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第6話:挙動不審

 朝、目が覚めると狭い部屋の粗末なベッドの上だった。窓の外から、元の世界の自分の部屋からは聞こえないはずの小鳥の囀りも聞こえてくる。夜ここに横になったんだから当たり前なのだが、目が覚めたらいつもの自分の部屋だった。ってのをちょっと期待していたのだ。


 やっぱりこの世界で生きていくと覚悟を決めるしかない。しかも来世があるから死んでも平気って訳じゃないのだ。「何か」が言うには、わざと死ぬどころか、死んでもいいやってだけで「業」が悪くなるらしい。この世界で一生懸命生き抜くのが重要なのだ。そうしないとせっかく優佳とつり合う為にこの世界に来たのに、意味がなくなってしまう。


 ギシギシと軋む階段を下り居間へと向かい、中に入るといきなりアメジストの瞳と目が合った。瞬時に昨夜の彼女の姿が頭に浮かぶ。いつも泰然とし落ち着いている彼女は、まるで幼い少女が何か怖いものから逃げ出すように俺の前から走り去ったのだ。


 ちょっと気まずい。おはようございます。とでも言えばよいのかな? そういえば、アルシオって、いつも朝はどう挨拶してたんだっけ……。


「何をぼーっと突っ立っている? 私の顔に何かついているのか? 早く椅子に座れ」


 あれ? と改めてジュレルディの顔を見ると、彼女は、なんだ? というふうに少し首をかしげ見返してきた。それこそ昨日の事が夢だったかのように平然としている。その様子に俺は戸惑った。


「あ。すみません」

 慌てて空いている椅子に座る。テーブルの上では数切れのパンと豆のスープが湯気を立てている。それと円柱型の杯に注がれた牛の乳だ。昨日の晩餐が特別豪勢だっただけで、小さな村の牧場の朝食としては、まあこんなもんだ。


 椅子に座ってからもちらちらと彼女を見る。昨日見た儚げな様子は全くなく、カシェードやユイファと話す声も落ち着いている。完全に「アルシオの記憶にあるジュレルディ」だ。


 堅いパンを手でちぎり、豆のスープに浸して食べる。元の世界では行儀のいい食べ方とはいえないが、そうでもしないと食べられないくらいパンが固いんだから仕方がない。


 ジュレルディはこんな食べ方にも拘らず、パンくずやスープをテーブルに溢さず綺麗に食べている。さすがにこの世界の人間は食べなれているのかと思ったが、ユイファは僅かながら溢し、カシェードに至っては溢して何が悪いくらいの勢いだ。


 やっぱりこの人は特別なのかと改めて顔を向けると、彼女と目が合う。微塵も揺るがない刺す様な視線に、思わず俺は視線を逸らしてしまった。本当にこのギャップはなんなんだ。


 昨日の夜、俺と視線が合うと泣きそうな目をしていた女性と、本当に同一人物なのかとまで思ってしまう。


 みんなが食べ終わると、早速貯蔵庫に向かった。ジュレルディはいつものように先頭を歩いている。さすがに牧草の刈り入れをするのにローブは纏っていない。昨日の夜と同じように、シャツにズボンという服装だ。魔法の杖だけを剣のように腰に挿している。足取りもしっかりし、危なげな所は少しもない。隙の無い、仕事の出来る大人の女性。


 その迷いのない脚が突然止まる。その時も左右の足が綺麗に並び乱れたところは無い。


 ん? 貯蔵庫に着いたのか?


 確か貯蔵庫いっぱいに牧草を溜めれば依頼完了という事だったけど。と顔を上げた瞬間、思わず目をむいた。


「なんじゃこりゃ!」

 元の世界換算で直径5メートル、高さ10メートルはあろうかという巨大な石造りの貯蔵庫の前で絶叫した。


 アルシオの記憶にある故郷にも牧草を蓄える貯蔵庫はあったけど、ここのは桁外れに大きい。まったくこれは詐欺じゃないのか? だが、他の奴らを見ると、特に驚いた様子はなく平然としている。


「この貯蔵庫ってずいぶんでかくないか?」


「別段、大きいとは感じないが」

「こんなもんじゃねえの?」

「そうですよ」


 ジュレルディをはじめ皆はやっぱり当然だろ、という態度だ。


 え? いやいや、勇雄の記憶で言ってるんじゃないんだぞ? こっちの世界のアルシオの記憶でこんなでかい貯蔵庫を見た事ないんだぞ?


