第61話:謎の聖杯
「本部に連絡をお願い! 聖杯が現れたわ!」
「ついに、ヴェーラ教が世界を救う時が来たのよ!」
修道女達の興奮はますます激しくなるばかり。スリットの入った修道服の裾が乱れるのも気にせず俺が作った杯を取り囲み騒いでいる。その光景に、ジュレルディと俺は呆気に取られるばかりだ。
「いったい何の騒ぎだ? どうやらお前が作った杯を囲んで騒いでいるようだが」
「いや、俺にも何がなんだかさっぱり。聖杯がどうとか言ってるんですが、今俺が作ったやつなんで、その聖杯って物じゃないはずなんですけど」
「皆さん、落ち着くのです」
その声の主に修道女達の視線が集まり、一斉に静まり返った。俺をつけ回す例の修道女が扉のところで鋭い笑みを浮かべている。腰に手を当てスリットの入った修道服から長い足が伸び、なんとなくモデルがポーズを決めているように見える。
「ですが、聖杯です! 聖杯が現れたのです!」
「ヴァルヴァラ助祭枢機卿! 本当なんです!」
ああ。あの女はヴァルヴァラって言うのか。関わりたくないので、なんとなく今まで名前も聞きそびれてたな。
「やはり、私の目に狂いは無かったようですね」
首を少し傾げ口元に手をやり妖艶な視線を俺に向けるその仕草は、どう見ても聖職者には見えない。得物を見つけた淫魔の笑みだ。切れ長の目を更に細め怪しく光っている。
突然、傍に立っていたジュレルディがクルリと背を向けた。瞬間ローブがひるがえり辺りを激しい光が照らす。その光に目が眩み白い世界に爆音が鳴り響いた。頬に、爆風と、何かの破片が当たる。
「こっちだ! 早く!」
「あ、はい!」
眼球に光が焼きついたままで視界は頼りげ無かったが、ジュレルディの声がする方に走った。勇雄《元の世界の高校生》的感覚で、修道女達の目的が何なのか聞き出そうと思っていたが、プロの渡者の感覚なら確かにここは逃げる場面だ。
修道女達が騒いでいるのは気になるし、ヴァルヴァラって女が何で俺に付きまとうのかも知りたい。だがその挙句、捕まりでもして命を失っては元も子もない。
入り口には修道女達がいる。手だれとは思えないが、万一のこともある。ジュレルディが魔法でぶち抜いた壁から脱出した。
教会を出ても走り続け、人通りの多い通りに出た。ここならば襲われる心配も無い。
「一体なんだったんですかね?」
「分からん。だがとにかく組合に急ごう」
「あ。そうですね。急ぎましょう」
さすがジュレルディはそつない。次に組合に向かった俺達は、教会での事情を説明した。
この世界には警察はなく、それぞれの領地を治める王室や貴族の兵士達がその代わりをしている。万一教会側が、俺達が魔法で壁を壊し逃げたのを教会を襲撃したと訴えた時に、教会の修道女達の様子があまりにもおかしく命の危険を感じたから当然の行為だと主張するのだ。
町に根を下ろす教会の修道女の言い分と、町を渡り歩く渡者。どちらの言い分を信じるかと言えば普通は修道女だが、祭のこともあり、渡者達の言い分も結構認められる。
そうして組合で事情を説明し、もしあの修道女達が俺達が教会の壁を破壊したから捕まえろと言って来ても大丈夫だ。少なくとも問答無用で捕まることは無い。
こうして、取り合えず対応を終え、カシェード達が待つ組事務所へと向かった。隣を歩くジュレルディは肩を落としトボトボと歩いている。
「どうしたんです?」
「折角、お前との記念だと思ってたのに……」
確かにジュレルディにとって初めての誕生日イベント。それが台無しになったんだから落ち込んでも仕方ない。
「体勢を立て直して今度はこっちから教会に乗り込みますか?」
「いや、さすがに敵の本拠地に乗り込むのは危険だ。教会を張って、関係者らしき者が出てきたら拉致ろう。拷問してでも、どうして私達の記念日を邪魔したか白状させるんだ」
いや、問題はそこじゃないと思いますが。だが、今のジュレルディは頭目モードの冷徹さと、恋する乙女モードのお花畑が相乗効果マックスだ。下手に逆らうと貞○モードすら超えそうで怖い。
「まったくです」
と、相槌を打つ。
そうして、尻に敷かれる未来を予想しつつ事務所に付くと、とたんジュレルディの体から殺気が溢れた。燃えるアメジストの視線の先には、例の修道女ヴァルヴァラが微笑んでいる。
「あら。やっとお帰りになられたんですね。ずっと待っていたんですよ。いきなり帰るんですもの、びっくりしました」
と、ジュレルディが壁をぶち抜いたことなど、無かったような物言いだ。
もっともジュレルディは誤魔化されない。
