第7話:イカレた奴
牧場に来て4日目。
ジュレルディは相変わらずみなの前では毅然とした態度を崩さないが、俺と2人きりになると挙動不審になるというのを繰り返している。もっとも彼女は、極力俺と2人きりになるのを避けているようだ。
みなの前では毅然とし崩したところを見せない隙の無い大人の女性が、俺の前でだけ弱々しいところを見せるというのを、俺はなんだか可愛いと感じ始めていた。
依頼の方と言えば、作業にもなれ牧草の刈り入れは順調に進んでいる。だがこの日は朝から小雨が降りだした。もっとも風上の北の方では、雨雲は切れている。
居間にみんなが集まり、ジュレルディの凛とした声が響く。
「昼過ぎには止みそうだが、濡れた牧草を貯蔵庫に入れる訳にはいかないな。早く終わらせたかったが仕方がない。今日の作業は中止だ」
「じゃあ、部屋でもう一眠りするか。休みなのはいいが、とっとと終られて南に進みたいところだったんだが」
「でも、雨なんだったら仕方ないですよ」
カシェードが大きく伸びし、ユイファがこたえている。
「今日はゆっくりと休んで明日からまた頑張ろう。明日になれば牧草も乾いていると思う」
「そうだと良いんですけど、雨が続いちゃずっとここで足止めですからね。まあ、天気の事なんていっても仕方ないから、休むしかないんですけど」
「いや、お前にはちょっと用がある。すまないが付き合ってくれ」
みんなを前にして、俺に対してもジュレルディの声は歯切れ良い。
「え? どこに行くんですか?」
「まあ、着いたら分かる」
こうしてジュレルディと牧場を後にした。2人とも獣の皮をなめした外套を身に纏う。茶色い外套は雨に濡れ、すぐに焦げ茶にその色を変えた。牧場のお爺さんに道を聞いているのか、前を行くジュレルディの歩みに迷いはない。どうやら村の中心部に向かっているようだ。
牧場を出て結構歩いているが、まだジュレルディの足は止まらない。
「まだ着かないんですか?」
「もう少しのはずだ」
こたえるジュレルディの声が、少し堅い。
あんなに2人きりになるのを避けていたのにどうしたんだろう? もう俺になれたのかとも思ったけど、やっぱり少し緊張しているのを感じる。それをおしてまで俺を連れて行きたい場所ってどこなんだろう。
「ここだな」
さらにしばらく進むと、古ぼけた小屋の前で彼女の足が止まった。入り口に掛けられた看板の、かすれた文字を目を凝らして読んでみると……憑院?
えーと。憑院、憑院と。と早速アルシオの記憶を探る。
この世界にも体調が悪くなるとかいう普通の病気を診る病院も別にある。だがここは特に、急に乱暴になったり大食になったりと、性格が変わった者を診るところだ。この世界では、精神を病んだ者は「妖」に「憑かれた」と考えられている。
いや、考えられているだけではなく、実際「妖」は存在している。この世界の人間には、魔力を生み出す力があるのだが、時にその魔力が暴走するのだ。どんな時かというと、あまりにも欲望が強すぎたり、怨念に取りつかれた時だ。その時、欲望体現する「妖」が生まれるのだ。強く世を恨み死んだ人からも「妖」は生まれる。元の世界で言うと「生霊」や「悪霊」みたいなものか。
ここはその「妖」に憑かれた者を祓う場所で、性格がおかしくなった奴を治すという意味では、精神病院みたいなものだ。
お前は今少しおかしいんだ、とは言われたが、本当に頭がいかれたと思われていたとは……。挙動不審になっていたのも、イカレた奴と2人きりになったと恐れていたという事か。かんべんしてくれよって感じだ。
「それで、どの様な症状なのですか?」
小屋に入った俺達は四角いテーブルを挟んで座り、黒い髪を後ろで束ねた中年の女性と向き合っていた。凹凸の少ない体系で、この世界ではそこそこの美人ってところだ。祓師も分類としては魔法使いに属し、ローブを纏っている。
「それが……」
俺が横にいる状況で、俺がおかしくなったとは話しにくいのか、ジュレルディも歯切れ悪い。
「それが? 言い難い事なのですか? 大丈夫です。ここで話した内容は誰にも喋りません。安心して下さい」
職業柄か、祓師の笑みには人を安心させるものがあった。
「実は……この男が私を、綺麗……と言うのです」
「……」
「……」
「分かりました。淫妖です。男性が淫妖に憑かれると、女性なら誰でもよくなるのです」
おい! いきなり断定かよ!