 俺が納得していないのに気付いたカシェードが、にやっと笑った。

「そういえば、おまえ生まれはどこだっけか?」


「トゥーザだけど?」

 とアルシオの記憶を探りこたえる。


「やっぱりな。思いっきり南部じゃねえか。北部の冬は長いからな。蓄える牧草の量も違ってくるんだ」

「みんなはどこの生まれなんだ?」


「スダンだ」

「フォルカーク」

「ワナカです」


 みんな北部か。しかもジュレルディの出身地のスダンは北部も北部じゃないか。でもそうすると、こいつらはこの大きさの貯蔵庫って分かってて依頼に賛成してたのか。ちっ! こんな事だったらもっと強く反対するんだった。


 ふーー。仕方がない。今更文句を言ってもどうとなるもんでもない。大人しく作業を進めてとっとと終わらせよう。


 押し黙った俺に、ジュレルディは仕方がないなというふうに苦笑をした後、改めて皆に目を向けた。


「作業だが、まず全員で牧草を刈る。牧草がある程度溜まったら、ユイファは手押し車で貯蔵庫の下まで牧草を運んでくれ。貯蔵庫の下に牧草が溜まったら、アルシオは滑車を使って上から牧草を中に入れる。私とカシェードは牧草を刈り続けるが、手押し車に乗せるのはカシェードも手伝ってやってくれ。いいな?」


 ふっ。牧草を10メートルある貯蔵庫の上まで滑車で持ち上げる……か。って俺が一番の重労働じゃねえか! 確かに一般的には戦士が一番腕力があるって事になってて、実際この中では一番腕力はあるんだろうけど。


 ジュレルディへと視線を向けると、彼女は無言で小さく頷いた。まあジュレルディも俺が一番の重労働になるって分かっているけど、頭目としての判断ってやつか。


 仕方がない。ここで不満を言ってもどうにかなるもんじゃない。

「はい。分かりました。じゃあとっととやって終わらしちゃいましょう」


「じゃあ、始めるぞ」

 俺の言葉にジュレルディは笑顔になると手を叩いた。学校の先生見たいかも、とちょっと思った。


 始めは全員で大きな鎌を持って牧草を刈る。みんな麻で出来たTシャツのような上着とズボンという格好だ。


 しかしこっちの世界ではみんな違和感を感じないみたいだけど、勇雄視点で見ると結構凄い光景だな。


 下着というものがなく、みんなシャツ一枚で汗だくになって鎌を振るっている。ジュレルディは、Tシャツを着たままシャワーを浴びたみたいに胸に濡れたシャツが張り付き身体のラインを出している。大きく形の良い胸と引き締まったウエストが艶かしい。


 もっとも、まったく恥ずかしくないかというとそうでもなくて、それなりには恥ずかしいらしい。裸を見られるよりはマシって程度だろう。なのでマジマジと見るわけにはいかないんだけど、ネットでしか見たことが無いような光景に思わず視線がいってしまう。


 ジュレルディも俺の視線に気付いたらしく、俺と目が合うと頬を赤くし俯いた。やっぱり恥ずかしいらしい。って、え?


 俺から目を背けたその姿に、昨日の事が目に浮かぶ。どうして今朝と態度が違うんだろう。彼女はスタイルを悪いのをかなり気にしているから、身体が透けて見える状態ではさすがに毅然とした態度を取る余裕がないのかもな。


 俺がそう考えていると、鎌を振るいながら彼女は俺に背を向けた。背中も汗でびっしょりで透け、それはそれで艶かしいものがある。さらに俺に背を見せたまま顔をユイファに向けた。


「そろそろ良いと思うから、ユイファは牧草を運んで、アルシオはある程度牧草が溜まったら貯蔵庫に入れてくれ」


 うーん。ジロジロと見たのに機嫌を悪くして、俺を隔離するつもりか? まあ確かに刈った牧草も結構溜まってきているから考え過ぎかもしれない。


 しばらくして、カシェードに手伝って貰いながら手押し車で牧草を運んでいたユイファから

「すみませーん。牧草が溜まってきましたー!」と声がかかったので貯蔵庫へと向う。鎌を持ち貯蔵庫に着くと、運ばれた牧草が山と積まれていた。


 これだけでも結構しゃれにならない量なんだが、貯蔵庫がいっぱいになるまでって何日かかるんだ? まあ愚痴ばっかり言っても仕方が無いか。と、鎌を貯蔵庫に立てかけ作業を始める。