「貴様、のこのこと何しに来た」
そう言ってヴァルヴァラを睨み、両手はローブの中だ。きっとローブに隠して杖に魔力を溜めている。いきなりぶっ放しかねないし、それも仕方ないかも知れないが、ヴァルヴァラが死んではジュレルディの来世が悪くなる。それだけは回避しないと……。
「何って、御2人が作った物を持ってきたんじゃないですか。駄目ですよ。折角の恋人の記念の品を忘れてしまうなんて」
確かにヴァルヴァラは両手に俺達が作った陶器を抱えている。どうやらちゃんと焼きも入れているようだ。
「こ、恋人だなんて……」
ジュレルディは頬を赤らめ、杖を持ったまま両手で顔を覆い恥らっている。溜めていたはずの魔力は、精神統一が崩れ四散した。
駄目だ。ジュレルディの弱点がバレバレだ。ここは俺が出るしかない。しかし、このジュレルディの感じだとあまり強くも出れない。
「でも、俺が作ったのをみんな聖杯だとか騒いでたが、あの騒ぎは何なんだ? 俺が作ったんだし、その聖杯ってやつじゃないだろ」
「それについて、ぜひアルシオ様にお話があるのです」
「俺に?」
「はい」
ヴァルヴァラは、含むところなどありませんよと微笑みを浮かべているが、今までのことを考えると、どう考えても何かありそうだ。どうしたものかとジュレルディに視線を向けると、彼女が小さく頷く。
ヴァルヴァラに白い手を差し出し、
「とりあえず、それを渡して貰おうか」
と、教会で作った陶器を受け取り大事そうに両手で抱えた。杖はローブの内側にしまったようだ。
よし! 今のこの人は、駄目な人だ!
なんとなく、分かっていたがこの人かなりの恋愛脳だ。今のジュレルディはあてにならない。
「悪いが、もうすぐ仲間が立ちんぼに出るから、俺達は建物の中に居なくちゃならない。また今度にしてくれないか」
問題の先延ばしだが、建物の中に入ってジュレルディの回復を待とう。詰め所の部屋なら、他の人も居るしジュレルディも冷静になるはずだ。
「それなら大丈夫です。こちらの方達とは話は付いています。お仲間の立ちんぼの順番を変えてもらいました」
「変更?」
「はい。貴方達が帰ってくるまで、順番が後回しになるように頼んで置きました。それでも、ちゃんと一日分の給料が出るはずです」
話を付けたって、修道女がやくざにか? ますますもって胡散臭い教団だな。だが、とりあえず敵意はなさそうだ。話ぐらいは聞いても良いんだが、それでもやっぱり油断は出来ない。
「それで場所は? 教会には行かないぞ」
「そうですか。でも立ち話もなんなので、どこかに入りましょう」
「ここに入っちゃ駄目なのか?」
「教団の教義にかかわる事ですので、出来れば」
「教団の教義ね……」
そういえばヴェーラ教の教義ってどんなだっけ? って、俺と同じで来世からやって来た奴が作った教団で、人を殺すと来世が悪くなるって話だったな。そして俺に目を付けてると……。
「そう言えばジュレルディさん。それはここに置いていった方が良くはないですか? もし落として割ったりしたら大変です。せっかくの恋人同士の記念の品なんですから」
「あ。そうだな。じゃあ、ちょっと置いてくるから待っていてくれ」
ジュレルディは俺達が作った杯を大事そうに抱えて建物の中に入っていく。うーん。やっぱりいつもより注意力やら思考やらが散漫だ。と考えている内に、思ったとおりヴァルヴァラが耳打ちしてきた。
「じゃあ、ジュレルディさんが戻ってくる前に行きましょうか。あなたが別世界から来たと言うのは、彼女には秘密なんでしょ?」
予想通り、俺がこの世界の人間じゃないと見破っていた。しかも、俺のジュレルディへの反応から、それを秘密にしていることまで察している。そして、本当はアルシオではないことをジュレルディにばれる訳には行かない俺は、こいつの言うことを聞くしかない。とりあえずは、だが。
やむを得ず先を歩くヴァルヴァラの後についていく。しかし、どこかに入ると言っていたにもかかわらず、人通りの多い通りを過ぎ去り、どんどん人気のない方へと歩いていく。
「おい。確かに教会には向かってないみたいだが、どこまで行くつもりだ?」
「あまり人に聞かれたくない話ですので」
と、ヴァルヴァラはさらに進む。
完全に日が落ち、やっと足を止めたのは、だだっ広い原っぱだった。確かにここなら誰にも話を聞かれないだろうが……。
「それで、話って何なんだ? そもそもあの聖杯ってなんだったんだ? 修道女達が大騒ぎしてたわりに、ずいぶんとあっさりジュレルディに渡してたじゃないか」