ジュレルディを見ると、女性なら誰でもという言葉に傷ついたのか、白い顔をうな垂れさせている。
「やはり……そうですか」
「はい。間違いありません。早速祓いましょう。淫妖は昼間のうちは大人しいですが、夜になると手がつけられなくなります」
「いやいや、もっとよく調べましょうよ。違うかも知れないじゃないですか」
「そっそうです。もしかしたら違うかも知れない」
さすがに即答されたのに反発したのか、俺が抗議にジュレルディも助け舟を出してきた。白い手を膝の上で握り締めている。
「それに、夜彼女と2人きりになったけど、俺は襲ったりしませんでしたよ」
「淫妖すら退けるとは……」
祓師は、驚愕の表情でジュレルディを見ている。って、いくらなんでもジュレルディ泣くぞ! ジュレルディは、やはり傷ついたのかまたも俯いている。
「いやいやいや。襲ってないんだから、憑かれてないんですって!」
「しょうがないわね。間違いないと思うんだけど……」
祓師は渋々といった感じで、後ろに置いてあった棚から一枚の大きな紙を取り出しテーブルに広げた。手には羽ペンと小さな紙片を持っている。
「では、他に最近変わったところはないですか?」
「以前より、少し態度が柔らかくなった気がします」
「他には?」
「他には――」
祓師は、ジュレルディの言葉をメモし、次に俺に目を向けた。
「あなたは? 自覚症状ある?」
その問いに俺なりに思い当たる事をこたえると、それもメモする。
祓師は、症状を書き止めたメモをぶつぶつと読み上げながら、広げた紙を指でなぞっている。
なるほど。症状に該当する「妖」を調べるって事なんだな。でもそれって……。
「はいそこ。だったら原因調べるのにお前居らないだろ。とか思わない様に。私の仕事はあくまで「妖」祓いよ」
祓師が、メモに視線を落としながら言った。見透かされたか。っていうか、いままでも散々指摘されたんだろうな。
しばらくすると、紙の上を滑っていた祓師の指が止まった。
「はい。やっぱり淫妖ですね。はやく祓いましょう。無駄に時間がかかったおかげで日が暮れて、私が襲われちゃたまんないわ」
誰があんたなんか襲うか! この世界ではそこそこの美人なのかも知れないが、俺から見ればジュレルディには遠く及ばないのだ。
祓師は、俺達を尻目にテキパキと妖祓いの準備を進めている。気付くと、俺の周りには紫や橙といった不思議な色の煙を出すお香が置かれ、目の前には水を湛えた四角いお盆があった。
「この紫の煙は淫妖を燻りだす効果があります。しばらくすると煙を嫌がり身体から出てくるので、そこに聖水を浴びせればたちまち退散します。「妖」は目には見えませんが、聖水をかければ焦げた臭いがするのですぐに分かります」
「橙のはなんなんですか?」
「僅かながら、虚言を言う虚妖の疑いがあります。これは虚妖に効果がある煙です。そしてこの緑のは、若年性痴呆の――」
「あ。分かりました。分かりました。先、進めちゃって下さい」
つまり憑いている疑いのある「妖」に効きそうなお香を、片っ端から置いてるんだな。
「そろそろいいでしょう」
しばらくすると、祓師はそう言って聖水が入ったお盆に指先を浸した。
その手を俺の前に持ってくると、慣れた手つきで指先についた聖水を指ではじき、俺の肩辺りに振りかけていく。そのたびに焦げた臭いが辺りに……全然充満しない。
「おかしいですね」
祓師は首をかしげ、さらに聖水を振り掛けてくるが、結果は一向に変わらない。
「もう少し掛けてみましょう」
祓師はさらに聖水を掛けてくる。もはや指ではじくのではなく、お盆を手に持ち、ばしゃばしゃと手の平ですくっている。
既に俺は、雨に当たられた様にぐしょ濡れになっていた。せっかく雨を避けるために外套を着てきたのに台無しだ。
「いい加減にして下さい! びしょびしょじゃないですか! だから淫妖になんて憑かれて無いんですって!」
「そんなはずは……」
