第63話:淫女の願い
「ふざけるな!」
淫妖を使って男を誘惑し快楽にふける女の言い草に怒りがこみ上げてくる。
「人に淫妖を憑けておいて世界の平和だと? お前のどこが世界平和だ!」
「ふざけてなんておりません。私、本当に世界の平和を願っているのですよ?」
手を組んだまま、ね? と首を傾げる、その仕草が、馬鹿にされているようで更に頭に血が上った。その怒りが淫妖のフィルターを通り、ヴァルヴァラを襲い、めちゃくちゃにしてやりたい衝動へと変わる。思わず踏み出しかけた足を、歯を食いしばって引き戻した。
「信じて頂けないようですね。これでも、いつも世界が平和でないことに心を痛めているのですけど」
ヴァルヴァラの顔に今まで浮かんでいた淫乱そうな笑みが消え、苦笑が浮かんだ。その様子に、本当なのか? と信じそうになる。だが、やっぱりこんな女、信用できない。ヴァルヴァラを睨むと、また苦笑を浮かべため息をついた。
「どうして私が淫乱だと知った方は、私の言うことを信じてくれなくなるのでしょう? 淫乱だと、世界の平和を考えてはいけないとでも?」
うっ! 確かに、考えちゃいけないこともないのか? しかし、淫乱っていうと、普通、もうちょっとこう自分のことしか考えなかったり、悪事大好きだったりするもんじゃないのか?
思いもよらぬヴァルヴァラの言葉に混乱していると、俺の様子からそれを感じ取ったのかヴァルヴァラが苦笑を収め微笑んだ。
「さっきも言いましたけど、私、真面目な優等生なんですよ? 教団の中ではそれなりの地位を頂いております。ヴェーラ教は、淫乱なほど出世するとでも思ってらしたのですか? 私は心を神に捧げた敬虔な修道女です。ちょっと、身の方は、男性に捧げる方が好きなだけの」
自分の台詞がおかしいらしく、ヴァルヴァラはクスクスと笑っているが、どうやら、本気で言っているようだ。
「でも、ヴェーラ教の教義はどうなってる? ヴェーラ教でも修道女は淫乱で良いなんて訳じゃないだろ?」
「そこは、上層部や担当地区の教会では上手く隠してますから。それに、私はヴェーラ教の教義の真理を理解しているつもりです。ヴェーラ教の真理は‘人を殺せば来世が悪くなる’。開祖マクシームが初めに言ったこの言葉が真理。それ以外の教団の教義は、組織、教徒を纏める為の欺瞞です」
「それって結局信者を騙してるんじゃないか。そんな信者を騙す教団なんて信用できないだろ」
「これは、教団でも一部の者にしか伝えられない言葉ですが、そこは、開祖マクシームも’嘘も方便’と仰っていたそうです。教義を信用させるには、それなりの形も必要だと」
嘘も方便って確か仏教用語だろ。まさか、その開祖って奴、俺と同じ地球人どころか日本人だったのか? 前世に来て、さらに同じようにやり直した奴がいるかと思ったら、まさかここまで一緒とは。世界ってなんて狭いんだ。
「それで、その開祖ってなんて名前なんだ? ええっと、こっちの名前じゃなくて来世での名前だ。それは伝わってないのか?」
さすがに、ここまで世界は狭くないだろうと思いながらも、俺が知っている奴かもと聞いてみた。
「これも教団の秘中の秘なのですが、彼方には特別にお教えしても問題ないでしょう。開始マクシームの聖名は、スコポポビッチと言います」
ロシア人かー。そうきたか。もしかして、日本かぶれのロシア人だったのか? とにかく、絶対に俺の知り合いじゃないな。
「それで、教団の教義のほとんどが嘘も方便で、本当は守る必要がないって知っているから、お前は好き放題男漁りをしながらも、教団の忠実な修道女って言いたい訳か?」
「正確には、ヴェーラ教の忠実な、でしょうか。教団の存在すら方便と、私は考えておりますので」
教団すら方便? どういう意味だ?