 滑車のロープに括り付けた平たい板に牧草を乗せて滑車を引く。板が上までいったらロープを貯蔵庫の壁から出ているカギに引っ掛け固定し、板に付いた紐を引くと板が貯蔵庫の方へと傾いて牧草が貯蔵庫の中に落ちるって仕掛けだ。


 一回一回はたいした労力じゃないが、何しろ回数が多い。とはいえ、ちまちまやるのが面倒だからって一回に乗せる牧草の量を増やしたら余計体力を消費しそうだ。仕事は長いんだから、焦っても仕方がない。


 とはいえ、滑車を回し牧草をどんどん貯蔵庫に入れても、後から後からユイファが牧草を運んでくる。


 もしかするとこれからずっと最後までこの作業なのか? となるとジュレルディのあの姿を拝めたのは今日だけだったって事か? ちょっと惜しかったか……。


 作業は進み、日が真上まで昇ったので昼食にする。俺もみんなのところに戻った。朝食と同じく堅いパン、そして干し肉だ。スープはないので堅いままのパンを口に入れ、水筒に入った飲み物で流しこ――。

「ぶはっ!」

 思わず吹き出し、さらにごほごほとむせ込む。


「何やってんだよ」

「大丈夫ですか?」

 カシェードが白い目を向け、ユイファが心配そうに見ている。


「どうした? 変なところにでも入ったのか?」

 ジュレルディが落ち着いた声で言い、ちぎったパンを水筒に入れた「麦酒」で胃に流し込んでいる。


 まさか酒が入っているとは思わず、吹き出してしまったのだ。アルシオとして麦酒を飲みなれているとはいえ、予想とは違う味が口に広がると焦る。アイスコーヒーだと思って飲んだら、コーラだったってみたいなもんだ。


 もっともアルシオの記憶を探ると、確かに単純な力仕事をする時は、麦酒を飲みながらする事が多いってあるんだが。何かをする時は、前もって記憶を探る様にしておいた方がいいな。


 念の為、魔物退治をする時はどうするのかと記憶を掘り起こすと、そこは判断力が鈍らないように酒は控える。あまり考える必要のない、その代わり体力を使って汗をいっぱい流す作業の時は、水分と栄養補給に麦酒がちょうど良いらしい。


 力仕事で汗だくになったが、季節的にはもう秋だ。涼しい風が吹き汗も引いてきた。空気が澄んでいる所為か、空が高い。こっちの世界で、まだやっと2日目なのか、とふと考えた。


 しばらくは、いやもしかすると、ずっとこの人達と生活する事になる。カシェード、ユイファ、そしてジュレルディへと視線を向けた。みんな黙々と食事と続けている。


 俺の視線に気付いたのか、顔を上げたジュレルディと目が合った。よく目が合うな。昨日の事もあるし、平然としているように見えても、やっぱり俺の視線を意識しているのかも。


「何か気になる事でもあるのか? アルシオ」

 いつも通りの歯切れのいい凛とした声がする。首をかしげ俺を見る瞳にも、微塵の揺るぎもない。


 汗が引いてきているとはいえ、シャツはまだ少し透けている。また嫌がって顔を背けると思っていたのに、彼女は平然としていた。


 昼食後、作業を再開し日が沈むまで続いた。


 貯蔵庫の前で待っていると、ジュエルディとユイファが手ぶらで帰って来た。その後ろに、道具を積んだ手押し車を押したカシェードが続いている。


 3人はそれぞれの道具をしまう為に納屋へと向かい、ジュレルディは歩きながら俺に顔を向けてきた。

「牧草はどれくらい溜まったんだ?」

「あ、ちょっと待って下さい」


 貯蔵庫の上まで続く縄梯子を急いで昇って窓から下を覗く。おいおい、丸一日やってたったこんだけかよ。


「やっと10分の1くらいです」

 いかにもうんざりした口調の俺に、ジュレルディは笑顔を向けてきた。


「いや。この大きさの貯蔵庫を1日で10分の1も溜めるなんて思ったより順調だ。みんな良くやってくれている」


 うーん。そういうものか? しかしそうなるとこのペースで後9日かかる。先は長いなー。


 でも思ったより身体は疲れてない。あんな作業を一日中続けたら日が暮れる頃には腕がパンパンに張って上がらないくらいになるかと思ったが、これが戦士の身体ってやつか。元の世界での身体とは大違いだ。


