュロムは手に取ってマジマジと見つめた。そのネックレスの中にある花が、懐かしくて笑みを浮かべる。
「この花は・・・懐かしいですね。」
「ええ、お揃いよ。」
アルフはニコリと笑みを浮かべて、かつてシュロムがくれたモノを出す。
「これはどこで?希少なものです、買うならば相当値が張るでしょう。」
「馬鹿ねぇ、シュロムったら。探したに決まってるでしょ?じゃないと、幸せは舞い降りて来ないわ。」
コロコロと笑うアルフにシュロムは驚き、そして多くの想いが込み上げて混ざり合い、目に涙が浮かんでくる。
「馬鹿はどちらですか、私なんかのために、そんな・・・。」
「シュロムは私にとって、兄同然だもの。大事な家族だもの。このくらい、当たり前じゃない。」
家族・・・。ありきたりなシチュエーションだろうに、シュロムの心からぶわりと感情が溢れ出す。それは、彼自身に『家族』というものがいないからであろう。
「ありがとうございます、一生・・・大事にします。」
「勿論!無くしたら許さないわ。」
この時、坂上が抱いていた『贖罪』という名の義務感からシュロム自身の気持ちに変わった。いや、元々シュロム自身も抱いていたものだが、それがより強くなったのだ。
もうすぐ、彼らの計画は始まる。
一方で、彼女の計画も始まっていた。
「ふぅん、やっぱりどの禁書も使うのは簡単なのね。」
『アングムの生命錬金』により器を作り、そこに『七つの大罪』たちを呼び起こして入れたところだった。
ただ、禁書というのは通常多くの魔力を要するし使用するのも難しければ、そのリスクだって大きい。
それを軽々と利用出来るのは、それだけ彼女に力があるからだ。
「良い?この器はあたしが作ったの。だから潰そうと思えば潰れる。私があなたの主人よ、理解出来た?」
七つの大罪たちは、高位の悪魔のため余り人に従順に従いはしないが、コーネリアの威圧感から不本意であるが、少しだけ敬意を払うべきではあると心得ている。
「ベルゼブブにアスモデウスは、あと二つの禁書の入手を頼むわ。あとは、あたしの計画にしっかり手を貸すこと、いいわね?」
七つの大罪たちは、一つ頷いた。
彼女の計画もまた、大きく進んでいるのだった。
戦いの日は、近い。