だが俺と向き合ったヴァルヴァラはそれに答えず、スリットの入った修道服から長い足を伸ばし、その太ももに両手を添えて少し前かがみなるという、まるでグラビアアイドルのようなポーズをとった。開いた胸から半分以上乳房が見え、それがなまじ全裸よりも淫猥さを漂わせている。
「あなたには、この体が美しく見えているのですよね?」
「あ、ああ。まあな」
俺の返答に満足したのか、ヴァルヴァラは淫蕩の笑みを浮かべ俺に近寄ってくる。やばいか? と思わず腰の剣に手を伸ばす。
「あら、怖い。私は武器になるようなものなんて何も持っていませんわよ」
そういってさらに近寄り、ついに俺の首に両手を回した。ヴァルヴァラの体から甘い匂いが漂い、頭がクラクラしそうだ。
「聖杯は、それ自体には価値はありません。重要なのは誰が作ったか」
「誰が作ったか?」
「そうです。ヴェーラ教の開祖マクシームが別世界での意識を目覚めさせ、この世界で始めて作ったのが聖杯と言われています」
「それで、俺が作った杯がその聖杯と形が似てるってのか? 確かにこっちではあまり見ない形とは思うが、こっちの世界の奴だってちょっと気が向けば作りそうな形だろ」
「ふふ。それはあなたが別の世界から来たからそう思うだけのこと。この世界の美意識は極端です。どんなに心優しく、気立てがよく、働き者の女性でも、姿形がこの世界の美意識に外れていればまったく見向きもされない。寸胴や左右対称の形が美しく、他の形など絶対に認めない」
そういやあ、確かに杯は円柱型ばっかりだったし、テーブルなんかも円形か四角か。楕円ってのは無かったな。そういうものかと気にしてなかったが、確かに徹底してるかも。
確かにジュレルディだって、もし俺が居た来世だったら、たとえとても不細工だったとしても、あれだけ優しくて性格も良いなら、それで好意を持ってくれる男の一人もいそうなものだ。だけど、こっちの世界じゃ本当に誰にも相手にされなかった。
「私達があなたに何を求めているかは、もうお分かりでしょ?」
「俺に、ヴェーラ教の教祖にでもなれっていうのか?」
「ええ。その通りです」
と、俺に体を押し付け、豊満な乳房が俺の胸板でつぶれ柔らかい弾力を伝えてくる。
「教団の修道女は、すべてあなたの世界の美女ばかり。その教祖になれば……」
甘い香りに甘い言葉。耳元でささやくその声が俺の耳たぶをくすぐり、ぞくりとする快感を伝える。
そして俺はその快感から逃れられない。ヴァルヴァラの体から発する甘い香りの所為か、思考が鈍い。彼女の長い足が俺の脚の間に割り込み刺激を与えてくる。
「私達は、ずっと新たな教祖を待ち望んでおりました。数百年の長きにわたり……。それが今ついに貴方が現れた。その喜びに、彼女達は身も心も貴方に捧げるでしょう。貴方は何も遠慮する事はないのです。修道女とは神に嫁いだ女であり、貴方はその神が遣わした、神の化身なのですから」
甘い香りで鈍った俺の頭に、ヴァルヴァラの言葉がしみこんで行く。あの「何か」はやっぱり神様か何かなのだ。そしてそれによってこの世界に来た俺は、神の化身だ。その妻たる修道女達を好きにして何が悪い。
ヴァルヴァラの体はさらに密着し、胸や足どころか腹部すら摺り合っている。柔らかく弾力ある感触がゾクリと俺の体を駆け巡った。
「あの、ジュレルディという女性も、十分修道女の資格があります。彼女も一緒に……」
ぶちっと、頭の中で何かが切れた。
「ふざけるな! ジュレルディとお前らと一緒にするな!」
叫び、ヴァルヴァラを突き飛ばしていた。
「誰がお前らの教祖になんかなるか!」
突き飛ばされ、よろめいたヴァルヴァラだったが、うまくバランスをとって体勢を立て直している。
「あら? 私、失敗しましたかしら?」
と、言いながらも、その顔には余裕の笑みが浮かんでいる。
その余裕の理由が分からない。何かあるのかと、柄に手をかけ身構える。ヴァルヴァラもそれを見て取り俺に近寄ってこない。遠巻きに俺の周りをゆっくりと回っている。
ヴァルヴァラの体から発する甘い香りが俺を包むが、それでもさっきのように至近距離じゃないので、それほど効果はない。だが、ヴァルヴァラは俺の周りを回り続ける。
ズンッと、何かが俺に、入った、感覚がした。ぞわぞわと何かが体の中を這い回る。おぞましい感覚と、えもいわれぬ恐怖。何かに精神と、体が乗っ取られて行く。
「あ。やっと憑きました?」
ヴァルヴァラが浮かべる淫蕩と邪悪に満ちた笑みは、とても修道女のものとは思えない。淫魔と悪魔が同居したような微笑。
こいつ……憑師だ。