「随分と話が長くなってしまいましたね。では、そろそろ堕ちて頂きます」
「なに!?」
ヴァルヴァラは突然宣言し、また淫乱な笑みを浮かべた。その瞬間、それは来た。
「ぐぅっわ!」
思わず声を上げた。土石流のような欲望の洪水。理性で抑えようなんて思う暇も無いほど一瞬の出来事だ。
「どうです? これには堪えられないでしょう? 随分頑張るので、ちょっと仕掛けさせて頂きました。淫妖に憑かれているにしては、普通に会話出来ていたのに気付きませんでした? 私が淫妖を抑えていたのです。でも、抑えれば抑えるほど、開放した時には一気に来る」
そう言って、修道服の後ろに手を伸ばす。どこかに結び目でもあったのか、ばさりと地面に落ちた。いつの間にか日はすっかりと暮れ、一糸纏わぬ白い体が欠けた月明かりに浮かぶ。長い髪が垂れた乳房の先に、紅い尖った乳首が見えた。
「さあ、楽しみましょう。教祖様」
ヴァルヴァラは白い手を俺にさし伸ばした。
大きな形の良い乳房。滑らかにくびれた腰。丸みを帯びたお尻。下腹部には少し肉がついている。その少し崩れた感じが妙にそそられた。
逆らうことなど露ほども考えず導かれるように近寄った。口はだらしなく開かれ、涎がポタポタと地面を濡らした。目の前にいる艶かしい肢体をむさぼる事だけが心を満たした。
突然、光の矢が俺とヴァルヴァラを襲った。渡者としての本能が、一瞬淫妖の支配に打ち勝ち飛び退る。ヴァルヴァラも長い髪を揺らし後ろに跳ねていた。
「お前達何をしている! アルシオ! 説明しろ!」
美しい怒声が俺の耳を叩く。ジュレルディ!? その声に何とか意識を取り戻した。
俺に近寄り、鬼の形相で襟首を掴み
「返答によっては殺すぞ!」
と、ヴァルヴァラと浮気をしていると思ったのか、多分本気で言っている。
「ヴァルヴァラに、淫妖を憑けられました。あ、あいつ……憑師です」
「なに? じゃあ、浮気じゃないんだな!?」
今重要なのはそこじゃないんじゃないか、と思いながらも、うんうんと頷く。信用してくれたのか、ほっとした顔をした後、再度、鬼となり視線を送りヴァルヴァラを探すが、いつの間にやら姿が見えない。
「逃げたか?」
ジュレルディが、草むらに向け魔法を連射したが、何の気配も無い。地面に穴が穿たれ、土が焦げて小さな煙が昇っている。
「そう見たいで――」
不意に、焦げた匂いに紛れ、甘い香りが鼻腔をくすぐった。やばい!
「ジュレルディ駄目です! この匂い、淫妖を呼ぶ匂いです。早くここから離れないと! 多分、まだとこかに潜んでます! あいつ、気配を消すのが上手いみたいですから」
「ちっ! 今度あったら殺すからな!」
物騒な捨て台詞を吐き、ジュレルディが俺の背を押し駆け出し、押された俺もその後に続いた。
そういえば。と、今更ながら、逃げれば良かったんだと気付いた。もしかして、その考えが浮かばなかったのも淫妖の所為なのか? 淫妖に憑かれているから、女であるヴァルヴァラから離れられなかったんだ。じゃあ、今はどうして離れられる?
あ、ジュレルディが居るからだ。それに気付いた瞬間、ざわざわと体中を黒い衝動が支配し、押さえ込んでいた欲望が湧き出る。ヴァルヴァラは襲う訳には行かなかった。でも、ジュレルディに何の遠慮が居る? 俺達は結ばれているのだ。
前を走る彼女を改めてみる。今は丈の長いローブを纏っているが、その中には、あの妖艶なヴァルヴァラすら及ばぬ美しい肢体が隠れている。その体を何度も味わった。その白い肌、柔らかい乳房、滑らかなお尻。体の隅々まで知っている。その感触も、そこに触れた時、彼女がどう声を上げるかもだ。
ローブの裾が乱れ白い足が微かに見える。その白さに涎が溢れた。
「ジュレルディ!!」
「きゃっ!」
ほとんどタックルするようにジュレルディを押し倒した。両腕に彼女の柔らかい体を感じながら2回ほど地面を転がり、両腕で細い肩を抑えた
「どうしたんだ? 急に」
戸惑ったように言った後、あ、そうか。と少し困った顔で微笑む。
「淫妖に憑かれたんだったな」
俺はそれに答えることも出来ず、口からポタポタと涎を流し、ジュレルディの滑らかな曲線を描く頬を汚していく。だが、そんな俺にジュレルディは優しく微笑んだ。