「そんなはずも何も無いです。ジュレルディ。もう行きましょう。時間の無駄です!」
「ちょっと待ちなさいよ。帰るのは勝手だけど、御代を置いて行きな!」
俺が席を立とうとすると、最初に見せた人を安心させる笑みなどかなぐり捨て、祓師は泡を飛ばして怒鳴っている。
「憑いてないのに払えるか!」
「こっちはお香を使ってるんだから、憑いていようがいまいが経費は同じなのよ!」
「知るか!」
俺と祓師が怒鳴りあっていると、ジュレルディが割り込んできた。普段通りの落ち着いた声だ。
「何を言うんだアルシオ。結果的に憑いてなかっただけで、祓おうとしてくれた事に違いはないだろう。御代はお幾らでしょうか」
「でも、良いんですか?」
「お前に、何も憑いてないと分かっただけでも、良かったじゃないか」
「そりゃまあ、そうですけど……」
「あんたの頭目が良いって言ってるんだから、あんたは口を挟まないの!」
祓師はそう言うと俺を無視してジュレルディに料金を伝え、ジュレルディも払った。
憑院を出ると、雨はもう止んでいた。
「やっぱり、お金は俺が出しますよ」
「何を言っているんだ。アルシオ。私は頭目だ。これくらい私に出させろ」
うーん。なんだかちょっと機嫌が良さそうだ。俺に何も憑いてなかったのを喜んでくれているみたいだ。仲間に何か憑いていたらと心配だったんだろう。緊張した感じもなくなっている。
「でも、これで俺が嘘を言っているんじゃないって、信じて貰えましたか?」
「え? あっああ。まあな。しかしな……」
何かに憑かれていないというのは信じたけど、俺の言葉自体はまだ信じ切れていないのか。なんだかまた言葉に切れがなくなってきた。歩きながらも、考え込むように顎に手をやっている。
人気の無い道に差し掛かると、ふと、彼女の足が止まった。身体を向け正面から俺を見る。
「お前、もしかして私に隠している事はないか?」
彼女はアメジストの瞳で、鋭く俺を射抜いている。
中身がアルシオじゃないってばれたのか? いや、さすがに外見がそのままで、中身が入れ替わっているなんて分かるはずが無い。外見そのまま性格が変わるなら、妖に憑かれている場合くらいだがそれはクリアーした。
「お前……」
ジュレルディが真剣な目を向けてくる。やぱりばれたか。俺はアルシオの来世だ。なんて、たとえ信じて貰えてもジュレルディにとっては赤の他人だ。それを知れば彼女はどう思うのか。衆から追い出されては、こんな世界で俺1人で暮らしていく自信は無い。額に脂汗が滲んだ。
「もしかして……」
緊張に、ごくりと唾を飲み込む。額の脂汗もさらに増える。
「宗教上の理由じゃないだろうな」
「なんなんですか。それは!」
思わず声を張り上げた。
「宗教上って、どこからそんな話が出てくるんです」
「お前もしかして、ヴェーラ教に入ってるとか、最近入信したとかじゃないのか?」
ジュレルディは疑いの目で俺を見ている。
ヴェーラ教だな……。とアルシオの記憶を探ったが、隅から隅まで探しても、アルシオの記憶にはそんなものはなかった。俺が知らなかっただけで、実は入信しているという事はなさそうだ。
「知りませんよ。ヴェーラ教なんて聞いた事もありません」
「本当に知らないのか?」
「ええ。それとどう関係あるって言うんですか」
「ヴェーラ教は謎に包まれていてな。ある男が突然神の啓示を受けたという宗教だ。その男は以前は乱暴者で、いつ人を殺してもおかしくないとまで言われていた。それがある日突然粗暴がなりをひそめ、神の言葉を話し始めた」
「それこそ、何かに憑かれてたんじゃないんですか?」
「いや、そうじゃない。男は誰も知らない不思議な知識を持っていた。いや、その男だって知らないはずの事を突然喋り始めたんだ。故郷からも出ず、ただの飲んだ暮れだった男が、新しい作物の育て方や、便利な農具の作り方を知っていた。男自ら道具を作ったりもしたらしい。その為多くの者が信者となり、一時は大きな勢力となった」