「さあ道具を片付けて、食事にしよう。その後はみんなすぐに休む様に。仕事はまだまだ続く。疲れを残さない様にな」

 そう言って手を叩くジュレルディは、やっぱり修学旅行を引率する女教師の様だった。


 カシェードが手押し車を納屋の横に置き、ジュレルディとユイファが鎌を納屋にしまう。そういえば俺も鎌を貯蔵庫に立てかけたままだ。鎌を手に俺も納屋に向かった。入り口の辺りでユイファとすれ違い中に入る。


 中ではジュレルディが何やら物の位置を変えていた。どうやら几帳面な彼女は、物が乱雑に置かれているのが気に食わないらしい。人の家の納屋にも拘らずちょっと整理している様だ。


「どうしたユイファ。忘れもの――」

「あ。俺で――」


 ガシャッ!

 俺と分かった瞬間、ジュレルディは、振り返って山済みとされた荷物に背を張り付かせた。その勢いで音を立てていた。

「なっなに? あ、いや。何か用か? アルシオ」


 あからさまに取り繕い、壁に張り付いていた背を引き剥がすと真っ直ぐに立つ彼女。さすがにここまで警戒されると、面白くもなってくるけど、笑い事じゃないんだよな。あまり警戒されては大変だ。


「用って言うか。鎌を置きに来たんです。そこに置けば良いんですか?」

 ジュレルディが立っている傍に数本の鎌が立てかけてある。


「そうか。じゃあそこに置いておけ、私が運んでおいてやろう」

「これくらい自分でしますよ」


 そう言って鎌の置いてある方に歩き出すと、一瞬彼女は下がりかけ踏みとどまった。どうやら動揺しているところは見せたくないらしい。だが夕方まで鎌を振っていた彼女のシャツはやはり汗で透けていた。つい視線が行ってしまい、彼女もそれに気付いたようだ。


「ぁ」

 と、さすがに毅然とした態度を捨て、小さい声を上げ胸を隠した。


 薄暗い納屋の中でジュレルディは俯き、胸を腕で隠している。女性としては背の高いはずの彼女が、とても小さく見え、その姿が、昨日の彼女と重なる。


「早く……いけ」

 小さい消えそうな声がした。


「あ。すみません」

 急いで鎌を置き、小走りに納屋を出る。


 俺が納屋を出てしばらくすると、彼女も納屋から出てきた。彼女が距離を保ち後ろに続いてるのを背に感じながら母屋の扉をくぐった。


 晩餐はやはり昨日のようには行かず、朝食と同じものに一応メインの料理が付いた程度だ。っていっても、そのメインからして肉抜きのシチューみたいなもんだ。


 晩餐の時は、いつものジュレルディだった。


 その後彼女の言うとおり、みんなは食事の後すぐに部屋に戻ってベッドに潜り込んだ。でも寝付けずに窓の外を眺め、また元の世界の事とか色々と考えていた。


 優佳とつり合いが取れる男になる為この世界に来たけど、それっていつまでかかるんだ? もしかしてアルシオとしての人生が終るまでか? ちょっと気が遠くなる。


 いやいや、がんばらないと。って言ってもやる事っていえば、こっちの世界で人を殺さない様にってだけなんだよな。具体的にはどうしたらいいんだろ?


 アルシオの記憶は、当然俺がこの世界に来るまでのところまででその先は無い。今考えても分かる事じゃないか。どういう状況でそうなるのかも聞いていないんだから、その時になったら考えるしかない。


 そういえば、やっぱり今の仲間もそれに関係しているのかな。ジュレルディとカシェードとユイファか。特にジュレルディは、アルシオの記憶にはない姿を見せている。俺の様子がいつもと違うからか、どうやら2人っきりになる警戒しているっぽい。あんまり警戒されると、下手すれば仲間から追い出されかねないし、気をつけないとな……。


 そんな事を考えているうちに、いつの間にか俺の目は閉じていた。

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