「あの祓師。なにが淫妖すら退けるだ。ちゃんと私を襲うじゃないか」
どうやら、俺がこの世界に来てすぐに立ち寄った村の祓師への愚痴らしい。あの祓師はジュレルディに、淫妖に憑かれた男にすら相手にされないのかと言ったのだ。もっとも、ジュレルディも本気で怒っているんじゃなく、むしろちょっと笑っている。祓師の言った通りじゃなくて喜んでいるように見える。
「さすがにここでは不味いな。そこの草むらに行こうか。ちょっとどいてくれ。アルシオ」
その言葉に、淫妖に憑かれている俺の体が素直に従った。言ったジュレルディ自身意外だったらしく、お前本当に憑かれているのか? と笑みを浮かべた。
「俺を、そこら辺の木に縛り付けてくれませんか?」
「木に?」
「はい。こんな状態で、貴女を抱きたくないんです」
ジュレルディは、一瞬きょとんとした後、首を傾げた。
「大丈夫なのか? 淫妖に憑かれて1人寝すると、かなりきついと聞いたぞ?」
さすがはジュレルディ、勉強熱心だ。そこらへんの知識もちゃんと仕入れてる。
「大丈夫です。お願いします」
「うん。分かった」
ジュレルディは微笑み、言うとおり茂みの奥の木に俺を座った格好で縛り付けた。渡者の常備品として、腰に垂らしたり巻いたりして、ロープくらいは常備している。他には多少の保存食も持っていて、万一すぐに旅立たなくてはならなくなっても、1日、2日なら問題ない。
「じゃあ、我慢できなくなったら言うんだぞ」
そう言ってジュレルディは、俺の風下の俺からは見えない位置に向かった。彼女の姿が見えたり、体の甘い香りを感じては、淫妖に憑かれた俺には毒だからだ。
木に縛られたまま目を瞑っていると、ジュレルディの言葉に不思議と落ち着いていた淫妖が蠢きだした。体中をむず痒い快感が襲い、更なる刺激を求める。
何とか寝てしまえないかと思っていたが、もはや、頭に浮かぶのは、そばに居るはずのジュレルディの体ばかりで寝るどころじゃない。
「ぐぅ……」
歯を食いしばり、ジュレルディの名を叫びそうになるのを堪える。呼べばきっとジュレルディは来てくれる。気配を消してはいるが、万一のヴァルヴァラの襲撃に備え近くに居るはずなのだ。
「きつそうだな。大丈夫か?」
思いの外近くから心配そうな声が聞こえた。その声に女を感じて淫妖が反応し、声が愛撫となって体中をなで上げた。彼女に触れたい衝動が、俺の心を蝕む。
「だ、大丈夫ですから」
何とか堪え答えると、そうか、という返事の後また気配が消える。その、そうか、も愛撫となって俺を責めた。
また、目を瞑りながら堪える。因数分解の問題を解いて気を紛らわせようと考えたが、数学が苦手だったのを思い出しただけだった。次に、歴史の年号を思い出そうと努力する。
だが、努力の甲斐なく淫妖の蠢きは激しくなるばかりだ。シャツとズボンは水を被ったように汗で濡れ、はあはあ、と息も荒い。それでも、必死で堪える。
「本当に大丈夫か? かなり辛そうだが。私だったら本当に良いんだぞ?」
「ほ、本当に大丈夫ですから」
心配するジュレルディの声の愛撫に堪え、言葉を搾り出す。だが、淫妖のざわめきは更に激しく俺を責める。近くに絶世の美女が居て、しかもその美女は抱かれても良いと言っているのだ。何の遠慮がいるのかと、俺を攻め立てる。
「無理しない方が良いんじゃないか?」
気付くと、目の前に居る。いつも身につける丈の長いローブをつけず、シャツとズボンだけのその姿は、彼女の完璧なプロポーションを浮き上がらせた。微かな風に、ふわっと甘い香りが俺を包む。
が、我慢できるわけないだろ! 叫びそうになるのを歯を食いしばって堪えた。ぶんぶんと頭を振り、必死に淫らな考えを頭から追い出す。歯軋りするほど奥歯を噛み締め、何とか堪え切った。
「本当に、本当に大丈夫ですから、その、後ろに居て下さい」
「そうか。本当に無理するなよ?」
前かがみになったジュレルディは、心配そうな顔で俺を見つめる。分かりました。と返事すると、更に近づき耳元でささやく。
「頑張ってね。お兄ちゃん」
あんた、わざとやってるだろ!!