「へー。それは凄いですね。それでその男が言う神の言葉って、どんなものだったんですか?」
謎の宗教か。奥が深そうだな。しかし、それがどう関係して俺が入信していると疑っているんだろう。
「その男が言うには、人を殺せば来世で不幸になるから人を殺すな。という話だったらしい」
謎でもなんでもねえな。間違いなく「何か」に前世をやり直させて貰った奴じゃないか。
「それで、もしかしてその男は、この世界の美人を不美人って言って、不美人を美人って言ってたりしたんですか?」
「ああそうだ。どしてお前がそれを知っている? やっぱりお前ヴェールユシチイか!?」
「違いますよ。なんなんですか、その微妙にかっこいいのは」
「ヴェーラ教の信者の事だ。それよりお前、本当に違うんだろうな?」
ジュレルディの目は、ますます疑いの色が強くなっている。
「違いますって。あなたが俺がその宗教に入っているって疑っているから、そうじゃないかって思っただけです」
まあ実際、俺と同じ地球出身かは分からないけど、その教祖も、俺と同じように感じたんだろう。
「それでその宗教はどうなったんです? 大勢力になったって言ってたけど、俺は聞いた事もないですよ」
「いや、それが……」
「何か言い難い事なんですか?」
「そういう訳じゃないんだが……。まあヴェールユシチイは、教祖と同じ好みじゃないと駄目という事でな」
「はあ。そこはセットなんですね」
「ヴェールユシチイは、教祖の言うところの美人と結婚しなければならなかった。つまり、他の人間にとっての不美人とだ」
「……それが嫌で、そのヴェール……なんとかって言うのが、減ってしまったんですね」
「ヴェールユシチイだ。まあ、そういう事だ」
律儀に訂正し、ジュレルディが小さく頷いた。
「残念ですね。その宗教がもっと広まってれば、あなたの天下だったのに」
「ああ。まったくだ。って違う! そういう話をしているんじゃない! それにだ。私だって本当にそう思われているならともかく、教義だからなんて御免だ」
「なるほど。でも俺はそんな宗教入ってないですよ。名前も初めて聞いたし」
「本当にそうなんだな?」
ジュレルディは真剣な目で詰め寄ってくる。その形相に思わず仰け反りそうになった。
「ええ」
「本当に、本当か!」
「本当ですって」
「そうか」
「はい」
「……そうか」
そう言うと、彼女は腰の辺りで拳を握り締めた。
「なんですか。今のは?」
「いや、なんでもない。それよりも2人が待っている。早く帰ろう」
「ええ。そうですね。いつの間にか日が沈んできてますし」
「ああ。まあ暗くなっても、淫妖に憑かれているのではないのだから、お前に襲われる事もないだろうがな」
「当たり前ですよ」
「宗教上の理由でも無いしな」
「そう言ったじゃないですか」
「いや、すまん」
そう言って、俺の先を進む彼女の足取りはやけに軽かった。普段は毅然としているのに、小さく鼻歌まで歌っている有様だ。
えーと。この人って、もっと落ち着いてて、隙を見せない冷たい感じの女性だったはずなんだが、なんかこう、イメージが違うんだよな。まったくどうしたんだろう。
だが彼女の軽い足取りも長くは続かなかった。牧場に近づくにつれ表情が堅くなり、何か考え事をしながら歩いているようだ。
すっかり重くなった足取りで進むジュレルディが、母屋の扉前で止まった。扉を開ける事無く振り返る。
「そうだ。アルシオ」
「なんです?」
「話があるんだ。夜、あの場所で待っててくれないか?」
「あの場所って……。ああ、ここに来た日の夜に、あなたと会った場所ですか? 別にいいですけど、何の話なんです?」
「それは、会ってから話す。重要な話だ」
重要な話ってなんだろう? 俺がおかしいっていう疑いは晴れているはずだ。それに、彼女の様子から俺に何か含むところはなさそうなんだが……。
ふと彼女を見ると、アメジストの瞳で思いつめたように俺を見ていた。すっかり雨が上がった夜空に星が瞬いていた。